06 脱出
犯罪者を前にした被害者が一致団結するとは限らない。ただ怯え立ちすくむ者、立ち向かう者、逃げる者、色々だ。
治験者一のイケメン野郎・九条は犯罪者に媚を売った。矢倍に尻尾を振り、魔法を習得し、俺達を管理する側に回ったのだ。闇堕ちである。とんだクソ野郎だ。
既に病院に監禁されて三日。九条は闇堕ち早々新人研修の名目で矢倍監督のもと俺達に無理難題を課した。中庭に浅いくぼみを掘ってガソリンを注ぎ、火をつけ、その中に飛び込めというのだ。
炎は焚火どころではなくほとんど火柱で、そこに突っ込むなんて狂気の沙汰。離れていても熱気が尋常ではなく、足を踏み入れるどころか近づく事さえ恐ろしい。
九条は尊大に俺達を見下し、新人研修のカードを胸にぶら下げ早く飛び込めとせっついてくる。前日まで俺達と運命共同体だったのにこの変わりよう、畜生とは九条のことだ。
誰もが九条を憎々しげに睨んだ。最初から敵だった矢倍より、裏切った九条への恨みの方が深い。
その怒りを我慢できなかった人がいた。矢倍は無理だが九条ならなんとかなる、と踏んだらしい治験者のおじさんが九条に掴みかかり、火柱に押し込もうとしたのだ。
ところがおじさんは九条に触れた途端、踵を返し炎の中に飛び込んで焼身自殺した。ワケが分からない。
何かの魔法? 自殺強要? 人体操作? 絶対命令? 得体が知れなさ過ぎて恐ろしい。
結局用意したガソリンがもたもたしている内にすぐに燃え尽きてしまったのでおじさん以外の後続は足に火傷を負い、髪を焦がし、水膨れを作るぐらいで済んだ。
監禁され死に直面し、俺達は疲れ果てていた。
火傷の手当をして、九条の新人研修の時間も兼ねた昼休憩に俺達は声を潜めて話し合う。同室の人以外と私語ができるのは食事の時ぐらいしかなかった。
昼食前に火傷が重い人は別室に連れていかれ、帰ってきていない。このまま帰ってこないのだろう。
治験者は三日目にして既に三人になっていた。
「司はもっと怒れよ! こんな目に遭わされてどうして黙ってるんだ!?」
「あー……俺、なんか理不尽な目にあうと怒るより先に悲しみとか諦めが来るタイプだから」
飲み終わった牛乳を机に叩きつけ、気炎を上げる彼は波野翼だ。俺と苗字が同じで大学生なのも同じ。名前までちょっと似ている。
だが親近感はあまり湧かない。状況に翻弄され自分を守るので精一杯の俺と違い、皆をまとめ上げ全員で生還するために積極的に動いている。俺と翼は全然違う。陰キャに気を使ってくれるタイプの真の陽キャは眩しくて見てられない。
「怒りを抑える自制心があるって事ですよ。すごく良い事だと思います」
「お、おお。ありがとう」
神々廻さんは柔らかく微笑み、迷わず俺の肩を持った。
この人はこの三日間ずっと俺に雛鳥のようにちょこちょこついてきて、何をやっても全肯定してくる。
可憐な乙女という形容が相応しい女の子に好かれて心が浮足立つのだが、同室で運命共同体とはいえ会って三日にしてはちょっと好かれ過ぎな気がするし、好かれているというより無邪気に懐かれているという感じがするし、矢倍のチェーンソーから命を助けてもらった情けない借りがあるし、懇ろな関係に持ち込むのは躊躇う。
こんな異常な病院に閉じ込められていなければ今頃恋人同士に……なってないな。病院に閉じ込められてなかったら出会いすらなかったわ。詐欺、監禁、脅迫、命の危機。これだけ酷い目に遭った対価が気立てのいい和風大和撫子かあ。
世の中の美人の嫁さん捕まえた男はみんなこんな苦労をしたのだろうか? 恐ろしい話だ。
「……まあ冷静な奴がいてくれるのは助かるぜ。協力しないとここから逃げ出せない。で、ちょっと耳貸せ」
翼はただでさえ小さな声量を更に絞り、俺と神々廻さんに顔を寄せて囁いた。
語られたのは病院の見張りの交代時間と、老朽化で修理中の塀の位置だ。まさに今一番欲しい脱出に必要な情報でびっくりしてしまう。
「その情報は確かなのか?」
「九条から上手く聞き出した。アイツ魔法手に入れて調子乗ってるからな。やりやすい」
「翼、お前……!」
やるじゃねぇか。
俺がようやく脱出経路をどうしようか考え始めた時に、翼は既に計画を立て終えていた。情けなくもありがたい。もう一生この人についていこう。
やっぱ同じ波野でも三流大学と一流大学だと頭の出来が違うな。
「もっと早く計画ができればもっとたくさん助けられたのにな。くそっ」
「おいおいそりゃちょっとお人よし過ぎるぞ。それに今考える事じゃない。脱出に集中してくれ」
「ああ、そうだな……いいか、俺は司と臾衣を仲間だと思ってる。絶対に見捨てない。誓ってもいい。だから三人で助け合って、必ず一緒に脱出しよう」
「ええ」
「ああ。俺も翼と臾衣を助けるよ。誓う」
力強く言う翼の目はあまりにも真っすぐで、俺は素直に頷いてしまった。
十日間の治験の三日目にして既に三人しか生き残っていない。明日は我が身、いや今晩にも死んでおかしくない。
翼は仲間の死に怒って矢倍をぶん殴ろうとするぐらいの熱血漢だし、神々廻さんは身を挺して俺を助けてくれた。この二人なら信じられる。この期に及んで自分の保身しか考えないのはあまりに惨めだ。同じぐらいの信頼を返さなければ。
昼食後はまた猟奇的人生経験を積まされそうになったのだが、俺が会社の待遇面や昇進条件について質問し入社に前向きな姿勢を示すと予定を変更して会社説明会になった。
曰く、この病院はガンプという魔法界の大企業に対抗するために立ち上げられたベンチャー企業で、従業員数は総勢八十人。製薬会社を隠れ蓑に勢力を広げ、魔力を貯め込み、来るべき戦いに備えているという。
物騒な話だ。ますますここにはいられない。戦いに巻き込まれる前にトンズラするに限る。
社長の人徳がどうの、先輩に飯を奢ってもらっただの、愚にもつかない四方山話ばかりを聞かされたが、矢倍は話の中で一つポロリと重要情報をこぼした。
曰く、魔法は「最低一度魔法を受けた者が、どんな魔法を作るのかイメージし、それを口に出し、血を流す」と作れるらしい。
話してはいけない情報だったようで矢倍は言った直後にハッとしていたが、知ったところでどうしようもない情報でもある。
思えば矢倍は電撃魔法を使う時に必ず相手を殺していた。昨日の虐殺でわざわざ電撃ではなくチェーンソーを使って襲い掛かってきたのは、魔法を食らって生き残った者が矢倍の把握しない魔法に目覚めるのを警戒しての事だったのだろう。
改めて矢倍は甘い相手ではないと思い知る。エキセントリックなようでいてしっかりしてるんだよな。厄介だ。
やがて臨時の講義も終わり、日も暮れて夕食へ。九条のしつこい闇堕ちの誘いを上手く受け流して(もっとも誘われたのはほとんど神々廻さんだけだった)、消灯時間となる。
俺達は大人しくベッドに入り、目を閉じて寝たふりをした。
十分な時間待ってから俺は薄目を開ける。
暗闇に慣れた目は鉄格子がはまった窓から差し込む月明かりだけで割と周りを見渡せる。色までははっきり分からないが、ベッドやドアの輪郭・濃淡を把握するには十分だ。
「…………?」
「…………!」
俺が神々廻さんのベッドに近寄ると、肩に触れるか触れないかというところでパッチリ目を開けた。無言で頷き合い、足音を殺してドアに近づき、そっと開ける。
ドアの隙間から外を覗くと、部屋の外にいる見張りは少し離れた自販機のところでこちらに背を向けてコーヒーを飲んでいた。
音を立てないように慎重に部屋を出て、振り向かないよう祈りつつ階段下まで向かう。
「見つかってないだろうな?」
「見りゃ分かるだろ。行こう」
階段下で待っていた翼と囁きかわし、裏口から外に出る。
裏口にも当然鍵がかかるようになっているし、夜間は鍵がかかっているはずなのだが、喫煙者の職員が外にある喫煙所に行くために開けっ放しにしているらしい。笑ってしまうような防犯の穴だ。
翼は足の火傷が酷いので、俺が肩を貸しつつ監視カメラを避けて先へ進む。月明かりに照らされた真夜中の古病院はおどろおどろしく、植え込みで鳴いている虫の音すら神経を削る。
たった五十歩、裏口からブルーシートがかけられた塀の下に辿り着くまでに十分もかかってしまった。
よし。あとはブルーシートをくぐって裂け目から自由な外へ這い出すだけだ。道に沿って一晩歩けば町につくだろう。そこで警察に駆け込めばいい。俺達の中で一番足の火傷が軽いのは神々廻さんだから、俺と翼が歩けなくなったら彼女だけでも町に行ってもらえれば――――
「こんばんは。ククク……」
「!!!!???」
出、出たぁああああああああ!
俺がブルーシートを捲ると、中からぬぅっと矢倍が出てきた。後ろにはニヤニヤした九条もいる。
な、なぜ!
「こんな夜中に三人揃ってどこに行くつもりですか? クックック……」
突然のクレイジーサイコ雷魔法使い出現に俺達は衝撃のあまり立ち尽くした。
辛うじて翼があえぎあえぎ言葉を絞りだす。
「どうしてここが……!?」
「脱出するとすればここですからね。毎晩見張っているんですよ。おかげで捕まえたお馬鹿さんはあなた方で六人です」
「あ、ああああ、くそっ!」
翼は悪態をついて髪を搔きむしった。神々廻さんは覚悟を決めた殉教者のように俺にそっと寄り添ってくる。
ヤバいヤバいヤバい!
終わったか? 人生終わったか? 矢倍の電撃を食らい死んでいった人達の無残な姿がフラッシュバックする。ダメだダメだ、それだけは!
翼はヤケになって突撃しかねない。神々廻さんはもう死を覚悟してしまっている。
ここで俺が冷静にならなきゃどうする?
考えろ考えろ、なんでもいい!
「た、助けてくれ……! おっ、俺達はいい生徒、いい治験者だっただろ!? もう脱出なんて考えない、大人しくするから!」
「これはこれは何とも虫の良い……クックック……そうですねえ。面白い命乞いをすれば考えてあげましょう」
「本当か!」
ダメ元の言い訳で一筋の光明が差す。
命乞い? 助けてくれってすがりつくか? いや面白い命乞いじゃないと殺される。
どうすれば、何を、何が……!
「そうだ。知ってます?」
混乱した俺は閃いた言葉をそのまま口にした。
「命ってすごい濃い色してるんですよ」
「は?」
「命濃い、なんつって」
「…………」
「…………」
死んだわ。
天を仰ぐ。わあ、お星さまきれい。
しょーがねーだろ土壇場で急に振られて上手い作戦思いつくかよ!
しょーもないダジャレで精一杯だよバカ!
「えっと、あはははは!」
耳に痛い沈黙の中、一拍遅れて神々廻さんが笑ってくれるのが辛い。
もういいよ、殺せよ。殺せばいいだろ!
矢倍は肩を震わせ忍び笑いしていた。ああ滑稽だろうさ。幼稚園児並の命乞いだもんな!
いいよ、笑えよ。畜生が。
ああもう全部どうでもいいや。死ぬ前に神々廻さんを抱き寄せてキスしちまおうかな。冥途の土産にそれぐらいは許されるんじゃないか?
「クックック……面白かったので見逃してあげましょう。ククク……ふっ、ふふふ……」
「え、矢倍先輩? 矢倍先輩!? 嘘でしょ!?」
死を悟った俺達を置き去りにして、矢倍は忍び笑いしながらスタスタ歩き去っていく。
その背中と俺達を何度も見比べる九条が慌てている。
「…………え」
急に振り向いて電撃を撃ってくるかと身構えるもそんな様子は全くない。ふつーに遠ざかっていく。九条も俺達と先輩を何度も見比べた後、釈然としない風に矢倍についていく。
え?
本当に見逃された?
そんなまさか。
だが殺されていない。
「な、なんだ? どうなったんだ?」
「見逃された……らしい」
混乱する翼にありのまま言う。俺も自分で言っていて意味が分からない。見逃された。
まさかあんなパニクった命乞いで見逃されるとは。
「すごい! 司さんは命乞いが上手いんですね!」
「全肯定さんはちょっと静かに。今どうすればいいのか考えてるから」
見逃されたのはいいがどうすればいいのかもう分からない。
しかし次の行動を決める前に事態は急展開を迎える。
病棟が夜闇を赤く切り裂く爆炎と共に前触れもなく爆散したのだ。
一番背の高い病棟の爆発を皮切りに、隔離病棟も警備小屋も購買部も次々と爆発していく。
「おわあ!? 今度はなんだ!」
もうワケが分からない。何が起きた?
疑問への答えは矢倍が知っていた。
矢倍は地面に這いつくばりながら切羽詰まった声で叫んだ。
「いかん、伏せろ! ガンプの襲撃だ!!!」




