46 終戦
臾衣と記憶の確認をして、俺達はニューアイランド争奪戦におけるメシアの失敗の記憶が消されているのを知った。メシアがやった味方誤射だとか、救援に間に合わず味方が全滅した戦いだとか、そういった記憶を俺とソニアは忘れていた。
メシアの狂信者がメシアの失敗をもみ消しているのかも知れないと考えもしたが、それよりはメシア本人がやっていると考えた方が筋が通る。
メシアの二つ目の魔法は恐らく強力で広範囲の記憶消去なのだ。しかも自分の失敗を知ってしまいそうな者、失った記憶を取り戻してしまいそうな者を口封じして回っている。
俺はロストデイにメシアの失敗を――――それも重大な失敗を知ってしまった。それでメシアは俺を殺そうとしたが、俺は治験のバイトで行く先も告げずに姿を消していた。メシアは俺の知り合いを拷問し行く先を聞き出そうとし、たぶん最終的にはパソコンに残っていたバイト応募履歴から特定。GAMPの襲撃にかこつけて田間多摩医院を襲い、俺を見つけ、殺した。
まさか波野司と九条獅狼が入れ替わっているとは思いもしなかっただろう。ゲス野郎の企みが意図せずしてゲス野郎の企みを挫いたわけだ。
ただしメシアの本性が分かっても終末の獣を倒すまでは告発できない。
メシアは強い。終末の獣に攻撃を通せる可能性のある希少な魔法使いだ。ザ・デイまで傷を負わせたり豚箱にぶち込んだりして枷をつけるわけにはいかない。
何も気づいていないフリをして終末の獣にぶつけ、記憶を戻した俺と二人がかりでぶちのめす。その後で改めて決着をつける。
そういう計画を立てた。
そして偶然と機転、用心深さと仲間の助けで今俺はこうしてここに立っている。
世界を二度救いここに立っている。
あれほど英雄然としていたメシアは悪魔の形相だった。
憎かろう。世界救済の手柄をかっさらわれ共犯の誘いを断られ邪魔をされ殺しても生きている。
燃え盛る埠頭に波が打ち付け水蒸気が白煙になり、俺とメシアの間に白い幕を作る。
一瞬の沈黙の後爆発が巻き起こり、回避魔法を使ってもなお避け切れなかった俺の右腕を吹き飛ばした。
「いってぇ! 往生際悪いぞ!」
「黙れ! まだだ! お前さえ殺せばまだ……!」
回復魔法の重ね掛けで高速自己再生する。メシアは爆炎を突き破って突進してきて、気が付いたら俺は地面に転がっていた。
一拍遅れて顔面を殴られたと気付いた時にはマウントを取って頭に何発も重い打撃を入れられている。
速い重い強い!
魔法がどうとか以前にメシアは鍛え上げられた屈強な男だ。世界を飛び回り修羅場をくぐり、俺とは場数がまるで違う。素の身体能力がオリンピック級だ。体術も反射神経も桁違い。
何をされたか把握した時には既に頭蓋骨を殴り砕かれていて、死んで蘇生する。
俺の人生再演の欠点は復活まで数秒のタイムラグがある事だ。
復活した時には既にメシアに首を掴まれ宙吊りにされていた。
「!」
「死ね」
そのまま小枝を折るように首の骨をへし折られ、地面に叩きつけ心臓を踏み抜かれる。
また死んだ。やばい、このまま殺され続けたら魔力が尽きる!
再び蘇生してもまた首を掴まれ宙吊りにされている。俺は首を折られながらメシアに封印魔法の多重掛けをした。が、絡みついた鎖も鉄球も猿轡も自爆で吹き飛ばされる。
飛行機墜落の爆発に巻き込まれ無傷だった逸話を持つメシアは自爆しても傷一つない。
爆風で吹き飛ばされていく俺にメシアはもう一度爆破をしかけてきた。
だが爆破されたのは幻影だ。なんだかんだこの魔法が一番使い勝手がいい。
幻をデコイに折れた首を治し、脚力強化で距離を離し、回避魔法や幸運魔法の重ね掛けで安全を確保してからまた封印魔法をかける。
当然自爆で解除されるが、また封印する。
また自爆で解除され、また封印する。
「お前……っ!」
何をするつもりなのか察したメシアの顔に焦りが見えた。
根比べだ。
下手な魔法は避けられる。当たっても頑丈でダメージをほとんど与えられないしそのダメージもすぐ回復する。
だがこれならいける。魔力が尽きたが最後、封印されて動けないお前をボコり放題だ。
知ってるぞ。メシア、目立ちたがりのお前は魔力量を自慢せずにはいられなかった。お前の魔力量は俺より少し少ないと知っている。
複雑な戦いの駆け引きでは絶対に勝てない。こういう単純な勝負に持ち込むしかない。
手負いの獣のように叫ぶメシアは自爆しながら一歩一歩俺に近づいてきた。封印と封印の僅かな間隙を縫って一発爆破を俺に通してきてヒヤリとしたが、幸運にも足元の瓦礫に躓き転んで回避する。
度重なる爆音で耳鳴りがする。赤い爆炎が天高く吹き上がり空気を焦がす。
必死の抵抗はだんだん弱くなっていって、やがて消えた。
魔力が尽きたらしい。俺ももう尽きた。
思ったよりギリギリだったな。最初に肉弾戦で数回殺されたせいで魔力量の差を詰められていた。
見ればかかっている拘束も少なかった。終末の獣にも使った拘束封印フルセットをかけたはずが、手足が鎖で縛られ全身に紋様が浮かんでいるだけだ。口も目も耳も自由になってしまっている。全封印をかけたつもりが魔力不足でちゃんとかからなかった魔法がある。
それでも手足束縛と病弱化はかかっているから何もできまい。
なあどんな気持ちだ? もみ消してきた失敗も悪事も全部も暴かれて負けて何もできないってどんな気持ちなんだ? 聞かせろよおい!
「お前が、お前さえ死ねば……波野司! 呪うぞ! 呪ってやる!」
「そう怒るなよ。お前は俺を何度も殺した。家族も友達もみんな殺ったんだ、一回ぐらいやり返したっていいだろ?」
俺は拘束されたメシアに歩み寄り、首を絞めた。
こいつは生かしておいたら何をするか分からない。そもそもロストデイにメシアへの疑惑を信じ切れず棚上げにしたせいで全世界記憶消去を起こされたのだ。
残念ながら一気に殺してやれるだけの魔力も道具もない。メシアの太い首を一撃でへし折れるほどの筋力もない。かなり苦しませて殺す事になるが……因果応報・自業自得と諦めてもらおう。
「ぅぐ……僕は……お前の命を救ったぞ……げほ……あの夜……あの病院で……!」
「!」
メシアの言葉で思わず首を絞める力を緩めてしまった。
メシアはせき込み、捲し立てる。
「僕ほど人助けをしてきた人間が他にいるか? 他の誰が僕ほど多くを救う事ができた? 災害救助、寄付、慰問、食糧支援、孤児院運営――――それに、そうだ、僕がいなかったら終末の獣を殺せたか?」
「……一理ある」
俺は頷いた。
メシアの主張はもっともだ。
こいつはクズだが、間違いなくヒーローでもある。
休む間もなく世界を飛び回り多くの人々をその手で救ってきた。
本性がどうあれ、例え全て名声と名誉のためであっても、何百何千何万という人々を救ってきた事実は揺るがない。
だが。
「それでもダメだね。お前は俺を殺した。あの夜、あの病院で」
殺されたのは俺と入れ替わった九条だが、間違いなく俺は殺された。
絶望して顔を歪めるメシアを見て少しだけ惜しくなる。
どうして失敗を隠そうとしてしまったのだろう。人はどれだけ力があっても完璧ではいられない。俺でも分かる単純な事実がどうして分からなかったのだろう。
失敗を受け入れられる人間であれば正真正銘のヒーローでいられたのに。
これでもお前の事をちょっと目立ちたがり屋な本物のヒーローだと思ってたんだ。
俺はなおも何か言い募ろうとするメシアを逆巻く炎の渦に蹴り転がした。
メシアは絶叫した。手足を封じられ暴れる事もできず、赤い炎の中で黒い影が焼けていく。
悲鳴はひどい咳に変わり、その咳もすぐ絶えた。
炎が燃え盛る音と焼き崩れた建物が倒壊する音だけになる。メシアの死体は倒れた柱に粉砕され、遺体の残骸も雪崩をうって崩れ落ちた建物の下に消えた。
それを見届け、俺は空を仰いだ。
ああ、終わった。全てが終わった。
奇しくも一年前と同じ火の海の中だった。
辺り一帯は炎に巻かれ、退路になりそうだった海も泡立ち湯だっている。逃げ道がない。
一年前は同じような状況でメシアに助けられた。しかし今度は一人だ。一緒に脱出する翼も臾衣もいない。
口がカラカラだ。肌がひび割れ息をするだけで熱された空気が肺を焦がす。
蘇生を繰り返し無理やり突破しようにも魔力がもうない。今の俺は魔法を使えないただの人間だった。
酷い頭痛がする。
吐き気と眩暈が同時に俺の体を蝕み、足に力が入らない。
一瞬意識が途切れ、気が付いたら焼け焦げたコンクリートに倒れていた。
煙を吸い過ぎたらしい。
体に力が入らない。生々しい死の予感を前に思い浮かぶのは仲間の姿だった。
翼が死んでいなければここで俺を助けてくれたりしたんだろうか。
ソニアと臾衣は大丈夫だろうか。世界を救うためとはいえ二人がやったのはただの火事場泥棒だ。銀行の警備員に捕まり殺されていてもおかしくない。
霞んでいく視界の中に俺は光る物を見つけた。
ひしゃげたコンテナの隙間にキラリと光っている。
魔貨だ。魔貨が一枚だけ残っていた。
幸運魔法の残滓だろうか? 地面に倒れていなかったら気付けなかった。どうやらまだ終わりじゃないらしい。
痙攣する手足を叱咤し這っていき、震える手を伸ばし希望をつかみ取る。熱された魔貨は手のひらを焼いたが、その熱さすらもありがたく思える。
たった一枚、されど一枚。一枚の魔貨の魔力で足りるのか? この状況を打開できるのか?
ああ、頭がぼんやりしてきた。考えがまとまらない。だめだ、死ぬ。一度生き返ってリセットしなければ。
魔力不足で人生を再演するとどうなるのか俺は知らない。なにしろ人生を追走し肉体を再構成する魔法だ。中途半端に魔法が発動しぐちゃぐちゃの肉塊になってしまうのではないかという不吉な予感がする。
だがやるしかない。やらなければ死ぬんだ。何もしなければ死ぬなら賭けにでる。意識が途切れる、その前に。
手の中で魔貨を砕き、溶かして魔力を回復する。
そして最後の一滴まで魔力を振り絞り、俺は人生を再演した。




