44 ロストデイの真相(前)
その日、俺は夕食の後にふらっとコンビニに出かけていた。高校三年になり受験を控え勉強しろという親の圧も厳しくなってきていたから、春が過ぎて夏が来て本格的な受験シーズンが来る前にゲームをやり倒してしまおうと思ったのだ。
今日は夜更かししてゲームナイト。夜食確保は欠かせない。
コンビニに向かって財布片手に夜の街をぶらぶら歩いていると、妙に人通りが少ないのに気付いた。まだ日が暮れてそう経っていない時間帯なのに誰も見かけない。変だな、と思っていたが向かいから顔色の悪いサラリーマンのおじさんが来てそうでもないかとホッとする。
そしてホッとした次の瞬間、サラリーマンおじさんに話しかけられてドキッとした。
「君。そこの君」
「……えっ!? あっ、そ、あの、えー、俺、俺です……か?」
「やっぱり君ぐらいの歳の子は魔法に憧れたりするのかい?」
「まほ……え?」
「おじさんの世代は魔王倒すRPGとかバリバリやって、いいかんじの木の枝振り回して呪文唱えたりしてたんだが」
「うぇあ、えー、まあ、はい、たぶん、えーと、はい。俺もRPG好きです」
「そうかそうか。まあ座んなよ」
おじさんはちょっと微笑んでバス停のベンチに座り、隣を手で指した。
自分の顔が引きつるのが分かった。やべーよこの人。いきなり馴れ馴れしい。何かの詐欺? ただの頭おかしい人? こわいこわいこわい。クスリやって頭おかしくなってんのか? それとも距離感の詰め方おかしいだけのおじさん?
逃げたかったが逃げて追いかけられるのも恐ろしく、俺は震えながら恐る恐るおじさんの隣に座った。できるだけ距離を空けて、ベンチの端っこに尻を半分だけ乗せて。
話聞いて満足してもらって穏便に別れよう。それがいい。こういう危ない人は機嫌損ねると何するか分からない。いややっぱ逃げた方がいいか?
「一応聞くけど君って十字教徒だったりする?」
「えっ」
「宗教勧誘とかそういうのじゃないから。どう? 十字教?」
「違います、けど……」
「そうかそうか。実はね、おじさん魔法使いなんだ。世界を滅ぼそうとしてる悪い奴とこれから戦う事になっててね」
「そうなんですか。すごいですね」
思わず半笑いになってしまった。分かった、この人病気だ。精神を病んでる。自分だけの妄想の世界に住んでるタイプだ。
こういう人なんていうんだっけ、統合失調症? かわいそうに。お医者さんに連れていってあげた方がいいんだろうか。
「そうなんだよ。すごいだろ? でもなあ、世界を救うって世知辛いもんだよ。メシアはイギリスを更地にした挙句終末の獣を取り逃がしたし、なんでか日本を目指してる。ああ終末の獣ってのは世界を滅ぼそうとしてる怪物の事な、それでおじさん会社から緊急招集かかってなあ。メシアと協力して終末の獣を止めろって無茶ぶりがねえ、来ちゃったわけでね。正直逃げたいよ。ああ行きたくない行きたくない」
「行きたくないですよねぇ」
「分かってくれるか。そうなんだよ。イギリス爆発したんだよ? そんなの東京も更地になっちまうに決まってるよな。はぁ~。本当これ……もう……はぁ~……世界終わるわ」
「世界終わるんですか」
「そう。終わる終わる。もう無理。そうだ、君どう? 死ぬ前に魔法覚えてみる? 簡単だから」
「簡単なんですか。すごいですね」
適当に相槌を打って話を合わせていると、おじさんはペラペラ魔法の覚え方を教えてくれた。
曰く「最低一度魔法を受けた者が、どんな魔法を作るのかイメージし、それを口に出し、血を流す」と魔法を作れるのだとか。魔法は一人一つしか作れず、自分が経験した出来事を精製して魔法にするから、時間旅行とか転生とか、そういう誰も経験した事のない魔法は作れないし存在しない。
なるほど、面白い妄想だ。
「で、今君に幻覚魔法をかけた。空に星の数が増えたように見えるだろう? アレ、幻覚だから。おじさんは騙し絵が得意でね」
「はあ」
そんなん言われても普段星なんて見上げないし分からない。
おそらきれい。
「これで君は魔法を作れる。世界が終わるまであとどれぐらいあるか分からんが、好きな魔法作って好きにしたらいい。ほんとは無暗に魔法について言いふらすの危ないんだけどね、どーせ世界終わるし。これぐらいいいよな?」
「はあ。そうですね」
「うん、うん……こんなおじさんの話を聞いてくれてありがとうな。君はいい子だ……はぁーっ、よっこいせ」
おじさんは腕時計を見て大きく陰鬱な溜息を吐き、立ち上がって伸びをした。
肩を鳴らして腕をぐるぐる回し、少しだけスッキリした様子で言う。
「しゃーない。仕事だもんな、行かないと。じゃ、おじさん世界の終わりに抗ってくるよ」
「あっはい。お疲れ様です。お気をつけて。あの、病院とか行った方がいいと思いますよ」
「ん? ああ、生き延びたら整体にでも行くことにするよ」
おじさんは軽く笑って歩き出した。
頭の病院に行けって意味だったけど整体でもいいか。疲れてそうだもんな。俺も大人になって彼ぐらいの年齢になったら整体とかマッサージとか行きたくなるんだろうか。大人になる前にまず受験を乗り越えないといけないけど。
変なおじさんだったがちょっと面白い人だった。
とりあえず俺もコンビニに行こうと立ち上がると、遠くに歩いていったおじさんの目の前に巨大なドラゴンが出現し、何かが夜空から降ってきてドラゴンの幻を突き抜けアスファルトにクレーターを作って着地。
身構えようとしたおじさんを腕の一振りで引きちぎった人型のナニカは衝撃波と共にジャンプして一瞬で再び夜空に消えた。
「え」
ほんの一瞬の出来事だった。
理解が追いつかない。なんだ今の?
おじさんが死ん、死んで……?
呆気にとられ立ち尽くす俺の前に今度は数十人の人間が飛び出してくる。
ある人は空を飛び、ある人はとんでもない速さで走ってきて、ある人は虚空からにじみ出るように現れ。ほんの一瞬前までナニカがいた場所に火や雷や氷や弾丸が豪雨のように降り注ぎ、トドメに大爆発が起きた。
「くそっ! 当たらん!」
「どっちに行った!?」
「メシア様、先に行って下さい!」
「おい、誰かそいつ回復してやれ! そいつはパラケルススの攪乱要員だ!」
「終末の獣に攪乱効くのか? ……駄目だ死んでる! 回復不能、捨てて先に行くぞ!」
「了解!」
「おい一般人が見てるぞ! 殺すか?」
「ほっとけ魔力の無駄だ!」
「第五防衛ライン突破の報告! 第六防衛ラインは構築間に合ってないぞどうする!?」
「第七に先回りしよう! 行くぞ! 最悪霞が関まで下がる!」
数十人の奇怪な集団は来た時と同じように嵐のように夜の街に消えていった。
遠くに地鳴りと爆発音が聞こえ、だんだん遠ざかっていく。
俺は一人取り残され、おじさんにふらふら歩み寄った。
真っ二つに引きちぎられたおじさんは血の海の中で死んでいる。
ゆっくりと俺の脳みそに現実がしみ込んでいく。
全身の血という血が氷水になったようだった。
じゃあなにか? この人の言ってた事は全部本当だった?
イギリスが爆発四散して?
終末の獣? が世界を滅ぼそうとしていて?
この人は世界を救おうとして死んだ?
おい。
おいおいおいおいおいおいッ! 世界終わるのか!?
やばいやばいやばい!
逃げよう!
俺は急いで家に駆け戻り、父さんと母さんに世界が終わるから逃げようと叫んだが、うるさそうに早く寝ろと叱られただけだった。
ダメだ。信じてもらえるわけがない。
というかそもそも世界の終わりから逃げれるのか? 逃げれるものなのか? どこに逃げればいいんだ。
世界が終わるってなんだよ! どう終わるんだ? なんだっけ終末の獣が滅ぼすんだっけ、そう言ってたはずだ。
アレが終末の獣なんだよな、たぶん。アレが世界を滅ぼそうとしてるんだ。魔法使いだか戦士だか傭兵だかよく分からない人達がアレを追いかけていた。
どうしよう? 俺はどうすればいい?
そうだ、おじさんが俺を魔法を使えるようにしてくれた。はずだ。
何かこの状況をなんとかできそうないい感じの魔法を作ろう。名案だ。名案だよな?
まず回復魔法は欲しい。怪我して死ぬのは嫌だ。
身体強化とかあって困らないよな。終末の獣はとんでもないスピードだった。襲われても逃げれるようになりたい。
あと幸運とか防御とか目くらましとか。
欲しい魔法が多すぎる。全部欲しい。
でも作れる魔法は一つだけで、経験した事がある出来事しか魔法にできない。
おろおろ自分の部屋で歩き回りながら考え、俺は閃きと同時に唇を噛み切って血を流し、魔法を作った。
魔法再演魔法だ。
見たことのある魔法を全部使える魔法。これで実質欲しい魔法はなんでも使える! よし、俺天才!
さっき魔法使い集団の魔法を見ていたから既に使える手札は多い。
全身に魔力を感じる。今ならなんでもできそうだ。
新しく得た超常の力に興奮し、全能感と共に楽観が戻ってきた。
待てよ?
よく考えてみたら世界が滅びるってのは流石に大げさじゃあないだろうか。
見た感じ終末の獣は超高速移動する狂暴な人型生物だった。ミサイル直撃すれば死ぬだろうし、最悪核爆弾で吹き飛ばせば終わりだ。
たった一体の怪物に滅ぼされるほど世界は小さくない。
おじさんが大げさに言っていただけで案外もう片付いていたりして。討伐隊っぽい強そうな人達が追いかけてたし。
魔法を身に着け気が大きくなった俺は物見遊山に出かけた。
強化した脚力で家々の屋根をニンジャのように飛び、散発的に起きる爆発音と爆炎を頼りに現場に向かう。とりあえずまだ戦いは続いているらしい。
終末の獣とそれを追う一団は東京湾の方に向かっていた。夜の街を駆け追いつくと、霞が関ビル群の一角に開けられた奈落の大穴の底で魔法使いの一団が終末の獣を拘束しようとしているようだった。
鎖が何本も投げられ、鉄球や縄や手かせ足かせが絡みつく。終末の獣に組み付いて猿轡を噛ませようとしている人もいる。奴の体には呪いのようなアザが浮かび上がり、取り囲む魔法使い達はみんな必死の形相だ。
しかしその全ては終末の獣の白い光と波紋にかき消されていく。穴から脱出しようとする終末の獣を大爆発が押し戻し、大爆発の巻き添えになった魔法使い達が何十人も爆散し燃え上がって死んでいく。
あまりに現実感の無い光景で、夢を見ているようだった。
世界を滅ぼすかどうかはとにかくヤバい怪物だ。
俺は邪魔になるかと躊躇ったが、彼らの手助けをする事にした。
拘束しようとしているのなら俺もそうしよう。
俺はビルの陰から飛び出して穴の淵に立ち、今見たばかりの拘束封印系の魔法を大穴から跳躍して出ようと膝を曲げた終末の獣に掛けなおした。
すると終末の獣は膝をついてもがきだした。
鎖がしっかり絡みつき、鉄球が跳び損ねた終末の獣を穴の底に引きずり戻す。
光と波紋が瞬いて魔法が弱まる。
もう一度封印拘束をかけなおす。
すると終末の獣はもがくことすらできなくなり、大穴の底で沈黙した。
数秒待つが動かない。OK、拘束できた。
「よし! ……あっ……す、すみません。ごめんなさい。余計な事しました……よね」
ふと気が付くと、生き残った満身創痍の魔法使い達が全員「信じられない」といった顔で俺を見つめていた。
気まずい。なんだか弱らせた敵ボスのトドメだけ持って行ったみたいだ。
急に出てきて誰だよお前とか思われてそう。
だが縮こまる俺を中心に大歓声が沸き起こり、不安と気まずい思いを吹き飛ばした。
「やった! やったぞ!」
「助かった!」
「ああ、世界は救われたんだ!」
「君どうやったんだ!? 終末の獣に魔法通してたよな!?」
「ありがとう! 君どこ所属の人? グリモア? マーリン? いやどこでもいいやありがとう!」
今まで経験した事のない人波と感謝感激の嵐に翻弄される。おおお? やっぱり本当に世界が滅ぼされかかっていたのか? その割には簡単に封印できたが。
押し寄せてきた魔法使い達にもみくちゃにされながら、俺はふと強い視線を感じてそちらを見る。
マントを着た金髪碧眼の美丈夫が、忌々しそうに俺を見ていた。




