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04 僕たちはまだ逃げる事しかできない

 病院の中庭はバスケットコートを二つ繋げたぐらいの広さで、そこに病院で入院患者が着るパジャマみたいな服に着替えさせられた治験者二十人が集まっていた。地面は芝生。病院の建物と中庭を区切るようにして夏の日差しを浴び青々と茂った灌木が植えられ、その灌木の枝葉に半ば覆い隠された白いベンチがひっそり朽ちかけている。


 そのベンチの前に立ちつ矢倍のチェーンソーが不吉にアイドリングしていた。


「えー、これから全力で殺しにいくので。逃げるもよし。隠れるもよし。逆に殺してやるぐらいの意気込みもいいですねえ。殺人鬼に襲われるという貴重なシチュエーションにね、どう対応してどういう人生経験に昇華するか。そこにあなたの魔法のオリジナリティが出るわけですよ。クックック……」


 忍び笑いする矢倍に、顔を真っ青にしたイケメンが取り乱して叫ぶ。


「う、嘘だ! 俺殺されるのか!? 嫌だ! 助けてくれ!」

「そう! 命乞いしてみるのもいいですねぇ」


 矢倍はしたり顔で頷いた。日本語を喋っているのに会話ができない。

 この気狂い新入社員が殺すと言えば本当に殺すのはとっくに証明されている。

 他の治験者が泣いたり茫然としたりおろおろしたりする中で、俺は素早く周りの様子を観察した。昔から観察は得意だ。どう対処するか今のうちに情報を集め考えないといけない。


 ベンチを持ち上げ振り回して武器にする? いや、流石に重くて持ち上がらないだろう。盾にする? チェーンソー相手に木のベンチでは心もとない。

 灌木に隠れる……すぐ見つかりそうだ。そもそも隠れる案は矢倍自身が例に出すぐらいだ、奴は絶対に灌木の茂みを探しに行き、見つけた犠牲者を八つ裂きにする。

 最終的に俺は特に背が高く幹がしっかりしている灌木に目をつけた。あそこに登り、チェーンソーが届かない高さの枝にしがみついていれば。

 人は上方向への警戒心が薄いと聞いた事がある。見つからなければいいし、見つかって登ってくる矢倍を蹴り墜とすチャンスがある。電撃は……撃たれたら死ぬ。撃たないのを祈るしかない。


 俺が素早く考えをまとめると、矢倍はチラ見していたカンペをポケットに突っ込んで言った。


「繰り返しますが、みなさん何してもいいですよ。ただ私は頑張って殺しに行きます。無差別殺人は初めてなので拙い部分もあると思いますが、そこはご容赦いただいて。でははじめます」


 宣言と共に蹂躙が始まった。

 悲鳴と絶叫が中庭に響き渡り、緑の芝生が赤く染まる。俺は全てを背に目を付けていた灌木に一直線に走った。犠牲になる他の人達には悪いが、俺は自分の命が惜しい!

 スタートダッシュを決め、灌木まであと半分まで走りチラリと後ろを振り返ると、チェーンソーで何人かを切り捨てた矢倍がすごい速さでまっすぐ俺に突っ込んできていた。


「う、うあああああああああ!?」


 足はっや!!!!!

 チェーンソー持ってるのにめっちゃ綺麗なフォームで走るじゃんか! お前絶対陸上部だっただろ!


「っだぁああああああああ!」


 あっという間に追いついてぶん回されたチェーンソーを横っ飛びに回避する。

 ギリギリ避けられたが、代わりに無様に芝生に転がった。


「クックック」

「ひぃ……」


 不気味に笑い、獲物を振りかぶる矢倍から少しでも距離を取ろうと地面に倒れたまま後ずさる。

 あああああああああああああああああなんだよなんだよ!

 こんな時アニメの主人公なら、漫画のアイツなら、ラノベだったら! こんなやつ! これぐらい! ああ、ああ! ああああああああああ!


 心のどこかで俺なら上手くやれると思っていた。

 動揺して混乱して右往左往するしかない有象無象の奴らとは違う。俺は頭がいい。周りを観察して考えて、知恵と機転で乗り切れると慢心していた。

 でもこれは現実だ。矢倍の足が思ったより速かった、それだけでささやかな作戦は崩壊した。

 勝てないどころか逃げる事さえできない。立ち向かえもしない、命乞いすら言葉が出ない。


「だめっ!」

「おっと!」


 だから、そんな何もできない俺が助かったのは俺自身のおかげではなく、横から矢倍に体当たりした神々廻(ししば)さんのおかげだった。


「逃げて! 今度は私が……!」

「こらこらどこ触ってるんですか。セクハラですよ私が」


 過去一の焦りを見せた矢倍が神々廻さんを蹴とばす。細身の神々廻さんは苦悶の声を上げ引きはがされ、俺の隣に転がってきた。

 わき腹を押さえ苦痛に顔を歪めながら、少しでも俺を庇おうと覆いかぶさってくる神々廻さんに心が震える。


 俺は自分が助かる事しか考えてなかった。それなのにこの人は……!

 あああ、自分の醜さが心を抉る。

 土壇場でこそ人の本性が現れる。俺はダメだ、俺は、俺は――――

 俺は――――ああ。畜生。俺は今からでも、本性を変えられるだろうか?

 こんな軽くて小さくて、可愛らしい華奢な女性に助けてもらうだけでいいのか?

 そんなわけないだろ。


 体と心がアツくなり、しかし頭のどこかで冷静な部分が囁く。

 お前、ヒロイックな状況に酔ってるんじゃないか?

 美少女に助けられ助けるシチュエーションに浮足立ってるだけなんじゃないか?

 神々廻さんが庇ってくれている、好意に甘えて自分が助かるのを優先すべきだ。それが論理的だ。今まさに自分一人を助けるのに失敗したばかり、他人に気を遣う余裕なんてあるわけないだろう?


「……ああ、クソッ! 立て! あそこまで走れるか!?」


 俺は跳ね起き、神々廻さんの手を乱暴に掴み引っ張って立たせた。

 芝生を思いっきり蹴り、土と葉っぱを矢倍に向かってぶっかける。

 顔を狙ったが顔には当たらない、だがびっくりして動きは止まった。その隙によろける神々廻さんの手を引いて走る。走る。走る!


 何が論理だ、酔ってても浮足立ってても関係あるか。

 俺みたいな冴えない陰キャが人を見捨てて保身に走ったら何が残る? そんなの俺が俺を許せない。一度は我が身可愛さに保身に走っても、きっとまだギリギリやり直せる。

 襲われている治験者仲間全員は助けられない、俺はそんなヒーローじゃない。でも一人ぐらいは。俺を助けてくれた人ぐらいは見捨てず助けられる自分でありたい。それぐらいのカッコつけはいいだろう?

 

 飛びつきしがみつく勢いでがむしゃらに木に登り、神々廻さんの軽い体を引っ張り上げ、木の上で手を繋ぎお互いの恐怖の震えを感じながら息をひそめる。

 茂る葉っぱの間から様子を伺うと、矢倍はせっせとチェーンソーを振り回して死傷者を量産していた。

 観察していて分かったが、犠牲者を追いかけはするが無理して追う事はしないようだった。ある程度抵抗されればあっさり別の標的に切り替えている。そのお陰で助かった人が俺と神々廻さんの他にも何人かいた。


「う……」

「無理しなくていい」


 神々廻さんは背中を引き裂かれ血を噴き出して倒れる老人を見て口を押さえた。

 凄惨なスプラッタショーを見て吐きそうにしている神々廻さんに目を閉じて休んでいるように言い、俺はいつ変化するかも分からない動向に注視する。


 凶行はそれから少しして終わった。目覚まし時計の音が鳴り、矢倍がポケットからスマホを出してタイマーをオフにして終了と集合を叫んだのだ。

 散々追い回され重軽傷を負わされた俺達はすぐにはその言葉を信じなかったが、矢倍がチェーンソーのエンジンを切って地面に置き、布で血糊をふき取り整備しはじめたので恐る恐る集まった。


「なんなんだよ。俺達が何したっていうんだよお……」

「血、血が止まらない。どうして、誰か……!」


 生き残ってもハッピーエンドとはほど遠い。言葉も出ない者、痛みに呻く者、呻くことすらできず傷口を押さえて痙攣する者、重傷者にすがりついて泣いている者、泣きながら無言で矢倍を睨みつける者……

 その全てを見回し、矢倍は笑顔で頷いた。


「ンー、いいですね。皆さん貴重な人生経験を積まれたと思います。ああ瀕死の方、ご心配なく! 『死の淵から生還した』という人生経験は優秀な回復・再生系魔法の元になります。ここは病院ですからね、治療体制は万全です」

「じゃ、じゃあ助かるのか!」

「クックック……いえいえ、手当はしますがそれで死んだら運が無かったという意味です」

「こ、この野郎! てめぇに人の心はないのか! 何が運だ! お前が、てめぇがやったんだろが!」


 重傷者にすがりついていた男が歯を食いしばり顔を真っ赤にして掴みかかろうとするが、俺と他の人が取り押さえる。ヤバいって、やめとけって!

 

 矢倍は俺達の取っ組み合いを涼しげに見逃がし、ポケットからくしゃくしゃのメモを取り出しチラ見して言った。


「えーと、次の予定は……そう。重傷者は治療室へ。軽症者と無事な方は講義室に移動です。人生経験を精製し、魔法を作る方法を教えます」


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― 新着の感想 ―
ドッキリじゃなかったのかぁ
[一言] 「逃げて! 今度は私が……!」 今度は?そういえば初めから好感度高かったし、まさか……
[良い点] 主人公がしっかり考えた上で、自分の意地を張ったとこ。
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