37 I love you!
翌朝、俺達は揃って会社に有給申請をした。当日早朝の申請でもあっさり受理してくれるグリモアは本当にホワイト企業。ソニア曰く昔はここまで融通が利かなかったのだが、受理しなかったのが原因で十数人が一斉に会社を辞めてアイドルのライブに行ってしまい、それ以来必ず有給申請を受理するよう通達があったとか。
復讐なんて全然考えた事もなかったソニア曰く、サイコパス二人組の隠れ家をソニアは偶然知っていて、偶然ソニアが住んでいるアパートから見張れるという。
すごい偶然だあ。母親に復讐を止められていなかったらあの二人とっくに死んでたんじゃないだろうか。
復讐を忘れて幸せに生きて欲しいという母の遺言をソニアは頑張って守ろうとしている。
大企業に就職して、お金を稼いで、美味しい物たべて、ファッションにこだわって。初めて会った時は取り繕った可愛らしい笑顔を浮かべていたが、最近はよく悪女めいた素のあくどい笑みをよく見るようになった。彼女なりに幸せになろうとしていて、事実かなり幸せだったのではないかと思う。
今まで仇がどうとか復讐がどうとか一度も聞いた事はなかった。復讐を忘れよう考えないようにしようという努力もしていたのかも知れない。
しかし未練がましくというか妄執消えずというか、どう考えてもソニアの頭から復讐は消えていない。強めの殺意がしっかり漏れ出している。
今回の件はソニアにとって敵討ちに決着をつける渡りに船の事件に違いない。俺と臾衣が相談しなかったらソニアはずっと復讐なんてしない、考えもしていないとうそぶきながら腹の底にドロドロした感情を貯め込んでいたのだろう。そう考えると心から娘の幸せを願ったのであろう母親の遺言は裏目に出てしまっている。
天国のソニアのお母さん。あなたの娘さんはたぶんあなたが思っているよりずっと気性が荒くてアグレッシブです。あなたの死が娘をそうさせたのかもしれませんが。
俺達二人を連れて自分のアパートに向かいながらソニアは淡々と説明した。
辺りはまだ通勤ラッシュ前で人通りが少なく、車もまばらだ。
「熊埜御堂と山川は二人組だけど、仕事や趣味の内容によっては人を使う事もあるの。昨日の夜獅狼が言ったのは一理ある。伏兵、応援、見張り役。あり得るわね。ただ奴らはパラケルススの中でも普通に嫌われてるから臨時の仲間には懐柔離間工作が通じると思う。
まずは私のマンションから人の出入りを確認して、二人で行動しているのか他にも人を使っているのかチェック。そうやって前方確認してから殺しにいくのが第一案。ただし正面戦闘だと私の火力で熊埜御堂の吹雪を押し切って焼けるか分からない。奇襲が望ましいけれど、昨日の接触で向こうも警戒しているでしょうし、最悪真正面からの殴り合いも考慮しないと。第二案は隠れ家に爆弾をしかけてタイミングを見計らって爆殺。近隣住民と警察にはガス漏れって事にしてね。爆弾の準備と設置に時間がかかるし設置中に見つかって先手を取られたり逃げられたりするリスクはあるけど、上手くいけば私達は安全な場所から一方的に殺せる。第三案は……」
ソニアが語る第七案までを俺と臾衣は圧倒されて聞いた。どの案も殺意が高い。
魔女狩り魔法に引っかける第八案の説明が始まったところで待ったをかける。
「ちょっといいか? あのな、どれも良い作戦だと思うんだが殺さない方がいいんだ。臾衣を狙ってる理由が分からないから。どういう意図で記憶消去を仕掛けてきたのか知りたい。死んだら何も聞き出せないだろ?」
たぶん。
死者の口から自白させる魔法なんてないはず。死者に語らせた経験ある人なんていないし。
「殺してから家探しすれば何か見つかるでしょう」
「かもしれんけど。でもな」
「あのぅ、一人殺してから残りの一人を縛り上げて拷問して聞き出すのはどうでしょう」
復讐に燃えるソニアを扱いかねていると、臾衣が小さく挙手して控え目にエグい提案をした。
こ、こわい。女性陣が物騒すぎる。でも合理的だ。
そうだよな、二人とも生かしておく必要はない。どんな命でも命は命、命を大切に! なーんて綺麗事を言ってあげたくなるような奴らじゃないし。
「……まあそれでもいいけど。拷問して情報を引き出したらもちろん殺すんでしょう?」
「殺したがるなあ。そこはもう好きに――――」
ソニアが急に立ち止まり、手を伸ばして俺と臾衣を制した。
まだ日が昇って間もない早朝の閑静な住宅街の寂れた道に、二人組の男が立っていた。帽子にサングラスにマスク、お揃いのコート。昨日と同じ。
熊埜御堂と山川だ。
ここはソニアのマンションに近い。という事はこいつらの隠れ家に近いという事でもある。偶然の遭遇ではない。待ち構えられていたのだ。全員に緊張が走る。が、
「ソニア、赤い塀の家の車庫の影と反対隣の家の植木鉢」
「ええ」
俺の指示でソニアが火を放つと、張られていた糸が焼き切れ投網が降ってきて、飛び出したナイフが空を切り塀に刺さる。
ブービートラップだ。あんなに堂々と待ち構えておいて何もないわけないと思ったぜ。
「チッ! 目ざとい……!」
「それが取り柄でね」
舌打ちしたサイコパスの片割れに肩をすくめて見せると、ソニアが無言でかつてないほど巨大な炎の渦を放ち、遭遇戦がはじまった。
猫に変身した臾衣が素早く熊埜御堂の横を駆け抜ける。後ろで何かブツブツ唱え始めていた山川は、猫からライオンに変身しなおした臾衣に押し倒され悲鳴を上げた。
炎と吹雪の衝突、ライオンとの格闘。コンクリートが焼け焦げ塀が凍り、ライオンの爪が金網にかけられた看板を真っ二つに切り裂く。
そして俺はする事がないので一般人が来ないか警戒する。ブービートラップを仕掛ける余裕があったぐらいだからサイコパス二人が既に人が来ないようにしているとは思うが注意してし過ぎる事はない。
ソニアの炎は凄まじく、道路いっぱいに広がる灼熱はすぐに道路のコンクリートを赤熱させはじめた。少し離れたマンションの一室から煙が上がっているのも見える。魔法の代償でソニアの大切なものが燃えているのだ。
ソニアはだいたいいつも火力を抑え、通帳が焦げるぐらいで済ませている。それで充分だからだ。今回はポケットの通帳が一瞬で燃え尽き家まで燃えている。出し惜しみ無しだ。
そんなソニアの身を削る超火力を熊埜御堂はコートからじゃらじゃら大量の魔貨をこぼし、溶かして吸収し、魔力ブーストをかけて抑え込んでいる。
山川はライオンに変身した臾衣に襲われているが、鋭い牙と爪は頑丈なコートに阻まれ届いていなかった。
ありゃパラケルススの防具だな。あの防御を突破するにはソニアの火力が必要だが、ソニアは熊埜御堂の相手で精一杯。
俺はどうせ死んでも生き返れる。一般人も近くにいないようだし、ここは捨て身で強引に突破して早いところ決着をつけるのがよさそうだ。凍死も焼死も御免だが、戦いが長引いて事故が起きる方が怖い。
そう考えて突っ込もうとすると、植木鉢で臾衣を殴って怯ませた山川がソニアにナイフを投げるのが見えた。
ソニアは憤怒の形相で劣勢の熊埜御堂に炎を叩きつけている。代償の炎はソニア自身の足元にも火をつけだしているが、自分を燃やし尽くすように炎はむしろ勢いを増していた。
ソニアは炎と吹雪が邪魔で、飛んでくるナイフが見えていない。
「ソニア!」
俺はソニアを庇い、ナイフを体で受けた。肉厚の大型ナイフは盾にした腕をえぐり取り、胸に突き刺さる。
「え」
血しぶきが飛び、ソニアの頬にかかった。
ソニアは目を見開き、呆然とする。
「ぐ、ぅ……大丈夫か?」
俺は事実上の不死身だ。しかし痛いものは痛い。激痛をこらえてソニアの無事を確かめると、炎に触れていないはずの俺の体が突然燃え上がった。
「うぉああ!?」
「え? どうして……そんな、だめ、ダメダメダメ絶対ダメ!」
ソニアはうろたえ、俺にを包む炎をはたいて消そうとする。
自分の体に火がついても勢いを増すばかりだったソニアの炎が初めて弱まった。
ソニアの炎魔法は「ソニアが大切に思っているソニアのもの」を代償にする。
俺が燃えだしたという事はつまり……
千の言葉より雄弁な炎が俺の体を焼く。
とんでもない告白だ。全身が燃え上がる筆舌に尽くしがたい苦痛にもだえ膝をつく。
弱まった炎を吹雪で押し返す熊埜御堂が焦げた帽子とマスクを剥ぎ取って捨て、狂気的な笑みを浮かべ勝ち誇っている。
熱い、苦しい。息をするだけで肺が焦げる。だが俺は動揺して火を消そうとするソニアに叫んだ。
「いいからやっちまえ! 仇なんだろ!」
「!? んぐ、ぅううううう……! ああああああああッ!」
ソニアを押して突き放すと、筆舌に尽くしがたい悔恨の泣き顔を浮かべ、それから魂を震わせる絶叫と共に爆発的な炎で一気に吹雪を吹き散らし熊埜御堂を焼き払った。
炎に飲み込まれた熊埜御堂は一瞬で黒焦げの炭でできたヒトガタとなった。その炭化して脆くなった屍は風に吹かれボロボロ崩れていく。
相棒の死に様に気を取られた山川はライオンの体当たりに突き飛ばされ、塀に叩きつけられ失神する。
そして常軌を逸した火力の代償となった俺自身もまた、熊埜御堂と同じように体を焼き尽くされて――――
「ん? どうした?」
灰の中から人生再演を終えて復活した俺は、俺の灰と裸の俺を見比べ驚愕しているソニアに首を傾げた。
なんだ? マジでどうした? 思ったのと復活方法が違ったか?
裸なのはしょーがねーだろ。そういう魔法なんだから。一番恥ずかしいのは俺なんだぞ。
とりあえず人間に戻った臾衣が恥ずかしそうに貸してくれたコートを羽織り、これで俺も裸コートの不審者の仲間入りかと落ち込んでいると、ソニアが震える声で言った。
「し、獅狼?」
「ん?」
「あなたの魔法ってほんとに蘇生魔法だったの?」
「最初から言ってただろ。信じてなかっ……おっと」
俺の胸に飛び込んできたソニアは堰を切ったように泣きだした。
体の水分が全て涙になるんじゃないかという勢いで泣きじゃくり、鼻水をすすり、顔がぐちゃぐちゃだ。
俺にすがりつき震えるソニアはずっと道に迷いやっと親を見つけた子供のようで、いつもソニアが俺に近づくと噛みついてくる臾衣も今回ばかりは苦笑いして見守っている。
俺はソニアが泣き止むまで頭を撫で、大丈夫だ、大丈夫だ、と慰め続けた。




