36 復讐はいけないってママが言ってた
「何? そんな顔しても何もないけど」
俺と臾衣が何と言えばいいのか分からず緊張と気まずさを孕んで黙り込むと、ソニアは言葉通りなんでもなさそうな声色で、しかし能面のような無表情で言った。
「もう二年近く前の大昔の話なんだからとっくに心の整理はついてる。気遣いは要らないわ。全然平気。気にしてないから」
「お、おう」
気にしてないと言うわりに俺のスマホを握りしめる手には力が入り、ミシミシとスマホが軋んでいる。嘘つけ。それが通るのは小学生までだぞ。
「アー、今日はとりあえず解散するか? そのー、色々整理したい事もあるわけだし」
「その可哀そうな人を見る目やめてってば。ここで話しても平気よ。なんなら私から話しましょうか?」
意地になってしまっているのかと思って一度落ち着こうと遠まわしに言ったが、それが逆にソニアをムキにさせてしまったらしい。聞いてもいないのに矢継ぎ早に話し出す。
「熊埜御堂と山川は書いてある通り性格最悪の二人組よ。
吹雪使い熊埜御堂は手の施しようがないサイコパス野郎で、凍死体に油をかけて火をつけて火葬する趣味があるの。33歳独身、妻は焼死。会社では裏切り者処理を担当。
記憶喪失使い山川はどうしようもないサイコパス野郎で、殺す相手を集めて生き残る一人を相談で決めさせる趣味があるの。33歳独身、妻は記憶障害で精神病院。
それでまあ、私は助かる権利を手に入れた。そのまま助かるか確実に助かる権利を放棄してナイフを握って二人の前に立つか選ばされて、私はママにナイフを取り上げられて眠らされた。それで目覚めた時は病院で、獅狼に会ったのよ。話はこれだけ。同情されるような事じゃないわ」
話を聞いた臾衣は痛ましげに目をふせ、ソニアの手をそっととって振り払われた。
俺はソニアの心情を測りかねた。明らかに平静ではないソニアの言葉を真に受けていいのだろうか。激情を押し殺そうとしているのは明白。そしてそれを指摘したら彼女の心の柔らかい部分を突き刺してしまう気がしてならない。
でも気遣おうとすると怒る。どうすりゃいいんだ。気遣いを気付かれないように気遣う? そんな高度なコミュニケーション能力を俺が!?
「えー、じゃあ、なんだ、そのー、ソニアはやっぱり復讐したいのか?」
「ママは復讐なんて考えるなって言ったわ。自分の幸せだけ考えなさいって」
「遺言重ッ……!」
ソニアの感情が分かんねーよ。もう言う通りにしよう。ソニアは過去の事件を何も気にしていない。もう完全に乗り越えた。本人がそう言っているんだから間違いない。
「よし分かった、話を進めよう。こんなサイコパス野郎に狙われたんじゃ危なくてしょうがない。臾衣はとりあえず今日はウチに泊まれ。お母さんにも電話しておいた方が、いや連絡取ると逆に危なかったりするのか? まあそこの判断は任せる。ソニアも悪いが今晩はウチで護衛を頼む」
「ええ」
「ソニアさんも泊まるんですか!? 獅狼さんの家に!?」
「こんな時まで恋愛脳持ちだしたら引っぱたくわよ。私が泊まるのは神々廻さんを守るためなんだから」
「それは……ごめんなさい」
いつもの調子で反射的にソニアに噛みついた臾衣はしょぼくれて謝った。
心配しなくてもソニアと俺の間には何もない。初対面で「私を抱け!(男気)」された時も何もなかったんだから今更一つ屋根の下で泊まったぐらいで何かあるわけないだろ。
タクシーで俺の家に三人で帰り、寝床の準備をしながらこれからの話をする。三人ぶんの布団はないから一人ソファになるな。
「で、いつ殺しに行くの? いつでもいいわよ。そういう依頼なんだし」
ベッドの端にちょこんと腰かけ好戦的に言うソニアに、臾衣はホットココアのマグカップを渡しながら訂正する。
「いえ、まずはどうして私の記憶を消しているのか聞かないと。今日は寝て明日になったら。サイコパス二人の常人には計り知れない気まぐれなのか、何か深い事情があるのか。それを確かめないと安心できません」
「でも殺すんでしょう?」
「……ソニアさんはやっぱり復讐したいんですか?」
「ママは復讐なんて考えるなって言ったわ。自分の幸せだけ考えなさいって。でも神々廻さんを守るために殺すならそれは復讐じゃないでしょう?」
ソニアは冷たい微笑を浮かべた。こわい。やっぱり復讐したいんじゃん。
まだ16歳の女の子なのに家族を殺され家を燃やされ一人暮らしで働いて世界の滅びに備える中で家族の仇に再会し母の遺言と憎しみの板挟みになんとか折り合いをつけて殺意を滾らせる……波乱万丈なんてもんじゃねーぞ。
俺もなんか世界救った事あるらしいし相当奇妙な人生だが、ソニアも大概だ。
「……よし! ベッドはこんなもんか。臾衣はいつもの布団で、ソニアは眠くなったらそのベッド使ってくれ。ウチは防犯カメラ防犯警報防犯センサーガス検知器防弾ガラス、とにかくガチガチに固めてる。襲ってくれば絶対警報が鳴るからその時は頼む」
「獅狼は?」
「ここで寝る」
ソファに枕を置いて腰かけると、ソニアは眉を吊り上げて枕を奪い、ベッドに投げた。
「こっちで寝なさい、家主でしょ。私は起きて見張りしてるわ。護衛で雇われてるのに寝たら馬鹿でしょう」
「でも眠くないか? 疲れてるだろ。眠気がなくても明日は忙しくなるんだから寝た方が」
「いいから」
ソニアにベッドに押し込まれ、布団をかけられる。お前は俺のママか。
「……こっち空いてますよ?」
「あっベッドで寝ますおやすみ」
起き上がってソファに戻ろうとすると、臾衣がちょっと恥ずかしそうに布団を開けて誘ってきた。やめろよお前恥ずかしそうにそれやってるけど言われた俺はお前の三倍は恥ずかしいんだからな。
照れている臾衣と目を合わせられず、俺は大人しく横になって目を閉じた。
雀の鳴き声で目を覚ましたソニアは窓の外の白み始めた薄暗い空を目を瞬かせながら見上げた。ずっと起きて二人組がやってきた瞬間に焼き払ってやろうと思っていたが、眠ってしまっていたらしい。サイドテーブルには空のマグカップが置いてある。
欠伸をこらえて立ち上がろうとしたソニアは、自分がベッド端に腰かけすやすや眠る九条の手を握っていた事に気付いた。ベッド端に腰を下ろした記憶はあるが、手を握った覚えは……なんとなくしばらく寝顔を眺めていたのは確かだけれど、しかし。
もし無意識に握っていたとしたら、自分はきっと九条獅狼の事を――――
「…………」
ソニアはそれ以上考えないようにして、手をそっと優しく離して立ち上がった。
いつもは砂糖とミルクをたっぷり入れて飲む朝のコーヒーを、今は何も入れずに飲みたかった。




