03 悲しいけど本当になにもなかった
俺達は矢倍の後ろについて病院の長く狭い廊下を歩いた。無防備な背中に組み付けば取り押さえられそうなものだが、誰もやらない。四人の犠牲者ですっかり分からされていた。あの電撃魔法? を食らって殺されるのが目に見えている。
しかし正直俺は矢倍とか監禁とか、そんな現実離れした緊急事態より、当然のように俺の隣に寄り添って歩いているパーソナルスペースがバグった大和撫子、神々廻臾衣の存在の方が差し迫った問題だった。
美少女とか美女というのが画面の向こうにしかいないと思っていた。そりゃ、同級生に可愛い子はいる。街中で美人さんを見かける事だってある。
でも別に話さないし、目も合わないし、意識されない。例え近くにいても住む世界が違うのだ。可愛い女子がきゃいきゃいしてるところにどうやって突っ込んでいけるだろう?
神々廻さんはそれこそ画面の向こうにいるぐらいのスーパー美少女だ。豪邸で使用人に付き添われて薔薇園を静々と歩いていそうな、クラスの女子と同じ生き物とは思えない美少女だ。なんかいい匂いするし。歩き方もしっかりしているというかモデルみたいというか。
そんな美少女と、今から同じ部屋で二人きりになる。
わーい!
なんで?
バカかよ。二人部屋で分けるなら普通男女別だろ。小学生の修学旅行ですら部屋別れてたぞ。狂ってんのか?
頭が茹で上がる。こんな時なのにピンク色の妄想がとまらない。自分がこんなに色ボケした猿野郎とは知らなかった。
「あ、端っこ歩いて下さいね」
クラクラする俺は先導する矢倍の注意で我に返った。狭い廊下に三角コーンが置かれ「まだ乾いていません」と書かれた紙が貼り付けられている。リノリウムの床は照明の明かりを照り返していた。ワックスがけ直後らしい。
生々しい生活感に現実に引きずり戻される。人を騙して集めて監禁する危険集団がどうして廊下のワックスがけなんてしてるんだ? いや必要なのはわかるけども。
少し落ち着いて観察してみると、異常集団の根城という割に、全体的になんというかものすごく普通だった。階段下に自販機が置いてあるし、壁には張り紙を剥がした跡が残っている。あとは白衣を着た職員がロッカーの陰で壁に背中をもたせかけてスマホをいじり、矢倍の姿が見えた瞬間に慌ててスマホを隠すも相手の顔を見て安心してまたスマホいじりを再開していた。サボってんじゃねーよ。
それでも要所要所に監視カメラがあり、出刃包丁やバールのようなものを持った警備員? がいたから、呑気な一般病院ではあり得ない。
案内された二人部屋はベッドが二つ置かれているだけの殺風景な一室だった。天井には剥き出しの配管が這っていて、窓には鉄格子が嵌っている。部屋に鍵はかけられなかったが、ドアを薄く開けて外の様子を伺うと、真横に立っていた巨漢の警備員と目が合ったのでそっと閉じた。
逃げるとボコられて死ぬ、と。OK了解です。
「あの」
「…………」
「あの、波野さん?」
「……あっ!? 俺? はい波野です!」
勢いよく振り返ると神々廻さんがちょっとびっくりしていた。手を口に当て、驚き方まであざと可愛い。声も可愛い。なんですあなた、可愛いの擬人化ですか?
「すみません、そんなに気合入れる話じゃないんです。波野さんはベッドどっち使いますか? 窓際かドア側か」
「れ、冷静……!」
気になるとこそこですか。
一応俺達騙されて監禁されて命の危機なんすけど。魔法とかいうよくわかんないのがよくわかんなくてよくわかんないし。
「あ、あ、あ、あ、」
「……?」
「あのっ、ふ、不安とか……不安とかぁ……いややっぱいいです忘れて下さい気にしないでほんとごめんなさい」
美少女過ぎて話しかけるだけで罪になる気がしてしまう。さっきから変な汗がとまらない。
神々廻さんは困惑していたが、すぐに合点がいった様子で笑った。
「不安なんてないですよ。あなたがいますから」
本当に不安なんてなさそうな曇り一つない笑顔だった。その謎の信頼はどこから?
俺、そんなに頼りがいあるかな。初対面の若い男女が二人きり、狭い部屋で一晩過ごすってむしろ信頼ゴリゴリに減らすヤツだと思うんですが。近寄らないで! と拒絶されても何も反論できないぞ。
だが信頼には応えたい。特に相手が美少女ならいいとこ見せたい。ここでいいとこ見せればフォーリンラブだって夢じゃない。
俺は胸を張って言った。
「ああ! 大丈夫、俺に任せろ。一緒にここから脱出しよう!」
と、白い歯を見せて頼もしい台詞を吐く自分を妄想しながら、実際に出てきたのは「ぃえっへ……へ、へへへ……いやそんな、頼られても、あの、へへ」という頼りない言葉だった。
情けねぇ。どうして俺はいつもこうなんだ。妄想の俺はカッコイイのに現実はコレだよ。
結局話し合いの結果俺が窓際のベッドを使う事になった。院内放送に従って食堂で夕食を取り、順番に風呂に行って、部屋に戻る。タイムスケジュールが詰まっているらしく、他に何もしないまますぐ消灯の時間になった。
俺達は大人しく就寝した。灯りを消し、ベッドに入る。
…………。
薄めを開け、隣のベッドを見る。
神々廻さんが無防備に、天使のような寝顔でスヤスヤ寝ている。薄い毛布の上からでも分かる華奢な体に目が吸い寄せられる。
…………。
俺は音を立てないようにそっと起き上がった。
若い男女が二人きり。
何も起きないはずがなく――――
――――前言撤回、何も起きなかった。
一夜明け、一睡もできず毛布の隙間からバレないように神々廻さんの寝顔を眺めていたキモい俺は素知らぬ顔で起床する。何度かトイレに行った以外はマジでずっと顔見てた。俺ホント気持ちわりぃな。
というわけで、おはようございます。
朝の食堂には治験者が集合していた。隣同士でひそひそ話し合い、トーストに目玉焼き、ウィンナー、冷たい牛乳、サラダのゴキゲンな朝食をつついている。
人数を数えてみると、昨日の夕食に集まった人数より二人少ない。
これ、死ん……いや分からない。まだ分からない。
俺が暗い想像をしていると、俺の隣に座っていた(神々廻さんの反対隣)爽やかなイケメン風の男が慰めるように話しかけてきた。
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「ああいや、大丈夫」
「大丈夫だ。安心しろ。すぐに助けが来る」
「ええ? そうですかねぇ」
「考えてみろよ、四人も死んだんだぞ。絶対に警察が気づく」
得意げなイケメンに白い目を向ける。
「警察は超能力者じゃないんだぞ。通報無いのに気付けるかよ」
「いやいや、警察には警察独自の情報網があるから」
ねーよ、そんなもん。
という言葉を俺はぐっと呑み込んだ。
実際、警察の情報網はあるだろう。しかしそれは人里離れ外部との交流を遮断された森の病院で起きた犯罪を知るようなびっくりシステムではないと思う。だってさ、そんなのどうやりゃ分かるんだよ。分かるわけないだろ。
俺達は十日間治験をやるという名目で集められた。守秘義務の契約もしているから、十日間音信不通でも友人家族は異変に気付かない。アルバイト応募の時点で治験中は秘密を守るために外部との連絡は禁止ですと思いっきり告知されているのだから。
つまり十日間は誰も異変に気付かず、助けもこない。
初日で既に四人死んでいる。呑気に構えて助けを待てば大丈夫、というのは楽観が過ぎるだろう。
朝食が終わった俺達は病院の中庭に集められた。
整列する俺達の前に立つのは矢倍だ。矢倍は手元のカンペをチラ見しながら言う。
「おはようございます。早速はじめていきましょう。えー、今からですね、魔法習得のためのアレコレをするわけですが。魔法というのはですね、人生です。特別な人生経験が、鮮烈な人生体験が、強力な魔法を作る。だからみなさんには今からものすごい人生経験を積んでもらいます」
そう言って矢倍は足元に置いていたチェーンソーを持ち上げ、エンジンをかけた。
駆動音が唸りを上げる。俺達治験者の顔は蒼褪める。
四人を躊躇なく殺した魔法使い? にチェーンソー。何が起きるか想像に難くない。最悪のハッピーセットだ。
「準備はいいですか?」
よくないです!!!




