29 大丈夫、何も変な事はしませんよぉ
世界でも希少な記憶操作系魔法使い、男治仁さんは最初にグリモアSNS上で接触した時に他の人を当たってくれと言ってきた。
確かにかつては記憶操作魔法を使った医療行為をしていたが、今はしておらず、誰にも会わないと言うのだ。代わりに信頼できる医者を紹介する、と言って教えてくれた名前は俺が最初に受診した医者先生だった。
確かに良い先生だった。彼の人を見る目は確かなのが分かるが、それではたらい回しだ。
ただでさえ数少ない記憶系魔法使いの中で、記憶が確かで信頼できそうなのは男治さんしかいない。彼しかいないのだ。嫌がられても押し通す。
男治さんは明らかに気乗りしない様子なのがSNSの文面からひしひしと伝わってきた。そこに金を積み、魔貨を積み、全額前払いでいいと言い、秘密厳守を誓い、症状を説明し、他の治療士から匙を投げられたと大げさに嘆き、泣き落とし、なんとかかんとか面会にこぎつけたのだ。
SNS上のやり取りで男治さんは終始一貫して紳士的で、言葉の端々から高い教養と人の良さが伺えた。そこに加えて国家資格である医学免許持ちの元催眠療法士であるというから、俺は漠然と白衣のナイスミドルをイメージしていた。なんとなく無精ひげを生やしてそう。ドロップアウトした元エリートみたいな感じかな、とぼんやり想像していた。
それがまさか絵に描いたような怪しい催眠術おじさんが現れるとは恐れ入った。悪い意味で。
身長は小さめ、見事なビール腹。着ているのは冬だというのに白Tシャツ一枚とすり切れた短パン。シャツの隙間から脇毛が見え、ヒゲのそり残しが目立つ。頭のてっぺんが禿げて、息が荒く、顎は脂肪でたるみ、酒臭さに混ざってちょっと酸っぱい臭いもする。
トドメに手に持った催眠術のコテコテな定番、糸付き五円玉。
人は見た目ではないという。俺が文字通りイケメン陽キャの皮を被った一般インドア派男性であるように、彼も見た目と中身が一致しているとは限らない。見た目で偏見は持ちたくない。
だが流石にこれはちょっと。臾衣も引いている。やべーよ。ドロップアウトにも限度があるぞ。これじゃ見送り三振3アウトチェンジコールドゲームだ。
イメージと違い過ぎて疑惑が頭をもたげる。
この人ほんとにSNSでやりとりした男治さんか? 別人が成り代わってるんじゃないだろうな。そういうなりすまし魔法使い知ってるぞ。今はグリモアで監視付き強制労働させられてるから奴の仕業ではないと分かっているが。
「こんにちは、九条です。隣の彼女は神々廻。えーと、付き添いで」
「……どうも」
俺が愛想笑いで紹介すると、臾衣は表情を強張らせ少しだけ頭を下げた。
今すぐ帰りたそうだ。俺も俺も。ぜってーやばいもん。見た目がやばいもん。こんな人、道で会ったら即逃げ通報だもん。
だが記憶を取り戻せるとしたら彼しかいない。逃げるわけにはいかない。まだ見た目がヤバいだけの善人の可能性は残されている。ソニアだって虫も殺せない妖精の国からやってきた妖精さん、みたいな顔しといて情け容赦無いアグレッシブウーマンだった。
この人も分からんぞ。魔法使いは変なのばっかりだしな。
「そう、そうですか。どどどどうぞ」
促され、緊張しながら恐る恐る玄関の敷居をまたいで家に入ると、ガチャン、と乾いた音がした。
男治さんが玄関のカギを閉める音だ。
当たり前の防犯なのにドキッとする。「閉じ込められた」という言葉が頭の中をぐるぐる回った。
いやいやいやいやいや落ち着け落ち着け。俺は依頼人なんだ。無理言って治療をお願いして押しかけてきてる立場なんだ。礼儀正しく、礼儀正しく。
家の中は暖房が効いていて温かく、俺と臾衣はコートを脱いだが、玄関のコート掛けは使わず手に持った。最悪窓を突き破って逃げるパターンも想定している。私物を手放すのは厳禁だ。
座敷部屋に通されるとそこには立派な漆塗りのテーブルと座椅子三台、そして茶菓子と湯気の立つ湯呑が三つ用意してあった。
「おか、おかけ下さっ、おかけ下さい」
そう言って俺達の対面に座った男治さんは傍らの一升瓶に口をつけ、グッと一口二口煽った。
それでようやく落ち着いたようで、大きく息をつき言葉が滑らかになる。
「ふー…………醜態をお見せしてすみません。医者の不養生です、もう医者ではありませんが。面目次第もない」
「ああ、いえ」
「道に迷いませんでしたか? このあたりは同じような風景ばかりで分かりにくいでしょう」
「そんなには。スマホもカーナビもありますし。電波は悪いですけど」
当たり障りなく受け答えしながら部屋を見回す。カーテンはぴったり閉め切られ、部屋の隅や窓の桟には埃が溜まっている。
ちょっと掃除不足なだけで特になんという事はない和室だったが、座敷の隅の仏壇に目が留まる。祀られた写真に写る人物には見覚えがあった。
血の気が引く。この男は!
「それですか? 従兄弟の矢倍誠心の仏壇です。先だっての田間多摩医院の火災で亡くなりまして……九条さんも確か巻き込まれた方でしたね?」
「っ!」
「待て、落ち着け臾衣」
顔色を変え立ち上がり、俺の手を掴んで逃げようとした臾衣を俺は逆に掴んで引き留めた。
俺も一瞬罠かと思ったが、違う。おびき寄せて罠にかけるつもりだったのなら俺の診療依頼をあんなに断るはずがない。
「大丈夫だ、座って。失礼しました。お悔み申し上げます。不躾な質問かも知れませんが、男治さんはその方、矢倍さんと仲が良かったのですか?」
「いえ、お恥ずかしながら疎遠で。今思えば生前にもっとしっかり話す時間を持っていればと……ただ、何よりも強く思うのは」
そこで怪しい男治さんは言葉を切り、居住まいを正した。
真剣な顔つきの向こうに少しだけ恰好良かったのだろう昔の面影が見えたように錯覚する。俺も思わず背筋が伸びた。
「そう。今日あなた方を招いたのはこの警告をしたかったというのが大きい。
どうやらロストデイの記憶が蘇ると困る者がいて、関係者を始末しているようなのです。
酔っ払いの妄言とお思いでしょう、ですがまずは聞いて下さい。お望みの記憶回復にも関係する話です。
記憶操作魔法使いは確かにロストデイ直後にGAMPによる引き抜き合戦が起きました。すぐにそれは奪い合いとなり、抗争の過程で多くが命を落とした。それでも似たような過去の抗争と比較して妙に死者数が多い。生き残った者達も消息を絶ったり、様々な理由で息を引き取っています。
分かっていますよ、GAMPは命懸けの抗争が日常茶飯事。治癒魔法が間に合わなかったり蘇生魔法の条件が合致しなかったりで命を落とすたびに異常だと騒いでいたら一から十まで全てが異常になってしまう。ですが私は調べました、調べれば調べるほど疑いは確信に近づいていった」
男治さんはホチキスでまとめた手垢のついた書類をテーブルに出し、パラパラ捲ってみせた。
「ほら、死因が抗争であるケースを除いても記憶系魔法使いだけ死亡率が異常です。近しい関係にある者が巻き込まれるパターンも珍しくない。この例や、この例などですね」
「……波野家連続殺人もありますね。ハテナマークがついていますが」
「関連性があるのか判断しかねたので。この事件はずいぶん話題になりましたが、魔法使いの死者はいなかったようですし。GAMP製品を利用しておらず魔法社会ネットワークの外にいた在野の記憶系魔法使いが狙われたと考えれば筋が通りますが、断言はできません。だから疑問符付きです」
情報を知るためにやってきたら、予想外にも聞くまでもなく男治さんが話してくれている。真偽はどうあれ傾聴すべき話だ。
話すにつれ男治さんの頭ははっきりしてきたようで(単にアルコールが入ったせいかもしれないが)、次第に早口に饒舌になっていた。
「記憶系魔法使いは狙われている。そう確信し身を隠して幾許もない内に従兄弟が焼死し、とうとう私にも魔手が伸びたのかと恐ろしくなった。敵は得体が知れない。誰が、何が敵に繋がっているのかも分からない。私は怖いんです。眠れない。睡眠薬が手放せなくなった。会う人会う人全てが私の命を狙いに来たように見える。酒がないと話せもしない。頭がおかしくなりそうですよ、もうおかしくなっているのかも知れませんがね。
ロストデイの謎を謎のままにしておきたい何かがいて、そいつは明確な殺意をもって動いている。こう考えもしました、ロストデイの謎を解き明かしてしまうと何か人類に災いが降りかかるのではないか? それこそ知ってはいけない何らかの理由であの終末の獣の復活時期が早まってしまうだとか。謎の敵は大義のために動いているのかもしれない。ですが殺される事に変わりはない。
つまり、そう、危ないんですよ。命に関わるんです。ロストデイの謎に迫るのは。噂話だけならいい。推測を並べたて議論するのもいい。グリモアSNSでみんなやっている事です。ですが具体的解決手段を用意し、本当に謎を解き明かす恐れがあれば」
男治さんは親指で首を掻き切る動作をしてみせた。
臾衣が隣で身震いする。
「九条さんは記憶を取り戻すために色々試されたとお聞きしました。敵に目をつけられたかも知れません。私に接触した事でその疑いは強くなった。
私はグリモアSNSや他の通信でこの話をするのも危険と考えています。敵は十中八九魔法使いでしょうからね。どうか御用心下さい。用心してし過ぎる事はない。家を選び、外出を控えて……」
男治さんの言葉は沈鬱に消え行った。
ゴミ出しすら恐れているのだろう。座敷部屋の襖の隙間から、台所の流しに積み上げられたカップ麺容器が見えた。
痛ましい。俺もグリモアに就職するまでAbezonに生活用品全部注文する引きこもりニートやってたから気持ちが分かる。
俺の場合はGAMPがバックにつきある程度安心して外出できるようになったが、男治さんの言う通りの敵がいるならば不用心だったのかもしれない。しかし警戒し過ぎて動かなければ何も分からないまま殺されるのを待つだけになるわけで、難しい。
「さて!」
と、男治さんは手を叩き雰囲気を変えた。
「つい長々と話してしまいました。すみません、人と話すのは久しぶりで。本題に入りましょう。九条さんは記憶を取り戻したいんでしたよね?」
「あっはいそうなんです。SNSで話した通りで、ロストデイの記憶をですね」
俺にざっと問診した男治さんは早速記憶操作による記憶想起を試みるといい、糸をつけた五円玉を俺の目の前でゆらゆら揺らし始めた。
「リラァーックスして……そう、そぉう……力を抜いてェ……頭を空っぽにして……私の言葉よく聞いて……あなたはだんだんねむくなぁる……」
理路整然とした貴重な情報を聞かせ親切に警告した後に、こんなコテコテの怪しい催眠術を?
落差で風邪引きそう。馬鹿にすんなよ! いくらなんでもこんな安っぽい催眠に引っかかるわけな――――
「――――さん? 九条さん? 聞こえますか?」
「ハッ!?」
「九条さん、終わりましたよ」
起きると心配そうな男治さんのおじさん顔と臾衣の泣きそうな美少女顔が俺を覗き込んでいた。
バチバチに催眠されたわ。催眠つよい。勝てない。そういう魔法だもんな。
男治さん曰く、残念ながら記憶復元に失敗したらしい。
彼の魔法は催眠治療の経験を元にしたもので、繰り返し通院する、つまり日をまたいで何度も魔法をかける事で記憶障害の治癒成功率を上げていくのだという。初回失敗は織り込み済みで、気を落とさないようにと慰められた。
どれぐらいで治るのかと聞けば、通常の記憶障害ならば最高7回の通院で治るが、魔法による記憶障害の治療は例が少なく、7回以上は覚悟して欲しいと言われる。
臾衣に目線で問えば少し迷いながらも頷かれた。臾衣目線でそれとわかる怪しい事はしていなかったようだ。臾衣が言うならそうなのだろう。見た目がアレなだけで親切な方のようだし、ここは信じるしかない。
俺達は礼を言い、家を後にした。
帰り道はもちろん尾行に注意したが、尾行者はいなかった。
男治さんの警告は正しい。
ロストデイの記憶復活を妨害している謎の敵がいるなら、一番危ないのは臾衣だ。臾衣の記憶を決して知られてはならない。臾衣に何も言うなと口止めした過去の俺は、謎の敵の存在と正体を知っていたのだろうか?
それもこれも俺の記憶が戻ればはっきりする。
目標に向かって全速前進だ。
そして翌日。
二度目の治療のため再び奥多摩の山奥にやってきた俺と臾衣は、玄関先で死んでいる男治さんの死体を見つけた。




