27 なんも覚えてないけど昔世界救ったらしい
「え? なんでそんなに驚いて……」
死体宣言をした臾衣は言葉の途中でハッとして顔をそらし、自分の口を手で塞いだ。
そして一拍間を空けて、俺と目を合わせないまま空笑いする。
「なーんて! 冗談です。あははっ!」
「それは流石に無理がある」
「はい」
首を横に振ると、臾衣は観念して項垂れた。
由々しき告白だ。死んでいる? そうは見えない。びくびく縮こまり服の裾を握りしめ俺の顔色を窺っている臾衣は抱きしめたくなるほどに可愛らしく、生気に満ち溢れている。これで死んでいるなら俺だって死んでいる。信じがたい。
だが一方で、一連の臾衣の言動が真実なのだと突き付けてくる。
俺に秘密を見破られたと勘違いし、隠し事に耐えられなくなって白状した。そうとしか思えない。
この俺には分不相応なほど可憐で献身的な女性は、初めて会った時からずっと何かを隠していた。俺に親切で、俺に全幅の信頼を寄せてくれていた。命をかけて俺を助けてくれた。俺に好意を寄せてくれていた。
万人に向ける博愛を、親切を、俺個人に向けられたものだと勘違いしてのぼせ上がっているのか? 女子に声をかけられただけで気があると思い込む童貞のように?
いや、そんなわけがない。客観的事実としてそれはあり得ない。
田間多摩医院で矢倍がチェーンソーで襲い掛かってきた時、彼女は俺を守ってくれた。手近な人ではなく、わざわざ俺を選んで守ってくれた。その時に何か言っていた。詳しい言葉は覚えていないが、何か俺を特別だと思っている、というような事を言っていたのは覚えている。
九条と体を交換されて死にかけた時、真っ先に俺にかけられた魔法に気付き、最後まで共に在ろうとしてくれた。流石に単なる慈愛ではありえない。
奇妙といえば初めて見るはずの終末の獣を見た時のあの怯えようもおかしい。
臾衣には何か俺を深く信頼する理由がある。俺の知らない理由が。
そして臾衣はそれを隠そうとしていた。
隠し事とは「もう死んでいる事」なのか?
自問し、直観がそれは本質ではないと囁く。
死んでいるから俺を信用する、という論理は筋が通らない。
死んでいるカミングアウトで臾衣は動揺しているが、きっと彼女が明かした秘密にはまだ先がある。
「無理やり話せって強要するわけじゃないんだが」
と、俺はまず女々しく前置きをした。
秘密は気になるが、臾衣に話せと無理強いして嫌われたくない。
「話せるところまででいい。隠してる事を教えてくれないか? 秘密は守る。誰にも言わない。ほら、何か助けになれるかも」
興味半分本音半分で言うと、臾衣は黙り込んだ。
辛い思いをして隠し事をしているのなら、それをなんとかしてあげたい。あくまでも隠したいというのならさっき聞いた事は忘れるし、隠すために協力しよう。
臾衣が迷い迷って口をもごもごさせているのをじっと待っていると、やがて意を決して話しはじめた。
「あの、これ、本当は司さんに喋っちゃダメだって言われていて。いえ私情もあるんですけど」
「え?」
「あぅ……でも、そのー、どうして喋っちゃいけないのか、どこまで喋っちゃいけないのかも分からなくて。たぶん、これは喋っていいのかなとか、これはダメなのかなとか、ずっと考えてて、でも分からなくて、全部ナイショにしていたんですけど」
臾衣は歯切れ悪く語った。要領を得ない。
それでも俺が相槌を打って先を促すと、少し自信をつけたようだった。
「そう、順番に話しますね。それが一番分かりやすいと思うので。たぶん。
えっと、私と母は前に死にかけた時があって、それを司さんに助けてもらったんです」
「波野司に?」
俺が自分を指さすと、臾衣は力強く熱を込めて頷いた。
「それはアレか。田間多摩医院で会う前に?」
「そうです」
「…………?」
覚えてないぞ。臾衣みたいな美少女と会ったら絶対忘れるわけがないのに。
「もうダメだと思いました。ああ、死ぬんだって。でも真っ暗闇に光が差して、司さんが手を握って、助け出してくれた。あの時の気持ちを私は死んでも忘れません。
私は司さんに助けてもらったおかげでお母さんを助けられました。私は結局その後死んでしまったんですが、お母さんが『神々廻臾衣の思い出』を魔法にした」
「!?」
「だから私は神々廻臾衣の残響として神々廻臾衣の人生の続きを過ごしているんです」
「…………千石千景みたいに?」
「そう、社内でちょっと噂になってましたよね。私に似ててドキッとしました」
臾衣は薄く微笑んだ。その儚い消え入りそうな笑みに胸が締め付けられる。
安易に秘密を聞くんじゃなかった。後悔しても遅い。
「本当の私はもう死んでいます。私は本物の影。肉体も魂もない、ただ神々廻臾衣の姿をしているだけの記憶。ゾンビよりもひどい。どんな怪我をしてもお母さんが魔力を注げば元通り。生きているフリをして、死んでも魔法をかけなおせば続きができる。そのくせお母さんが死んでしまったら私も消える……お母さんの事は好きです。恥ずかしい言葉ですけど、愛してくれていると思います。でも、私はお母さんが娘に似せて作った人形なんだって思わない日はなくて」
声に涙が混ざる臾衣をたまらず抱きしめた。
かわいそうなんて陳腐な言葉では彼女の苦しみの1%も表せない。自分が死んでいる事に気付いているかも怪しかった千景ちゃんと違い、臾衣は自分の死を重く重く受け止めていた。
「大丈夫だ。俺はどんな臾衣でも気にしない」
「……ありがとうございます。でも、司さんならきっとそう言ってくれるって期待していた自分も嫌になるんです。
それで……そう、だから私はほとんどなんにでもなれます。思い出が実体化して生きている、という人生経験がありますから。それを魔法にすれば思い出にあるものならなんにでもなれる。ソニアさんが言っていた「曲解が上手いタイプ」というのは当たってます。そもそも人生経験が特殊ですけど。
記憶操作の魔法が効かないのも私の体質が理由です。いえ、効くんですけど治ります。私の体は記憶でできているので、記憶が消えれば体が消え、記憶が改変されれば体の不調として現れる。記憶を植え付けられたりしたら腫れ物ができたりするんでしょうか。
でも私の体は母が魔力を注げば治ります。記憶操作を受けると傷ができて、その傷は魔力で治る。だから傷が治れば記憶も正常に戻る。私の体は記憶そのものですから」
そう言って臾衣は言葉を結んだ。
それから俺に抱きしめられている事に気付き、顔を真っ赤にしてさっと離れる。
一方、俺は一気に語られた情報を整理するのでいっぱいいっぱいだ。
えーと、つまりまとめると。
臾衣は千景ちゃんと同じ魔法少女で。
魔法少女だから万能変身ができて。
魔法少女だから記憶操作が効かない。
こういう事か。
ふむ。OK大体理解した。
いや待てよ、記憶操作が効かないという事は。
これ聞いていいのか?
「臾衣はロスト・デイに何があったかも覚えてるのか?」
「え、えーと……」
「そこで言い淀んだら言ってるのと同じだ。そうか、全部ロスト・デイの話なんだな。あの日何があったんだ?」
「……言えません」
「どうして、ああ、俺が口止めしたからか」
「そうです」
臾衣は神妙に頷いた。
俺も頷く。
俺の馬鹿野郎。俺はどうして口止めなんてしたんだ? あの日俺は何をやったんだ?
ヒントぐらい残せよ俺。
時系列と状況を整理してみると、ロストデイは一気に色々な事が起きたと分かる。
俺が臾衣を助け、臾衣が死に、臾衣が魔法になり、終末の獣がエルサレムから日本に移動して、全人類の記憶が消え、臾衣も記憶が消えたが回復した。
色々起きすぎだろ。
しかしこの理屈なら千景ちゃんもロストデイを覚えて……いや、あの子が死んだのはロスト・デイの後だ。魔法体ではなく生身で記憶消去を経験したのなら忘れてしまっている。
「俺はどうして言っちゃいけないか、みたいな話してたか?」
「ええと、『今日の事は誰にも言わないように』『危険だから』と。今日の事、というのがどれの事か分からなくて。だからその日に起きた事はずっと秘密にしていました。誰にもと言われたので、司さん本人にも。その……ごめんなさい」
「いやいいんだ、俺が言った? んだもんな」
臾衣が隠し事を明かしてくれたおかげで謎が解けたが、また謎が増えた。
なんなんだ俺。ロスト・デイに何があったんだ?
また考え込んで思考の沼にはまりそうになったが、臾衣が話し疲れてちょっと休みたそうにしている事に気付いた。
そうだな。一度に話すには重すぎる話だ。それに俺が話すな? と言った話を根掘り葉掘り聞きだすときっとまずい事になる。今ですら図らずも臾衣の引け目につけこむような形でかなり話させてしまった。
魔女狩り魔法のような例もある。臾衣が本当に言ってはいけない情報をポロッと零した瞬間にそれを聞いたヤツが爆死してもおかしくない。俺曰く『危険』らしいし。
俺も臾衣も死んでも復活するが、魔女狩り魔法クラスのクソつよ魔法だったらどこまで抵抗できるか。渡る必要もない危ない橋を渡るなんてバカげてる。
俺は話し辛い事を話させてしまって悪かったと謝り、一度お互い休んで整理しようと提案した。これ以上深く触れるとヤバそうだ。
「あ」
「ん?」
疲れた様子で、しかしちょっとスッキリした風な軽い足取りで帰ろうとした臾衣は、玄関のドアを閉める前に振り返った。
「最後に一つだけ。あの時はお礼も言えなかったので」
臾衣は深々と頭を下げ、言った。
「あの日、私を、世界を救ってくれてありがとうございます」
「…………」
俺は呆気に取られ、閉まるドアの前に立ち尽くした。
なんも覚えてないけど昔世界救ったらしい。




