25 ソニア?
神々廻臾衣は気合を入れて九条家にやってきていた。九条獅狼――――波野司に会う時、気合を入れなかった日はない。髪型アクセサリ靴香水、頭の先からつま先まで、ファッションも気持ちも。
類稀な容姿を持つ臾衣がそんな恰好をして街中を出歩けば三歩歩くたびに男に声をかけられる始末で、それを避けるためにタクシーを呼べば今度はタクシー運転手がしつこく話しかけてくる始末。知らない男に褒められても全然嬉しくない。
だから臾衣は猫に変身し、全てをすり抜けて家までいき、生垣の陰で元の姿に戻って服装を整えていた。魔法を覚えて良かったと思う事の一つだ。
今日臾衣が九条家にやってきたのは他でもない。泥棒猫・姫宮ソニアが理由だ。
彼女との出会いは最悪だった。事もあろうに婚約者を名乗ってすり寄ってきて、強引に結婚しようとした。九条の手前自制したが、怒りのあまり頭の血管という血管が千切れてもおかしくなかった。彼を大切にしてくれる女性で、彼と心から愛し合っているなら許す事も一考できなくはないが、そうでないなら論外だ。
最悪のファーストコンタクトの後、少し話をして警戒を緩めた。
ソニアは露骨に九条獅狼本人に興味が無かった。清々しいまでに金(魔力)目当てで、心を許す気などさらさらない。そもそも九条獅狼の魂(?)が波野司になっている事すら知らないのだと思えば溜飲も下がる。
いくら男を10人中11人振り返らせる妖精のような可愛さでも恋のライバルにはならない。本人もそう言い、事実納得できる言い分だった。
ところがグリモアに入社して以来二人の雰囲気が怪しい。一緒に難しい案件に取り組み、距離感が近づいている。今のところ二人の間柄は友情や信頼に見えるが、異性に恋愛はあっても友情はないというし、どうなるかわかったものではない。
上司部下の関係になり、一緒に過ごす時間が増えたというのはやはり大きい。
臾衣の方がプライベートの時間は圧倒的に勝っている。しかし仕事中は部署が別という事もあり話す事もできない。
油断は禁物。少し目を離した隙に九条獅狼の、波野司の隣を取られてしまったら一生後悔する。
だからこそ臾衣はソニアが魔貨を受け取りに九条家に行くと聞いて間に割り込みに来たのだ。二人きりになんてさせない。
髪を整えてインターフォンを押すと、ややあって玄関が開いた。
臾衣は虚を突かれた。
出てきたのは九条ではなく、ソニアでもなく、見知らぬ女性だったのだ。しかしなんとなく見たことがあるような気もする。
「ねえ、『前に会った事あるよね』? 覚えてる?」
親しげに言われ、臾衣はやっぱり知り合いだったかと焦り記憶を探る。この人だったかも、という顔を思い浮かべた時、臾衣は鋭い痛みを感じ呻いた。
「痛っ! ……知らないです。会った事なんてない」
「え? 『前に会った事あるよね』? ほら、思い出して」
「い゛っ! ……何度やっても無駄です。私に記憶操作は効かない。あなた誰ですか? ここで何してるの?」
臾衣が詰問すると、女性は顔に恐怖を浮かべ身を翻し家の奥へ逃げていった。
記憶に干渉する魔法使いが九条家にいて、出会い頭に魔法をかけてきた。ただ事ではない。彼が危ない!
「待っ」
臾衣は追いかけようとしたが、痛みに足をもつれさせうずくまった。
玄関の靴箱に背を預け、ニットを捲ると脇腹に二つ大きな青アザができている。
臾衣は舌打ちし、傷跡を手で押さえながら母に電話をかけた。
「もしもし? 私。お母さんごめんなさい。怪我しちゃったの。うん。そう。人? いないよ。大丈夫、治っても怪しまれない」
周囲を見回して臾衣が頷くと、映像を逆再生するようにあっという間に青アザが消えた。
臾衣はニットを戻してほっと息をつく。
「ありがとう。大丈夫、全然平気……ええ。うん……気を付ける。うん、お母さんも。それじゃ」
電話を切った臾衣は穏やかな表情から一転、怒りを滾らせずんずん廊下を進み家主の自室に向かう。
怒りと焦燥を叩きつけるようにドアを勢いよく開けると、中にいた九条が驚いてスマホから顔を上げ、その背後で縮こまっていた見知らぬ女性がびくっと震えた。
「獅狼さん、その人から離れて下さい。何か聞かれても絶対答えないで。とにかくその人から離れて下さい」
「その人? ソニアの事か? なんで?」
堅い臾衣の声に九条は不思議そうに振り返った。
ソニアと呼ばれた見知らぬ女性をまじまじと見る。なんとなく既視感を覚える独特の顔をしているが、腹立たしいほどに整ったソニアの顔と見間違えるのは明らかにおかしい。異常だ。遅かった。
臾衣は九条が記憶操作魔法にかけられているのを確信し、戦慄した。ロスト・デイのトラウマがフラッシュバックし泣きそうになる。
「し、獅狼さん。私が分かりますか? 私をまだ覚えていてくれますか?」
「? 臾衣だろ。そうだ、臾衣にも話しとくか。なりすまし泥棒の話はもう知ってるか?」
「なりすまし?」
九条から説明を受けた臾衣は納得した。
九条を陥れるためにやってきた恐るべき敵というより、金持ちの家に忍び込んできたコソ泥だ。
少し安心する。臾衣に魔法が効かず混乱して九条の後ろに隠れている女性はいかにも暴力と無縁な小心者といった風で、間違っても命がかかわる大事には発展しなさそうだった。
しかし何にせよ潜り込んできた害虫だ。害虫は駆除する。
ひとまずソニア? の腕をつかみ、九条から引き離し部屋の外に放り出そうとする。
「ちょちょちょちょやめてやめて!」
「こらっ! もうバレてるんだから諦めて下さい」
ソファの足にしがみついて抵抗するソニア? にビンタを入れると、九条が慌てて割り込んできた。
「待て待ていきなり何してんだ。やりすぎだ、それはやりすぎ。臾衣がソニアの事嫌いなのは知ってる。でもな、だからといっていきなりビンタは無いだろ」
「獅狼さん。その人はソニアさんじゃありません」
「え?」
九条が驚いてソニア? を見る。
が、不可解そうに首を傾げた。
「ソニアじゃん」
「違います。魔法でそう見せられてるだけなんです。さっき話してくれたじゃないですか、なりすまし魔法。この人はソニアさんになりすまして盗みに来てるんですよ」
「いやでもちゃんと騙されないように予防したぞ。そんなはずはない」
九条は困惑していた。
臾衣が思うに、九条は確かに気の抜けたかわいさを垣間見せる親しみの持てる魅力的な人だが、今日は特に察しが悪い。ソニア? の魔法に「違和感に気付かれにくくする」効果が含まれているのは事実らしい。
臾衣は重ねて丁寧に説明した。
「獅狼さんはなりすまし魔法について知る前にこの人に潜り込まれたんです。いいですか? 警戒していれば魔法にかからない。でも魔法にかかった後に警戒しても遅いんです。獅狼さんはソニアさんになりすましたこの人が来てからなりすまし魔法を知った。だから今騙されてるんです。分かりますか」
「う、うん? えーと、つまり……」
九条はしきりに瞬きしながら霧を振り払おうとするように頭を振り唸る。
その目に理解の色が宿りかけた瞬間、ソニア? が早口で割り込んできた。
「この人私のこと嫌いだからイジワル言ってるんですよ絶対そう」
「あ、そっかあ。臾衣、そういうのは駄目だ」
「ああもう……!」
もどかしくて臾衣は地団駄踏んだ。
「そもそもソニアさんと喋り方違うでしょう。声も違う。おかしいですよね」
「ん? そういえば確かに変だな」
「それはほら風邪ひいちゃってですね」
「なるほどー。風邪薬いるか?」
「くっ……! そうだ、顔っ! 顔が違う! ほら獅狼さん写真と見比べてみて下さい!」
「ん? 確かになんか違うような」
「ちょっと今日はメイク変えてみただけですよ」
「そっか。似合ってる」
「ああああああああああああああ! もぉおおおおおおおおお!」
いちいち口を挟んで妨害され、はらわたが煮えくり返る。ソニア? が隙を見てテーブルの上の魔貨をバッグやポケットにコソコソ移しているのも腹立たしい。
何を言っても伝わらない。強引な手段に訴えようとすればソニア? をソニアと思い込んでいる九条が止めてくる。
一体どうすればいい?




