19 襲撃
虚ろな目のおじさんが「抵抗すれば痛い目に」と言ったあたりで、ソニアはもう全力で抵抗していた。俺の背後から炎の渦が服をかすめて放射され、おじさんに襲い掛かる。
臾衣からそういう魔法を使うと聞いてはいたが、いざ熱気で炙られると心臓が縮み上がる。
「パパ!」
容赦ない炎におじさんは燃え上がると思いきや、すかさずおじさんが連れていた女の子が割って入り、火だるまになった。
なんだか分からんがこれは――――
「襲撃だ!」
「馬鹿、そんなの見れば分かるでしょう。推定父とその娘。目的は魔力収奪。私達はこれを撃退または勧誘する。OK?」
「あ、ああ。俺は何をすれば?」
「見学してて」
威風堂々と前に出るソニアと交代で後ろに下がる。うす、頼りになります先輩! うす! お任せします!
でもヤバそうだったら盾になろう。俺は何度でも盾になって死んで何度でも蘇るぞ。
「私達はグリモア。大人しく投降すればその子にいい治療魔法使いを紹介するわ」
「千景! おお、おお……! すまない、すまない、パパのために……!」
おじさんは女の子の名を呼び、焼けて悶え必死に苦悶の声を押し殺している娘を抱きしめ泣いていた。自分に火が燃え移るのもいとわない。
ソニアは肩をすくめ、腕組みしてその様子を見守る。
肉が焼ける生々しい匂いに俺は気が気でない。その子、千景ちゃん? 焼死するんじゃないか? 消火器、水? 救急車?
魔法使いの倫理観どうなってんだよ。襲ってくる方も襲ってくる方だし、躊躇なく放火する方も放火する方だ。
こんな危ない世界で生きてたら命一つじゃ足りないぞ。命たくさんあって良かった。
「すまない、本当にすまない、かわいそうに――――すぐ治してあげような」
泣いていたおじさんに抱かれていた千景ちゃんの体から火が消える。映像を逆再生するように、あっという間に千景ちゃんは焼ける前の姿に戻った。
千景ちゃんは小学生の五年生か六年生ぐらいだろうか。ショートカットの黒髪に髪留めをつけていて、動きやすそうなタンクトップにショートパンツ。元気なスポーツ少女といった印象だ。
なるほどね?
治癒魔法。そういう感じか。
ソニアはこれを見越して燃え上がる女の子を放置していたのかと感心して様子を伺うと、目を瞬かせて驚いていた。ただの成り行きじゃねぇか。父が治療できなきゃエラい事だったぞ。無慈悲!
「で、もう一度?」
立ち上がった親子に、ソニアは指先に灯した火を見せて威圧した。
千景ちゃんは怯えて父の後ろに隠れ、父にすがりついて見上げる。父はスーツに燃え移った火を払って消している。
「パパ、あの人怖い。こんなのやだよ。はやくお家帰ろう?」
「ダメだ。我慢しなさい。やるんだ」
「でも」
「でもじゃない! これは千景のためにやってるんだぞ! 分からないのか!?」
「っ! ……はい、パパ」
千景ちゃんがびくりと震え涙声で頷くと、おじさんは猫撫で声で褒め、優しく頭を撫でた。
恐る恐る頭を預け、撫でられてホッとしている姿に不快感を隠せない。
なんか……胸糞悪いな。
たぶん、何か事情があるのだろう。何も知らない他人が家族の事情に口を出すものではない。
だが娘を怒鳴りつけ、強要している父親を見ていると気分が悪くなる。
「ご、ごめんなさい」
千景ちゃんは消え入るような声で謝り、ポケットからバタフライナイフを出してソニアに向けた。腰が引けていて、小さな手には小振りのナイフすら大きく見える。無理をしているのがありありと分かり痛々しい。
ソニアは片眉を上げ、指先の火を消した。しゃがんで千景ちゃんに目線を会わせ、天使のような優しく温かい微笑みを浮かべて言う。
「大丈夫よ千景ちゃん。心配しないで。お父さんが大切なのね?」
「う、うん。でも、でも、ごめんなさい、お姉さん」
「謝らなくていいのよ。安心して。お姉さんはあなたの味方だから」
「お姉さん……!」
「お父さんを裏切ってこっちにつけばあなたは殺さないわ」
後光が差して見えるほどの無垢な妖精から繰り出される無慈悲な宣告に千景ちゃんは一瞬理解が追いつかなかったようだ。ぽかんとした後、ゆっくり後ずさってナイフを握りしめる。
いやもうどうなってんだよ魔法使いはどういつもこいつも。虐待親父に脅迫系女子。やべぇよ。いっそ俺が千景ちゃんを確保して逃げた方がいいんじゃないかという気がしてくる。
「千景、何をしてる? やりなさい。痛めつけて魔力を奪うんだ。やりなさい。早く!!!」
後方で立木の陰に隠れた父が、前に立たせた娘に怒鳴りつける。
千景ちゃんは可哀そうなほどに震えながら、ソニアにがむしゃらに襲い掛かった。
その千景ちゃんの顔面にソニアが腰の入ったカウンターパンチを叩き込み、腕をひねり上げてナイフを落とした後、流れるように炎を噴射して燃やした。
ひええ、可愛い顔してめちゃくちゃやりやがる。
「ソ、ソニア。ちょっとやりすぎなんじゃ」
「ナイフ持って刺しにきてる相手にやりすぎも何もないでしょう。刺されるとね、痛いのよ?」
「ああうん」
それを言われると反論できない。
敵……なんだもんな。あんな小さな女の子でも。
でも背後にいるパパさんをボコった方がよくないか? ほら今も自分だけ安全圏に陣取って、娘を遠隔治療して立ち上がらせている。なんて野郎だ。明らかにあのおじさんが元凶だろ。
いや違うか、奴をボコるために前衛の娘をボコらないといけないのか。
ソニアの言う刺されると痛いというのは完全無欠な真理だ。足や腕の腱を切られ動かせなくなるかも知れない。傷口から菌が入り、感染症を発症するかも知れない。内臓を傷つけてしまうかも知れない。一つの刺傷は人生に暗い影を投げかけ、最悪死に至らしめる。
俺としても避けたい。が、再誕魔法で死んでも蘇れるというのは命の判断を軽くする。命を軽く見るのは悪い事だと分かって自制はしているが、良い事でもある。俺なら千景ちゃんに運悪く急所を刺され死んでも実質ノーダメージだ。強引に突破して親父を殴れる。
下がって見ていろとは言われたが、状況が状況だ。一声かけて俺が前に出ようとすると、俺達四人のポケットから着信音が一斉に鳴り出した。
ニチアサ魔法少女アニメのオープニングソングと、渋い演歌と、無機質な警報音と、ニチアサ魔法少女アニメのエンディングソングだ。
マーリンネットのセキュリティ。魔法使用時の一般人接近警報だ。中止! 魔法中止!
俺が急いで自分のエンディングを止めると、警報音を止めたソニアは素早く俺の腕に自分の腕を絡ませ「合わせて」と囁いた。
一拍遅れて俺達がいる路地裏に自転車に乗った男の子がやってくる。カゴに入れたゲーム機をガタガタさせながら走っていき、少し遅れて友達らしい子供たちが小走りで追いついてくる。緊張の一瞬だ。
「ねー、何か焦げ臭くない? 花火かな?」
「そうだな、花火だな。夏だもんな」
「あはは、もう秋でしょ」
子供たちは俺達をじろじろ見てきたが、何気ない会話をしながらぶらぶら歩いていると興味をなくしたようで何事もなく去っていった。
冷や汗で脇がぐっしょりだ。こ、こええ。あの子達の誰かが十字教に入っていて、魔法使ってるとこ見たらそれだけで確定死するんだよな。魔法社会は危険すぎる。
子供たちをやり過ごして振り返ると、親子の姿は既になかった。
「逃げられたわね」
「こんなのがよくあるのか? 転職したくなってきた」
企業間の小競り合いがあるとは聞いていたが、まさか初日からとは。物騒過ぎる。
ソニアはなぜか預金通帳を取り出して確かめ、舌打ちしながら言った。
「よくは無いけど珍しくもないわね」
「うええ……」
「しっかりして! あなた待遇いいんでしょ? 給料分は働けるようになってもらわないと。で、これからだけど。あれだけ高速で治せる治癒魔法はいいわね。遠隔治療もできるみたいだし」
「厄介だな」
ゾンビ戦法は面倒だ。ゾンビ役をやらされているのが怯えた女の子ならなおさらやりにくい。
俺の言葉にソニアは神妙に頷いて答えた。
「ええ。だから予定変更。あの厄介な親子をグリモアに引き込むわ」




