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11 九条獅狼と姫宮ソニア

 九条家は大変な資産家で、実業家だった父の遺産を運用する母親とそのドラ息子の二人家族だ。

 母と息子は別宅で暮らしている。九条獅狼の家は都内一等地の一軒家で、家具も車も防犯設備も映画やドラマでしか見たことがないぐらいの高級品。退院初日、自分のものではない自分の部屋のベッドで寝た時は寝心地が俺の知っているベッドと違い過ぎてこんなの眠れるわけないだろと思っているうちにいつの間にかぐっすり寝ていた。

 そしてその翌日からさっそく家探しをする。


 九条獅狼として生きなければならなくなった俺の急務は九条獅狼がどんな人間か知る事だ。

 波野司は恐らく命を狙われていて、関連する情報を調べようとした翼は魔法で殺された。

 状況が分からない。敵が分からない。しかも状況と敵を調べようとすると殺される。

 もう何もできなかった。

 波野司の肉体は死んでいるから、九条の体に入り生き延びているのは俺がヘマをしない限りバレないはず。頭を低くして目立たないようにひっそり生きていくしかない。

 いつ何が切っ掛けで突然死するかもわからない恐怖に怯え、何に狙われているかも分からない不安を抱えながら、息を潜めて。


 だから日記、アルバム、メモ帳、領収書、なんでもいい。九条獅狼になりすます手がかりが欲しい。目立たず安全に静かに暮らしていくために。周囲の人間に違和感を与えたらそれが原因で正体がバレて死ぬかも知れない。


 見覚えの無い俺の自宅は多趣味の体現だった。壁にかけられた高そうな自転車(調べてみたらウン十万円もするようだった)、カッコイイスノーボード、アンティークな壁かけ時計、ダーツの的。

 ある部屋にはワインセラーや萎れた観葉植物の鉢植え、何も入っていない空の大型水槽と開けっ放しでダメになった餌箱、ラグビーボールにバスケットボールにテニスラケットなどがごちゃごちゃ置いてあり、別の部屋にはファッション誌や旅行雑誌、初心者向けのフランス語・ドイツ語教本が開いたまま積み上げられていたり。

 車庫にある高級車は埃を被っていて、傷だらけの大型バイクにはエアガンが積まれていた。


 雑誌の出版日やあちこちにバラバラに散らばっていた領収書を集めて確かめたところ、どうやら興味を持ったモノに片っ端から手を出し、飽きては次へ、を繰り返していたようだった。有名音楽グループのライブの翌日に購入したらしいドローンの箱は開封すらされていない。

 交友関係は広く浅く、パスワードのメモが画面端に貼られていたセキュリティボロボロのパソコンのメールボックスを覗いたところ大火災があったというのに社交辞令じみた心配の声がいくつか届いているだけだった。レターケースにはぎゅうぎゅうに名刺が突っ込まれていたのに。名刺をケースを使わず雑に扱っているのだからむしろこの交友は当然かも知れないが。息子想いの母親もウザがる息子に遠ざけられ、三流大学を卒業し形式上の独り立ちをしてからは滅多に対面で会っていない。

 これなら俺が俺自身の趣味――――映画やラノベ、漫画、アニメを表に出しても「また新しい趣味に手を出した」としか思われなさそうだ。少し安心する。


 察するに治験にやってきたのも飽き性な多趣味の延長線上だったのだろう。パソコンに「アルバイト 面白い」の検索履歴が残っていたし。奴は面白さや刺激を求めた結果死んだのだ。好奇心猫をも殺す。


 全然整理されていない高級ゴミ屋敷の中の押し入れから古いアルバムやホームビデオを発掘できたのは僥倖だった。それが無ければ双子の弟の存在に気付けなかったかも知れない。


 九条獅狼(しろう)の双子の弟、九条鷹獅(たかし)は十年前、中学一年生の時に交通事故で亡くなった。古いアルバムには肩を組んで笑い合ったり、洗車中の父親に悪戯をしかけたり、喧嘩して青痣を作りむくれているそっくりな二人の男の子が映っていた。

 あるホームビデオには服を取り換えて獅狼が鷹獅のフリを、鷹獅が獅狼のフリをして家庭教師の先生を困らせている様子が記録されている。小学校の通信簿の先生のコメントにも触れられていたが、この双子は頻繁に入れ替わって周りを困らせていたようだ。


 この「入れ替わりの経験」が九条の肉体交換魔法の原体験なのは容易に想像できる。

 一卵性双生児の獅狼と鷹獅は体がほとんど同じだ。お互いがお互いを演じれば見分けがつかない。

 ホームビデオで無邪気に遊ぶ双子の姿は微笑ましく、弟が間もなく交通事故で死ぬと知っていると痛ましく、そして九条が俺達にした所業を思い出すと同情も一瞬で消えた。


 一通り自分の体の経歴を調べ終え、俺は恐る恐る日常生活を始めた。

 大火災の生き残りのコメント目当てに取材にやってくるマスコミは堅い門扉とセキュリティ会社の人に阻まれ、買い物はネット注文で済む。

 部屋に引きこもって好きなだけ漫画を買い好きな時に起きて好きな時に好きな物を食べ、好きな事だけして生きていけるニート垂涎の生活だ。


 暗証番号が開いて一ページ目にガッツリ書いてある頭の悪い通帳(預金額も頭が悪かった)とカードもあるから、金にも困らない。

 父の遺産を受け継いだおかげで自分は何もしてないのにマンションのオーナーだから、その固定収入だけでも暮らしていける。マンションの管理は管理人の人に一任しているから、黙って座っているだけで金が入ってくる狂いっぷり。どうかしてる。


 俺達をとりまく得体の知れない恐怖は未だ消えず何も解決していない。

 だが相変わらず名作映画を見れば心打たれ、推しの漫画は面白いし、お気に入りのグループの新曲は泣ける。

 絶対に助けると誓った友人を亡くし親類縁者を皆殺しにされ一ヵ月も経っていないというのに、事件に巻き込まれる前よりずっと居心地のよい良い暮らしを楽しんでしまっている自分に気付いた時、俺は愕然とした。


 死んだものはどうしようもないと諦めて、暗躍する何者かに遭遇してしまう危険を恐れて、翼の葬式にも出なかった。

 あれだけの目に遭い、生活も人生も様変わりして、もう人生を楽しめてしまっている。俺はこんなに薄情な人間だったのか?


 実家にいる臾衣は怯えて頻繁に俺に連絡してきて、夜通しの長電話に付き合う日も珍しくない。彼女の心の傷は深い。

 一緒にいた方が安心する、魔法相手になんの足しになるか分からないが気休め程度でも防犯設備が整っていた方がいい、などの理由で俺の家に身を寄せようという話も出ている。

 彼女の母に反対され話は進んでいないが、近々家事手伝いの名目で住み込みをする事になりそうだ。彼女の母にしてみれば、大災害から辛くも生還したばかりの一人娘が会って間もない男の家に転がり込むなんて耐えられないだろう。


 それでも俺達の抱える問題は大きい。俺は仲間を、翼と臾衣を守ると誓った。助け合うと誓った。翼は死んでしまったが臾衣は生きている。少しでも彼女を安心させ、守る事ができるなら、俺の家に匿うぐらいなんでもない。

 ……可愛い女の子と一つ屋根の下、という下心も正直あるし。


 順風満帆とはとてもいえない暗い影が横たわる生活ではある。

 が、あれから不可思議な出来事は何もない。

 魔法使いからの接触はなく、田間多摩医院の火災は精神病患者の放火という理屈で片づけられ、発見された波野司の焼死体はしばらく世間を賑わせたが、芸能人の不倫や地震、増税などのニュースに取って変わられ消えていく。


 異常な魔法体験が夢だったような新しくも平凡な日常だ。

 アレが夢ではなかったのは俺の現状が証明している。鏡と向き合い、見慣れない自分の顔を見るたび、この平和な日々の薄皮一枚下に隠れた不吉な謎を思い知る。


 それでも。

 平和は平和で、人生は楽しい。

 金があって顔もいい頭も回る体力もある、五体満足健康で何の不足もない生活をして苦しく辛いなんて言えやしない。


 ただし一つだけ、例の一連の事件とは無関係な悩みがあった。

 九条獅狼の婚約者、姫宮ソニアの存在だ。








 姫宮ソニアと九条獅狼は約一年前に婚約を結んでいる。

 一年前、姫宮ソニアは火事で家族と家、財産の全てを失った。15歳にして天涯孤独の身となった少女は病院で健康診断に来ていた九条獅狼に出会う。

 そこで仲良くなり、ソニアが16歳の誕生日を迎えたら結婚しよう、という約束をした。

 というのが表向きの話。


 実際はもっとエゲつない話だ。

 パソコンのエロフォルダに放り込まれていた写真に写る姫宮ソニアは目も覚めるような美少女だった。

 ふわふわしたドレスを着て微笑む小さな金髪碧眼の少女はまるで妖精のよう。柔らかく広がった長い金髪は黄金の絹、白い肌にはシミ一つなく、細いたおやかな手に握られた花束が霞む。天使、妖精といった賞賛の言葉が過小評価になるのではないかというほどの稀有な可愛らしさだ。小さな頃はモデルをしていた経験もあるらしい。


 そんな可憐にして悲劇を味わった孤独な婚約者の写真をエロフォルダに突っ込んでいる事から分かるように、婚約の裏側は打算的でゲスかった。

 端的に言って体目当てだ。

 16歳の誕生日と共に姫宮ソニアは九条獅狼の妻となり、何をされても文句を言わない。代わりに姫宮ソニアは九条家の莫大な資産の半分を手に入れる。そういう契約だった。


 現代日本とは思えない政略結婚。全てを失い身よりもなく、まだ中学生の彼女にとって九条との結婚は生命線だろう。例え結婚した途端にひどい目に遭う事が分かり切っていても、路頭に迷うよりマシだ。

 もっともちゃっかり財産半分をもらう約束をしているあたり強かさも垣間見える。


 今年の春に中学を卒業した彼女は今日16歳の誕生日を迎え、俺の家にやってくる事になっていた。

 その彼女に婚約破棄を突きつけるのが俺の仕事だ。


 臾衣は婚約に反対だったし、俺は可愛い子が嫁に来てくれると思うと心踊るがその背景を考えると気分が悪くなる。だって事実上の人身売買だ。許されない。俺ももちろん……もちろん反対だ。

 こんな可愛い子との婚約破棄はちょっと惜しいなーなんて全然これっぽっちも思ってない。か弱い乙女の弱みに付け込んで好き放題しようとした九条獅狼は許せねぇよなあ! ああ全くだぜ!


 慰謝料として彼女が高校大学に進学して就職するまで困らないぐらいの金を渡せばまあ大丈夫だろう。金はある。そんな目算で、俺は家にやってきた婚約者を迎えた。


「久しぶりね、獅狼さん」

「お、あ、ああ」


 楚々としたシンプルで涼しげなワンピース姿のソニアが玄関に立っている。それを見て俺は言葉を忘れた。

 晩夏の日差しを反射するふわりとした金髪は風を受け蠱惑的に踊り、飛んでいきそうな麦わら帽子と翻るスカートを手で押さえるその仕草はあざといまでに胸を締め付ける。甘く優しい花の香りは香水だろうか?

 ソニアお前、マジでお前、マジだな。本当に可愛い。写真の三倍かわいい。臾衣で高顔面偏差値との接触に精神を慣らしていなかったら危なかった。


「た、立ち話もなんだし、そのー、中へ」


 どもってキョドりながら中に通す俺をソニアはちょっと不審そうに見上げてきたが、何も言わず大人しくついてきた。


 ごちゃごちゃした趣味の道具を片付け綺麗にした部屋に通す。高級革のソファにちょこんと腰かけたソニアはさっそくポーチから書類を出した。婚姻届と書いてある、一生目にする機会なんて無いと思っていた幻の書類だ。悪いが君には幻のままでいてもらう事になる。

 ソニアはちょっと震える手で書類をテーブルに並べながら言った。


「全部書いておいたわ。後は印鑑だけだから」

「それなんだが、俺のそばにいるときっと不幸になる。婚約は破棄しよう」

「は?」


 ソニアは真顔になった。

 そう、婚約は破棄する。そばにいると不幸になるというのも半分ぐらい本気だ。

 翼を死に至らしめた魔手が、俺と関わったばかりに彼女にまで及ばないとも限らない。

 三十歳にもなっていない俺が言うのもなんだが、まだ彼女は若い。妙な事に巻き込んで危険な目に遭わなくたっていい。

 ソニアは蒼く澄んだ目を瞬かせ、不審そうに言う。


「あなたそんなに不幸体質じゃないでしょう。こんな美少女と結婚できるのだから幸運でしょう? その顔と金があっても運がなかったら私みたいな可愛い女の子と結婚なんてできないわ」

「ええ……」


 めちゃくちゃ言うな、この娘。家族を失って一人になった女の子ってみんなこんな明け透けで打算的になるもんなのか?

 しかし美少女なのが事実すぎて呆れが出てこない。胸張って美少女ですから! って言っても本当に可愛いから始末に負えない。ズルい。


「あんな火災に巻き込まれたんだ、俺の友達も不審死した。これが不幸じゃなくてなんなんだ? 俺と一緒にいると君を巻き込むかも知れない。もっと自分を大切にしてくれ。俺を選ばなくてもいい相手が見つかるさ。俺はソニアの幸せを思ってソニアと結婚したくないんだよ」

「さっきから何なの? 前あった時は早く俺の女になれよって言ってたのに。前もキモかったけど、今日の獅狼さんは別のキモさっていうか、なんだかこじらせた童貞みたい」

「黙れ」


 いきなり急所をぶっ刺すな。


「…………? とにかく! ぐだぐだ言わない。私はもうあなたと結婚するつもりで人生設計考えてるんだから。あなたは私を手に入れる、私は金を手に入れる。そういう取引でしょう? ほらこの印鑑使って!」


 ソニアは俺の手を掴んで印鑑を持たせ、無理やり捺印させた。

 急に触られてドキッとしている間に一瞬でやられた。


「え? いやいやいや、え? いやいや、何やってんの何やってんの何やってんの? 押しちゃったじゃん!」


 慌てる俺をよそにソニアはさっさと書類を揃えてポーチにしまい、ワンピースの胸元のボタンを外した。

 まだ幼い可憐な妖精の乙女はキングサイズのベッドに大の字になって転がる。そして今まで見た誰よりも男らしく言い放った。


「これで夫婦ね。さあ抱きなさい。分かってるわ、私の顔と体が目当てなんでしょう。ケダモノ! でも私は逃げも隠れもしない。さあ来いッ!」


 さあ来いじゃないが。お前どういう精神してるの?

 これで行く奴は勇者だろ。それか性欲モンスター。

 あいにく俺はどちらでもない。


「あのな。前は色々言った……と思うが、気が変わったんだ。君の事は抱かない。まだ高校生だろ? そういうのは早い」

「はあ?」


 俺の言葉を聞いたソニアは心底不可解だという顔をして体を起こした。


「抱かないの? あなたが抱かなくても私はあなたの財産半分もらうわよ?」

「いらん、いらん。俺は君に何も強要しない」

「え? どうして急にそんなに優しくなったの? もしかしてちゃんと惚れさせてから私をモノにしようなんてロマンチックで甘い妄想してる? 私は普通に金だけもらって他に好きな人作るつもりだけど」

「お…………そ……それで……いいです……」


 ソニアは凹む俺を鼻で笑った。


「馬鹿ね。それじゃあなた、財産の半分を私に差し出すだけじゃない。前言撤回は聞かないからね?」

「いやこっちの話を聞いてくれ。だからそもそも結婚しないんだって!」


 婚約破棄して慰謝料払うだけのはずがどうしてこんなに話が面倒になっているのか分からない。婚約者がこんなにアグレッシブな娘だとは思わなかった。見た目はふわふわした可憐な妖精なのに言動がキマっちゃってる。


「結婚しないと財産譲渡が面倒でしょう。あとそうだ、一年前に婚約した時、結婚したら私の秘密を打ち明けるって言ったの覚えてるわよね」

「……ああ! もちろん覚えてる」

「嘘つき。約束通り話すわ、私の秘密なんだけど」


 一呼吸置いて、ソニアは爆弾発言をした。


「実は私、魔法使いなの」

「!?」


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― 新着の感想 ―
[一言] …ファッ!?魔法使いが増えたッ!?
[一言] なんか色々すげえ、怒涛の婚約者。 そして運命からは逃れられない。
[良い点] 想像を超えたキャラクター群と怒涛の展開がたたきつけられるこの感じ! 黒留さんの作品ならではの勢いを感じております [一言] 「さあ来いッ!」は男らしすぎる・・・とって食われそう
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