10 なんも覚えてないしなんも分からん(憤怒)
俺は帰るための体を亡くし、帰る家と帰りを待つ家族も亡くした。
現実感がない。どこか遠い地で起きた知らない誰かの悲劇に悲しんでいるような、薄くて頑丈な見えない壁を隔てたような。
だがそのおかげで落ち着いていられる。まだ自分自身は残っていて、共に命を預け助け合った仲間がいる。
「とにかく情報が足りない」
目隠しされたままいいように嬲られている気分だ。
何が起きたのか。
何が起きているのか。
これから何が起きるのか。
情報が無ければ動けない。調べても調べてもまだ足りない。
「波野家の惨劇について調べてくれ。ニュース、ゴシップ誌、掲示板、なんでもいい」
「あ、ああ。司、本当に大丈夫なのか?」
「また何か起きて大丈夫じゃなくなる前に調べられるだけ調べたい。もう次に何が起きてもおかしくないだろ」
翼は何か言いかけた言葉を呑み込んで神妙に頷いた。
事件発生当初、メディアは波野家の惨劇について同情的に書き立て、行方不明の波野司を案じる声に溢れていた。だがたった三日で論調が変わり、今は波野司犯人説が勢いを増している。
一連の事件の全ての被害者は失踪した波野司を中心とした人間関係で説明できる。波野司は連続殺人事件の中心人物であり、犯人であるというわけだ。
波野司は交友関係が狭く、失踪前後で姿を見た者はいない。一人暮らしをしている波野司のアパートは酷く荒らされた痕跡がある。何者かに誘拐されたか、既に殺されたか、殺人鬼に追われ逃走中か。
人間関係や犯行状況から犯人像は波野司に深い関係がある人物と目され、そしてそれは波野司本人かも知れない……
……そんなワケがない。一番ワケが分からないのは波野司本人だ。連続殺人なんて寝耳に水もいいところで、なんならこの三日聞き飽きるほどにニュースを耳にしたであろうお茶の間の皆さんよりも事件の渦中にいるはずの俺の方が事態を把握していない。
しかし表向き、波野司はほんの数時間前に田間多摩医院の大火災で焼死した。すぐに焼死体が発見され、歯形か何かによって本人特定されるだろう。
死体が見つかれば大火災の犠牲者と失踪した連続殺人事件の中心人物が結び付き、センセーショナルな話題を呼ぶに違いない。
二つの事件を結びつける波野司には何が隠されているのか?
事件の真相とは?
死体は何も語らない。
常人の与り知らぬ魔法によって偶然生き残った(?)本人にすら何が何やら分からない。
一つ確かなのは、俺が自分の生存(?)を公表するのは愚か極まりないという事だ。
波野司の親類縁者を虐殺した謎の殺人鬼が俺の生存を喜ぶとは到底思えない。俺の部屋が荒らされていたのは、親類縁者に拷問の形跡があったのは、俺の居所を吐かせるためだったのではないか? まさかメールアドレスを教えてもらうためではあるまい。絶対にロクでもない理由だ。
俺はあの大火災で死んだフリをしなければならない。
正体を隠し、九条獅狼として生きていく以外に道はない。決して生存を悟られてはいけない。少なくとも虐殺の犯人を突き止め、その目的を確かめるまでは。
と、いうところで俺達の調査は行き詰った。
インターネットは表面上の情報を軽く知るには丁度いいが、深く隠された謎の究明には全く向いていない。
自作自演論、陰謀論、世界終末論、お気持ち表明、愚にもつかない妄想で溢れかえっていてうんざりする。
「これ以上は無理そうだ。仕方ない、メシアさんのアカウントにダイレクトメールで聞いてみてくれ。あの人は絶対に何か知ってる」
「OK……いやダメだ。相互フォロー以外のメッセージを弾く設定にしてある。メールを送れない」
「くそっ。そりゃそうか」
フォロワー100万越えともなればアンチもにわかファンも死ぬほどいるだろう。
どこの馬の骨とも知れない雑多な声を全て聞いてはいられない。
手詰まりだった。事件について何か知っていそうな唯一のツテへのコンタクトは封じられた。
他の魔法関係者――――矢倍と九条はもう死んでいる。彼らの所属組織である田間多摩医院は爆発四散。医院に出資していた製薬会社に連絡するのも論外だ。俺達を騙し命を弄び尖兵に仕立てあげようとした闇組織の何を信用できるだろう?
八方塞がりの中、考え込んでいた翼が唐突に言った。
「決めた。情報魔法にしよう」
「何?」
「俺の魔法だよ。俺も魔法を作れるようになっただろ? 情報を集める魔法を作ればいい」
「そうか! その手があった。天才か?」
翼と手を叩き合う。良いアイデアだ。
言われて思い出したが、翼は大火災から救助される時にメシアさんから治癒魔法? を受けている。魔法を受けたのだから、魔法作成条件は整った。
「どの経験ベースがいいかな。情報の時間で町の歴史について調べた時の……いや弱いな。ゲーム攻略……探偵漫画……うーん」
「わ、私も。私もそれにします」
「臾衣はなんか他の魔法にするといい。いや一生に一つだけの魔法なんだから好きにすりゃいいんだけどな。被せる事ないだろ」
「うう……でも何か役に立たないと」
「気にすんな。仲間だろ」
俺が肩を叩いて慰めると臾衣は肩身が狭そうに頷いた。
本当に気にしなくていいんだけどなあ。俺はまだ矢倍に襲われた時命がけで助けてくれたの忘れてないぞ。忘れようにも忘れられない。九条と体を交換された俺を助けようとしてくれたのも覚えてる。
むしろ自分が絶対助かるだけで仲間の役に立たない超絶自己中心的復活魔法を作ってしまった俺の肩身が狭いよ。
「OK! 作った。なんか思ったより簡単に作れたな。もっとこう、ビリビリ来るとか光るとかあるかと思ってたぜ」
「魔力は感じるようになっただろ」
「まーな。おっと! 無駄話はやめとこう。じゃ、魔法で情報集めるから」
自分に分からない話をされて寂しそうにしている臾衣の様子に気付き、翼は目を閉じた。
具体的にどんな魔法なのかは分からないが、iPadを握りしめ、目を閉じてじっとしている。iPadの画面を見ると超高速で色々な画面が明滅し、文字と画像が凄まじい勢いで流れていた。
そして翼は突然口から水を吐き出し、喉を押さえ悶えはじめた。
「うわ!? おいおいどういう魔法だそれ。大丈夫か?」
聞くと翼は苦しみのたうちながら、焦点の合わない目で俺を見、ものすごい力で腕を掴んでめちゃくちゃに首を左右に振った。
全身の血の気が引く。ヤバい。また何か起きた!
目立つ位置にあったナースコールボタンをぶっ壊す勢いでぶっ叩き、大声で叫ぶ。
「看護師さん、先生ーっ! 誰でもいい! 早く! 急患、容態急変だ!」
俺が水を吐き続ける翼を仰向けに寝かせ、気道確保を試みる。そうしている間に一度部屋を出た臾衣が廊下のAEDを持って駆け込んできた。
「司さんこれっ!」
「ナイス!」
AEDを受け取って広げ、必死に蘇生を試みる。
騒ぎを聞きつけ医者と看護師が駆けつけてくる。
蘇生を交代し、震えながら祈る。
あまりに唐突だった。なんでもいい、助けられるならなんだってする。
お願いだから。頼むからこれ以上何も失わせないでくれ。
俺達は冷静だった。素早く冷静に救命措置を取れたはずだ。
しかし手遅れだった。
翼は死んだ。
水気のないベッドの上での、溺死だった。
俺と臾衣はただ二人、五里霧中の謎の中に取り残された。
仲間を失い、全ての手がかりも途切れて――――




