01 なんも分からんけどたぶん物語はじまった
大学に入って独り暮らしをはじめ、一番嬉しいのはゲームとネットを好きなだけできるようになった事だった。特に受験シーズン中は親父にゲームもパソコンも取り上げられ、スマホも制限をかけられていたから自由の味は格別だ。
夜更かし徹夜でゲームして、食事はコンビニ飯で済ませても怒る母さんはいない。受験中積んでいたゲームをばんばかクリアして、仕送りをどんどこ新作ゲームと漫画と映画代に溶かして。
ゲーム楽しい! 漫画最高! 映画最強!
もう一生サブカルチャーに漬かって生きていきたい。
ゲームの傍らに講義と課題を無難にこなして大学生活に慣れた夏頃、俺は異変に気付いた。
半年分として渡されていた生活費が残り二万円を切っている……!
今は八月。次に生活費を送ってもらえるのは十月。
ぼくは大学生だからさんすうができる。
10ひく8は2だから、二カ月二万円生活の計算だ。
うーん、死!
一ヵ月で餓死、二カ月あればミイラになれてしまう。
令和の日本でミイラって相当だぞ。
この異常事態に実家に救援を求めると、自業自得だからアルバイトしろと突き放された。
正論パンチが痛過ぎて泣いた。人はこうやってお金の大切さを知っていくんだな……
遊びに生活費を溶かしたカスであるのは認めよう。
だがいつまでも親のスネを齧り続けるほど腐っちゃいない。流石にね。それぐらいの良識はギリある。ついにお小遣い制度を超越し、自分で金を稼ぐ時が来たのだ。
そうは言ってもアルバイトとかダルいので、一日でひかえめに10万ぐらいパパッと稼ぎたい。それなら2、3日で二カ月遊んで暮らす金を稼げる!
完璧な計画だ。そんなアルバイトは存在しないのを除けば。
駅前の求人広告や求人サイトを探しても短期バイトはせいぜい日給一万円がいいところで、その割のいいバイトも経験者限定だったり交通費自腹だったりする。
そうだよな。俺だって日雇いバイトに一万円なんて払いたくない。五百円ぐらいで働いて欲しい。
未経験者歓迎交通費支給の高額バイトなんてあるわけ
「……あった!?」
未練がましく求人サイトを探し続けていた俺は思わずスマホの画面を二度見した。
若干名の募集、申し込み期限締め切り間近、未経験者歓迎交通費支給日給三万! これしかねぇ!
定員の締め切りになる前に大急ぎで必要項目を記入してアルバイト応募を済ませる。
こんな美味しいバイト、みんな飛びつくはずだ。もたもたして応募を締め切られたら悔しすぎる。
応募送信ボタンを押して一息ついてから俺はふと冷静になった。
美味しい話には裏がある。
ちょっとこれ、ヤバくないか? 金に釣られてしまったが話がうますぎる。怪しげなアルバイトに個人情報をバチバチに送り付けてしまった。
不安になってアルバイト内容をよく読んでみると、どうやら治験のバイトらしい。
治験というのは新薬の安全性を確かめるためのテストだ。
何か新薬を開発したとして、理論上は安全な薬と分かっていても万が一がある。だから新薬を大量生産して売り出す前に、何人か人を雇って効果を体を張って確認してもらおうというわけだ。理論上安心で、実際に使って安心なら、安全保障お墨付きで新薬を世に送り出せる。
三万円という日給の裏には危険手当と守秘義務があるようだ。
治験といえば悪く言えば人体実験のようなものだから、ほぼ安全と分かっていても危険といえば危険だ。
加えて情報漏洩に気を使っているようで、アルバイトに応募すると自動的に新薬発売まで治験バイト中に知った情報の発信を禁じ、かつ治験中は雇用主が提供する隔離施設に拘束される事を了承した扱いになる。
ちょっと危なっかしいオクスリを、誰にも秘密で、軟禁されながら試す。
そう考えると日給三万も妥当に思えてくる。他の治験バイトを調べてみたら1~2万が相場で、三万はかなり割高だがそうおかしな値段でもない。
バイト先の会社名をググってみても怪しげな情報なし。ふっつーの製薬会社だ。
一通り調べ終えて安心する。ビビって損した。美味しい話だけど裏なんて無かった。脅かしやがって!
応募の翌日、採用通知が来て詳細を知らされた。五日後に駅前に来る送迎バスに乗り、臨床試験を行う郊外の特別病棟に行き、そこで十日間治験をやる事になる。日給三万、十日間で三十万! 十分過ぎる稼ぎだ。三十万は貰いすぎだから五十万でいいんだが欲は出さないでおこう。
そしてスマホゲーの課金を我慢しながら五日経った朝、俺は指定された駅前で送迎バスを探していた。
これから十日間、俺は病院に閉じ込められ実験体となる。だいぶ人聞きが悪いバイトだ。だから守秘義務があるのだろうが。
その守秘義務があるから家族にバイトの詳細は言っていない。十日間アルバイトで連絡難しくなるけど大丈夫とだけ言ってある。
そしてこっちは子供っぽいと思われそうで誰にも言っていないが、実は秘密作戦に参加するみたいでちょっとワクワクしてる。なんといってもシュヒギムだ。人生初守秘義務。どんなクスリを投与されるのか怖さ半分興味半分。
新薬の副作用でなんかすごい事になって俺だけ特殊能力に目覚めちゃったりして。へへへ。
夏の日差しに汗をかきながらしばらく駅前をまごまごして見つけた送迎バスのドアの前に立っていた係員のおじさんにスマホの採用通知画面を見せて乗車すると、車内は席を一つ残して全て埋まっていた。俺は一斉に向けられた視線にたじろぐ。俺が最後だったらしい。
顔ぶれは色々だ。おじさんもいればおばさんもいる。俺と同じぐらいの歳の女の子もいる。よりにもよって空いている席はその子の隣しかなかった。
「おっ! 君、可愛いねえ! 大学生? これからしばらく一緒のバイト仲間だし、よろしく! ところでLINEとかやってる?」
……と、朗らかに話しかける陽キャな自分の妄想をしながら俺は無言で会釈して隣に座った。
静かに走り出した送迎バスの車内は薄皮一枚の下にそこはかとない緊張をはらみつつけっこうにぎやかに会話が交わされていた。最近暑いですねーとか治験ははじめてでーとか私もなんですぅーとか、当たり障りのない会話が耳に入ってくる。
たかが十日、されど十日。短期とはいえ同僚になるのだから、マトモな社交能力があれば軽い世間話ぐらいはして交流をもっておく。
俺はそのへんの機微も心得ているので、当然バスが発車してから数度のトイレ停車を挟み目的地に着くまで一言も喋らず眠ったフリをして乗り切った。
二時間続いた大学の新入生歓迎会で自己紹介だけ喋ってミステリアスな沈黙を貫いたクールな俺を舐めてもらっちゃ困るぜ? 隣の女の子が話したそうにしている気配を感じても関係ない。俺の口は堅いのである。コミュ障ともいう。
眠ったフリがいつしか本当の眠りになり、ウトウトしはじめたところで目的地についた。
そこはどこかの鬱蒼とした森の中だった。狭い山道は舗装されていない砂利道で、雑草の生えた駐車場に何台か車がとまっている。スマホを見ると圏外になっていて、現在地は分からない。森の梢の向こうに古い鉄塔と電線がチラリと見えた。
件の病院は病院というよりも収容所か何かに見えた。鉄条網つきの高い塀が敷地をぐるりと取り囲み、体育館ぐらいの大きさの立派な三階建て病院の壁面には青々とした蔦が這い、窓にはめられた鉄格子を葉で見えにくくしている。
なんか怖くね? 最近の大きな病院ってこんな感じ? 病院は近所のじいさんがやってる歯医者以外行った事ないからよくわからん。街中の病院なんてわざわざ通りすがりにマジマジ観察したりしないし。
ほとんどの治験者は細かい部分に目がいっていないようで、俺と違い怖気づい……警戒した様子は無かったが、バスから降りて病院に入る時にスマホやノートパソコンを預けさせられ、電子機器を隠し持っていないかボディチェックまでされると流石に不安そうになる。
「守秘義務ですよ、守秘義務。十日後にお返しするので大丈夫です」
しかし矢倍と名乗った案内のお兄さんに守秘義務を盾に取られると何も言い返せない。今時、電子機器から引きはなされる機会なんてなかなかない。だが、俺は最近大学受験の会場でそういう珍しい機会を味わったばかりだ。その時は何事もなくスマホを返してもらえたし、今回も当然そうなるだろう。
無駄に身構えても気疲れするだけ。サクサクいこう。
なおラノベは取り上げられなかったから治験中の暇つぶしには困らない。持ってきてよかった。
入口で荷物を預け終えた俺を含む治験者一行、総勢三十名を矢倍さんは病院の小会議室に案内した。これから十日間のスケジュールを説明するそうだ。そうそう、そういうの待ってた。採用通知に細かいスケジュール載ってなかったからな。
雑に並べられたガタつきのひどいパイプ椅子に全員が座り静かになると、教壇に立った矢倍さんはもったいぶって話し出した。
「えー、事前にですねぇ。これはぁ、新薬の治験アルバイトだとぉー、説明しましたがぁ」
「?」
一呼吸おき、矢倍さんはニヤリと薄ら笑いを浮かべとんでもない事を言いだした。
「クククッ……アレは嘘です。みなさんにはこれから魔法を習得してもらいます」
「!?」