毎週末に水族館に行っていた話
学校で毎日一生懸命勉強して努力できている。成績もあがった。そのきっかけは何か。それはね。毎週末には水族館に行く。ただ、それだけ。
今日だって、平日のごほうびがてら、ここにいるんだ。
ゆらゆらと揺れる魚の尾ひれを目で追う。上から光が差し込み、きらきらと輝いている。
「綺麗だね」
隣の子は、ゆっくりとこちらを向いて「うん」と頷いて、大人しく、けれども情熱を宿した瞳で私をジッと見た。
「うん。良かった。あなたと来て良かったよ。だって、みんなわかってくれないんだもん」
感慨深げに、そうして微笑まれる。ヒラヒラと魚のヒレとお揃いみたいな、フリルが揺れた。フリルの魅力に負けないぐらい、整った顔立ちがぼうっと上からの光で灯された。ステージライトみたいだ。魚が主人公の場所なのに彼女が主人公だと錯覚しそうになる。
「本当に、わかってくれないんだからね。みんな」
根に持ってるのか再度怒りのお言葉をぶつぶつ語りかけてきた。
わかってくれない、か。たぶん、それは彼女の熱心な魚への愛だらけの解説のことだろう。で、わかってくれない理由は、みんなみんな彼女に見惚れて集中できなくなってるからに違いない。現に私だって水族館に通う、その目的の半分はこの子を見たいがゆえのものだけど。
とはいえ、彼女は気分屋なものだから、唐突に跳ねる声を出して「まあ、それはいいや。魚の方が大事だもんね!」と宣言してから魚について語ってくれた。
熱の入った語り口は、話すにつれて徐々に収まっていって、絵本を読み聞かせるような優しい声色へと変わっていった。
「魚は、案外さみしがり屋なんだって。鬱にもなるみたい」
この南の島周辺に住む、色とりどりの魚を見て、ほぅっと感動のため息を吐いた。天女のような、どこか俗的なものと、かけ離れてる印象をずっと抱いていた。なのに、鬱になるだなんて人間みたいだ。
「そうなの?」
「うん。そうみたい」
そっか。そうなの。小さくつぶやいて、小さく笑いあった。
毎週末はいつもいつも、この子と一緒にゆったり魚たちを眺めているんだ。それは日常と化していたけれど、なんだか夢のなかのような時間だと思える。
だって、美しいから。魚も、この子も。
「美しいよね」
一瞬ドキッとした。声に出てたのかと思った。けれど、すぐに違うとわかった。
「魚って本当に素晴らしい生き物だと思うんだ。特にここのはね」
魚のことだけ言われて、ホッとする。そうして、返事の言葉を紡ぐ。
「そうだね。うん、ここにいるときが一番楽しいよ」
魚を観察するのも、彼女の楽しげな解説の声も好きだ。だから、水族館が好き。
「鬱になるのはね。飼われてる魚らしいよ。見てくれる人間がいないときになるらしいんだ」
ふぅん、と小さく唸ると、彼女は私の腕をつねってきた。指先で軽く挟まれて、少し痛い。
「わたしも鬱になりそう」
「へ?」
意味がわからない。黙って考え込んでも結論が出なくて、困り果てた。
すると、彼女は「仕方ないなぁ」とつぶやいて、続けて言った。
「学校のときは鬱にならないのにね、ここにいると鬱になりそうなの」
「え? そうなの?」
「そうだよ。見てくれないからね。私はお魚さんと一緒なの。ね?」
ね?と放ったときの声色はどこか甘ったるい。彼女の台詞は私に対して、見てよ、と誘っているものに聞こえる。
「わかってるんでしょ? もう」
拗ねる様子の彼女に、ついつい苦笑いを浮かべてしまう。それでも嬉しくて、すぐに苦くない笑みをこぼした。
「気づいてたの? 学校にいるときに、私が見てるの」
「隠せてると思ってるのが、あなたらしくて好きだよ」
うっとりと、まぶたを細めて私を見つめて、それから軽く笑いかけられた。まだまだ言いたいことはあるみたいで口を開いて、笑みを深めた。
「うん。好きだよ。......なんて言ったらいいのかな。私ね。ここいるお魚みたいになりたかったんだ」
「魚みたいに?」
「うん。魅惑的だし」
それは私が彼女に常々思ってた印象だった。まんまと彼女の目標通りに感じてたんだ。私って。
「だからね、ここにいるお魚さんの良さがわかる人に私は見た目を褒めてもらいたかったんだ」
でもね、と彼女は自嘲した。
「なんかね。あなたと一緒にいるうちに、学校みたいに私を見てくれる時間の方が好きになってね。いつの間にかね、あなたに他のところも見てもらいたくなっちゃった」
だから、見てよ。本当にきちんと見てよ。全部見てよ。
そうやって、つめよるように、囁かれた。
「今度はプールに行こうよ。あと、ショッピングモールで服を買うの。もちろん試着するから選んでよ。それと、それとね。一緒にご飯を食べてお話ししようよ」
ああ、どれも彼女を中心に見るための行為だ。体も、心も、知って見つめる行為そのものだ。スポットライトのような明かりが再度彼女に降り注ぐ。やっぱり彼女は主役なんだ。少なくとも私にとってはそうなんだ。
「うん。もちろんそうするよ」
断ることなんてない。
でも、ちょっぴり不満だな。この子のお魚話の理解者になるために、生物の勉強を中心に頑張ってたのにな。
「ありがとう。あのさ、今度はわたしのために、あなたがお魚の話をしてよ。あくまでわたしのためにね」
にこっと笑いかけられて、私は頬が熱くなった。ずるいや。許しちゃうじゃん。
「あ、プールの前にショッピングモールで水着買う方がいいかも!」
グットアイデア!と言わんばかりに自慢げな顔をされた。
即座にわかりきった未来を想像する。お魚みたいなフリフリのついた水着で泳ぐ彼女と、夢中になって眺める私が容易に浮かんだのだった。