夢無き少年 ‐4‐
大量生産したね、看護師さんに怒られない?」
僕はじいちゃんの病室で、奇妙な光景を目にした。
ベッド脇に置かれている小さな棚の上に、白い鶴が大量発生していた。それはもう、山積み状態で、なんというか、綺麗な光景ではなかった。
「怒らせるわけがなかろう」
その言葉の裏を読むと、注意をする看護師に反抗するじいちゃんの姿が想像できた。
「あれ?」
折り鶴の山を眺めていると、一か所だけ、きらりと光るものが見えるところがあった。かき分けてその光るものを取り出す。
金色の折り紙でつくられた、金の折り鶴だった。
「なんで一匹だけ色が違うの?」
真っ白で統一されていたのに、なぜか一つだけ、金色だった。
「それはな、諒のことを想って折った鶴なんだよ」
「僕のことを想って?」
どういう心境か読めなかった。
「鶏群の一鶴」
じいちゃんがそんなことを口にした。
「けいぐんのいっかく?」
始めて聞いた言葉だった。
「鶏の群れに一羽だけ鶴がまじっていることから転じてできた言葉だから、本当は、鶏をたくさん折らなきゃいけなかったんだが、鶏の折り方なんて分からなくてな」
はっはっは、と笑うじいちゃんの笑顔が眩しかった。
「多くの凡人の中に、極めて優れている人が一人だけいるということだ」
じいちゃんにそう言われると、僕は手元の金の鶴を眺めた。
「諒には、そうなってほしいんだよ」
じいちゃんは真剣な眼差しでこちらをみた。珍しく、笑顔はなかった。
「若者らしく、人生を満喫しなさいと、そんなようなことを口にしたが、先の長い人生を本当の意味で楽しみ、満喫させるためには、適当な人生を送ってはだめだ」
じいちゃんはベッドから両足を出し、ベッドに腰かけるような体制になり、僕と向き合った。
「人生、凡人で終わってはならんぞ」
じいちゃんはそういうと、悲しそうな、寂しそうな顔をして、言った。
「何か難しいことをしろ、と言っているわけではないんだ。人と同じことをして生きるより、人と違ったことをして生きた方がよいということだぞ」
僕は凡人だ。趣味も、特技も、夢も、何もない。ただ平凡に、毎日を過ごしている人間にそんなことを言われても、どうしたらいいっていうんだ。
「そんなこと言ったって、やりたいことも何もない」
「今すぐ決めろ、と言っているわけではないさ」
「じいちゃんだって凡人だろ」
沈黙が流れた。一秒一秒が長く感じた。
人と違ったことをして生きるなんて、見当もつかない。何も想像できなかった。
「諒に厳しいことを言うのは、諒に幸せになってほしいから言っているんだぞ」
分かっていた。そんなのは、分かっていたのだ。
「じいちゃんは、やりたいことはある?」
「こんな老いぼれじじいに、よくそんなことを聞くな」
そう言うと、じいちゃんは笑った。僕より何年も早くに生まれ、人生の大先輩だからこそ、色々と聞いてみたくなる。だが、人生の後半を生きる人間に、やりたいことは? という質問は、中々難しいことだった。
「やりたかったことはたくさんある。やっておけばよかったと、後悔していることもたくさんある」
じいちゃんは口元に手を当てて、指先で唇をなぞる。
「美味しいものが食べたい」
シンプルな回答を口にした。。そんなの、生きていれば当たり前にしていることだった。誰でもできることだと思った。
「食べればいいじゃん」
「無理なんだよ」
入院しているから、病院食に飽きてきたのだろうと思った。確かに、病院食は、栄養を重視しすぎているようで、あまり美味しそうなイメージはない。
「退院したらいくらでも食べなよ」
「無理なんだよ」
じいちゃんは、うつむいて、心底悲しそうな表情をしていた。いつも眩しいくらいの笑顔を振りまいているじいちゃんだからこそ、余計に悲しそうに見えてしまう。
「どうして?」
「誤嚥性肺炎」
それは、じいちゃんの正式な病名らしかった。
「食べ物が肺に入ってしまう病気なんだよ」
あまり、ピンとこなかった。本来食べ物は、喉から食道を通って、胃へ流しこまれる。それが、空気を出し入れしている肺へ入り込むのを想像したら、それは苦しそうだと思った。確実にむせてしまい、食事どころではないだろう。
「むせちゃうってこと?」
「不顕性誤嚥」
今度は違う病名を言われた。もう、わけが分からなかった。
「寝ている間に肺に唾液が流れても、むせない病気だよ」
病名を聞いたら、流れている空気が変わった気がした。一気に現実味を帯びた。
聞いた病気について詳しいことは分からなかったが、肺炎といえば死亡率が高い病気だということは、なんとなく想像できた。喫茶店のマスターも、そんなようなことは言っていた。
じいちゃんは、死んでもおかしくない大変な病気にかかっていたのだった。
「それが、じいちゃんの病気なんだよ」
じいちゃんは笑っていた。それは口元で無理やり作っているだけの笑顔で、瞳の奥は笑っていなかった。こういう場面でみせる笑顔は、とてつもない悲しみを感じさせる。
大好きなじいちゃんの笑顔をみるのが、今はとても辛かった。
翌日、僕はまた、爆睡していた。
「諒ちゃん~」
最近の僕はというと、授業中に爆睡したまま昼休みを迎え、決まって梅宮麻衣子が起こしに来る、というのが日課になりつつある。
ゴンッ。
嫌な音がした。何か大きなものが床に落ちたような鈍い音。
「……諒、ちゃん」
机に突っ伏していた顔を上げ、床をちらっと見ると、何者かがうつ伏せになって、床に転がっていた。僕の椅子の脇に頭らしきものがあった。
「は? 梅宮?」
何をどうやったら、何もない教室の床で転倒するというのだ。アニメや漫画に登場する、どじっ娘による、ありがちな光景だった。
「諒ちゃん!」
「うおっ!」
いきなり飛び起きた梅宮にびっくりし、激突しそうなところを反射的にギリギリで避けた。
「何やってるんだよ。ウケ狙い?」
「違うよ! 絶対何かいたよ、そこに!」
梅宮は躓いた床を指さした。
「そんなわけないでしょ」
一応、周囲の床を見渡してみた。何もなかった。
「ほら、何もないじゃん」
「まぁ、気にしないのが一番だよ」
「いや、梅宮が気にしてたんじゃ……」
梅宮って、こんなに騒がしかったっけ、と思いながら、制服のズボンのポケットからスマホを取り出した。ディスプレイには、現在の時刻と、その背景に、じいちゃんと僕の二ショットが映し出されていた。
中学生の頃、じいちゃんと行った、夜桜山で撮った写真だった。夜桜山は、名前の通り、夜桜が綺麗で有名だと、じいちゃんが言っていた。なぜか、その割に観光客はいなかった。夜にスマホのインカメラで撮ったせいで、肝心な夜桜は綺麗に写っていなかったけれど、僕の無邪気な笑顔が、我ながらイケていた。じいちゃんの笑顔も、イケている。要するに、二人ともかっこよく写っていた。
じいちゃんとの二ショットを、スマホのロック画面に設定している高校生が、僕以外にどこにいるのだろうか。いたら教えてほしいくらいだ。
じいちゃんが入院して、何となくロック画面の背景を変えた。特に理由という理由はない。
「なにそれ、おじいちゃんとの写真?」」
梅宮は僕のスマホのディスプレイが目に入ったらしく、もっとちゃんと見せてという風に、顔を覗かせてきた。
梅宮の目の色が変わった。眉間にしわを寄せるようにして、軽く目を見開いていた。表情が固まったままぴくりともせず、見てはいけないものを見てしまったという表情だった。
「梅宮? まさか、僕の家族愛がやばすぎて引いてるのか?」
「いや、そうじゃなくて、後ろに映ってる……」
僕はその言葉に背筋が凍りかけ、言葉を挟んだ。
「梅宮? まさか、幽霊でも写っているのか?」
心霊写真をロック画面にしていたのだと思い込んだ僕は、身が震えた。呪われたらどうしよう? もしかしたら今すぐ後ろに何かがいるのではないか? 妄想が止まらず、身震いしている僕を無視して、梅宮がつぶやきながら、僕のスマホのディスプレイを指さそうとする。
「ここ……」
梅宮の表情も、言動も、僕の恐怖心を煽る。梅宮の言葉を聞いていられなくなった僕は、言葉の続きを遮るように、話題を変える。
「う、ううう、梅宮ぁ! ここ、夜桜がすっげえ綺麗なんだよ! 今度一緒に見に行こうぜ!」
恐怖心を隠し切れず、明らかに取り乱している様子で立ち上がり、叫んでしまった。
教室がざわめいた。「なんだデートの誘いか?」「大胆だな」なんて声が聞こえてきたのが、少々心苦しかった。弁当を食べ始めている連中なんかは、一瞬箸の動きを止めたりもした。だが、それほど僕に興味を持つ人間が、このクラスにいるわけがないので、一瞬でいつも通りの昼休みの時間へと元通り。
「そう、僕は凡人だから。スクールカースト的に言っても、中の下、いや、下の下か?」
ははは、とやる気なく笑って見せる。
「諒ちゃん? 頭大丈夫?」
とうとう頭がおかしくなってしまったのかと、梅宮に心配されてしまった僕は、遣る瀬無くなって、素直になろうと思った。
「ごめん、僕、苦手なんだ、そういうの」
うなだれながら椅子に座ると、梅宮が吹きだした。
「諒ちゃん、笑える。取り乱しすぎでしょ。苦手って何が苦手なの?」
すごく馬鹿にされている気分だった。どれだけ僕が怖いものが苦手なのか、この女は分かっていないと思った。この歳にもなって、ホラー番組でも見た日には、一人で風呂にも入れない。それくらい無理だった。
「諒ちゃん、勘違いしてる」
「え?」
「その写真を撮った場所、夜桜山でしょ?」
「知ってるの?」
「知ってる。まあ、とりあえず、それだけ。別に幽霊が写ってるとかじゃないから安心して。諒ちゃん取り乱しすぎだよ~」
梅宮は近所のおばちゃんみたいに、手首を折り曲げて、僕を仰いだ。
僕の勝手な勘違いだった。それにしても、先ほどの梅宮の反応は尋常ではなかった気がするが、僕の勘違いだと言っているのだから、そう思うことにした。