夢無き少年 ‐3‐
「諒ちゃん~」
翌日の昼休み、机に突っ伏して寝ていた。
授業がいつの間にか終わっていた。どうやら爆睡していたようだった。
顔を上げると口元がよだれで濡れていることに気が付き、慌てて手で拭う。
「諒ちゃんきったないね~」
「うるせえよ」
鼻に手を当ててクスクスと笑う梅宮に、やる気なく言い放った。
教室の丸い壁掛け時計に目をやると、時計の針は十二時半を指していた。
「もう昼? やっべ、相当疲れてたわ」
「何でそんなに疲れてるの? 諒ちゃん最近真面目に授業なんて聞いてないし、寝てるか、ぼーっとしてるだけで、放課後、部活も入ってないのに」
ごもっとも。いや、肉体的な疲労ではなくて、精神的な疲れの方だった。
梅宮は僕の前の席の椅子に座って、体をひねって僕の方を向いた。
「知ってるよ」
「ん?」
「諒ちゃんがそんなに頭を悩ませちゃう理由」
「え?」
寝ぼけていた頭が起きた。
僕が梅宮の目をまっすぐに見ると、梅宮も真剣な目つきでこちらをみた。
「何か言えよ」
なかなか言葉を続けない梅宮に、続きを促す。
「……諒ちゃん、本当に疲れてるね。目の奥に光がないというか、魂ちゃんとここにありますか? って感じの目をしてる」
「どんな目だよ」
梅宮から目をそらす。知ったようなふりをしただけかと、少しだけイラッとした。
「諒ちゃん、今日の放課後空いてる?」
「予定ある」
「なんの?」
「なんでもいいだろ」
梅宮は少しムッとした。
「……病院に行く」
それを答えたら、『なんで? どうして? どこか悪いの? 大丈夫?』なんて聞いてくるかと思ったが、梅宮はそれ以上何も聞いてこなかった。
結局、放課後になって、僕は行き先も分からないまま、梅宮に連行された。梅宮がどうしても連れていきたいところがあると言って、僕のことなど聞いてくれなかった。
連れていかれたのは、駅前の喫茶店だった。僕が良く足を運んでいるところだった。
まさか、女の子と、この喫茶店に来ることになるなんて。なんとなく、マスターに茶化されるような気がした。
とはいえ、ここに来て引き返すわけにもいかないので、梅宮についていく形で店内に入った。
「いらっしゃい。お、麻衣子か。」
マスターが明るく出迎えてくれる。梅宮もこの喫茶店の常連だったようだ。
「今日は二人です」
「お好きな席へどうぞ」
店内には何人かお客さんもいた。
「今日はカウンターでもいい?」
「どうぞ」
梅宮の背後に隠れて姿が見えていなかったのか、マスターがようやく僕に気が付いた。
「あれ? 諒くん?」
「こんにちは」
マスターは少し驚いて僕を見た。
「麻衣子と知り合いだったのか」
「知り合いというか、クラスメイトです」
「へえ、そうだったのか」
カウンター席に腰かけると、いつものように注文をする。
「僕、いつものお願いします」
「ホットコーヒーをお願いします」
梅宮の顔を見た。涼しい顔してホットコーヒーを注文する梅宮を目にして、コーヒーを飲めない自分が恥ずかしくなった。
「まって、やっぱり……」
言いかけてやめた。ここで変更したら、おそらく、『いつも何飲んでるの?』って突っ込まれるだろう。それこそ気まずい。
「すみません、なんでもないです」
マスターは察したようで、小さく鼻で笑った。
僕は梅宮に話しかけた。
「梅宮もここによく来るのか?」
「うん。というか、マスターは私のおじさんなの」
「おじさん?」
マスターがコーヒーを淹れながら口を挟んだ。
「麻衣子は、俺の姪だよ」
「諒ちゃんこそ、おじさんと知り合いだったんだね」
梅宮は頬杖を突きながら、僕を見て言った。
「まあね。昔、じいちゃんがよくここに連れてきてくれたから」
「おまたせ」
鼻の奥がキュッとするような苦い香りが漂う。真っ白いカップに入ったホットコーヒーが梅宮の前にだされる。続いて、僕の目の前にホットミルクがだされる、はずだった。
マスターの顔をみると、しーっと、人差し指を鼻にあてていた。さきほどの一瞬のやり取りで、僕の思いを察してくれたのだ。ナイス、マスター。
梅宮は、砂糖やミルクでコーヒーを自分好みにカスタマイズしていたので、マスターとのやり取りには気づかなかった。
僕は梅宮を真似して、瓶のようなものに入った角砂糖を、シュガートングで一粒挟むと、ぽちゃんとコーヒーの中に落とした。
「諒ちゃん。砂糖はスプーンの上にのせて、ゆっくり沈めるんだよ」
梅宮に注意されてしまった。まるで、コーヒー初心者だと言われているような気がした。
マスターが笑いながら、僕の代わりに答えた。
「上品に味わうならそうだけど、なんでもいいよ、ここでは」
僕はほっとして、スプーンで少しかき混ぜると、コーヒーを口にした。
舌が縮こまり、顔が少し歪んだ。
やはり、僕の体はコーヒーを拒絶した。
「あれ、やっぱりコーヒー飲めない人じゃん!」
「え?」
梅宮が少し微笑んでそう言った。
「おじさん、意地悪だなあ」
なぜか梅宮には見透かされていた。
「やっぱり諒ちゃんだった! ホットミルクの常連客って、諒ちゃんでしょ?」
マスターは梅宮に僕の話をしていたようだった。
マスターは少しびっくりした様子で、口を開いた。
「麻衣子と諒くんが、まさか繋がりがあったなんて思わなかったよ」
コーヒーを飲めないことが、飲める女の子にばれてしまったことは、少しだけ恥ずかしかったが、そんなことはどうでも良くなった。というか、そもそも、コーヒーを飲めないことの何が恥ずかしいというのだ。
それよりも、僕の話をしていたということに驚いた。
「この前諒くんが、じいちゃんが入院したっていう話を知らせてくれた日、あの後、麻衣子がうちに顔を出しに来たんだ。俺も浮かない顔してたらしくて、何かあったのか? って麻衣子に心配されちまって」
それで僕の話をしたのかと、理解した。
「事情を説明したら、もしかしたら諒くんのこと知ってるかもって言ってたんだが、まさか諒くんが麻衣子の友達だったとはね」
マスターはそう言うと、僕が口をつけたコーヒーを片付けようとした。僕は慌てて止めた。
「もったいないんで、全部飲みます」
「君はこっちでしょ」
マスターは、ホットミルクをだしてくれた。
「勝手に事情を話してすまなかった」
軽く詫びをいれるようにして、飲めなかったコーヒーとすり替えた。
梅宮はコーヒーを一口喉に流しこむと、口を開いた。
「その人の特徴を聞いたらね、コーヒーが飲めない人って言ってたんだけど、コーヒーが好きとか嫌いとかいう話なんてしたことなかったし、いきなり諒ちゃんに、おじいちゃんが入院したんだって? って声かけるのも変かなって思って、今日ここに連れてきたの。確信を得るためっていうのもあったけど、おじさん含めて直接話したいなって思って」
僕の事情を梅宮に話されたところで、腹を立てることはなかった。それが別の誰かであったとしたら、分からないけれど。
「大丈夫です。僕がコーヒーを飲める、飲めないに関しては、正直どうでもよかったと思いますが、今こうして、大切なクラスメイトの梅宮が、大好きな喫茶店のマスターの身内だと知って、なんだか嬉しいです」
大切なクラスメイト、と言われたことが嬉しかったのか、梅宮が少し頬を赤らめた。口元が歪むのを誤魔化そうと、上下の唇を合わせ、力を入れる仕草をした後、コーヒーを口にした。僕は、ホットミルクを一気に飲み干した。
「僕、そろそろ行きますね」
僕は立ち上がると、梅宮が引き止めた。
「諒ちゃん、あんまり一人で抱え込まないでね。なんでも相談して」
その言葉が、すごく心に染みた。気持ちが軽くなる半面、同情されているようで辛かった。