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鶏群の一鶴  作者: 岸李ヒロ
10/12

お口に詳しい人 ‐5‐

気づけば、じいちゃんの病室に行かなくなってから一か月が過ぎていた。病室にぱったりと顔を出さなくなっていたことを、水上さんには知られていた。じいちゃんが話したのだろう。

学校からの帰り道、久しぶりにいつもの喫茶店へ立ち寄った。マスターは僕の顔を見ると、少し驚いた表情で僕を見た。カウンター席へと促されると、僕は席に着き、いつものを注文した。ホットミルクを出されると、僕はマスターからお叱りを受けた。お叱りというよりも、僕らのことを心配している気持ちの方が強く伝わってきた。

「水上さんが、心底呆れてたぞ」

「何に対してですか」

「諒がじいちゃんに喧嘩吹っ掛けるから」

「喧嘩なんて吹っ掛けてません」

 マスターは困ったような表情で笑っていた。 

おそらく、じいちゃんから話を聞いた水上さんは、先日の、じいちゃんと僕の病室での出来事を、大きく盛り上げて、マスターに話したのだ。もしくは、じいちゃんが僕とのことを水上さんに、盛った話をしたかのどちらかだった。いや、マスターがふざけて言っているだけかもしれないとも思った。何はともあれ、面倒なことになった。

「そういえばこの前、例の姉ちゃんが来たんだが、諒と連絡が取れないって嘆いてたぞ。連絡先も知らなければ病院にも来ないし、もし諒がここへ来たら、連絡するように伝えてくれって」

 マスターは後ろの棚の小さな引き出しのようなところを開けると、小さい紙切れを取り出し、僕に渡してきた。

「はいよ」

 マスターから手渡された、二つに折られた小さな紙切れを広げると、携帯電話の番号らしきものが書かれていた。

「ここに、電話掛けろってことですか?」

「そういうことだな」

 しばらく現実から目を背けていた僕は、水上さんに連絡することに躊躇いがあった。きっと頭ごなしに怒られるような気がした。呆れていたなんて聞いたら尚更だ。

「わかりました」

 僕は、電話番号の書かれた紙切れを制服のズボンのポケットへと突っ込むと、ホットミルクを一気に飲み干した。まだ少し熱かった。

「ごちそうさま」

「飲むの早いな!」

 僕は席を立ちあがると、通学鞄から財布を取り出した。

「まだ来たばかりじゃないか。もう少しゆっくりしていきなよ」

 僕は首を横に振ると、マスターはそれ以上引き止めはしなかった。

 会計を済ませた僕は、まっすぐ帰宅した。じいちゃんが入院している為に、実質一人暮らし状態だった僕は、心細さはあるものの、不自由は感じていなかった。むしろ、自由だった。手伝えとも掃除しろとも言われることなく、好きな時間に自分のしたいことができた。

 幼い頃から両親がいなかった為、母が作る美味しい手料理を囲んで、食事をした記憶はなく、家の近くのスーパーで、お惣菜を買ってきて食べるような生活だった。家事も僕とじいちゃんでこなしていた。

 僕は帰宅すると、部屋の電気も付けず、ソファーに腰かけ、制服のポケットから紙切れを取り出した。カーテンが閉められた薄暗い部屋の中で、紙切れに記載された番号をスマホに打ち込んでみる。そこまではよかったが、発信ボタンをなかなか押せないでいた。

しばらく画面を見つめていると、画面の明るさが少し暗くなったタイミングで、やっとの思いで発信ボタンを押した。そもそも、電話自体得意ではない。

三コール聞いて、電話に出ないかもしれないと変な期待をした。良いのか悪いのか、少し安心してしまうような心持ちで、四コール目を聞いた。そんな僕の期待は見事に外れ、電話の向こう側から、声が聞こえてきた。

「はい」

 電話が繋がってしまったからには仕方がない。僕は対応することにした。

「あの、水上さんですか?」

「あ、諒くん? 誰かと思った」

「はい、そうですけど」

「今どこにいるの?」

「家です」

「そう……」

 しばらく沈黙が続いてしまった。程なくして水上さんが発言した。

「諒くん、もう顔を出さないつもりなの?」

「うーん、そのうち……」

 電話の向こう側で大きな溜息が聞こえた。

「あのさ、幼い子供じゃないんだから、いつまでもうじうじしてないで、しっかりしなよ」

 彼女は強めの口調で言った。

「うじうじなんてしてません」

「してるよ」

「してません」

「してる」

 僕はそれ以上の争いは無意味だと思い、話題を変えた。

「そんなことより、水上さん元気ですか? 仕事忙しいですか?」

「まぁ、ぼちぼちです……って、話逸らさないでくれる?」 

「すみません」

「今、臼井さんのところに行ってきた帰り道なんだけど、よかったらご飯でも食べにいかない? どうせまだ何も食べてないでしょ?」

「食べたので大丈夫です」

 僕はなんとなく水上さんに会いたくなくて、咄嗟に嘘をついた。

「じゃあ、私が食べてるとこでも見ててよ。話あるから、いつもの駅前の喫茶店の近くのファミレスで待ってるね」

「えー、帰ってきたばかりなん……」

「言い訳とかいいから、うじうじすんな! 男だろ!」

 ツ❘❘、ツ❘❘、ツ❘❘。

 一方的に言われ、電話は切れてしまった。

 どうしようもなくなってしまった。

掛け直して「行きませんからね!」と言うのも、聞き訳がない子供のようで、余計に馬鹿にされてしまうような気がした。かといって、このまま無視をして行かない選択も、それはそれで水上さんに更に呆れられてしまうだろう。ひとまず僕は、私服に着替えることにした。適当にあったTシャツにジーンズを履いて家を出た。

 最寄り駅に着くと、電車に乗り、来た道を戻る。

 話があると言っていたが、いったい何の話だろうか。そんなことを考えながら、一五分程揺られて駅へ到着すると、ファミレスへと向かった。駅前にファミレスは一つしかないので、すぐに分かった。

 店内に入ると、店員さんに声をかけられたが、タイミングよく、ドリンクバーを取りに来た水上さんが目に入った。

 僕は店員さんに、待ち合わせをしている迄を伝えると、静かに去っていった。

「お久しぶりです」

 僕に声をかけられた彼女は、ドリンクバーのホットコーヒーを注ぐボタンを押して、こちらをちらりとみた。小包装にされた砂糖やカップミルク、ティースプーンを手に取りながら、僕に向かって言った。

「奥の席」

 陣取っている席の場所を、口頭で簡単に説明されたので、店内を見回す。それらしき席が見つかったので、先に向かうと腰を下ろした。

 ホットコーヒーを手に持ち戻ってきた水上さんは、テーブルに飲み物を置き、腰を下ろした。

「元気だった?」

「……ま、まぁ」

 彼女はマグカップの中に砂糖やミルクを入れ、スプーンで混ぜると、一口飲んだ。

「呆れてますよね?」

「呆れてるっていうか、まあ、そうなんだけどさ」

 彼女はコーヒーをまた一口飲んだ。

「どういうつもりなのかなと思って。私が頼んだこともできなければ、病室に顔さえ出さず、行き付けであろう喫茶店にもいない。あなたはいったいこの一か月、何をしていたの?」

 予想通りの展開だった。電話の切り方が乱雑だったことから考えれば、怒られることは想像できた。怒鳴りつけられる様子はないが、僕の行動に対する怒りのような、呆れているようなものが秘められているようだった。口調こそゆっくりと落ち着いているが、逆にそれが僕を威圧した。

 言い訳をしたい気持ちを抑えると、僕は言葉が何も出てこなかった。

「諒くんに何かあったんじゃないかって、心配したんだから」

「え?」

 水上さんが予想外のことを口にしたので、僕は少々驚きを隠せなかった。

「変な事故に巻き込まれたりとか。じいちゃんもマスターも皆、心配してたんだからね」

まさか心配されていたとは思っていなかったので、不甲斐ない気持ちになった。そして徐々に申し訳ない気持ちが芽生えてくる。じいちゃんや水上さんに対してはもちろん、喫茶店のマスターにも。

僕はなんと答えていいか分からないでいると、僕にとって都合のいいタイミングで、店員さんがハンバーグを運んできた。夕飯は食べた、なんて嘘をついてしまったことを後悔した。目の前に置かれるハンバーグが熱いプレートの上で、ジュージューと美味しそうな音を奏で、僕の胃袋を狙い撃ちしてきたのだ。

「何?」

 僕は無意識に、ハンバーグに目を奪われていたようで、水上さんが警戒の目つきで僕を見た。

「いや、何でもないですけど」

「じゃあ、そんなに見ないでくれる? 食べ辛い」

「水上さんが言ったんじゃないですか。私が食べてるところでも見ててよって」

「あー、そうだっけ」

 彼女は静かにハンバーグを食べ始めた。対して、僕の胃袋は大人しくなかった。いい具合の音を漏らしてしまったのだ。

「ん? お腹空いてるの?」

「いや……」

「まさか、ご飯食べてないの?」

「いや……」

「はー」

 彼女は小さな溜息をつくと、テーブルの端っこに置いてある呼び鈴を押した。

 すぐに店員さんがやってくると、水上さんはハンバーグをもう一つ注文した。店員さんは、注文を復唱すると、速やかに去っていった。

 僕は、現状を理解していないという顔をしていたらしい。

「まさか、ハンバーグ食べられないとかいうのは無しね?」

「食べられますけど……」

「諒くんがなぜ嘘をついたのかは分からないけど、ご飯はちゃんと食べないとだめよ? 育ち盛りでしょ」

 彼女は苦笑いを浮かべながら、僕を気遣ってくれた。なんだか小恥ずかしい思いだったが、彼女のおかげで地獄を味わうことにならずに済んだ。空腹だというのに、目の前で食事を見ているのは、僕の胃袋があまりに可哀相だった。

「すみません、ありがとうございます」

「いいえ」

「あの、すみません、ご心配おかけして。じいちゃん、元気にしてますか?」

「自分の目で確かめたら?」

 彼女は目も合わせずに、そう答えた。ハンバーグを口に運びながら言うので、感情が読めなかった。

「じいちゃん、一人にしてくれって言ったんです。そのまま、じいちゃんに会う勇気が出なくて、気づいたら時間が経ってました」

「時間が経ち過ぎちゃったね」

 彼女の言い方は優しかった。僕を責める様子はなく、朗らかに言った。

「……というか、諒くんさ、臼井さんの言葉をいちいち気にしすぎなんだよ」

 気にしないなんて無理だった。僕はそういう人間だった。

 水上さんは強い人間なんだろうなと思った。水上さんの過去や強い想いを聞けばなおさらだった。

 ふいに、水上さんに神社に連れて行かれた時のことを思い出した。

「そういえば、水上さんがじいちゃんに初めて会った時のことですけど……」

 僕は何となく気になっていたことを口にした。

「水上さんって、じいちゃんと親密な関係ですよね。それには何か深い理由があるんですか?」

「親密って」

 彼女は口元を押えて笑った。

「臼井さんと私に、変な深い関係があるとでも?」

 彼女は笑顔のまま首を振ると、笑いをこらえきれなかったようで、吹き出した。幸い、口の中には何も入っていなかったので、周囲が大変なことになる事態は防げた。

 僕は特に変な意味で質問したわけではなかったが、水上さんには、変な解釈をされてしまったのか、笑いが収まらないようだった。

「ごめん。諒くんが突然変なことを言うから、びっくりしちゃって。そう、親密に見える? 別に、普通だと思うんだけどなあ」

「何故、あの人気のなさそうな神社に、二人がいたんですか?」

「それ、気になる?」

 僕はうなずくと、彼女はハンバーグを口に運んだ。最後の一口まで食べ終えると、コーヒーで流しこんだ。ハンバーグとコーヒーって、どんな組み合わせだよ、なんて思ったが言わなかった。

「私は、前に話した通り色々あって、平凡な生活を送れたらそれでいいって思って、あの神社に参拝に行ったの」

 僕は彼女が過去について話してくれたことを思い出す。

「そしたら、私より先におじいさんが参拝しているのが目に入って、神様に向かって何か深刻そうに話していたの。それが臼井さん。それで、気になっちゃった私は、木陰でこっそり聞いちゃったんだよね」

 彼女は、追加のコーヒーを取りに行こうと、マグカップを手に持つと席を立った。なんとも絶妙なタイミングだった。テレビ番組で続きが気になってしまうタイミングで、コマーシャルをいれてくるようなのと同じで、水上さんの話の続きが気になって仕方なかった。

 程なくして彼女が戻って来ると、続きを話してくれた。

「まぁ、その盗み聞きしてたのが気づかれてしまったの。それから色々と話しているうちに、うちのクリニックに普通に患者さんとして来てくれるようになって、だからまあ、他の患者さんよりは思い入れがある患者さんかな」

 話をうまくまとめられてしまったが、僕は重要な部分を聞かないことはできなかった。

「じいちゃんが話していた内容って、何ですか?」

「えっと……」

 彼女はとても言いにくそうに目を泳がせた。そんな様子をみたら益々気になってしまう。

「それはね、私の口から言うことじゃないと思うの。とりあえず私から言えることは、臼井さんは、諒くんのことをすごく大切に思ってるよ。だから、会いに行ってあげて」

 それ以上は聞けなかった。とにかく、じいちゃんに会いに行こうと思った。


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