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可愛いおじさんになる為に  作者: きりん後
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中年男性の淡い恋。『可愛いおじさん講習』とは

『第一講習』



 地図を印刷した紙を持ちながら、しばらくの間俺は施設の前で逡巡していた。


 この建物で間違いない筈だが、入るのに気が引ける。


 周囲を見渡すと、自分と同じような中年男性が何人かいた。建物に入ることを躊躇っていたり、こちらの視線に気が付くと直ぐに目線を逸らす様子から、同じ目的でやって来た人たちだと確信した。


 中には挫折して帰ってゆく人もいたが、少しの躊躇もなく建物に入ってゆく俺たちより明らかに年上の男性がいた。こんな年上の先輩参加者がいるのかと勇気付けられ、俺たちは意を決して建物に入った。


 俺の脳裏には吉沢さんが浮かんでいた。彼女をものにするとは言わない、少なくとも気に入られる程度にはなりたい。


 しかし入ったのはいいものの、受付に人はいなかった。身を乗り出して受付の奥の職員室を見た人の言うには、職員室にも誰にもいなかったそうだ。参考にしようと先程の年上の男性を探したがもう姿がない。代わりにその男性と同じ年くらいの女性が廊下を曲がってこちらに姿を現した。


「すいません、職員の方でしょうか?」


 俺たちの中の1人が尋ねたが、「参加者です」と言って去って行った。女性向けの講習があるとは聞いていなかったがどうゆうことだろうと首をかしげていると、俺たちの先頭の人はもう廊下を曲がって建物の散策を始めている。


 廊下に沿っていくつもの部屋があった。俺たちはそれを順番に眺めていった。


 1つ目の部屋では、講演者らしき若い男が講壇に立ち参加者たちに向けて授業をしている。


 2つ目の部屋では、くたびれたスーツとメイクセットが部屋の端に連なって置いてあり、参加者たちが着替えたり化粧したりしている。


 3つ目の部屋は、また普通の部屋の作りになっており、参加者たちが横並びになっている。


 4つ目の部屋は、会社のオフィスのような作りになっており、若い女性たちが社員の格好をしている。その間で参加者が一人ずつ前に出ているようだ。


 それからもずっと部屋が奥まで続いているのだが、俺たちの散策はそこで止まった。


「あ、本日15時からのご予約の皆様でお間違えないでしょうか?」


 若い男性職員だ。「そうですが」と少し憮然とした態度で俺たちの内の一人が応える。その気持ちは俺にも分かった。


 しかし悪びれた様子もなく、若い男性職員は1つ目の部屋を開けて中の職員の何やら会話をし始めた。「少々お待ちください」という言葉通りにそれから数分経ってようやく1つ目の部屋から参加者が廊下に出て来た。それと同時に、2つ目、3つ目以降の部屋からも人が出て来て、皆一つずつ奥の部屋に移動した。成程、講習は奥の部屋に行く程進んでゆくというシステムか。つまり全ての部屋が渋滞を避ける為にオンタイムで始まり終わらなければいけない。


 特に初めての参加者は社会人の常識に乗っ取って早めに到着する。時間丁度に来るように案内するなど、改善すべき点がありそうだと思いながら、しかし無料の講習ということもあり、郷に入っては郷に従えと黙って俺たちは1つ目の部屋に入った。


 長テーブルが何列か配置され、それに準じた数の椅子が並べられている、普通の講習所である。


 講壇に立った若い職員は自己紹介も早々に、講習を開始した。まず彼は黒板の上部に貼られている、「可愛いおじさんを目指すセミナー」という紙を指さした。


「本日は当セミナーにご参加いただきまして有難う御座います。皆さんには何日間かに渡ってマスコット的な可愛いおじさんになっていただこうと思います」


 俺たちは神経を尖らせていたが、若い男性職員に「若い女性にモテる為だけに休日にわざわざ時間を作っている哀れな年配の男たち」という嘲笑の気配は感じられなかった。彼の口調はあくまで淡々としていた。


 若い職員は、俺たちの何人かに、「可愛いおじさんとはどうゆう人だと思います?」と聞いた。「丸々としていて、隙があるというか・・・」「子供っぽいところがある人ですかね」と顔を赤らめながら当てられた人は答えた。その傾聴の姿勢にも嗤いを潜めている感じはなかった。ただ彼は事務的に、「成程成程」と合槌を打ちながら黒板に山なりの線を描いた。彼はその山なりの線の底と頂点に横向きの線を引き、その2本の左端に左右を反転させたくの字を書いて左向きの矢印にした。そしてそれぞれに一定間隔で短い縦線を引いた。その一定間隔の短い縦線は目盛りだった。それらに若い職員は右から順番に10、20、30と数字を書いてゆき、最後を80とした。目盛りは30~40辺りが山のてっぺんになるように書いてあった。


 彼はそのグラフを元に話始めた。


「確かに印象的にはそうです。しかしもっと深く追求してゆくと、このようなものになります。これは男性が一生の内に培ってゆく社会的能力の線です。このように、男性は30代、40代辺りまで社会的能力を伸ばしてゆき、体力の衰えと共に低下させて行きます。一昔前は、この社会的能力が女性たちにとっての男性の魅力でした」


「現代の女性も社会的能力を求めていると思うのですが」


 1人が不服そうな貌で質問したが、若い職員は至って冷静だった。


「確かに元々女性という生き物は本能的には出産し易く、子育てをし易い環境を求める為、それを提供してくれる社会的能力を持った男性に惹かれます。しかし女性の社会進出が進んだ現代、女性は自分だけで環境を整え易くなっており、男性の社会的能力はそこまでの魅力としては彼女たちの目に映らないのです。寧ろ社会に生きる女性はそこでの生活に疲れてしまっている。そこはまだまだ女性の生き辛い男社会で、頭打ちの経済成長による惰性的空気が漂う空間です。社会で疲弊した女性たちにとって『社会的能力』という言葉を聞かせるのは休日に仕事に関する連絡をするようなものです。ですから彼女たちは社会的能力とは別の部分で男性に惹かれるようになっているのです。それが・・・」


 若い職員はそこで、山なりの線の山の部分に「社会的能力」と書き、空いた谷の部分を斜線で塗ってそこから伸ばした線の先に、「母性本能をくすぐる可愛げ」と書いた。


「これです。『母性本能をくすぐる可愛げ』。これは社会的能力とは相反する要素です。この二つ要素は『だからこそ』という言葉で関係し合うことができます。例えば想像してみてください。子供時代、社会的能力はない、『だからこそ』母性本能をくすぐる可愛げがあります。社会人になり若手時代、社会的能力はまだそこまでない、『だからこそ』母性本能をくすぐる可愛げが残っている。中堅時代、社会的能力はある、『だからこそ』母性本能をくすぐる可愛げがない。初老時代、体力の衰えと共に社会的能力がなくなってゆく、『だからこそ』」


 そこで1人が質問をした。俺と同じように50歳頃から社会的能力が無くなってゆくという一言が納得できなかったようである。


「国会中継に出ているのはほとんどじいさんですけどね」


 部屋中に低い笑い声が響いた。その笑いに若い職員は悠々と加わり、


「しかし寝ている国会議員も多くいますよね」


 と返した。また笑いが起きたが、皆どこか表情が硬かった。


「いつかは皆明らかに働き盛りではなくなります。階段が辛くなり、酒が弱くなり、書類の文字がぼやけ・・・とにかく全盛期の功績によって、あるいは年功序列によって社会的地位は上がるかも知れませんが、総合すると社会的能力が低下するのは事実です。政治家の才能は体力だとも言いますから高齢でも働ける人もいるのでしょが、誰もが70、80まで働けるわけではありません。とにかく・・・」


 若い職員は再び図を指差しなぞった。


「このように社会的能力は山型に、逆に母性本能をくすぐる可愛げは谷型になっています。そして社会での生活に疲れた女性によって、女性が昔から男性に対して抱いていた『可愛い』という、赤ちゃんやおじいちゃん等社会的能力の魅力を感じ得ない年齢層にのみ感じていた気持ちの対象が若い男性、中年男性にも広がって来ているわけです。近年の『おじさん可愛い』という風潮はここに起因しているわけです」


「ということは、若い男の子も可愛いということでしょうか?」


「そうですね、『男の娘』という言葉を聞いたことある方もいらっしゃると思います。一昔前なら女装癖と忌み嫌われた人たちも、現代では『私よりも可愛い!』や『メイク参考にしたい!』等と言われます。女装をしないまでも女性性を持っている若い男性は沢山います。彼等の変化も子孫を残す為の生存戦略といえるかも知れません」


「ということは我々も?」俺たちは久しく意識していなかった自分の生殖が関係しているらしいと、各々の内に秘めながらも色めき立った。


「確かにそうですが気を付けなければいけません。何故なら先程も申し上げた通り、女性が本来魅力的に感じる社会的能力は男性の男性性の部分であり、母性本能をくすぐる可愛げは男性の男性性を廃した部分ともいえるからです。つまり母性本能をくすぐる可愛げを女性にアピールする際は自分の男性性を隠さなくてはならない。矛盾している表現かも知れませんが、セックスアピールをしないことがセックスアピールとなるのです」


「我々の若い頃とは随分変わっているというか・・・」「ねぇ」「普通に口説いていましたから」「当時はアッシー君とかメッシー君とかねぇ」参加者たちの間にはいつの間にか和気あいあいとした空気が流れている。


「そこで皆さんにはまずこの講習の心構えとして」


 職員は黒板に大きく文字を書いた。


「『マスコットのような可愛らしさ』。これを意識してください。照れてしまう気持も分かりますが、着ぐるみを着ている様なイメージでやっていただければと思います。あくまでも男性性は中に隠して、誰からも愛されるようなマスコットをクレバーに演じてください。それでは皆さんで『ヒガムカセ』の合言葉を言いましょう。『ヒガムカセ』とは、女性の母性本能をくすぐる可愛いおじさんの条件五つの頭文字を並べたものです。一つずつ言いますので復唱してください」


 職員が黒板に書きながら発した声に俺たちの低い声が続いた。


「ヒ、人当たりが良い!」


「ヒ、人当たりが良い!」


「ガ、ガツガツしない!」


「ガ、ガツガツしない!」


「ム、無邪気!」


「ム、無邪気!」


「カ、可愛らしい見た目!」 


「カ、可愛らしい見た目!」


「セ、清潔感がある!」


「セ、清潔感がある!」 


「ヒガムカセ!」


「ヒガムカセ!」


「ありがとうございます!」


 そう言って職員が拍手すると、参加者は、「ありがとうございます」とワザと要らないところまで復唱して拍手した。部屋には笑いが包まれた。


「少々お待ちください」と言って職員は廊下に顔を出した。他の部屋での講習の進み具合を確認したらしく、「ではご移動ください」と俺たちを2つ目の部屋に案内した。


 背後には先程の俺たちと同じように初参加のグループが待機していた。その表情には固いしこりがあり、講習を受けることへの自虐的な気持が含まれていることが分かった。しかし今の俺にはその気持ちはなかった。「生存戦略としてクレバーにマスコットを演じる」という理論がそれを払拭したのである。


『第二講習』


 俺たちは奥まで長く続く廊下を少しばかり進んで、2つ目の部屋に入った。最初に見た通り、2つ目の部屋には衣装やらメイクやらが壁に沿って置かれていた、新しい発見は、簡易的な行為室が手前の端にいくつも設置されていることだった。


 部屋が変わったからといって、担当する職員が変わるわけではないようだった。移動の完了を確認した職員の号令で、数分間の休憩に入った。各々トイレに行ったり飲み物を購入したり、中には熱心に職員からの予習を受けようとしている人もいた。 


「マスコットになろう!」


 休憩後職員が張り出した第二回の講習のタイトルに、俺たちは矢張り照れ笑いを隠せなかった。


「まず格好から入るのは世の碇石です。学校にも職場にも制服があります。そして制服は自他ともに認められるライセンスです。自分に自分が組織に属する人間であり、またその道のプロであることを自覚させ、組織の規律を守らせクライアントの為に精一杯の奉仕をさせる力があります。また組織外の人間からもそのような認識を持たれ、その認識に相応しい行動を求められます。要するに、ちゃんとした格好をすると、『アガる』わけですね」


 そして職員の号令の元、俺たちは各々に合うと思われる服を自由に選んだ。「自由」といってもスーツは一様に地味で、どこかくたびれたもので、違いといえばサイズくらいだった。俺たちは口々に覚えたての「ヒガムカセ」を唱えながら服を選んだ。  


 時折、「小柄な方は若干大き目、大柄な方は若干小さ眼を選ぶのがポイントですよ」という職員からのアドバイスがあった。どうやらその方が可愛げがあるらしい。


「選び終わった方は試着室へご移動ください」


 片手に服を持った参加者が現れると職員がそう促した。「別に男だけですからねぇ」と笑う参加者に職員は案外厳しい口調で、


「その意識ではいけません。意図的にだらしないところを見せるのは有りなのですが、基本的には周囲の視線に気を使ってください。女性は私たちが思う以上に我々のことを、しかもマイナスポイントを見ています。無自覚に嫌悪感を与えていることもありますので、慎重になさってください」


 と言った。参加者はすごすごと試着室に列を作った。


 着終わって改めて鏡を見ると、成程と思った。俺は(中年の中では)中肉中背の方なので、特別大きいものでも小さいものでも無かったが、このスーツはくたびれている割に安っぽくなく、また清潔感がある。俺だけでなく多くの参加者がそう感じたのを察してか、職員が理由を解説した。


「そのスーツは元々比較的高いものを、折り目を付けたり解れさせたり等、あえて少しダメージ加工しているものです。そうすることによって経験値によって備わった社会的能力はあるものの体力的に下り坂を進んでいるという、若い女性が最も魅力を感じる中年男性像を創るのに相応しいものになっております」


 その徹底した仕事ぶりを聞くと、身が引き締まる気持ちがした。職員は次にメイクについて説明を始めた。


「メイクは社会的能力と母性をくすぐる可愛げのバランスの最終調整だと考えてください。まだしっかりし過ぎている方は皺を多めに、だらしなく見えてしまう方は眉をはっきりと描いてください。あと最初に薄く下地を塗るのをお忘れなく。それによって清潔感は大分変わって来ますので」


「皺を増やすんですか?」という声も、「あえて、です」という短い文句に消され、俺たちは慣れない手付きでメイクを始めた。どこからか、「老眼鏡を取ると鏡の自分が見えない」という自虐が聞こえて部屋に笑いがこだました。


 私は元々、比較的薄い顔なので、皺を増やすことにしていた。やはりどこか抵抗があったが、下地を塗ると若返った、というよりは子供っぽい顔になってしまったので、その抵抗はなくなり、額やほうれい線のまだ浅い皺を鮮明にした。


「髪は染めなくても良いんですか?」という質問が出た。職員曰く、そこも最終調整に含めるべきだが、流石に染髪の為の環境は用意できないということだった。しかし俺を含め不満は怒らなかった。俺はスーツやメイクで十分な、いや十分過ぎる環境だと思った。加えてこのような豪華な講習が無料のわけを知りたかった。よっぽど慈善的なスポンサーがついているのか、それとも他の理由があるのか。


 疑念はあったが、それよりも自分の姿が変わってゆくことの高ぶりの方が勝り、意識は小さな鏡に集中した。思えば、自分の格好に気を使うことなど、どれくらいぶりだろう。いつからか外ではスーツ、家ではパジャマ、後は髪を整えていれば良いと考えるようになり、それらが習慣化した時には自分の格好に特別な意識が向くこともなくなっていた。これでは自分が人様にとって不快なことをしていても自分では気が付かないかも知れない。もしかしたら意識しない部分で多大なる迷惑を人に与えていたかも知れない。俺は「おじさん」になるということはこうゆうことかと猛省した。そして自分がこれから気を配らなくてはいけない範囲の大きさに奮い立つ気持ちがした。


 俺たちのメイクは中々終わらなかった。それは後になって気が付いたことだが、皆各々にそろそろ止めた方がいいかも知れないという自制心が働くものの、近くの参加者がまだメイクをしている為自分もいいかとメイクを続け、そうして再開した誰かをまた別の誰かが自分がメイクを続ける免罪符にして・・・というような互いの許し合いがその時間を引き伸ばした。


 職員が止めなかったこともその要因であった。どうやらこうなることを見越して元々多めに時間を確保しているらしかった。それが分かったのは、これも後に冷静になってから気が付いたことだが、スーツを着てメイクをする。という作業だけに一講習時間分、つまり1時間も費やしていることは主催団体側の意図したことだと容易に想像できるからである。


 流石に二つ目の講習が終わる10分前にはそのアナウンスがあった。その頃には皆ミリ単位の調整に入っていたので、俺を含めそれを特別な調子で嘆くものはいなかった。しかし内心では皆その一ミリのこだわりはどうしても諦め切れないようで、休憩に入ってからも鏡に張り付いていた。俺と同じく、皆久しぶりに芽生えた美意識の、その追究しても仕切れない、完成のない世界に熱中していた。


『第三講習』


 三つ目の部屋は、一つ目と変わり映えのしない作りになっており、いたって普通の教室、という印象だった。初めの散策で見てはいたが、もう記憶は薄まっていた。 

 

 代わりわりに、四つ目の特徴的な部屋の印象が強くあった為、三つ目に関しては存在すらほとんど忘れていた。


 肩透かしを食ったような気持のまま三つ目の講習が始まったが、教壇に立った職員が黒板に、再び「ヒガムカセ」と描き、その内のカ(可愛いらしい見た目)とセ(清潔感)に○をしたことで、気持は高ぶった。


「皆さんは既に見た目の問題は解決しており、残りは、ヒ、」


「人当たりの良さ!」皆一斉に言った。


「ガ、」

「ガツガツしない!」

「ム、」

「無邪気さ!」

「そうです」

「そうです!」


 部屋に笑いが響く。


「ここからは内面の問題になって来ます。一つ目の講習で申し上げたマスコットの意識が必要になって来ます。見た目の問題と違い内面は特に意識を向け続けなくてはいけません。自分の一挙手一投足にまで気を使ってください。体の枝葉末節にまで神経を働かせ、演技をしてください。今回の講習ではその為の練習をしていただきます」


 起立の号令があったので俺たちは立った。そして目を瞑るという指示があったのでそのようにした。


「皆さんはマスコットです。そのイメージは各々に知っているもので構いませんが、共通していただきたいのは、『丸っこくて』『ふわふわ』なキャラクターです。それを強く意識し、イメージしてください」


 俺は、明確ではなかったが、「丸っこくて」「ふわふわ」としたキャラクターを想像した。自然と手が動き、自分の周りを包む、そのキャラクターの輪郭を触った。丸い輪郭、ふわふわとした輪郭、丸い輪郭、ふわふわとした輪郭、と繰り返し唱えてゆくと、やがてその脳内で繰り返していた言葉の補助を必要としなくなり、イメージは鮮明になっていった。


 俺の表面に生えた毛は黄色をしていた。どうやら自分は熊のようだった。粒らな黒い目をしており、鼻も黒、そしてその鼻の下から緩やかな「W」の線が伸びており、「W」の中央の山の下から、少しだけ舌が垂れている。


 服はほとんど着ていなかったが、唯一おしめをしていた。端がもこもことした素材のおしめを履いた、熊の赤ちゃんのキャラクター、気が付くと、おしゃぶりもくわえ、ガラガラと鳴る棒状のおもちゃを持っていた。


「皆さんは、マスコットです。これから私が、『目を開けてください』と言います。皆さんはマスコットなので、当然その後もマスコットのまま振る舞います。よろしいですね?それでは皆さん、目を開けてください」


 目を開けた。すると不思議な感覚に襲われた。感覚器官によって自分本来の輪郭は自然と算出されてしまう。しかしイメージの残像によって、自分の周りにもう一つの輪郭があるのである。そして内側からその輪郭越しに世界を見ているのである。


 職員は前から順番に参加者たちの前に立って行った。それに噴き出す参加者はおらず、寧ろこの心地よい緊張感を崩してはならないという奇妙な連帯感が生まれていた。皆各々のキャラクターとして振る舞っていた。


「それでは今から、皆さんに一人ずつ前に出て来てもらって、そのキャラクターのまま私と話していただきます」


 そして端から順番に参加者は教壇に立っていった。職員との会話は日常的な他愛もないものだった。イメージトレーニングの効果が出ているようで、参加者たちは皆同年代の自分の目にも可愛らしく映った。


 俺の番が来た。教壇に立って多くの視線を受けると、職員一人の時と違って緊張が強くなった。しかしその緊張が演技を害することはなく、寧ろ多くの人に見られることによって私は自分が手に入れた外殻はより強固になってゆくのを感じた。


「皆さんが今持っているマスコットの意識は、今日初めてやっていただいているものなので特別な集中力を必要とします。しかし人間とは習慣の生き物です。日常的に演じていればその内に自然と演じれるようになり、やがては体に染みついて演じているという自覚すらなくなってゆきます。これからもなるべく長い時間、その意識を持つようにしてください」


 という言葉で三つ目の授業は締めくくられた。終わった後、参加者同士は今の不思議な体感を口々に話し共有することはなかった。私を含め、皆心地よい体験の余韻を楽しみ、そしてそれを維持しようと努めた。


『第四講習』


 休憩が終わって四つ目の部屋に移動している時、俺たちには緊張感が漂っていた。最初の散策でオフィスのセットを見ていた為、より実践的な講習になることを予感しており、その為のマスコットの演技を絶やさないことを各々が意識していた。


 四つ目の部屋に到着すると、職員はまた、「ヒガムカセ」を黒板に書き、そしてカとセに丸をした後、ヒとガに○を付けた。しかしムには△が付けられた。


「ヒ」

「人当たりが良い!」

「ガ」

「ガツガツしない!」

「ム」

「無邪気!」

「カ」

「可愛らしい見た目!」

「セ」

「清潔感!」

「そうです」


 今度は、「そうです!」というお茶らけの反復はなかった。


「この講習では、皆さんにより実践的なトレーニングをしていただきます。ちなみに今日のやっていただく講習はこの部屋で終わりとなります。そして今日だけで皆さんは『可愛いおじさん』の基礎を学ぶことができます。その仕上げとしての講習となりますので、しっかりと取り組んでいただきたいと思います」


 参加者が威勢の良い返事をしたところで、職員は俺たちに再び目を瞑って各々のイメージを固めるよう促した。そしてその暗闇の中で、


「皆さんが眼を開けた時、ここは皆さんが働く職場となっています。そこには皆さんと一緒に働く若い女性が、当然のように居ます。私は口出しをしません。皆さんはあくまでも本日お教えしたことを元に振る舞ってください」


 しばらくの時間が開いた。俺はイメージを固めることに専念していた。暗闇の中で、キーボードを打つ音と紙が擦れる音が聞こえて来た。


「それでは目を開けてください」


 開けると、二人の若い女性が事務社業をしていた。職員が最前列の参加者を黙ったまま立たせ、テープで目印を付けられた位置まで移動させた。そして一呼吸を置いた後、そのラインを越えさせた。


「お疲れ様です」と職員がその参加者に言った。少し硬いところはあるものの、自然に参加者は返事をし、作業に入った。


 若い女性たちは特別多くその参加者に話しかけることはしなかった。そしてその参加者も自分から業務外のことで話しかけることはなかった。俺は内心で「ガ、ガツガツしない」と呟いた。その参加者は若い女性たちとやり取りする時、非常ににこやかに接していた。「ヒ、人当たりが良い」。


 数分間のトレーニングの後、参加者は席に戻った。そしてこちらの緊張感を察してか、ラインからこちら側に戻って来てからも、緊張感から解かれたことによる弛緩を大体的に表すことをしなかった。二つ目の講習による周囲の目への意識が生きていることが分かった。俺は自分の身が引き締まるのを感じた。


 緊張感により引き伸ばされた時間は、俺が自身に纏わせたイメージを屈強にすることに役立った。


 俺の番が来た。ラインに立った時、そのラインを目印にそこにある透明な壁の向こうで若い女性たちは平然とした様子で事務作業をしている。俺はトレーニングをより効果的にする為にその内の一人に吉沢さんをイメージしていた。


 職員に促されラインを越えた。


「お疲れ様です」


 吉沢さんともう一人の女性が黄色い熊の赤ちゃんに挨拶してくる。そのマスコットは張り付いた笑顔でそれに返した。気のせいか、いつも現実世界の女性社員がそうする以上の微笑みが返って来る。


 キーボードを打っている時も、丸いふわふわの背中を意識する。


「これにチェックお願いします」


 振り返ると、吉沢さんじゃない方だった。しかしマスコットはそれらしい対応をする。次に声をかけて来たのは吉沢さんだった。「お茶どうぞ」と脇に置いてくれる。心からの嬉びが溢れそうだったが、「ガ、ガツガツしない」と自分に言い聞かせることによってその喜びはマスコットを越えて外部に発せられることはなく、寧ろその意識がマスコットとしての心からの喜びと変わった。


 吉沢さんからは手ごたえ通りの好意的な表情が返って来た。俺は微笑みがニヤけ顔にならないように注意することに必死だった。思惟が悟られてはいけない。


 トレーニングが終わってラインを越える時、俺はその線が現実と非現実の境界とならないように、それを越える際の歩調を特別なものにしなかった。この感覚を持ち帰る為にトレーニングが終わってからも緊張は続いた。


「本日の講習は以上です。この後皆さんには今回の内容を持ち帰っていただき、各々の生活に役立てていただくわけですが、初めから上手く行くとは思わないでください。先ほどやっていただいたトレーニングで実感されたことと思いますが、今回受けていただいた『可愛いおじさん』の技術の基礎講習は一朝一夕で身に付くものではなく、また技術を発揮できたからといって直ぐに効果を得られるものではありません。しかし焦ってはいけません。そこは大人の余裕を持って悠然と構えていただきたいと思います。また皆さんそれぞれでケースは違いますから、次回いらっしゃった時に個別でご質問いただいても構いません。ちなみに次回はより実践的な応用編となります。次回も参加されたいという方はまたHPからご連絡いただければと思います。それではまた機会がありましたらよろしくお願いいたします」


 職員の挨拶が終わった後、早速職員の周りに人だかりが出来た。それぞれがそれぞれの職場の詳細を伝え、なるべく多くの利益を持ち帰ろうとしていた。


 私も「気になる女性がいるのですが、世代が違う為共通の話題が見つからないのですがどうすれば良いでしょう?」と質問しようとその人だかりに加わったが、職員が、


「皆さん、お気持ちは分りますが、ご質問も応用編も基礎を試してみてからでないと意味がありません。本日お教えできることはお伝えしたつもりですので、とりあえず本日の内容をやってみてください」


 と宥めるので、人だかりは解散した。


 しかしふと気になったので、私は職員の方を向き直った。


「そういえばこの施設に対する個人的な興味による質問なのですが・・・」 

「どうぞ」

「ここの運営費用はどのような組織が出しているのでしょうか?講習が無料ですからこの講習が広告塔の役割でも果たすのかと思ったのですが、チラシ一枚配られていませんし・・・」

「それに関しては、すいません、色々と事情は何となくお察しください」


 職員は、講習の時とは印象の違う、年相応の表情を見せた。私はその貌と、擦り寄って来るような口調によって、


「なるほど、お互いに色々とね」


 と言って質問を止めた。


 荷物をまとめて職員に挨拶をして帰ろうとした時、職員が「特別ですよ」ととある秘策を教えてくれた。俺はまだ△に留まっていた「ヒガムカセ」の「ム、無邪気」を達成する一方法をウキウキとした心持で自宅に持ち帰った。


『薄井さん』


 自宅に帰ると家内はいなかった。手芸教室にでも行っているのだろう。昨日聞き出したところ一人娘の恵子は学生時代の友人とかと会いに行っているらしい。社会人になってからも実家にいることが気にならないでもなかったが、それを追究することはしていない。


 することがなかったので、俺はイメージトレーニングに勤しんだ。より詳細に職場を想像し、イメージを固めてゆく。その想像は吉沢さんとの愛の日々に容易に繋がったが、その地続きの道上の歩みを急いてはならぬと、俺は地道な、臆病ともいえるような、ゆったりとした足取りを心掛けた。


 思えばこういった心臓の高鳴りは久しぶりだった。一つの目標に向かって達成の為に必要な要素を逆算して導き出し、それらの要素を最も短時間で完遂する為の段取りの組み立てを脳内で行い、シミュレーションしてメンタルリハーサルをして実行に移し、結果と状況によって微調整するという取り組みは仕事をする上でしょっちゅう行っていたが、それも慣れていつからか単調作業になっていた。新しい目的とそれに付随する新しい必要な要素を手に入れた俺は高揚していた。


 特に会話がない、テレビの音だけがこだます夕飯時を越えると、リビングで談笑する家内と娘の声を聞きながら俺はまたイメージトレーニングをした。

その夜、寝息を立てる家内と対照的に俺は興奮で中々寝付けなかった。


 

 翌朝、重い体と対照的に鋭く尖った神経を引っ提げて、俺は職場に向かった。エレベーターの中で俺は例のマスコットをイメージした。


 職場は、大小様々なトラブルが起こっていることを含めていつも通りの時間が流れていた。当然のこととして同僚たちは俺を「いつも通りの俺」として認識していた。


 昨日、娘たちが帰って来る前に急いで折り目を付けて少々解れさせていた特別な日にしか着ない高級なスーツに袖を通した俺は周囲から視線を感じる度に喜びを感じた。その眼は特別なものではなかったが、俺の愛想のよい対応は自然と相手の笑顔を引き出した。そうした時に初めて俺はいつもの自分がいかに眉間を皺を寄せていたかに気が付いた。


 他にも平生の自分の振る舞いを返り見る機会はあった。例えばくしゃみをしようとした時、いつも周囲への迷惑よりも大きな破裂音を立ててする方の気持ちが良さが平気で越えていたが、それを猛省した。俺はティッシュうで口と鼻を抑えて押し殺すようにくしゃみをするように努め、「ごめん」と一言付け加えることも忘れなかった。


 普段より長く感じた午前を終えて飯時に入った。食堂に入ると、いつも通り中央の方で女性社員たちが大声で談笑しながら箸を口に運んでいる。いつもであれば「仕事もきちんとしない癖に」と舌打ちをしたい気持ちにもなっていただろうが、今日の俺は違った。寧ろ「元気で言いねぇ」という好意的な感情が溢れていた。そしてそれを本人たちに直接伝えに輪に入ることもしなかった。「ガ、ガツガツしない」。大人の余裕を持つように。会社に着いてから何度も職員が俺に注意していた。


 その職員からの声の影響によって、飯を食べる場所とメンバーはいつもと変えなかった。ただ向かいに座った田中との愚痴合戦は、今日だけは一方的なものになった。


「何か今日機嫌良いな。キャバクラで良い娘でも見つけたか?」


 田中に茶化されたが俺は笑って受け流した。そして田中はそれを怪訝に思っている様子も無かった。


午後の勤務が始まった。我ながら良い調子だと思っていると、吉沢さんがお茶出しついでに話しかけて来た。


「今日はご機嫌ですね」


 飛び上がりたい程嬉しかったが、「まあね、ありがとう」とだけ返した。しかし嬉しい誤算だったが吉沢さんは中々その場を離れず、


「その理由を教えてくださいよ」


 と悪戯っぽい可愛らしい笑顔で追撃して来る。抑えねばならないとは分かっていたが、歯痒い想いがした。青春時代の自分であったら食事に誘う様な反応である。黄色い熊の赤ちゃんはそんなことしないと、「やめてよ~」と精一杯の我慢をしながら言うと、


「後でこっそり教えてくださいね」


 吉沢さんの息が耳に当たった。奥歯がギリギリと鳴った。自分に背を向けて去って行く吉沢さんの背中を名残惜しく見ることだけは自分に許した。


「当たって砕けろ」というのが、若い時分に自分によく言い聞かせていた言葉だった。俺は鬱積した感情をどこかにぶっつけたくて仕方がなくなった。「ガ、ガツガツしない」にも限界がある。


 職員から言われた秘訣を大義名分に俺は薄井さんにマスコットのままガツガツと声をかけることにした。薄井さんは、言い方は悪いが所謂「窓際族」の初老の男であり、会社から孤立している。俺を悪く思ったからといって悪評を広める心配もないし、もし広めたとしても、同僚たちは俺の味方となり薄井さんを糾弾するだろう。


「薄井さんお疲れ様です」


 おどおどとした視線が帰って来る。


「こんなこと他の誰かに頼めないので薄井さんにお願いしたいんですけど」と続けると、更に相手が強張ったのが分かった。少し演技っぽい喋り方となってしまったのがそれに拍車をかけたのかも知れない。早く要件を伝えなければと、


「薄井さん、『可愛いおじさんセミナー』って知ってますか?」


 と伝えると、薄井さんの表情が変わった。どうやらその名前を聞いたことあるようだ。「知ってるんですね?」と追究すると、頬を赤らめながらも薄井さんは「聞いたことだけは・・・」と頷いた。勝機を感じた俺は、


「私もこの前参加したんですけど、かなり良かったですよ。分かり易くてかなり実践的、なにより無料なんです」

「そうですか・・・」

「胡散臭いと思ってるんでしょう?おかしな商品でも買わされるんじゃないかって。私も初めは同じでした。元々そういった胡散臭いところには足を踏み入れるものかと思ったんですが、物は試しということで行ったのです。何なら気分は物見遊山で、突けそうな矛盾点があったら指摘して鼻を明かしてやろうとも思っていたくらいです。でも非常に楽しい環境で、サークルみたいな感覚でした」


 私はさらに、「次はまた一週間後の日曜日にあるんですが、ここだけの話・・・」と言いながら小声で続けた。


「知り合いを連れて行くとより次回の講習で学ぶ内容の実践性が高まるという話を職員の方から伺ったんですよ。良かったら一緒にいかがですか?私結構職員の方とコミュニケーション取っていて、そうゆう秘訣とかも教えてもらえるんですよ」


 実際はそこまで密に話したわけではないが、特典を付けた方が誘い出し易いと判断してそう言った。薄井さんは戸惑っていたが、それは完全な拒絶ではなかった。その隙間に


「他の同僚に頼んでも良かったのですが、恥ずかしくって、薄井さんお願いします!」


 ここはあえて大きな声を出した。


「考えておきます・・・」


 頭は上げなかった。ここからは我慢比べだ。周囲の視線が多く太くなってゆく。


 少しざわつき始めてからようやく薄井さんは了解してくれた。俺は強く薄井さんの手を握りながらも、同僚たちへの言い訳を考え始めていた。また周囲の反応から、このような営業活動はガツガツ行くところは行かなければならないが。やはり結果から見てこのような社会的能力の発揮は「可愛いおじさん化」を妨げる要因となるのだと思った。


 その結論がより確信となったのは、質問をして来たのが、最悪なことに吉沢さんだったからだ。


「やっぱり今日なんか変ですよ~」


 茶化して来る吉沢さんの大きな眼の中でヘラヘラと黄色い熊の赤ちゃんに隠れて追及を誤魔化した。


「何のお願いだったんですか?」


意外なことに、助け舟を出してくれたのは薄井さんだった。薄井さんはいつの間にか背後から近付いて来ていた。


「実はね、最近流行りのスイーツ店に行こうと約束していたんですよ」

「そうなんですか?」

「はい、一人で行くのが恥ずかしいって。ねぇ」


同意を求める薄井さんの目は見たことがない程鋭かった。


「そうなんです」と言うと、吉沢さんは目を輝かせた。

「なにそれ、可愛いー!」


 それでその日は事なきを得た。


『第五講習』


 日曜日、俺は前回より少し遅い時間に施設に到着した。廊下では各部屋の前にその部屋の講習を受ける参加者たちがおり、そこに薄井さんの姿もあった。


「連日すいません」 


 俺は薄井さんに挨拶がてらに謝った。頼み込んで、俺と足並みを揃える為に土曜日を使って俺が前回受けた講習を全てこなしてもらったのである。 


「いえいえ、楽しい講習でしたので」


 強引が過ぎたかも知れないと顔色を窺っていたが、薄井さんは講習に前のめりだった。寧ろ早く講習が始まらないかとワクワクとしているようだった。その顔の血色は普段と比べてずっと良かった。


 心配はなさそうだと安心していると、担当の職員がやって来て、講習が始まった。

部屋は、普通の作りになっていた。俺は薄井さんと横並びに座った。職員は教壇に立つと、参加者たちを見渡した。


「あ、いいですね皆さん、ちゃんと以前の講習で学んだ服装をして来ていますね」   


 当然だ、と思った。俺も薄井さんも、ほとんどの参加者が支給されたくたびれたスーツと各々に似合うメイクをして来ている。これはこの講習の学生服のようなものだ。もしこの格好で臨まなければ全体の規律を乱す上に、今回の講習の効果が半減しないとも限らない。


「別に必ず用意しろというわけではありません。皆さんそれぞれに事情がおありでしょうから、用意ができない方はそのままで大丈夫です」


 職員は、配慮からか、その「誰か」を見ながら今の台詞を言わなかった。しかし参加者たちは周囲を見渡し、お互いの服装をチェックした。すると瞬時に参加者の目線が教室の一カ所に集まった。ジャージ姿の参加者がいる。こちらからは背中しか見えなかったが、その額に汗が滲んでいることはありありと分かった。そしてその切迫した気持に同情することはなかった。


「ヒガムカセ」と職員が黒板に書く。

「ヒ、」

「人当たりが良い!」

「ガ、」

「ガツガツしない!」

「ム、」

「無邪気!」

「カ、」

「可愛らしい見た目!」

「セ、」

「清潔感!」


 参加者たちは声を発している間、例のジャージ姿の参加者に視線を向けていた。


 一番声を出さなければならない立場の彼が、もし小さい声しか出さないのなら、ましてや「ヒガムカセ」を覚えていないというようなことがあろうものなら、糾弾されてしかるべきだという雰囲気が参加者たちの間にあった。「糾弾してやろう」ではなく、「糾弾されてしかるべき」というのは、そうする権利は序列がつけられていない俺たち参加者たちにはないからだった。


 そのジャージ姿の参加者が、「ヒガムカセ」をふわふわとした口調で発していることが分かった時、俺たちは糾弾ムード一色に染まった。しかし自ら手を下すことができないので、視線は職員に向かった。職員はチラリと、そのジャージ姿の参加者を見た。


 しかし確かに見たにも関わらず、職員がその参加者を注意することはしなかった。歯痒い気持ちがしてならなかった。職員は俺たち参加者を見くびっているのだろうか。あのような低い意識でもおかしくないだろうと思っているのだろうか。それは困る。


 その不満が解消されることなく講習は進んだが、ジャージ姿の参加者を参加者たちの意識の平均値を大幅に下げ得る危険因子だという認識がなくなることはなかった。寧ろ煮えたぎるマグマとして俺たちの中で高まっていた。


「今回は、ヒ、人当たりの良さ、ム、無邪気について掘り下げてゆきたいと思います。これらを一挙両得する方法があるので、皆さんに伝授いたします。また皆さんには本日、その演習もやっていただきたいと考えています。それでは、秘策はこちらです」


 職員は、「おじさん同士の子供のようなやり取り」と黒板に書いた。


「皆さん、想像してください。子供同士が遊んでいる様、動物同士が戯れている様、微笑ましいですよね。依然申し上げた、『母性本能をくすぐる可愛げ』を感じさせる光景です。これを皆さんにやっていただきます。直接ターゲットの女性にアピールせずに間接的に見せる効果は二つ。一つ目、ガ、ガツガツしないでアピールをすることができるということです。第三者的な視点にターゲットを置くことで、自分に向かってのアピールだと思わせず、構えさせないという効果があります。二つ目はアピールのパターンを増やしやすいということです。一人でやれるアピールには限界があります。二人以上であれば会話でいくらでも手段はあります。これが二つ目の効果です。以上のように、『おじさん同士の子供のようなやり取り』は、メリットだらけの方法なのです。それでは実践的にやっていただきたいと思います。皆さんお立ちください」


 俺たちは起立した。その時、職員の目が一瞬俺に向いたのが分かった。


「これから近くの方とペアを作ってください。そしてペアができた方はお座りください。確か奇数ですのでお一人余る筈です。では、どうぞ」


 俺と薄井さんはアイコンタクトをすると直ぐに座った。薄井さんが耳打ちして来る。


「職員さんから教えられた秘訣ってこうゆうことなんですね」

「職場の人を連れて行けばそのまま日常生活に生かせるってことです」

「なるほど」


 少しするとほとんどの参加者は座った。しかし案の定、ジャージ姿の参加者は余っており、立ちっぱなしだった。


「まあ仕方ないですよね」


 薄井さんの言葉に俺は頷いた。裁かれているジャージ姿の参加者は、職員からの提案で近くのペアに加わった。


「それでは、皆さんまず例のイメージとレーニンをしていただき、後程、各々の組で微笑ましい光景を作ってください。タイミングは皆さんにお任せします。始まったら私が各組を回って見させていただきます。ではお願いします」


 職員からの合図があると、参加者たちはほとんど競うようにイメージトレーニングを素早く終え、各々のアピールに入った。


「薄井さん、ここからはお互いにタメ口でいきましょう」

「分かりました。いや、分かった」

「なあ薄井」

「なんだよ」

「あっち向いてホイしようか」

「しよう」

「じゃんけんぽい!あっち向いてホイ!」


 俺の提案で俺たちはあっち向いてホイをし始めた。自分から言い出したのは、ここでイニシアチブを取っておけば日常でも自分の思うように吉沢さんにアピールできると考えた為だ。あっち向いてホイには俺が負けたが、それは問題ではなかった。


「負けたー!強いなお前」

「よっしゃー」

「もう一回やろうよ!」

「ええー」

「お願いお願い」

「じゃあジュース奢って」


 俺たちはニヤリと笑い合った。ジュースとは、薄井さんも中々の策士だ。


「いや~小遣い勿体ないもんな」

「そちらもやりますねぇ」と薄井さんがほくそ笑んだ。そこで職員が俺たちの前にやって来た。職員の方に目をやることはなかったが、薄井さんは職員に分かるように若干説明口調になりながら続けた。

「小遣い少ないとか知らないよ。お前がジュース奢ってくれないなら、あっち向いてホイやってやんない」

「え~」

「エロ本とか見せてくれるなら良いけど?」


 急に薄井さんが強烈な言葉選びをしたため俺は面食らったが、不自然な間が出来てはいけないと乗った。


「エロ本?マジで?」

「マジマジ」

「じゃあやる」

「よっしゃー」


 そこで職員に止められた。


「ちょっとあざと過ぎるかも知れませんね。お二人ともマスコットの意識を忘れていませんか?今のお二人は男子中学生のようでした。ジュースと小遣いはまだ許せる範囲かも知れませんがエロ本はいただけません。それとお二人はどこにいるという設定でしょうか?」


 薄井さんは赤面したまま黙っている。仕方なく、「職場ですかね」と俺が言った。


「まず職場だとしたら声が大き過ぎます。休憩時間だとしても、そこに女子社員がいるとは限りません。あくまでも仕事の延長線上の無理のないやり取りを心掛けてください」


 俺たちは黙って頷いた。


 職員が去った後、薄井さんが何も切り出さないので、「まあやり過ぎましたよね」と笑うと、


「ちょっとね」とようやく薄井さんも声を出した。少し俺はイラついた。確かに二人の責任かも知れないが、エロ本を言い出したのは薄井さんの方だ。一言謝ってくれても良いのではないかと思いながらも、俺は改善策を考え出した。


 周囲の職員が回り終わった組が各々で積極的に話し合う中、俺たちはお互いに案を出せなかった。何故なら職員が言った、「仕事の延長線上」というのは窓際族の薄井さんの立場上、難しいと思ったからだ。それを薄井さんも分かっているようだった。  

 

 俺は今度ばかりは薄井さんからの言葉を待たなくてはならなくなった。まさか俺から、「難しいですよね、薄井さんとはあんまり仕事のやり取りもしませんからね」とは言えない。薄井さんの自虐を待つ以外に手はなかった。


 長々とした間を置いて、ようやく薄井さんは意見を言った。しかしそれは思いがけない台詞だった。


「誘っていただいて嬉しかったのですが、どうやら一緒に講習を受けるのは自分じゃない方が良かったですよね」


 途端に心音が大きく鳴り始めた。「いやいや、そんなことは・・・」と何とか絞り出したものの、他にフォローの言葉は見つからず、俺は言葉に詰まった切り沈黙を迎えてしまった。確かに相方が「薄井さん」である以上、打開策はないような気がしていた。その忙しない思索と同時に、俺は薄井さんを恨めしく思った。薄井さんは自分で言わず、最後の言葉を俺に言わせようとしている。


「ではこれからは別々ということで」


 という戦力外通告を俺にさせようとしているのである。自ら腹を裂かずに介錯人が刀を振り下ろすのを待っているのである。上手くいかなかった腹いせの為に俺に罪悪感を与えようとしているのかは分からないが、何にせよ、まともな魂胆ではないことは確かだと思った。


 俺の怒りはふつふつと煮えていた。その時、「ちょっとすいません」という一際大きな声が聞こえたのでそちらを向くと、ジャージ姿の参加者の組が揉めている様子で、その中のちゃんとした格好の2人の内の1人が、職員に何か話している。


 参加者たちの意識がそちらに向いた為、その声が聞こえて来る程部屋は静かになった。


「この人とはちょっとやれないので、別の組に行ってもらってもいいですか?」


 成程、服装の乱れは心の乱れというが、やはりジャージ姿の彼はまともな参加者ではなかったようだ。クレームを受けて、流石の職員も少し困っている様子だった。それを見かねて、ジャージ姿の参加者は「失礼します」と荷物をまとめて部屋を出て行った。


 それを見て薄井さんが言った。


「あんな風に私をクビにしてもいいんですよ?」


 薄井さんは卑屈な笑いを浮かべていた。すっかり血色は普段と元通りになり、諦念が漂っていた。俺の、少しばかり収まりかけていた怒りは瞬く間に沸騰した。なんでそんなことを言われなくはいけないのだ。そんな捻くれた性格だから窓際族になるのだ。俺はそう言われた途端、思うようにはさせまいと、


「何をおっしゃいます。詰まらない御冗談は止めてくださいよ。クビだなんて滅相もない。薄井さんが良いんですよ。薄井さんだから誘ったんですよ。きっと方法がありますから頑張りましょう」


 と満面の笑みで言ってやった。案の定鳩が豆鉄砲を食ったようなリアクションが返って来た。


「これからもよろしくお願いします」

「お願いします・・・」


 追撃してやると、俺の行動に流されるまま薄井さんは了承した。こうなったら意地でも薄井さんとやって行こうと俺は心に決めた。


 その後、薄井さんとの話し合いは大きく進展した。それは薄井さんへの遠慮がなくなり、忌憚なく意見を言えるようになったからに他ならなかった。


「薄井さんが俺と職場で話すことと言ったら、この前吉沢さんに言ったスイーツ好きってことくらいですよね、だからそれを元に仲良くなったということにして、後は私から薄井さんに仕事が振れるように、薄井さんも頑張ってください。私も薄井さんが参加し易い職場にするように努力しますから。お願いしますね」

「分かりました」


 話し合いといっても、俺からの一方的な意見で終わった。イニシアチブを獲得したことに満足した俺は、その講習が終わるまで一人でマスコットのイメージトレーニングをすることで過ごした。


 職員の合図で参加者たちは話し合いを止めた。職員は「既に話した方には繰り返しになるかも知れませんが、」と断ってから俺たちに話した通り、現実的な方法を考えるようにと促し、また、


「次の講義も皆さんには準備をしていただきます。また次の、さらに次の講義では、練習の成果を一組ずつ前に出て発表していただきますので、よろしくお願いいたします」


 ざわつく参加者たちを尻目に職員は部屋を去った。ざわめきは10分休憩の間も続いた。参加者たちは「発表」という明確な締め切りを提示された為、焦った様子で完成を急ぎ始め、それと同時に各組内での方向性についての議論が行われた。恐らくどの組も「発表」があるだろうとは大いに予想していたものの、職員の口から直接言われたことにより、否応なく緊張感を与える現実として眼前に提示された為、先程までの講義内で互いに妥協で済ませ合った議論を再開せざるを得なかったのだ。周囲の組からは、ほとんど喧嘩とも言えるようなやり取りが聞こえていた。


 対照的に、俺と薄井さんは揉めるようなことはしなかった。舵は俺が握っており、そこに薄井さんが黙って従う。俺は薄井さんに、「俺が台本考えておくので、薄井さんは後で覚えてください」とだけ伝え、一人でノートとペンを広げ黙々と考え始めた。


『第六七八講習』


 その日の二回目の講義が始まったものの、休憩時との違いは部屋以外にはなかった。職員は黒子に回り、「トイレなどもご遠慮なさらず行ってください。ただ他の講習の邪魔にならないようにお静かにお願いします」や、「アドバイスをお求めの方はおっしゃってください」等と言った。とはいえしばらくは職員に出番はないようだった。講習は参加者たちによって自主的に行われていた。


 俺と違って本番の為の合わせを話し合いながら行い熱を帯び喧嘩に発展していた組のいくつかは、「可愛いおじさん」の方向性の違いによって解散していた。そして一人になった参加者たちは自ら声を上げ、別の組を結成した。その後続く組もあれば、また喧嘩別れをする組もあった。


 解散する組は徐々に減っていった。その結成は納得の、というよりは、残り時間を考慮した上での妥協の結成ようだった。


 俺のペンは動いたり止まったりしながら遅々たるスピードで、しかし確実に完成に向かっていった。時折生き詰まって周囲を見渡すと、解散したばかりの参加者たちが新しい相方と組んで合わせ始めた時の、まだ煮え切らない表情からにこやかなマスコットへと変わってゆく様が伺え、笑いが込み上げた。そしてその光景は俺に、笑顔は作りものであったとしても良いものだなと再認識させた。「ヒ、人当たりが良い」。


 隣で薄井さんがちらちらとこちらを見ていた。台本を覚える時間がなくなるのではと焦っていることは分っていたが、それを考慮することはしなかった。寧ろその様子に嗜虐心が働き、書き終わった台本を読み直す時間を引き伸ばすことでそれを楽しんだ。「Aが私でBが薄井さんです」と言いながら紙を渡す時、薄井さんはほとんどひったくるようにそれを受け取った。


 読み進めるにつれて、薄井さんの表情が変わってゆくのが分かった。俺はその様子を密かに嗤った。


 台本は以下のようなものだった。


■オフィス


A「部長、今度のプロジェクトに薄井さんも参加していただこうと思うのですがいかがでしょうか?」


B「そんな、私になど気を使わないでください。私は今の環境で満足ですから」


A「そうはいきません。もう私は、同じ会社で働く仲間が職場の隅に追いやられている現状に我慢が出来ません。部長、どうか薄井さんの参加を許してください」


B「本当にいいんです。私は要領が悪く口も重い。参加したらきっと皆さんの脚を引っ張ってしまいます」


A「容量が悪いということは根気があるということ。口が重いということは実直である証拠です。要は職人気質なのです。今回のプロジェクトは長期のものですから、きっと薄井さんのようなコツコツとやれる人材が役に立つ筈です」


B「しかし今頃呼び出されても私は社の内情も知りませんし」


A「客観的に会社のことを観察できているということじゃないですか」


B「そうかも知れませんが」


A「何ですか?」


B「・・・」


A「部長、ご英断を」


B「・・・私も、会社の役に立ちたい。部長、精一杯やりますので私をプロジェクトに加えていただけませんでしょうか?是非お願いします」


■スイーツショップ


A「それじゃ今から企画会議をしようと思う。おいおい、そんな顔をするな。確かにここはスイーツショップ。仕事の話をするには場違いかも知れない。しかし環境を変えれば新しいアイデアも出るというものだ。そしてそれを教えてくれたのが薄井さんなんだ。ねえ薄井さん」


B「私なんて」


A「いやいや何をおっしゃいます。偶然私が立ち寄ったこのお店で薄井さんを見かけて話しかけてみたらお互いスイーツ好きだってことで打ち解けて、お喋りする内に薄井さんの会社に対する斬新な意見と独創的な発想を聞かせてくれたじゃないですか。それで私は思ったんです。皆、思ったんだよ私は、『固定観念』に囚われていてはダメだってね。だから今回のプロジェクトに薄井さんを参加させようと思ったし、会議の場所もスイーツショップにしようとしたんだ。それじゃあ、スイーツで頭に糖を送り込みながら会議をしようじゃないか・・・」


※ここから先は状況に合わせて以下のパターンをする。 


・スイーツの可愛さに乙女のようにはしゃぐ。


・スイーツをSNSに投稿しようとする。(この時、使い始めたばかりで慣れていないことをそれとなくアピールする)


・お互いのスイーツをシェアし合う。(渡したくないと駄々をこねるのもアリ)


・片方が(無自覚を装って)口元に生クリームを付け、もう片方がそれを取る。


「最後のところ、他に何かアイデアあいますか?」


 薄井さんは、こちらの提案に応えなかった。それよりも内容に怒り心頭しているのだろう。しかしそれに対しての反対意見も言えないようだった。そりゃあそうだろう。多少の皮肉は含んでいるものの、大筋は実用的に作った。薄井さんが仕事に参加できる段取りを的確に作った。文句は言えないだろう。それに皮肉に対するクレームに対しても俺は用意をしていた。


「大丈夫です。読み合わせさせてください」


 水面下では緊張感が漂っていたが、俺たちの準備は順調に進んだ。


「それでは講習は終了です。なるべく休憩を取ってください。根を詰め過ぎて体調を崩しては元の子もありませんから」


 職員がそう言ったものの、多くの参加者は俺たちと違い本番のシミュレーションを続けていた。


 その日三回目の講習が始まった。どこの組も試行錯誤をした割に似たり寄ったりだった。俺は自分たちが最も実用的であることを確信して内心鼻高々だった。


 実際、自分たちの出番を終えると、「実用的で良かったと思います」と職員から褒めの言葉をもらった。他の参加者は、具体的過ぎる内容に訝しんだ様子だったが、深く追及されることはなかった。


 薄井さんは練習の段階では納得していない様子だったが、途中から開き折ったのか本番では台本に素直な演技をした。



 その日四回目の講習は、職員からの改善点を元に台本を練り直す時間となっており、五回目の講習はまた本番となっていた。


 俺たちはそれらを悠々とした調子でこなした。より演技は自然で台詞は流暢になっていった。


「本日の講習は以上で終了です。今回やっていただいた『おじさん同士の子供のようなやり取り』を職場の方と協力して試してみてください。それではありがとうございました」


 講習が終わると、参加者たちは互いに礼を言いながら席を立った。また喧嘩をした人同氏は詫びを言い合っていた。


 それらの光景は容易に予想できたので特に意に介すことはなかったが、参加者たちの多くが言った、「こうゆう内容なら、最初から『知り合い誘って来て下さい』って言って欲しかったですよね」という発言が気にかかった。


 確かに不思議に思った。何故自分だけに職員は知り合いを誘うように促したのか。しかし疑問は長くは続かなかった。参加者たちが、「まあ変な人誘われても困るからじゃないですかねえ」等の発言に内心同意したことで納得し、そもそも明日に控えた本番のシミュレーションに焦点を当てるべきだと考えたことで疑問は完全に消し流された。


『実践◼️オフィス』


 月曜日の朝は、先週と同じように寝不足でありながら冴えた眼で会社に向かった。 


 用意は周到に行われた。出社前に会社近くの喫茶店で薄井さんと最後の調整を行い、それが終わると会社の入り口の前で固い握手を交わした。


 しかしその日行った調整は最終とはならなかった。薄井さんのプロジェクト参加を提案する部長の体が中々空かず、実行に移せなかった為だ。俺は窓の外を見るフリをして薄井さんに中止の旨を伝えた。


 そのような日がその後数日続いた。部長は、ある日は機嫌が悪く、またある日は他社との打ち合わせの為に社外に出ていた。一週間は折り返しを越えて木曜になり、俺はやきもきしていた。プロジェクトチームの人員決めの締め切りは迫っていた。電話で社外に出ている部長を説得するにも、皆の前で薄井さんの参加を認めてもらわなければ効果は薄いように思われた。部下たちをいきなり薄井さんの待つスイーツショップに連れて行っても納得しないだろう。俺が部長を説得し、薄井さんが頭を下げる過程がどうしても必要だった。


 日々深刻になってゆく焦りの中での唯一の救いは、薄井さんが毎朝の「最終」調整に淡々と付き合ってくれたことだった。俺は「職人気質」という仮想の薄井さんへの評価を本当にするべきだと思った。もしかしたら、薄井さんも本番に向けて台本に合ったキャラクターを作ろうとしているかも知れないと思った。どちらにせよ薄井さんのお陰で俺は慎重さを保つことができた。


 そして木曜日の午後、俺たちは遂に実行の時を迎えた。昼飯を終えた部長は自分のデスクでゆったりと書類に目を通している。俺は薄井さんに合図をしようと席を立った。しかしその起立は薄井さんと同時だった。俺たちはアイコンタクをし、部長の元へと向かった。


「部長、今お時間宜しいでしょうか?」


 部長は書類から目を上げた。いつになく真剣な俺の表情と、普段顔を合わせることがない薄井さんの登場に部長は驚いた様子だった。俺が、「次のプロジェクトの人員の件でお話が」というと、部長の視点は俺を起点にチラチラと薄井さんに向かった。「お前、まさかこいつを使うつもりか?」という意味だろう。


「部長、薄井さんは次のプロジェクトに使いますので許可を宜しくお願いいたします」


 視線をまた同じように左右に揺らしたが、俺は動じなかった。部長は少し思案し、


「薄井、ちょっと空けてくれるか?」


 と言った。俺を説得するつもりだろう。しかしここで引いてはいけない。


「彼は戦力にならないだろうとおっしゃるつもりでしょうか?」


「・・・そうだ」


 溜息と共に部長は諦めて腹を打ち明けた。俺は釣り糸に手ごたえを感じていた。


「薄井には仕事を任せられない。これまで数多くのミスを重ね期待を裏切り続けて来た。本当なら首を切っているところだが、温情で会社に居させている。お前も分かっていることだと思うが、薄井を動かすことは会社にとってリスク以外の何物でもないんだよ」


「例えまたミスをしたとしても、その時は私が責任を取ります」


「その責任は俺にあるんだよ。調子に乗るな。なあ、メリットとデメリットを冷静に天秤にかけてみろ。薄井を使うことでメリットがデメリットを上回るのか?」


俺は間を置かずに「はい」と答えた。


「ならそのメリットを言ってみろ。薄井はどんな形で社に利益をもたらしてくれる?具体的に答えてみろ」


「まず、今回のプロジェクトは、多くの会社が日々目まぐるしく変わる需要に対する幅広いサービスの提供によって成すリスクヘッジにより社を存続させる流れを汲んだ、これまで我が社が手掛けなかった新しい分野への挑戦です」


「俺は具体的にと言った筈だ」


 新しく考えていた台詞を発すると釣竿もオフィスに充満する空気も一層重くなったが、その重量は想像の範疇だった。


「前提にあるべき認識を共有すべきだと思ったのです。お許しください。それを踏まえた上で薄井さんの登用は我が社に利益をもたらします。何故なら組織が生き残る為に必要なのは薄井さんのような組織内のマイノリティだからです」


 思惑通り、部長は「はあ?」とすっとんきょうな声を出した。不意を突くことに成功したようだ。あとはこちらのペースだ。


「マイノリティです。不思議にお思いでしょう。何故皆と足並みを揃えられない足手まといが組織に必要なのか。それは万が一の際に『リスクヘッジ』できるからです。先ほど私は幅広いサービスを提供しなければ会社はこれからの社会では生き残れないと言いました。それは一つの分野に固執していてはそれがダメになった時に会社が潰れてしまうからです。そしてこれは生物にも言えます。同じ種だけが繁栄しても一つの病原菌で絶滅してしまうのです。組織にも生物にも多様性は必要なのです。そして今回のプロジェクトはその多様性を我が社にもたらす為のものでもあります。そしてそれを成す人材も、薄井さんのような我が社における普通ではない人物が相応しいのです」


 そこまで言い切ると、部長は狐に摘ままれたような顔になった。


「部長、私も少しでも社の役に立ちたいと考えております。是非もう一度チャンスをいただけないでしょうか?」


 薄井さんの声はダメ押しにはならなかった。部長は既に甲板に打ち上げられていた。


「分かった。好きにしろ」


 俺の理論に納得しているわけではないようだった。はっきり言って自分でも訳の分からないことを言っているという自覚はあった。そしてこの訳の分からなさこそが俺の作戦だった。「信頼していた部下が訳の分からない理屈で自分を納得させようとしている」ことによるショックでうろたえた隙に承認させてしまおうというのが計画だった。


 礼を言ってデスクに戻った。途中薄井さんと固い握手を交わした。その時薄井さんは台本を無視した俺の言動のせいで喜びながらも困ったような表情になっていた。


 薄井さんは俺だけの力で事を成してしまったことで俺からの信頼のなさにがっかりしているかも知れない。


 しかしそれに申し訳なさを感じることはしなかった。俺の目的はあくまでも吉沢さんに気に入られることにあり、薄井さんから好意を向けられるかどうかは全く問題ではない。それに俺も部長と同じで薄井さんを動かすことはリスク以外の何物でもないと思っている。と考えを切り替えることよって俺は薄井さんの毎朝の頑張りが無駄になってしまったことの罪悪感を消そうとした。そして少し残ってしまった罪悪感を、詫びは入れることで俺は完全に消した。


 俺は一息つきながら吉沢さんの方を横目で見た。すると吉沢さんも俺の方を見ていたようで目が合った。直ぐに視線が逸らされたのが気にかかって、用事があるフリをして近付いた。


「お騒がさせて申し訳ないね」


「いや・・・」


 隠してはいるが動揺していることがよく分かった。恐らく先程の言動で俺の社会的能力の部分が出過ぎて引いているのだろう。しかしそれも予定の範囲だった。俺は再びデスクに戻ると、内心で繰り返し唱えた。


「ヒ、人当たりが良い。ガ、ガツガツしない。ム、無邪気。カ、可愛らしい見た目。セ、清潔感がある。ヒ、人当たりが良い、ガ、ガツガツしない・・・」


『実践◼️スイーツショップ』


 脱線したものの、台本は本筋に戻って来た。スイーツショップに入った俺は例の台詞をプロジェクトのメンバーに伝えた。納得している様子はなかった。薄井さんからの挨拶にも愛想の良い返事はなかった。


 しかしそのリアクションは俺にとっては関係なかった。俺はメンバーの一人に抜擢した吉沢さんに視線をやった。はっきり言ってプロジェクトの成功は二の次だ。大事なのは、ここで「母性をくすぐる可愛げ」を吉沢さんにアピールすることだ。その為にわざわざ先程「社会的能力」で引かせたのだ。ここでの「母性をくすぐる可愛げ」とのギャップで吉沢さんをものにしてやる。


 俺が頼んだのはパンケーキ、薄井さんが頼んだのはパフェだった。事前に2人で取材していただけあって、スイーツショップという空間への慣れを演出することができた。


 先に運ばれた薄井さんのパフェにはアイスや生クリームが高々と盛られており、そこにポッキーや人工着色料の粉?のようなものでデコレーションが施されていた。


「おお~!」


 俺は無邪気なリアクションをしてみせた。完成された黄色い熊の赤ちゃんがそこにいた。またさらにギャップを大きくする為に俺はオフィスとスイーツショップで装いを変えていた。前者ではスーツも顔も皺を少なく、後者では多くしていた。


 薄井さんも講習の成果を存分に発揮していた。「高いなあ!」とパフェを見上げた。俺はその時薄井さんがこっそり椅子から腰を滑り落し座高を低くしているのを見た。それは子供らしさを演出する為の技術だった。俺も負けてはいられないと、同じことをした。


 さらに口々にパフェを賛辞しつつ俺たちは目を輝かせながらお互いに顔を見合わせるという合わせ技を繰り出した。


「写真撮ってください」


 薄井さんが携帯を俺に渡した。成程、パフェとのツーショットというわけか。この時点でSNSをやっていることを示唆することができる。


「ちょっと待ってください。あれ?」


 俺は薄井さんの意図を助ける為に、カメラが自撮りになってしまっていたという失敗をして見せた。意図した通り、笑いが起こった。


「これどうやるの?」

「これはですね・・・」


 吉沢さんに携帯を渡すと、俺も知っている手順で吉沢さんは嬉々とカメラを正常に戻した。そして俺は薄井さんを撮った。


 薄井さんから信頼の微笑みを俺に送った。そして俺の計画通り、薄井さんは吉沢さんにSNSへの投稿の仕方を聞いた。


 俺が作った携帯の操作について色々と学ぶという流れは、俺たちの無知を「母性本能をくすぐる可愛げ」として演出させた。


 薄井さんはその後、追撃としてSNOWの操作も吉沢さんに聞いた。これで俺も薄井さんがやっているように吉沢さんとの距離を狭めることができる。俺はほくそ笑んだ。      


 しかし俺が薄井さんに抱いたある疑念をきっかけに、俺と薄井さんの協力関係は崩れ、相補的な作為の競争は本当になった。


 もしかしたら、薄井さんも吉沢さんのことが好きなのかも知れない。


 その疑念は薄井さんの作為的ではない思春期のような初々しいリアクションによって確信に変わった。


 そうか、薄井さんは初めから吉沢さんを狙っていたのだ。そう気が付いた時、俺は自ら強力なライバルを生み出してしまったことを悔やんだ。


 俺は薄井さんを連れションに誘った。それは演出の為ではなく、交渉の為だった。小便器の前に横並びになりながら、俺は薄井さんに耳打ちした。


「吉沢さんのこと狙ってますよね」


まどろっこしくジャブを打つ余裕は俺にはなかった。


「俺も狙ってます。薄井さん、恩人の為と思ってここは俺に譲ってください。お願いしますね」


 しかし薄井さんは顔色を変えず、


「御冗談を。嫌ですね」


 と言い放った。全てを見透かした様な不敵な笑みがそこにあった。その瞬間、俺は薄井さんが随分前から俺の吉沢さんに対する好意に気が付いており、それを利用していたことに気が付いた。


 俺は拳を固く握りしめた。今にもそれを振るってしまいそうな衝動にかられた。薄井さんは、いやこの薄井という男は、ずっと弱者を演じていたのだ。そして俺に吉沢さんへと続く道を作らせ、それを進む俺だけに労力を使わせ、いざという時に俺を追い越して吉沢さんに辿り着こうとしているのだ。


 小動物だと甘く見ていたが、薄井はただの鼠ではなかった。牛である俺の背に乗り、干支の順番決めレースの優勝者になろうとする姑息な鼠だった。


「これからもお互い頑張りましょう」


 薄井はそう言い残すとトイレを後にした。その背中は普段の卑屈なものではなかった。先を越されて堪るかと、俺はその背中に追いついた。絶対に薄井さんには負けてはならぬという決心が、俺の心を熱く滾らせていた。

 


 席に戻ると、俺のパンケーキが到着していた。


「これも写真撮ります?」


 吉沢さんの笑顔の一言に俺は勝機を感じ、「じゃあ撮ってください」と携帯を渡した。ここからのやり取りに薄井の邪魔は絶対に入らせない。


「どんなポーズが流行ってるの?ピースとか?」

「古いですよお。指ハートっていうのがあって」

「こう?」

「それは普通のハートですよ~」


 俺は矢継ぎ早に吉沢さんに質問し、アドバイスを下手に再現してみせることによってやり取りを必死に増やした。薄井の歯ぎしりが聞こえて来る気がした。

このまま突き放して俺がゴールしてやる。


 しかし薄井もただ指をくわえて見ているだけではなかった。「よかったら一緒に撮りませんか?」と俺の撮影に割り込んで来たのだ。


「いいですね~2人ももっと寄って」


 薄井は嫌味な程俺に頬を擦り付けた。吉沢さんの負のアシストもあり、俺は薄井の介入を容認してしまった。その隙間に薄井は体をぐいぐいとねじ込んで来た。


「僕のカメラでも」と薄井は携帯を吉沢さんに突き出した。


 このままではいけないと、俺は薄井の頼んだパフェを倒し、自分の膝にぶちまけた。自分で触ることなく、「わあ~どうしよう~」と、わたわたとした様子を見せていると、計画通り吉沢さんがナプキンで拭いてくれた。そのかがんだ吉沢さん越しに俺は薄井に「してやったぞ」という表情を見せた。今度は気のせいではなく、薄井は歯ぎしりをした。しかし、


「俺が拭きます。拭かせてください」


 と、薄井は吉沢さんの持っていたナプキンを強引に奪い取り、俺の膝を拭き始めた。テーブルの下から睨み上げる薄井に、俺は「すいません」と合わせた手で糸を隠しながら涎を垂らしてやった。


 反射的に顔を上げた薄井もただでは起きなかった。「眼にクリームが・・・」と嘯き、吉沢さんに顔を拭わせた。しかも見えないことを良いことにテーブルの下で俺の太ももをつねり、俺がうめき声を上げると、「まだクリーム付いてますね!」と再び俺の膝を痛い程強く擦り始めた。


 俺は拳を振り下ろしてしまう気持を何とか押し殺し、テーブルの下の薄井に顔を近付けた。噛みついてやろうとも思ったが、俺の目的はそれではなかった。膝に残っていたクリームを俺は口の横に付けて顔を上げ、


「これも拭いてよ」


 と吉沢さんにおねだりした。薄井が体を起こそうとするのが分かったので、「薄井さんは膝」と制してやった。しかし薄井が何か策を練って吉沢さんのするべき仕事を奪おうとすることを予想していたので、


「吉沢さん、ほら、これこれ」


 と事を急いだ。しかし吉沢さんは中々動かない、もしかして引かれたかも知れない、事を急ぎ過ぎだかと思った。確かに周囲のメンバーも固まっている。


 だが事態は想像以上に深刻だった。吉沢さんは俺の口元を指差し、言った。


「あの、もしかして、皺描いてらっしゃいます?」


 瞬間、俺は全身の細胞が同時に息を呑むのを感じた・・・


『終末と真実』


 その夜、俺はことのあらましを職員に電話した。やり場のない感情をどこかにぶつけなくては気が済まなかったのだ。


「モテるなんて大嘘じゃないですか。好きな女にドン引きされて、滅茶苦茶ですよ」


 俺は涙ながらに想いの丈を電話の相手にぶつけた。


 少しの間があり、職員は優しい口調で言った。


「それは非常に残念でしたね。私も自分のことにように心苦しく思います。失恋という傷は簡単に直るものではありません。いや直せないものです。例え他の女と付き合おうとも一生心に抱え続けるものです。その気持ちは自分もよく分かります」


 独りで歩く街の明かりはぼやけ、耳と携帯の間に涙が染み込んでゆく。こんなことを言っても仕方ないことはよく分かっていた。


「しかしご自身の胸に手を当てて考えてみてください。ずっとマスコットは意識できていたでしょうか?途中、意中の相手を想う余り『男性として認められたい』という欲求が漏れ出ていませんでしたか?ライバルの登場に焦り過ぎていませんでしたか?『ヒガムカセ』の『ガ』の合言葉は守れていましたか?それが今回の失敗に繋がったのです。私はあえて厳しく言わせていただきます。今回の失敗の一番の原因は私が初日の講習、基礎編でお話しした最も重要な、核となる部分を守れていなかったことにあります。私は言いました。『生存戦略として母性本能をくすぐるマスコットを演じてください』と。その為に見た目を整え、キャラクターを作っていただき、本番に備えて入念に準備をしていただきました。初めに見た目に意識を向けていただいたのは、各々に越えてはならないラインを設定していただく為です。そこが最も重要なこだとからです。分りますか?あなただけにお知り合いを連れて来るようにお伝えしたのも貴方のは越えてはならないラインを独りで突っ走ってしまうかも知れないと懸念したからです。分りますか?悔しいのはあなただけではないんです。私だってこのような結果になって悔しいのです。目を掛けた参加者が過ちを犯した。それもその参加者の最も目を掛けた部分によって。これがどれほど私の心を苦しめるか分かりますか?」


「すいません」


「次回の講習、来ていただくかどうかはあなたにお任せいたします。しかしこれだけは言わせてください。失敗を語ることを許されるのは成功者だけであると。道半ばで倒れる者には現実を嘆く資格もないのです。以上です」


 電話は切られた。悔しさが込み上げた喉の奥が震えた。その震えは全身に広がり、膝をがたがたと揺らせた。


 俺は道の真ん中で呻きながら自分の股間を何度も何度も殴った。そしてその痛みで自分に誓いの杭を刺した。


 もう二度と、黄色い熊の赤ちゃんの外には出ない。


 そしてそれを成すには俺の自制心は余りにも脆弱だ。俺にはまだまだ修行が足りない。修行、修行だ。俺が過去を乗り越え、成長する為の己に与える試練だ。もう他人は関係ない。薄井も、そして吉沢さんでさえも、この克己心の為には捨てて行かねばならない。


 俺は走り出した。この年にして初めて、向かうべき道が眼前に開けたような気がしていた。



 職員は一参加者との電話を終えると、報告の為に施設の上階へ向かった。


 本日の講習は既に終わり、施設の明かりはほとんど消えていた。聞こえて来るのは職員自身の靴音だけである。


 上階に行くには廊下の最も奥の職員専用の扉まで行かなくてはならない。職員は廊下を進む。通り過ぎる部屋はそれぞれに担当する講習があるが、奥に行くに連れて段階を重ねてゆく仕組みになっている。


 講習は以下のような段階を滑らかなグラデーションで進む仕組みになっていた・・・


⑴ 「可愛いおじさん講習」


⑵ 「可愛いおじいさん講習」


⑶ 「可愛い老人講習」


 廊下の突き当りに職員が到着すると、重々しい扉にパスを掲げ、開錠させた。専用エレベーターで二階へ上がり、二階の最も奥にある、そして最も大きな部屋の前まで到着すると、ドアをノックした。


「入り給え」


 指示された通りその部屋に入ると職員は施設長に言った。


「本日の新規の参加者は50名、脱落者は0となっております。全ての参加者が講習を進めております。以前提案いたしました、参加者の結束力を高める為の因子の投入、具体的には不相応の服装をした職員を参加者として参加させることにより、このような成果を上げられたと考えております」


 施設長はそれに短く褒めの言葉を返した。


 職員が退室した後、施設長はいつものように思った。


 この施設の存在意義を世間から問われたとしても、『可愛いらしくない高齢者』のままでは、いずれ社会を支える世代の反撥の起爆剤となるから、と説明すれば世論の多くは納得する筈だ。国の本当の狙いである、『全ての国民の牙を抜く計画』が公になるわけではない。我々の未来は永久に安泰だ・・・。


 役人である生命維持装置を取り付けた老獪は豪華な椅子に深々と腰を落ち着けた。

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