第六話「面接」
「さっきの人はね、クラリス様だよ」
「有名なのか?」
「うん。領主様の娘で、よくお忍びで市場とかに遊びに来るんだ」
お嬢様、バレバレじゃないですか。とはいえ、機嫌が良さそうなアンナの語り口から察するに、町の人からの評判は悪くないようだ。領主の評判向上のために頻繁に出歩いている、とも取れるが、単純に遊びに出ているだけかもしれないな。その辺りは明日話してみればわかるだろう。
夕刻が迫る頃にアンナの宿に帰ってきた。金もある程度稼げたことだし、しばらくはこちらに厄介になる腹積もりだ。
「今日も一泊お願いします」
「おう、銀貨二枚だ」
相変わらずの強面親父に金を払う。アンナちゃんの町案内というの子守を押し付けた恨み、いつか返してやるぜ、と宿屋に入るまでは思っていたが、実際に親父さんに相対すると、突き刺すような視線を向けられてそんな気持ちは一瞬で掻き消えた。強いものには逆らってはいけない、これは大自然の掟である。
「お母さん、リョータさんと今日町に行ってきたんだけどね」
アンナがはしゃぎながら宿の奥にひっこむと、母親と思しき女性を連れてきた。アンナが成長したらこうなるのであろうと思わせる綺麗な人だった。エプロン姿に、肩辺りまである茶色の髪を紐で束ねただけというラフな格好であったが、それが自然でよく似合っていた。アンナちゃんは間違いなく母親似である、あの親父に似なくて良かった。そう思っていると背後にいる宿屋の親父から凄まじいプレッシャーを感じた。こいつ、俺の思考を読んでやがるのか?
そんなことを思っていると、アンナが案内の成果を母親に報告し始めた。
「すごいんだよ、魔法でキュウリを甘くできるの!」
「まぁ、魔法が使えるんですか。それも食べ物を甘くするなんて、初めて聞きました」
アンナの母が感心したようにこちらに話を振る。
「魔法が使える人って珍しいんですか」
「そうですね。貴族様は使えると聞きますが、平民だと町に十人いるかいないか、でしょうか」
ふむ。この町の人口は数千人くらいだろうから、百人に一人くらいの割合か。びっくりするほど珍しくもないけど、多くもないって感じだな。
「そのあとね、クラリス様も魔法かけてもらってね、すごい喜んでたんだよ」
「クラリス様が? それは良かったですね」
「えぇ。それで、働き口を探していると伝えたら、明日領主の館まで来いと言われまして」
「まぁ! それでは仕官されるのですね!」
「仕事を紹介してくれる、との話だったのでどうなるかはわかりませんが」
「お仕事が決まるのはめでたいことですよ。お祝いに夕食は豪勢にしますね」
にっこりと笑ってアンナの母親は厨房へと駆けていった。それにアンナも続いていく。親子だけあって動作がすごく似通っていて微笑ましい。それにしても何故あんな美人が強面親父と結婚なんて……その瞬間、殺気とも言えるような気迫を感じると、背後に親父が立っていた。すみません、何でもありません、許してください。この人、絶対に思考を読む能力者だよ。
その日の夕食は何と! 豆のスープとチーズとパンだった。変わってないじゃねーか! と思ったらスープの中にちょっぴりベーコンのようなものが浮かんでいた。早とちりしました、すみません。でも味はこちらで調整させてもらいます、すみません。
翌日、お昼頃という曖昧な指定だったので、太陽が天頂に差し掛かる頃を見計らって、領主の館へ訪れた。一世一代の面接なのだから気合を入れたかったが、服を買う金なぞ無い。いつもより念入りに顔を洗い、体を拭くくらいしかできなかった。まぁいい、こういうのは気持ちの問題だ。
「あのー今日の昼頃にこちらへ伺うように言われた者なんですが」
「お話は聞いていおります。どうぞお屋敷へ」
門の近くにいた執事らしき男性に声をかけるとすんなりと中へ案内される。何も確認されなかったが、セキュリティとか大丈夫だろうか。
通された部屋はシックな雰囲気の応接室だった。床には毛足の短いが柔らかなカーペットが敷かれ、部屋の中央には木製のテーブルと四脚の椅子が置かれている。窓からは美しい庭の風景が一望でき、壁際には見るからに高級そうな風景画や花瓶、壷が並んでいる。汚したりしたら絶対に弁償できないだろうから、決して壁には近づかないことを固く心に誓う。
薦められるがままに椅子に座って待つ。こうやってただ待っているだけでも酷く緊張する。さっきから喉が渇いて仕方がない。しかし、お茶を入れられたカップもお高そうであり、震える手で持つのが恐ろしい。
「お待たせいたしました」
どれだけ時間が経ったのか。昨日市場で見かけた二人組みの男女が部屋に入ってきた。男は相変わらずの胸当てと剣を身につけ、燃えるような赤い目で睨むようにこちらを見ている。女性の方は爽やかな薄い青色のワンピースをまとっている。フードで良く見えなかったが、金色の髪は腰辺りまで伸びており、歩くたびに翻り、光を反射して美しく輝いていた。
「い、いえ。本日は貴重なお時間を取っていただきまして……」
「ふふふ、いいんですよ、緊張なさらないでください。いつも通りにしていただいて結構です」
「は、はい」
ガチガチに緊張しているからか、声の震えがひどい。今後を左右する面接だということもあるが、改めて間近で見るお嬢様が美人すぎて、照れとも何とも言えない複雑な思いが胸を駆け巡っている。
「自己紹介がまだでしたね。私はクラリス。ウィンザー伯爵家の当主、バーナード・ウィンザーの娘です。それから、こっちは私の護衛のアレックスです」
「リョータと申します。田舎者ですので、ご無礼があってもご容赦いただけると助かります」
何とか自己紹介を交わすと、こちらの緊張をほぐそうとするかのようにクラリスは優しく微笑んだ。本来であれば時候の挨拶なんかを述べるのだろうが、とてもできる気がしないので早速本題を切り出す。
「それで、働き口を斡旋していただけるとのことでしたが」
「ええ、そうですね。私が提示できるのは二つです。一つは、市場に屋台を出すことです。出店の許可はもちろん、初期費用はこちらがお出ししましょう」
なかなかの好条件だ。昨日の感じだと、かなり売れ行きは良さそうだし、これで生活していくこともできるだろう。
「もう一つは当家に仕えていただくことです。衣食住は保証しますし、給料も少ないですがお渡しします」
こちらもある程度は想像通りだ。わざわざ貴族の家まで招かれたのだから、登用の話だろうとは思っていた。だが、疑問点があった。
「それは光栄なんですが、その、幾つか質問があるのですが、よろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
「私としては伯爵家に仕えられるというのはありがたい話です。ただ、伯爵家側にメリットが余りないように思うのですが」
そう、わざわざ自分を雇うのは何故か。砂糖を買うより俺を雇う方が安上がりだから、なんて理由も悲しいが納得は行くものだ。だがその為に身元不明の不審人物を近くに置いたりするだろうか?
「そんなことはありませんよ。あなたに仕官していただくのは当家にとっても大きな利点があるのです。貴族は珍しいものを手元に置かずにはいられない人種ですから」
よくわからずに首を傾げていると、クラリスはくすりと笑みをこぼして続けた。
「誰も持っていない美術品を見せびらかし、パーティでは誰も味わったことことのない経験を語り、お茶会では誰も食べたことのない菓子を提供する。そうやって、当家はこれだけのことができるカネとコネを持っていると喧伝する。その手腕を持つ貴族の元に、そのおこぼれに預かろうと有力な貴族達が集まる。有力貴族が集まれば更にカネとコネが集まる。貴族として生きる限りはこの螺旋から逃れられません」
なるほど、貴族社会を生き延びるために必要な資金と人脈。それを手に入れるための武器として俺を雇う、というわけか。平民の魔法使いに対する給料なんてたかが知れているから、高価な美術品を買うよりもコストパフォーマンスがずっと良いのだろう。
「誰も知らないモノというのは貴族が喉から手が出るほど欲しているのです。ご納得いただけましたか?」
「な、なんとなくは。それでは二つ目の質問なのですが、伯爵家に仕えることになった場合、私は何をすればよろしいのでしょうか」
「そうですね、お茶会やパーティで先日のように魔法をかけていただくのが主なお仕事かしら。後は、料理も覚えてもらった方がいいかもしれませんね。さすがに毎回キュウリを食べさせる訳にもいきませんし、お出しした料理について多少語れた方が良いでしょう」
魔法、もとい味覚操作をするのは問題ない。しかし、料理か。学校の授業くらいでしかやったことないんだが、大丈夫かな。実際に絶品を作れと言うわけではなく、使った素材や作り方の概要を喋れるようになれ、ということなんだと思うが。そう考えると、やはり仕官するのはかなりの高待遇だろう。
ここが決断の時だ。今までは生き抜くためにほとんど手段は選んでいられなかったし、生きる目的、なんてものも考えている余裕はなかった。しかし、ここでようやく選択肢が与えられた。町で店を開けば自由でゆったりとした生活を送れるだろう。飽きられたら他の町に出稼ぎに行くこともできるだろうし。伯爵家に仕えることになれば、行動にある程度制限はかかるだろうし、場合によっては貴族同士の厄介ごとに巻き込まれるかもしれない。ただ、日本にいた時とは比べ物にならない非日常の体験はできるだろう。
暫くの間うんうんと悩んでいると、クラリスは助け舟を出した。
「一度帰って検討していただいても結構ですよ。個人的には、当家に仕えていただきたいですが」
「そ、それは何故です?」
え、まさか?
「ふふふ。内緒です。乙女に秘密はつき物ですよ」
クラリスは悪戯っぽくウィンクをしながら、唇に人差し指を当てた。
まさか、惚れている? ここに来てチョロインなのか? 「絶対にない」と理性は言うが、俺の中の邪な部分は「アレは絶対に気がある」と囁く。どうなんだ、乙女心って何なんだ、好感度メーターが出てないのはバグってるんじゃないか? 混乱した頭が出した結論は。
「決めました。是非、伯爵家で働かせてください」
単純だと笑わば笑え。結局のところ、男は美人の頼みは断れないのだ。
 




