第二話「第一村人発見」
味覚操作の使い方を発見してから一夜。川沿いを歩いていると、ふと物音が聞こえた。何かが唸るような音だ。気付いた俺は一瞬硬直し、それから慌てて手近な木の陰に駆け込んで辺りを見渡す。まだぶごーぶごーという音は定期的に聞こえる。気付かれてはいないようだ。そろそろと音のする方向へ進んでいくと、そいつはいた。
ゴブリンだ! 緑色の肌に粗末なボロ布をまとい、手元には棍棒らしきものが転がっている。醜悪な見た目に、この距離でも漂ってくる悪臭、その姿はまさにモンスター界の雑魚代表と名高いゴブリンであろう。その緑の小鬼が、木の根っこを枕に大文字になって寝ているのであった。先ほど聞こえた唸り声はこいつのいびきか。
初めての現地人(モンスターだが)との遭遇に思わずテンションが上がる。だが、冷静に考えるとどうすべきか。まず、ゴブリンは敵か、味方か。ゲームや物語では倒すべき敵として描かれるが、この世界での常識を俺は知らない。まさかの友好種族で、こいつを倒したら犯罪者認定されて町に入れなくなる、なんてことがあってはたまらない。
そして次に問題なのは、いや最も重要な問題はこれか。俺に攻撃力がないのだ。異世界転生者にお約束のチートじみた能力やら、反則めいたスキルやらは持ち合わせていない。味覚操作? あんなチート能力(笑)で敵をどうしろってんだ! ほーら、指をしゃぶってごらん、甘くなってきただろう、甘いもの食べると争う気なんてなくなるよね、ですからどうかお目こぼしを、って通じる気が全くしねーよ! そんなわけで男子高校生が持ち合わせる身体能力のみでモンスターを倒す、って普通に無理じゃない? ここは逃げの一手か。
そう思って後ずさると、足が何かを踏む感触。パキリと枝の折れる音。鳴り止むいびき。ゴブリンが目をこすりながら周囲を見渡すと、バッチリと合う瞳と瞳。思わず微笑を浮かべる俺。止まる世界。互いの気持ちが通じ合う……
「ギギィーッ!」
「やっぱりこうなるのか!」
通じ合うわけがなかった。ゴブリンは棍棒を引っつかんで、猛然と俺に襲い掛かった。俺も回れ右して逃げ出すが、意外とゴブリン足速いな! このままだと追いつかれそうだ。覚悟を決めて向き合うと、ゴブリンは間髪入れずに棍棒を上段に構えて振り下ろした。
「ぬおっ!」
奇跡的に、振り下ろされんとしているゴブリンの手首を掴めた。そのまま力比べが始まったが、腕力はほぼ拮抗している。ただこちらは絶食三日目である。体力勝負は分が悪い。何か、もう一手欲しい。そう言って思いつくのは味覚操作しかない。相手を怯ませられるような味を、そうだ、辛味や酸味を目いっぱい味わわせてやれば!
口に指を突っ込む暇など当然ないので、腕を掴んだまま味覚操作が発動するよう祈る。トウガラシ、ハバネロ、デスソースにレモン、梅干。とにかく思いつく限りの味をイメージして、相手の味覚を操れるよう念じる。
「ギギッ?」
祈りは届いた!
ゴブリンは口の中をしきりに気にし始め、何事かわめいていたが、そのうちに力も弱まり、悶えるように地面を転がり始めた。どうやら味覚操作に成功したようだ。ゴブリンが取り落とした棍棒をすかさず拾いあげて距離を取る。これからどうする? 棍棒で殴ったら倒せるか? でもそんなのかわいそうと言うか、残酷というか、とにかくやる勇気は全くない!
辛味と酸味は想像以上にゴブリンを苦しめているようで、まだ苦しみのうめき声を上げている。しばし迷った挙句、そろそろと後ずさりし、川沿いを走って逃げた。こちらの世界に来た当日から、いざという時にはモンスターを倒す覚悟はしていた。でも実際向き合って見ると絶対無理! 襲い掛かられるのも怖いし、逆にこっちが攻撃するのも心理的なハードルが凄まじく高い。異世界転生モノで出てくるチート能力を振り回す人達はメンタル強すぎ。
「はぁ、先が思いやられるな。この調子じゃモンスターを倒して英雄に、って路線は無理そうだ。町にひきこもって味覚操作で一攫千金を目指すのがベターかな」
とはいえ、収穫はあった。味覚操作スキルが他者に対しても使えるということがわかった。しかも、今回は体に触れていれば発動したようだし、相手に指をしゃぶらせないと使えない通報待ったなしの能力でなくなったのは幸いだ。今後も使い勝手が良くなっていくことを祈るしかないな……チート能力(笑)なんて言ってすんませんでした!
そんなことを考えながら、空きっ腹を抱えてまた歩き始める。太陽が天頂に差し掛かる頃、ようやく森が途切れ、見渡す限りの草原地帯へと足を踏み入れた。そこから、遠くにではあるが見えたのは、
「町だ!」
石壁に囲まれた町であった。森の中では先行きが見えない不安で一杯であったが、行くべき場所が目に見える場所にあるということの安心感よ。思わず涙がこぼれそうになる。
「とにかくあそこに行こう。お腹も限界だし」
そして何より、町に近づく街道でのお約束イベント、”馬車にモンスターor盗賊が襲い掛かっている”が発生するかもしれない。それを助けてやれば馬車の中から高貴なお方が現れてまさかの一目ぼれ、めるくめくラブストーリーが始まるって寸法だ。これを逃す手はない! 戦闘能力皆無の俺がモンスターやら盗賊やらを追っ払えるかは別にして、だ。そんな不毛な妄想を膨らませながら町へと進んだ。
そして日が暮れる頃、特に何事もなく町の門までたどり着いたのであった。どうやらここの神様はテンプレ展開が相当お気に召さないようだ。