第十四話「吸血鬼」
「蝙蝠の羽に血のような赤い目……間違いありません、吸血鬼です」
ラムが空飛ぶ少女を見上げて呟く。確かに、背中から黒い翼が生えているし、目も真っ赤だ。あれが吸血鬼の特徴なのか。そういえば、最近吸血鬼の話聞いたな。
「もうだめですぅ、おしまいですぅ! ここで私達死んじゃうんですぅ!」
ラムが大泣きしながら叫び始めた。そうだ! 出会ったら一目散に逃げるべき魔物達、ドラゴン、悪魔と並ぶ最悪の敵だと、ラムが語っていたんだ。でも、こちらに向かって降りてきている女の子は、外見上は十五歳くらい、俺より若く見えるし、敵意もそこまで感じない。
「そんなにやばいヤツなのか?」
「遭遇したら死亡率は百二十パーセントと言われてますぅ」
「百パーセント超えてるじゃねぇか!」
「一回殺されて、死に方が面白かったからなんて理由で蘇生魔法をかけられて、もう一回殺される確率が二十パーセントです」
死にたい人にお勧めの危険なモンスターかよ! それがマジだとしたら、逃げるしかない。でも、空も飛べるような魔物相手に、疲労困憊の俺達が果たして逃げ切れるか。いざとなったら、俺が囮になってでも。そんな決意を固めた俺に向かって、ラムが自信満々に声をかけた。
「こうなったら、とっておきを使うしかありません」
「何か秘策があるのか?」
「はい」
ニヤリと笑うラム。さすがはラムさんだ! 頼りになるぜ!
「寝てる間に、痛くないようサックリやってもらいましょう! おやすみなさーい」
ラムはすーっと後ろに倒れこんだ。そのまま流れるように目を瞑り、寝息を立て始めた。昼寝の世界チャンピオンかよ!
「おい! 待て! 寝るな! 寝たら死ぬぞ! いや、寝たら殺されるぞ!」
ラムに掴みかかり、ゆさぶり、頬を張る。
「ぐぅ! ぐぅ!」
ラムはあくまでも寝ているのだとアピールする。いや、もう口で言ってるだけなの丸分かりだからね!?
そんなやり取りをしている間に、吸血鬼はもう間近に迫っていた。背丈は俺の胸くらいしかない、小柄でスレンダーな体型。金色の髪が月光に照らされ煌びやかな光を放ち、肌は透き通るように白い。幼い容姿にも関わらず、妖艶な色気を感じる。背中にあったはずの蝙蝠の羽は、今は見当たらない。彼女は俺達を見ながら楽しそうに笑っていた。
「カカカ。お主ら愉快よの。芸人でも目指しとるのか?」
こ、これは悪くない感触なのでは? 吸血鬼からはオークやスケルトンから感じたような、明確な殺意を感じない。さっきのラムの話も噂半分で、意外と話が通じるモンスターかもしれない。ゴクリと喉が鳴る。なんとかここを切り抜けるべく、交渉をするのだ!
「ま、待ってください! 俺達なんて食べても美味しくないですよ?」
「美味くないじゃと?」
空気が凍る。体が動かない。呼吸もうまくできない。何だ? 何が起こっている? 考えも上手くまとまらない。
「知っておるわ。ワシはそんな不味い血だけを啜って数百年を生きる吸血鬼よ。ただの血袋が吼えるな」
先ほどの一言で地雷を踏んだことは分かった。彼女が怒っていることも。そして、溢れ出る威圧感で、体が萎縮して微動だにできないのだということも。何とかしなければ。彼女の怒りの根源は何だ? 何が原因で怒っているんだ? あぁ、考えがまとまらない。でも、何か言わなければ死ぬことだけは明らかだ。
「ま、待ってください」
苦し紛れに口を開く。辛うじて出た言葉はそれだけだった。
「くどいの、小童」
プレッシャーが増す。意識が遠のきそうになる。もういい、俺に出来ることなんて、これしかないんだ。
「あなたに、美味い血を飲ませて見せます」
搾り出した一言。
「ほう」
それは、予想外に彼女の興味を引いたようだった。そして、それ以上に怒りを買ったらしい。
「言うに事欠いて、美味い血じゃと? 一々苛立たせてくれるな、羽虫が。ワシはあらゆる生物の血を飲んできた。だが、美味いと感じるものなど一滴もなかった。永遠を生きる者にとって、それがどれほどの苦痛かわかるか?」
かみ締めるように、呪詛のように、彼女は憤怒の表情を浮かべ、俺の元へゆったりと歩いてくる。既に力なくへたり込んでいた俺の首根っこを荒々しく掴んで持ち上げた。
「そうまで言うなら、貴様の血を試してやるわ!」
首筋に噛み付かれた。燃えるような痛み。悲鳴を上げる気力もない。だが、これだけはやらなければ。せめて一矢報いてやる。味覚操作を発動する。俺の首から、何かが抜けていく感覚がする。
「こ、これは!」
一口味わった吸血鬼は、驚愕の表情を浮かべた。
「な、何じゃこれは。こんな血は、飲んだことがない。一体貴様は……」
彼女の殺気が弱まっていく。初めて飲む「美味い血」の衝撃はかなり大きいようだ。
「私の魔法の効果です」
「そのような魔法があるとは。これは、これは美味いぞ!」
いてっ! 再び首に牙を突き立てられる。同じところから飲んでくれよ! 痛いんだよ! しかもさっきよりも豪快に吸われている感じがする。いや、かなり飲まれてる気がする。ちょっと目の前がチカチカしてきた。
「うむ! これはたまらんのぅ。どれ、もう一口」
「そ、その辺で勘弁してもらえませんかね?」
このままだとマジで吸い尽くされる! 嬉しそうにがぶ飲みしていた吸血鬼をやんわりと宥める。
「そうじゃった。お主が死んでは美味い血が飲めなくなるのじゃったな。加減などしたことがなかったのでついな」
彼女も我に帰ったようで、ようやく口を離してくれた。銀色の糸が俺の首と彼女の唇を結んでいた。口の端についていた血を舌先で艶かしく舐めとる。平常時なら興奮したかもしれないが、さすがにこの状況で楽しめるほど俺は上級者じゃない。首がヒリヒリしてるしな。
「よし、貴様をワシ専属の召使いにしてやろう」
「召使い、ですか」
少しの間考え込んでいたような吸血鬼は名案を思いついた、と頭に電球を幻視する勢いで提案してきた。召使いか。大方、毎食の準備と味覚操作をかけるお役目といったところか。ちょっとした雑用をこなすだけで、強者の庇護をもらえるのであれば悪くはないかもしれない。いや、断れる立場にもないのだが。
「うむ。貴様に死なれると困るのでな。ちょいと不老不死にしてやって、ワシの命令に絶対服従にするだけじゃ」
こいつ、とんでもない提案してきやがるな!? それって未来永劫、味覚操作をかけ続けるマシーンになるってことじゃない?
「ちょ、ちょっと待ってください」
「なんじゃ。不服か? 大丈夫じゃ、ワシの血族となればワシの意思に従うことに最高の愉悦を感じられるようになる。安心せよ」
不服だよ! 洗脳どころじゃなくて、意識を塗り替えられてるじゃねぇか! これは、何としても拒否しなければ。うなれ、俺の舌よ! でまかせでも何でもいいから、とにかくその血族ルートは無しにするんだ! そして、何とか切り抜けられそうな言い訳を思いついた。
「えーっと、確かに今この魔法を使えるのは私しかいません。ただ、私はこの魔法を研究し、他の者でも使えるようにしたいのです」
「そんなことをしてどうするのじゃ? 貴様一人おれば十分であろう」
「いえ、使い手が多くなれば、魔法は洗練されていきます。その内に、私よりも上等な使い手が現れれば、更に感動的な血を提供できるかもしれません」
「ふむ。一理あるの。貴様はあまり才能がなさそうだし」
ナチュラルに毒を吐かないでくれ。その言葉は俺に効く。
「そういうわけで、私達は今王都にある魔法研究所に向かっていたのです」
「なるほどの」
うむ。完璧な論理展開だ! これで彼女も次世代に望みを託してくれるだろう。さようなら、吸血鬼さん、お達者でね!
「では、ワシもついていくとしよう」
「えっ……」
「これから毎日美味い血を振舞ってもらわねばならん。それに、ワシの目の届かぬ所で死なれても困るしの」
……デスヨネー。次世代が育つまでは俺が面倒見ないといけないんだろうなぁとは思ってました。そりゃついてくるよね。
そしてふと思い至る。味覚操作って他の人が使えるようになるんだろうか。仮にも神様からもらった加護な訳で、魔法とは別物だろう。今までは他の人に伝授する、という名目だけがあれば良かったのだ。ここに至って、味覚操作の使い手を増やさねば、漏れなく吸血鬼の召使いとして永劫の時を生きるなんて罰ゲームが設定されてしまったのだ。血の気が引いていく気がした。さっき吸われすぎただけじゃないのは確かだ。
「ご主人様、吸血鬼様とお近づきになるとは、ちょっとヤバイですぅ」
今更になってこっそりと狸寝入りから起き上がってきたラムが呟く。そこは「流石です」で良いんじゃないの? っていうか、ラムよ! さっきから寝てるフリしながら、俺が吸血されてるのチラチラ見てたの知ってるんだからな! ち、畜生! あとで文句言ってやる!
嬉しそうに鼻を鳴らしながら、こちらを伺っている吸血鬼が目に入る。ついてくるな、なんて言ったらその瞬間に血族にされるだろうなぁ。諦めるしかない。
「わかりました。よろしくお願いします。私はリョータと言います」
「護衛のラムですぅ」
「ワシがついておれば危険なことなどないがの」
「むぅ。でも、私はご主人様の護衛です」
「カカカ。精々励むがいいぞ小娘」
吸血鬼が出てくるまでは、ラムは確かに護衛だった。立派に務めを果たしていた。でも、その後はポンコツっぷりが目立つね。認識を改めねばならん。
「えーっと、それで貴方は何とお呼びすれば?」
「好きに呼べ。真名は教えられんでな」
「そ、そうですか……」
好きに、と言われてもなぁ。日本にいるころからネーミングセンスが無いって言われてたんだよなぁ。中学二年生が好きそう、とか、背筋がぞっとするから止めろ、とか。仕方ない、無難な感じで行くか。
「じゃあ、吸血鬼だからキュウちゃん」
女性陣二人は信じられないものを見るような目でこっちを睨みつけてくる。す、好きにしろって言ったじゃないか!




