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思い出は今も生きている

作者: 咲 潤

澄みきった青い空。


遠くの方に消えかかった鰯雲の名残が見える。


それ以外は一面の青で、夏場より少し遠くなった太陽が、真上よりは幾らか西側に傾いていた。


その空に浮かぶ小さな玉から燦々と降り注ぐ光が、窓を潜って部屋の中に差し込む。


「お母さん。ありがとう」


着付けを終えた私の身の回りの世話を、母が付きっきりでしてくれていた。


「なによ。あんたの世話なんか、あんたが生まれてからずっとやって来た事なんだから、大した事じゃないわ」


母はそう言って、複雑な笑みを浮かべた。


「だから、今まで、本当にお世話になりましたって事よ」


江戸っ子の様に粋な母は、あまり辛気臭い雰囲気が好きではない。


だから私も、ついそれに甘えて強がって見せる。


今、泣いてしまったら、本番前にしっかりと決めたお化粧が台無しになってしまうから。


せめて式を終えるまでは、崩れない様にしなくては。


母も、そんな私の気持ちを理解し、あえて少し憎らしいくらいの言葉を発したのだ。


母は、私の事なら何でも知っている。


正に今も、私が強がっているのを知っていて、母自身も強がりながら、わざと素っ気ない態度をしていた。


「ほら、準備が出来たなら、お父さん呼んでくるわよ?」


「うん。お願い」


「これ、式に入ったら披露宴まで飲み物は飲めないから、あと少しだけど飲みきっちゃいなさい」


「わかった」


化粧が崩れない様に、わざわざストローを差した、お茶のペットボトル。


あまり飲み過ぎても、式の途中でお手洗いに行けないからと、小さいサイズのボトルを用意してくれた。


残り四分の一にも満たないお茶を、母が部屋を出てからゆっくりと飲み干す。


その間、着付けの(かた)が髪をチョンチョンと整えていた。


今の時代、和装の式もあまり見かけないが、私はやっぱり日本人だ。


二十五歳を過ぎてから、妙に日本の文化に引き込まれ、式は和装でやりたいと、元彼氏に相談していた。


その彼も、今では婚約者となり、今日から私の旦那となる。


その彼とは、二十年越しに愛が実ったのだった。





―――――――二十年前。


小学校三年生となった私は、五月の席替えで、校庭が見える窓際の席になった。


月に一回、ホームルームの時間で行われる席替えは、当時の生徒達にとって、結果に一喜一憂する一大イベントだった。


友達と隣同士になれるか。


好きなあの子と近づけるか、等と、小学校三年生ともなれば、初恋等も芽生え始め、期待が膨らむ年頃なのだ。


そんな中、私にはまだ初恋は訪れていなかった。


そして、それまでの私には友達と呼べる人も居なかったので、席なんか先生の目の前さえ回避出来ればどこでも良かった。


しかし、そう思っていた私の中に、それは突然芽生えたのだった。


ある日の事、窓際の席となった私は、授業中に何気なく外を見ていた。


すると、他のクラスが体育の授業でドッジボールをやっているのが目に入る。


その中で一人だけ、私の目を引いた人物がいたのだ。


どうやら、体育の授業をしていたのは三組の様だった。


そして、私の目を引いたのが、三組の向井龍樹(たつき)君だった。


ドッジボールはそれほど上手くも、下手でもなく、敵の投げるボールを見事にキャッチして敵に当てたと思えば、敵に即座に反撃されてあっさり当てられる。


外野に出て直ぐに仲間からのパスをもらい、しっかり敵に当てて復活するも、敵を一人外野へ送ると、間もなく自らも再び外野へ。


キャッチも五分五分、投げるも五分五分である。


どんどんキャッチしてどんどん敵を外野送りする程の目立った活躍も無ければ、直ぐにやられて最後まで復活できないといったダメダメな成果でもない。


でも何故か、私は目を引かれるのだ。


龍樹君に意識を向けていると、国語の先生に注意された。


それは、毎週火曜日の二時間目と、金曜日の四時間目にだけ起こる、紛れもない私の初恋だった。


テストの点は大きく下がった覚えはない。


二年生の三学期までを基準にすると、それより多少低い時もあれば、多少上がった時もあった。


でも、通信簿には授業態度が響いた。


一学期は、最後の一ヶ月くらいしか授業中に彼を見ることもなかったので、先生からの一言の所に「最近、集中力が散漫になり始めています。」等の注意で済んでいた。


ところが、二学期には完全に授業態度の悪化だけで、国語の評価がAからBに落ちたのだ。


これと言うのも、三組が体育の授業の時、私のクラスが必ず国語であることが原因なのだ。


等と言い訳しても始まらない。


当然、父からは怒られる事となった。


でも、母からは成績の良し悪しで怒られたりはしなかった。


粋な母は成績より人間性の方が大事だからと、「向上しようとする努力だけは忘れちゃダメだからね」等と、概ね注意の様な話に止まった。


それからというもの、小学校に通っている間は彼と同じクラスになる事が無く、遠くから眺めているだけで精一杯だった。


その代わりという訳では無いが、初恋とは別に、私は四年生の時に友達を得ることが出来た。


クラスでもそれほど目立つ方じゃなかったけど、菜月(なつき)朱璃(あかり)という二人の友達は、学年が上がり、クラスが別々になっても休憩時間には一緒に居る位に仲良くなった。


朱璃は元々菜月の友達で、菜月と仲良くなると漏れなく仲良くなった。


菜月は、苗字が朝見(あさみ)というので、「名前を読むと、どっちが下の名前でも苗字でもおかしくないね」と言うのが、初めて彼女に声をかけた時の私のセリフだった気がする。


ナツキ アサミ、アサミ ナツキ。


後者が正しいのだが、そんな下らない事でも、切っ掛けとして笑って話せたあの頃が懐かしい。


そうして小学校生活は、初恋が実らなくてもそれなりに楽しく過ごす事が出来たのだった。





小学校を卒業すると、平凡に地元の公立中学に入学した。


すると、恋とは縁が遠いと思われた私達にも、満を持して恋話に花を咲かせる様になった。


それまで男子に興味が無かった朱璃が、他の小学校の生徒と一緒の学区となった中学で、とうとう隣のクラスの、違う小学校から進学してきた陸上部の男子に恋をしたのだ。


それを切っ掛けに、菜月は三年生の野球部の先輩の事が、私は龍樹君の事が好きである事を明かし、三人でお泊まり会をしたときにも其々の想い人の話で盛り上がったのだった。


どうやら菜月のお相手は家が近所で、小学校のグループ登校でも同じ班だったらしく、実は大分前から気にはなっていたのだという。


朱璃は、登校時に朝練している姿を見て気になっていたら、隣のクラスに入って机に座ったのを見て驚いたらしい。


と言うのも、朝練を見かけたのが入学して三日目で、まさかそんなに早く一年生が入部していて、しかも普通に練習しているとは思わなかったから、先輩だと思い込んでいたのだとか。


しかし、そんな二人に、私は羨ましがられた。


なぜなら、他の二人の想い人は、少なくとも同じクラスには居ない。


そう。


龍樹君と私は、中学一年になって初めて同じクラスになったのだ。


最初の頃はドキドキして、話し掛けられても素っ気ない対応しかできなかったのが、今でも残念で仕方がない。


「一緒のクラスだと、それはそれで私のダメな所も見られているみたいで恥ずかしいよ」等と二人に言うと、「おーおー、嬉しい悩みですなぁ」等と茶化された。


そんな時、クラスの女子達にも龍樹君が人気がある事を知った。


私は目立たない方だから、こんな私の事なんて見向きもしない。


そう自分に言い聞かせて、日々を過ごしていた。


お陰で、同じクラスになれたのに、あまり目立った彼との接点は無かった。


私にとっては、ちょっとした会話も記憶に残る出来事ではあったけど。


「同じクラスだと恥ずかしい」という意味では幸いと言うべきか、二年に学年が上がると、龍樹君とは再びクラスが別れてしまい、私の片想いは菜月と朱璃と三人だけの間で守られてきた。


しかし、三年になるとその秘密は暴露される事となる。


それというのも、原因は私の自滅だった。


実は、二年以降、龍樹君と別のクラスになった代わりに、私は時々龍樹君に触れ合う機会があった。


それは、部活動の一環としての重要な任務だった。


龍樹君はサッカー部。


私は写真部に所属していたのだが、私の通う学校はサッカー部が強く、中学サッカー大会では全国にまで行く程の実力があった。


二年生からレギュラー入りした龍樹君は、二年の夏も、三年の夏も例外無く、地区大会、県大会、関東大会と勝ち上がり、全国大会出場までたどり着く。


それらの大会で次の大会出場が決定する度に、写真部は生徒会からの指示で、新聞部と連携して学校新聞に載せる写真を撮りに、サッカー部の取材に行くのだ。


大きな大会に出場する優秀な部活には、生徒全員で応援できる様にする。


学校側のそんな方針に基づき、生徒全員が大会に興味を持てる様に、学校新聞にはかなりの力を入れていたのだ。


その為、大会の試合には写真部も三人以上が同行し、其々に写真を何枚も撮らせ、中でも良いと思われた写真を数枚だけ選び、学校新聞に載せる。


その同行要員として、私は毎回抜擢されていた。


写真部は、私が三年生の時にはたったの八人しか居なかったのだが、大半が鉄道や風景の撮影を好んで入部したのに対し、私は風景より、人や生き物の被写体を撮影するのが好きだった、というのが抜擢された理由である。


私は龍樹君と触れ合う恥ずかしさに、出来れば辞退したいところでもあったが、やはり触れ合いたいという恋心の複雑な部分が勝って引き受けるのだった。


大会にはお父さんから貰ったライカを持って行く。


自動では反って大事な一瞬が上手く撮れない事があるので、手動で絞り等を調節する。


その微妙な調節は、まだまだ技術の無い私には難しかったが、せめてブレだけは無くす様に、警棒を長くしたような一脚を持って大会の撮影に挑んだ。


三脚では、足の部分が地に固定されているので、横の動きを追う時、ハンドルで雲台を回して追わなければならない。


その時、滑りが悪いとクッと引っ掛かる様な動きをする事があり、うまく追えない事がある。


その点、一脚なら脚ごと地面との支点から回転させられるので、倒れるブレさえ押さえれば、横流れのプレーを追うのはスムーズにできる。


三脚の方が安定するという意見が多いのだが、色んな装備を揃え、大きな望遠レンズを装着したプロの重たいカメラならまだしも、素人の小さい望遠装備程度の軽いカメラを使用する私には一脚の方が扱いやすかった。


そうして取材に何度も足を運んだ私は、三年生の時、気付けば龍樹君のプレーばかりをカメラで追ってしまっていた。


お陰で、私の撮った写真は八割以上が龍樹君のものばかり。


地区大会の時だけならまだ“たまたま”だと言えなくもないが、それが県大会、関東大会と続くと、さすがに皆も疑問を持つ。


それが原因で、写真部と新聞部の皆に私が龍樹君を意識している事がバレてしまい、噂が広がってしまったのだった。


本人にもそんな噂が届く頃、私達は既に高校受験に差し掛かっていた。


そんな時期に本人に知られてしまったから、私は恥ずかしさのあまり彼と同じ高校を選ぶ事が出来なかった。


そうして高校は、彼はサッカーの名門校へ進み、私は地元の高校へと進学を果たしたのだった。





彼の方は、後から聞いた話で、高校三年間で八人もの女子に告白されたらしいのだが、あまりそう言うものに興味が無かったらしく、靡かなかったと言う。


私の方は、誰一人として告白された事は無かったのだが、幸い菜月が同じ学校に通っていたので、菜月と、新しく出来た友達と共に恋愛とは程遠い生活を送っていた。


そんな高校生活で楽しみと言えば、夏休みのインターハイを見に行く事だった。


勿論、龍樹君の試合である。


龍樹君は、その実力を買われ、高校に入って一年生の夏にはスタメンに選ばれていた。


右ウイングと言うポジションで試合に出ていたのだ。


小学校時代には特に秀でた運動神経を持ち合わせていたわけではなかった龍樹君が、中学三年間の部活によって類いまれなる才能を開花させた事は言うまでもない。


お陰で高校三年間、毎年の夏休みは龍樹君を応援しに行く予定が詰まっていた。


地区予選の時、自分の通う学校と龍樹君の学校の試合があった時には、母校には悪いが、龍樹君を応援させて貰った。


だって、学校が離れ離れになった分、出来るだけ沢山龍樹君を見ていたいから。


そうして、龍樹君が居ない学校に通う私は、夏休みには私が勝手に彼に会いに行くと言う学校生活を過ごした。


そして、秋には文化祭で会いに行く。


私は公立だったせいか、文化祭は週末に一日だけ催されるのだが、龍樹君の学校は私立で、週末の土日二日間で催していたのだ。


つまり、私は自分の学校の文化祭を行っても、龍樹君の学校はもう一日催されているので、休日を利用して龍樹君の学校の文化祭に行っていた。


勿論、菜月は道連れである。


一年の時のジャンボたこ焼き・お好み焼き屋さん、二年の時のおでん屋さん、三年の時のB級フード屋さんと、龍樹君のクラスのお店には必ず行っていた。


龍樹君も、中学生の時の取材で顔見知り程度に知り合っていた私に声をかけてくれて、恥ずかしがりながらも嬉しかったのを覚えてる。


三年の時のB級フード屋さんは、モチモチ麺が売りの富士宮焼きそば、シロコロホルモン、海軍カレーやトンテキ、牛すじ煮込みを売っていて、龍樹君オススメのそれら全てをミックスした『ごちゃ混ぜ』が意外に凄く美味しかった。


具沢山のラーメンと言うか、煮込みうどんと言うか。


カレーがかかっているから、カレーソバとでも例えれば良いのか、料理名としては例えようが無い。


多少の説明を加えて言うなら、牛すじ煮込みの煮汁をスープにしたモチモチ太麺のラーメンに、具は焼きそばのキャベツ、玉ねぎ、ニンジン、もやし。


牛すじの他にもトンテキやシロコロホルモンがトッピングされ、シーフードの海軍カレーがかかっている。


私と菜月には量が多くて、二人で一人前を食べたけど、食べ頃の男子なら、ウケる事間違いない位にボリュームたっぷりだった。


そんなこんなで、進学も何とか現役で大学合格を果たし、三年間の高校生活は卒業を迎えた。


そして、この後の大学生活から、本格的に私の恋愛は動き始めたのだった。





私の通う大学に、龍樹君も入学していた。


でも、サッカーとは程遠い工芸大で、私はカメラの道を選んだからこの大学に通う事にしたのだが、龍樹君の方はなぜここへ来たのか、最初は私にも解らなかった。


まさか、私と同じ大学を選んで!?


そんな『まさか』な事態ではない事は、後々、彼から直接聞き出し、知ることとなる。


彼は、サッカー推薦を拒否し、自力で大学を受けた。


彼自身、サッカーというよりもゲームの様な勝負事を好む所があって、サッカーでプロを目指すという一つの選択肢に縛られる事はしたくはなかったらしいのだ。


尤も、プロのサッカー選手を目指すのは、数ある選択肢の一つにはしていた様だったけど。


そんな彼の出した、この大学に通うという選択は、私にとっては嬉しい限りだった。


小学校三年生の時以来、ずっと片思いしていた相手が、再び私の前に現れたのだから。


彼の方も、入学して間もなく私の存在に気付いてくれた。


そして、学食で最初に声をかけてきてくれたのは龍樹君の方だった。


私は相変わらずドキドキしながら、口下手にも程があるくらいに会話が噛み合わなかった。


でも、彼はプログラミングの課程の合間に、私はプログラファー課程の合間に、会えるときはお互い友人を連れて会うようになる。


そして、夏には海や山でサマースポーツやバーベキュー、秋には紅葉や古都散策、冬には雪山にウィンタースポーツ等で遊ぶようになり、春には桜巡りなどちょっと遠くに日帰り観光、ショッピングやディナー・ランチ等は通年の遊びとして、毎年それらを楽しみながら大学生活を満喫した。


バイトにも勤しみ、将来に繋がる様にプログラファーのアシスタント等も経験しながら、充実した大学生活に現役で卒業を迎えた。


卒業式の日。


思いもよらぬ事が起きた。


なんと、彼から告白されたのですよ!


返事は勿論、オーケーですとも!!


でも、緊張と驚きで、すぐその場では答えられず、一日待たせてしまったのはごめんなさい……。


あの告白の後、私は急用が出来たと言ってその場を去った。


実は、かなりテンパってて、無我夢中で菜月を呼び出し、散々振り回した挙げ句、菜月に家まで送って貰った。


天にも昇る気分で、地に脚が付いていない私の様子に見かねて、菜月は一人で帰せないと思ったらしい。


そして、夢か幻かと思いながら、一睡も出来ずに翌朝、彼に確認の電話をした。


間違いなく私に告白してくれた事を確認して、私は嬉しさと緊張のあまり自分のダメな所とか沢山言い出して混乱しちゃったけど、彼はそんなの全然気にしなかった。


そうして、私達は付き合う事になった。


この時の私は、正直言うと結婚のプロポーズを受けた時より嬉しかったっけ。


だって、プロポーズされた時には、来るべき時が来たとばかりに思っていたもの。


付き合う事ができて、本当に大切にしてくれる龍樹とは、いつか必ず結婚するって、いつの間にか思える自分が居たから。





それから社会に出た私達は、別々の仕事に就き、比較的自由の利く私の方が彼に休みを合わせて、月に二度以上は一日会える日を作っていた。


それでなくても、どうしても外せない仕事や用事が無い限り、週一回はディナーデート等を出来るようにしていたのだけど。


そうして、社会人となってもうすぐ十年という時。


私達は、ついに結婚へとたどり着いたのだった。






――――――父が私を連れに部屋へ入ってくる。


父にも想う所があるのだろう。


ノックの後、重そうに扉を開けて、無理に作った様な笑顔をこちらに向けた。


その父の手に引かれ、私は赤い絨毯の上を歩く。


そして、龍樹と誓い合い、祝福してくれる皆の前で、キスを交わすのだった。


勿論、会社の同僚達の他に、菜月と朱璃、他にも数人は私の友人として来て貰った。


龍樹のお友達も来てもらって、皆から祝福してもらえたのはこの上無く嬉しかった。


式が終わると、披露宴では我ながら感動してしまい、我慢していた涙も沢山流してしまった。


披露宴の最後で友人達と撮った写真には、見事にパンダとなった私の笑顔があった。


そして、私と龍樹の結婚生活が始まるのだった。







――――――更に月日は流れた。


龍樹と結婚してから、五年の月日もあっという間に過ぎて、二人の子供にも出会う事が出来た。


二人とも男の子で、一人目の子が三歳の龍理(リューリ)


二人目が二歳の英樹(エイジュ)と名付けた。


私の英理と龍樹の名前を組み合わせた、二人の愛の結晶。


生まれてきてくれてありがとう。


そんな私と龍樹の想いを惜しみ無く注いだ二人の子供は、スクスクと育ち、龍理は来年から幼稚園に入園する。


年子の男の子達は、龍樹の血を引いているからか、サッカーに興味があるのかな。


龍理が小さなゴムボールを蹴ると、英樹も真似をして蹴るのよ。


この子達の将来は、好きなことをやらせてあげよう。


龍樹はそう言って、夜、二人の寝顔に語りかけていた事もあったね。


あなたと結婚してから五年が過ぎた今日。


私はこれまでも、これからもずっと幸せに生きていく。


だって、貴方との思い出は私の中に生きているのだから。


あの頃の苦い思い出も、デートで可笑しな冗談を言って笑わせてくれた事も、川の上流でバーベキューした時、帰りに車の調子が悪くなって、三時間も山の中に足止めされたのは、本当に怖かった。


このまま帰れなくなったらどうしようって、内心ではパニックだったよ。


そして、初めて過ごしたあなたとの夜も。


永遠の愛を誓い合ったあの日も、私には勿体無い位に嬉しかった。


あなたがくれた、沢山の思い出。


全てを胸に、私は強く生きていく。


だから、待っててね。


いつか子供たちを立派に育てて、そっちに行くから。


その時には、少しは私を甘やかせてね。


学生時代の私は、あなたに甘えられなかったんですから。


そんな我が儘も、あなたなら許してくれるはず。


……きっと―――――




龍樹の眠るお墓を前に、私は立ち上がる。


彼が見守ってくれている様な、優しい感覚に包まれながら。


肌を刺す風の冷たさにも負けない、暖かい思いが瞳から溢れる。


私は、両手に繋がる二つの命を感じながら、そっと空を見上げて微笑んだ。

この物語は、極めて平凡に生きる女性が思い出を胸に生きていく事を表現しているつもりですが、平凡とは?本当にそれが幸せなのか?等など……というものを問いかけたい作品です。

夫を失った状況は、交通事故なのか、自殺や不慮の事故なのか、殺人なのか、はたまたそれ以外の状況だったのかはあえて書きません。

その状況を読者様が御自身で想像して当てはめ、それでも尚、強く生きていこうとする主人公の詳細な思いを想像してみて下さい。

そして、その主人公の思いが必ず前向きである事を基本とした答えを導きだし、それが読者様の前向きに生きる一つの小さな力になれたらと思います。

稚拙な作品で伝えられるかは解りませんが、伝わる事を祈ります。

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