“幸せの花束”を、君に。
リリィの花屋にはおかしなお得意さんがいる。その人は毎日、夕方になるとやってきて、リリィが作る“今日のおすすめ”と書かれた花束を買って行く。
リリィがこっそりお代を頂戴するときに覗き見た手は大きくて、おそらく男性であるのだろうと推測された。が、彼はいつもすっぽりと外套をかぶっていて、その上手袋もはめている。そして、絶対に口をきかない。なのでその正体は謎だった。
身振り手振りだけで買い物を済ませる彼を見送りつつ、リリィはいつもこっそり心の中で話しかける。
___いつもありがとうございます。あなたのおかげで今日もお花を無駄にしなくて済みました。あなたは___一体どんな方なのですか?
名前も、歳も、住んでいる場所も、何一つ知らない。だが、リリィは間違いなくこのお得意さんに親しみを感じていた。
彼女は想像する。想像の中で彼は全く花が結びつかなさそうな外見をしていて、だけど情熱的に毎日恋人に花を贈る。___花を捧げるってどんな気持ちなのかしら。想像しようとしてなかなかうまくいかなかった。何しろ15になるお年頃のリリィにはそういう相手がいない。ちょっと嫉妬しそうだ。
リリィは5年前、10歳の時に両親を亡くしている。親戚の叔母さんはリリィを引き取ると言ってくれたけれども、両親がやっていた花屋を潰したくなくて、リリィは一年だけ待って欲しいとお願いしたのだ。一年経って花屋が上手くいかなかったら叔母さんと一緒に暮らします、と。
仕入れ先のおじさんとは両親が親しくしていたため、リリィを小さい頃からよく見知っており、これがプラスに働いてこの申し出は許可された。
しかし、現実は厳しかった。
10歳のリリィは小柄で人の目に止まりにくかった。一生懸命呼び込みをしてお客さんが来てくれても、年端もいかない少女の作った拙い花束では買い手がつかない。リリィは全く売れない花で花束の練習をするしかなかった。
そうして、何とか売りに出せるかなという出来に花束がなって来た頃には、もっと酷いことにもとのお得意さんは別の店に取られてしまっていたのだ。
リリィはもうどうしたらいいのかわからなくて、花束に“今日のおすすめ”というポップを書いた。
実は、今日のおすすめ、というのはあながち全くの嘘ではなかった。リリィは花束の練習をしているうちに花たちが意思を持っているのではと考えるようになっていた。
“こっちの子と一緒がいいわ”
“あら私はあっちの子よ”
“その組み合わせはないわよ”
はっきりと聞こえるわけではないのだ。でもなんとなくそんな会話が聞こえてくる気がして、それに従って花束を組むようにしていた。
日が傾き、今日もダメかな。と諦めかけた時にその、風変わりな客人はやってきた。
彼は立ち止まり、フードに隠された目で、リリィの作った“今日のおすすめ”をじっと見つめていた。
「あのっ、お花いかがですか?」
ドキドキしながら声をかける。本当はもっとセールストークとかしなきゃいけなかったんだろう。でも、本当に久しぶりに足を留めてくれたお客さんに声が喉に張り付いて出てこなかった。
彼はしばらくして一つ頷くと花束を抱え、片手をリリィに突き出した。
「買ってくれるの?」
慌てて手を差し出して硬貨を受け取る。
「ありがとうございましたっ。どうぞご贔屓に。」
リリィは上ずる声でお礼を言って、頭を深々と下げて見送る。
___初めてお花が売れた。リリィは感動していた。また来てくれるといいな、と願う。そうして、次の日もまた次の日も、それからずっとおかしなお得意さんは毎日訪れるようになった。
そして___リリィの作った“今日のおすすめ”は少しづつ売り上げを伸ばして行き、気付いた時には、あの花束を渡すと意中の人と恋人になれる、病気の人が元気になるとかいう噂がたっていて幸せを呼ぶ“魔法の花束”としてリリィの花屋はお客さんであふれるようになっていった。
話は現在に戻る。
その日、たまたまリリィはお花の配達に出ていた。本当は配達の依頼は受けないのだが、病気の祖母にどうしても花を渡してやりたいが時間が作れないと言うお客さんの話を聞いてしまい、話を受けたのだ。
届け先のうちは街から少し離れた森の中にあった。病人は元気そうで、思いがけず話が弾んでしまい、もともとの予定の滞在時間を大幅に過ぎていた。
もう日が傾きかけている。そろそろいつものお得意さんのくる時間だ。彼女は帰路を急いでいた。森の中は霧が出ていて肌寒い。肩掛けをかきあわせて小走りで駆けて行く。
もうすぐで森を抜けると思った時だ。いきなり霧が濃くなり方角を見失う。そして濃霧が引いて行くと、そこには銀色の髪をした背の高い青年が立っていた。
彼の赤い瞳が驚いたように見開かれる。
赤の瞳は魔の証。今は___黄昏時だ。
リリィは青年を見上げたまま固まる。
だが、彼の羽織っている外套を見て、さらに驚愕する。
「あなた、もしかして花屋のお得意さん?」
それは間違いなくいつものおかしなお得意さんの纏っている外套と同じものだった。
「……こんにちは。リリィ。」
「ここはこの時間滅多に人がいないから油断したよ。」
彼は観念したように話し始める。彼の声を聞いたのは初めてだ。
低くて官能的でむずむずするようないい声だ。リリィはぼーっと彼の瞳を見つめながら思った。
「ああ、ごめん。ダメだよ。僕の瞳を見ては。魅了にかかってしまう。」
頭の中がほわほわする。今ならこの青年にいつも言いたかったことを言える気がした。
「いつもご贔屓ありがとうございます。あなたに会うのを毎日楽しみにしていました。お花は恋人に贈ってらっしゃるの?」
「君、大丈夫?魅了にかかってない?」
彼は不思議そうだ。
「花を贈る相手なんていないよ。顔の見えないお得意さんなんて不気味なだけだろうに。」
「いいえ。」
リリィは彼が初めて花束を買ってくれてから、売れ行きが伸び、不思議な効果のある“魔法の花束”とまで言われている、と話した。
「それは僕の力じゃないよ。君の力だ。君は花の声が聞こえるんじゃないかい?」
リリィはびっくりした。今まで誰にも話したことがなかったからだ。
「僕は血を滅多に飲まないはぐれの吸血鬼だ。僕がリリィの花屋に花束を買いに行ってたのは、食事のためだ。」
「植物からでも吸血鬼は力を吸い取ることで糧にすることができる。」
「本当はそれだけで生きてなんて行けないくらい効率の悪い方法なんだけど」
「リリィの作った花束はどれも、花の持つ力を高める組み合わせだった。」
「助かったよ。僕が血を飲まなくてもこんなに元気でいられるのは君のおかげだ。」
___ありがとう。
告げられて心がふんわり暖かくなった。
「でも、もうお別れかな? 魔物が通う花屋なんて嫌だろう?」
彼は寂しそうに言う。
「いいえ! また、来て下さい! 誰にも言いませんから。」
「それで、出来れば、その、___少しでいいので私とお話をしていただけませんか?」
あなたは人を襲わないんでしょ?と続ける。
「私、ずっとあなたとお話ししてみたかったんです。だめ、ですか?」
「それは、別に構わないけど、でも本当にいいのかい?」
「はい!」
「僕が絶対人を襲わない確証なんてないんだよ?」
「はい」
「物好きだね…君も。でもリリィの顔を見に行けなくなるのは僕としても残念だったから___ありがとう。」
「もしも何かあったら僕たちは秘密の共犯者だよ?」
悪戯めかして笑う彼は楽しそうで、リリィは思わずドキドキした。
彼は外套のフードを下ろすとリリィに手を差し出す。
「花屋まで帰るんでしょ? まだ花は残っているかい?」
「もちろんです。お得意様用に取り置きしてあります。」
リリィはその手を取って嬉しくなる。夢、みたいだ。
帰りながらたくさんの話を聞いた。彼は意外と饒舌だった。
太陽の光を避けていること、リリィの花束を気に入ってくれていること。
「君の花束を食べると幸せの味がするんだ。」
「きっと花束になった花たちも幸せなんだよ。」
「恋人たちが通じ合うっていうのもきっと本当だろうね。だってこの力に触れたら喧嘩をしていても馬鹿馬鹿しくなって仲直りするだろうさ。」
彼と話しながらの道行きはあっという間だった。
花屋に到着して花を包みながらリリィは花束に話しかけた。
「私たちは仲良くなれるかしら?」
思わず悩ましげな溜息が漏れる。
今日1日でかいま見た素顔の彼にすっかり虜にされてしまった。
「幸せの花束っていうなら、ちょっとくらい包んでる私にもおすそわけがあってもいいと思わない?」
「リリィ?」
不思議そうな声に呼ばれる。
「お待たせしました。」
「また来て下さいね! 絶対ですよ。」
とびきりの笑顔で包みを渡す。
「君のそんな顔が見れるなら、僕の正体がバレたのも、そう悪くはないかな。」
「リリィ。また明日。」
「また、明日。」
手を振って、今彼と別れたのにもう明日が待ち遠しくて仕方ない自分にリリィは苦笑する。次に会ったら___彼の名前を聞いてみよう。
「私って面食いだったのかしら。」
「秘密って解けたら面白くないと思ってたけど違うものね。」
リリィは明日も花束を作る。
それはきっと奇跡を呼ぶだろう。
___“幸せの花束”を、君に。