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さよなら

作者: 颯樹

不倫はダメですよー。

あなたと一緒にいられるのなら、2番目の女でもかまわないと思っていたけれど。

本当はダメだと理解わかっていたでしょう?

 

さよなら、私のこいごころ。





”今夜19時、いつもの場所で”



「田中、この書類の処理頼むな。」


経費申請書の書類に紛れ込んでいた1枚のメモ。

誰にも知られてはいけない。

私の返事は決まっている。

そう、この返事しかない。


『はい、わかりました』



「これから営業に行ってくる。今日は直帰になるから、処理が終わったら大田に渡しておいてくれるか。」

「はい、わかりました。…いってらっしゃい。」


みんなに言っている【いってらっしゃい】が、特別な言葉になる瞬間。

胸の奥が暖かく…そして冷たくなることにあなたは気づいていますか?



――――――――――――――――――――



上司である係長とは、不倫の関係を持っている…そう2年も前から。

私は入社したばかりの営業事務、彼はその当時営業主任で色々と相談に乗ってくれていた。

頼りになる上司だったはずなのに…気がつけば彼を好きになっていた。

奥さんがいると知っていたのに。

告げることなくひっそりと想う気持ちを隠す予定は、2年前の忘年会で壊れてしまった。


『嫁と別れようと思ってるんだ。疲れてる俺を癒して、慰めてよ』


自分に好意を抱いているから、誘えば寝れる簡単な女だと思われていたのだろう。

今なら、そう思える。

だけど、その当時の私は冗談ぽく言った彼を癒したいと本気で思ってしまった。

本当に馬鹿なわたし


『いいですよ。私でよければ…主任を慰めたいです』


2次会を抜けて入ったラブホテルで、彼に抱かれた。

きっかけは彼、けれど選んだのは私。


1度きりのはずが、2年もずるずる続いてしまったのは私が弱いからだ。

誕生日もクリスマスも一緒に過ごせない寂しさに蓋をして、見て見ぬ振りをして。

もっと大事にしてほしい、と泣いている自分自身に気づかない振りをして。



――――――――――――――――――――



仕事を終え、18時すぎに会社を出る。

待ち合わせ場所は私の家の最寄り駅近くの公園。

彼を寒い中で待たせたくなくて急いで地下鉄に乗った。



公園に着いたのは18時55分、彼の姿がまだ見えないことに少しほっとした。

近くのコンビニで温かいコーヒーを買い、手のひらで温かさを感じながらバッグの中身を確認する。

今日は2月9日、金曜日。

バレンタインのチョコを渡そうと先週から準備していた。

家には持って帰れないから、小さな小さな…でも沢山悩んで買ったチョコレート。


喜んでくれるかな、美味しいって言ってくれるかな。


彼の笑顔を思い浮かべて、彼が来るのを待った。






「…さむ…。」


寒さに震える指でスマホをタップすると、画面には21時15分と表示されていた。

彼はまだ来ない。

彼は私の電話番号もアドレスも知っているのに、何の連絡もないままに。


どうして?

何かあったの?


彼に連絡したい、でも連絡出来ない。

着信履歴から私の存在がバレてしまうと困る…と言われたから。

もう少しだけ待ってみよう…あと10分だけ。

あと10分だけ…あと少しだけ。


22時まで待ったけれど…結局、彼からの連絡はなかった。



――――――――――――――――――――



寒い中待っていたことが原因なのか、翌日から発熱し3連休はベッドの中で過ごした。

頭がボーっとする。

何も考えられない。


けれど、そのほうが良かったのかもしれない。

彼のことを思い出さずにすんだから。

きっといつも通りに過ごしていたら、彼が来なかったことを何度も思い出して苦しい思いをしていただろうから。



――――――――――――――――――――



3連休明けの火曜日、まだダルさを訴える重い身体で会社へ向かう。

係長、今日は直行の予定はなかったはずだから、きっと社内にいるだろうな。

どんな顔して挨拶すればいいんだろう…。

会社に近づけば近づくほど、心の重さが身体の重さに反映されるように足取りが重くなる。


「田中。おはよう。」

「大田主任、おはようございます。」

「あれ、声どうしたの? 風邪?」

「はい、風邪をひいてしまったみたいで…。すみません。」

「あぁ、仕方ないよ。これだけ寒さが厳しければ、気をつけていたって体調を崩してしまうって。係長のところも大変みたいだし、田中も気をつけてな。」


会社に入ろうとした時、後ろから声をかけられた。

振り返ると、そこには営業主任の大田さんがいた。

ガラガラの声を指摘され、俯きながら謝ると大田さんの口から『係長』という言葉が出てきて咄嗟に顔をあげてしまう。


「係長、どうかしたんですか?」

「ん? お子さんと奥さんがインフルエンザなんだって。金曜日、訪問アポがあったんだけど同行してた木村にまかせて早退したんだよ。」

「そ、そうなんですか。流行ってますもんね、インフルエンザ。」


そっか、奥さんとお子さんがインフルエンザだから金曜日に会えなかったのか。

それなら、仕方ないよね。


【…いくら家族がインフルエンザでもメールのひとつくらい打てそうなものなのに…】


頭のどこかで、誰かが呟く。

あえて聞こえないフリをするのは、それに気づいてしまったら自分の立ち位置を突きつけられるから。

私は家族には勝てない。奥さんにも、子供にも。

ただただ、彼からの連絡を、彼の言葉だけをお守りにして待つ『私』を見ないフリ。

でないと、きっと、耐えられないから。

独りで過ごす毎日に、週末に、記念日に、イベントに。



次に彼に会えたのは、翌週になってからだった。

休んでいる間に何も問題はなかったか?と聞かれながら人目を忍んで渡されたメモには走り書きの文章。


“この前はごめん。また連絡する”


シュレッダーにかけている最中にぽとり、と落ちた雫はきっと、この埃っぽい空気のせいだ。



――――――――――――――――――――



寒さが和らいだ3月下旬のある土曜日、友人とショッピングに出かけた。

友人の彼氏の誕生日プレゼントを一緒に探す為に。


「美咲ー、早く早く!」

「はいはい。ちょっと待ってねー。」


友人に急かされながら、街並みを歩く。

そういえば、そろそろ彼の誕生日だ。私も何か渡したいけど…食べ物だったら受け取ってくれるかな。

好きなお酒は無理だろうけど、お酒に合いそうなおつまみになりそうなものだったら……。


そんなことを考えながら曲がり角を曲がった時だった。

視界に入ってきた光景に、ガンと頭を殴られた気がした。


彼と…奥さん。そして、二人の子供。

幼稚園に入るくらいの、そして…1歳になるかならないかくらいの…。


「パパ、今日は何を買うの?」

「んー、今日はあーちゃんの1歳のお誕生日プレゼントを買うんだよ。」

「ぼくのはないの?」

「ふふ、裕ちゃんのも一緒に買ってもらえるわよ。いつもあーちゃんのお兄ちゃんを頑張ってるもの。ねぇ、パパ?」

「あぁ、裕也のも買おうな。」

「やったぁぁ! パパ、ありがとう!」


無意識に後ずさったせいで建物の陰に隠れてしまった私に気づくことなく、彼は歩いていく。

左手に赤ちゃんと抱いて、右手は男の子と手を繋いで。

私が求めていた『家族』を目の前に突きつけられて、視界が歪む。


「なんで…? 1歳のお誕生日…?」


口から零れ落ちる呟きに誰からも返事がないまま、脳裏をあの日の彼の言葉がよぎる。

『嫁と別れようと思ってるんだ。疲れてる俺を癒して、慰めてよ』


2年前のあれは、嘘だったの…?

彼の言うこと全てが真実だと思っていなかったけれど、きっかけのこと言葉だけは信じていたのに…。

離婚した、という話が出てこないけれど、離婚に向けての話し合いぐらいはしているだろう、と…彼を信じて待とうと思っていたのに…!


「美咲!」


身体から力が抜け、地面にへたり込んでいた私を友人が見つけ駆け寄ってくる。

ごめん、ちょっと眩暈がして…と言い訳をしている時、ふと頭の中で誰かが囁いた。


【彼の家庭にとって、自分の存在は何だと思う?】


私の存在…?

私は、彼の部下で、彼の恋人で、彼の………彼の家庭を壊す存在もの

そうだ、彼が離婚を望んでいないのであれば、私は、私は、わたしは…っ!


自分の立ち位置をこれ以上ないほどに理解した瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。

美咲!? どうしたの!? そんなに体調が悪いの!? と慌てる友人に申し訳ないな、と心に浮かんだけれど、今は現実を受け入れることで精一杯だった。



――――――――――――――――――――



その日は結局買い物を続けることが出来ず、帰宅することにした。

最後まで私の心配をしてくれた友人に謝りながらも、心の中は彼のことで一杯で他のことを考える余裕なんてなかったから。


免罪符変わりにしていた彼の言葉が嘘だとわかった今、今までのように彼と関係を続けていいの?

彼の家庭を壊すことが私の望みなの?

このままズルズルと彼と今の関係を続けていける…?

彼を好きな気持ちだけで、どうにか出来ると本当に思ってるの?


自問自答を繰り返し、『でも』と『だって』を繰り返し、彼を好きな気持ちは本当だもん!と開き直り…。

ひたすら泣いて考えて出した結論は【別れ】。

彼の家庭を壊したくない。子供に迷惑をかけたくない。

お前が言うな! と、今更だろう! と言われるだろうけれど、あの幸せそうな笑顔を暗いものにしたくないんだ。


こうなってしまったのはきっと、これまで目をそらし続けてきた結果なんだろう。

彼には家庭があること。

連絡をしてはいけないこと。

彼と朝を迎えられないこと。

おかしいと思う出来事を、見ない振りをしてきた私が…ううん、彼の言葉を信じてしまったこと自体がいけなかったんだ。

彼のことは、今でも好き。…だからこそ、離れなきゃいけない。


ごめんなさい。

泣きながら何度も何度も記憶の中の『あの女性(ひと)』に謝った。



――――――――――――――――――――



「田中。この書類、頼めるか。」

彼から渡された書類に、1枚のメモ。


”今夜19時に、いつもの場所で”


これまでの私なら、きっと『わかりました』と返事をしていただろう。

でも、もうあの頃の私ではないでしょう?

まだ心はじくじくと痛むけれど、前を向いて進まなくてはいけないの。

笑え! と自分に言い聞かせながら、書類を返却する。


「すみません、係長。新人研修で忙しいので、他の人にお願いしてもらってもいいですか?」

「え…。」


まさか断られるとは思っていなかったのであろう彼が目を瞠る。


「経費申請書でしたら山崎さんが慣れてるので、山崎さんに処理をお願いしたほうがきっと早いですよ。」

「…あ、あぁ。わかった。」


眉をしかめながら去っていく後姿を目に焼き付けながら、そっと囁く。


「さようなら、大好きでした。」


今でも大好きです。

でも、過去にしなきゃ。


さようなら、係長。

さようなら、こいごころ。

さようなら、思い出達。


まだ涙が溢れるけれど、もう過去は振り向かない。

彼に背中を向けて歩きだす。


本当は全然納得出来ていないのですが、これ以上は私のメンタルに影響が出そうなので、これにて一度終わりにします。

UPするのは躊躇ったのですが、折角なのでここで供養させて下さいね。

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