第26話 実戦試験12
僕はまた劣勢を強いられていた。
ステラさんが風魔法を使用しはじめたからだ。
風魔法と言っても、そんなに強い魔法じゃない。事実その魔法が僕に当たっても軽い衝撃があるだけで、ほとんど何の痛痒も感じなかった。でも僕はこの風魔法のせいでまた劣勢に立たされていた。
――ブンッ ドカッ! ザザザー――
「ツッ!?」
「さっきまでの威勢はどこいったの? カウンター狙うんじゃなかったの?」
「……ステラさんも十分性格悪いと思うよ? そういうならその風引っ込めてくれないかな?」
「この程度の魔法、さっきから何発も試験官側は撃ってたでしょ? それにどうせあんたは、当たっても痛くもかゆくもないくせに」
「だからって相手の武器を執拗に狙うのはどうかと思うよ? それにあきらかに魔法の精度が試験官とは違いすぎるよね?」
「勝つために相手の武器を封じるのは常套手段よ。それと攻撃の精度は才能じゃなく努力の結果」
先ほどからステラさんの魔法は、執拗に僕の剣を狙って飛んでくるのだ。
ステラさんの周囲に発生した旋風の数は全部で八個。
その八個の旋風は舞台をランダムに動きまわり、それぞれが数秒に一回くらいのペースで鎌鼬を飛ばして僕の剣を狙ってくる。そして必ずステラさんが瞬歩で飛び込んでくるときには、そのタイミングで居合の軌道上に鎌鼬が割り込んできて僕の居合の邪魔を……いや、剣を破壊しようと狙ってくるのだ。
ステラさんが言っていたように、仮に僕の剣が当たったとしてもステラさんにダメージを与えられないだろうことはわかっている。でもステラさんが僕の剣を意識してくれている今、僕の剣にも意味があるはずだ。とは言え、僕は先程からずっと一方的に殴られ続けているだけで、反撃の糸口すらつかめていない。
ステラさんの攻撃には予備動作が一切ない。そのため、何度も躱し続けるとはできず、仮に一発避けられてもその後必ず殴り飛ばされてしまうのだ。
――ドガッ ドゴッ ブン ドスン ドガッ ブン ドゴッ ダン――
「……」
――ブン ドガッ ドスン ブン ドン ズザザー――
「……」
ステラさんは僕を殴った後、しばらく僕を観察し、そしてすぐに僕をまた殴る。先ほどからずっとこの繰り返しだ。ただ、なぜかステラさんは僕を殴れば殴るほど、どんどん機嫌が悪くなっている気がする。
――ドカッ ドスン ドン ブン ドン ズザザー――
「はぁはぁはぁ……これだけ殴っておいて、いったいなにが不満なの?」
「……またわからないふり? いい加減ウザいよ」
どうやらまた僕の意図していない何かがおこっていたようだ。
――ブン ブン ブン ブン ブン――
怒ってモーションが大きくなったのか、ステラさんに攻撃魔法を使われてから初めて全ての攻撃を回避できた。
「……っち」
――ドスン ドカッ ドスン ドスン バンッ ズザザザー――
「グガッ!?」
最後の一発だけなんとなくステラさんの右拳が来る気がしたんだけど、躱せないと思い、咄嗟に両手で顔面をガードした。すると今までの打撃とは比べ物にならないほどの威力があり、腕どころかその後ろで守ったはずの顔面にもかなりの衝撃を受け、そのまま倒れこんでしまった。
間違いなく今日受けた打撃の中で一番威力の高い打撃だった。
「やっと当たった」
ステラさんがそう呟き、口角をあげて満足そうに笑いながら倒れた僕を見下している。
やっと当たった? つまりステラさんは、僕を殴ろうとしてずっと当てられていなかったということだ。でも僕は実際に何度も殴られていた。
……今みたいに威力のある打撃をようやく当てられたという意味? そういえばさっき、なんで右拳が来ると思ったんだろう? 僕はお腹を殴られ下を向いてしまっていた。だからステラさんの上半身は見えていなかった。そしてなぜそれが顔面に来ると思ったんだろう?
さっきのステラさんの右拳の威力は、今までとは比べ物にならないくらい強力だった。
……打撃の威力を一気に上げるには、どうするのが一番効果的か?
――魔力? 僕は自分の体をかなり強化している。それはもう限界を超えていてもおかしくないくらいに。その僕の防御をステラさんが突破するには、ステラさんもかなり強化しなければ、僕にさっきほどのダメージは与えられないんじゃないだろうか?
僕がたまにステラさんの攻撃を躱せていたのは、魔力を感知していたからなんじゃないだろうか?
ありえる。いや、むしろこれ以外に思いつかない。でも、それならなぜステラさんは最初から――そういうことか。
ステラさんは、僕の剣を魔力によるごり押しで突破したりはしないと断言していた。ステラさんはあくまで才能によって得たものではなく、鍛錬によって得た力だけで勝つことにこだわっているんだ。そして、理由はともかく、倒れた相手に攻撃しないという優しさの両方を利用させてもらうことにする。
……ごめんねステラさん。この後僕が負けたとしても、決着が付いたらちゃんと謝るから。
僕は剣を鞘から抜き、杖にするようにしながら片膝立ちに立ち上がると、魔力を隠さない以外は瞬歩の要領でステラさんの魔力に集中しつつ、思いっきり突っ込んだ。
ステラさんは当然のように僕の動きに反応し、僕の顔目掛けた左ストレートによるカウンターを放ってきた。
――ブン ドガッ――
「っ!?」
ステラさんの追撃の膝蹴りを顔面に食らったものの、初撃のカウンターを空振りさせることには成功した。膝による顔面へのダメージは、先ほどガードの上から受けた一撃に比べると全然大したことがない。
やはり僕は無意識に魔力を読んで躱していたらしい。そして相変わらず二撃目の膝のモーションは一切見えず、来ると感じることは出来なかったが、初撃を避けた時の僕らの体勢から、ステラさんなら顔面に膝を放ってくるだろうと予め予測していた。来るとわかっていれば耐えられる。そしてその攻撃に合わせられる。
僕はステラさんの右足による膝蹴りを顔面に食らいながら、ステラさんの軸足である左足を右足で踏み抜き、ステラさんの動きを止めた。そして左拳に魔力を込めて、ステラさんの顔面目掛けて真っすぐに拳を突き出した。
足を踏まれたことに一瞬驚きの表情を見せたステラさんだったが、上体をそらして僕の左ストレートを躱しつつ、魔力のこもった右拳で僕を殴り飛ばそうとして、
――パキィン ドゴーン ダンッダンッダダーン――
僕のなんの魔力もこもっていない剣をお腹に受けつつ、僕を右の拳で殴り飛ばした。
ステラさんの拳をノーガードで側頭部にもらった僕は、ゆうに三十メートルは殴り飛ばされ、そのあまりの威力に死ぬかと思った。
目の前の景色が揺れ続け、武舞台に顔を付けているということはわかるものの、現在の自分の体勢すらも満足にわからず、手足に力も入らない。でも、確実にステラさんに一撃入れる事には成功した。
僕の剣は根元からぽっきり折れ、僕のダメージもかなりのものだ。しかしステラさんにはなんのダメージもないだろう。
でも僕は、この結果にそれなりに満足していた。今の僕ではステラさんには勝てないと、これまでの戦いで理解させられてしまっていたから。
さんざん小細工をろうしてステラさんに制約をかけ続け、ようやく一発入れられただけなんだから。
兄さんの件は本当に口惜しい。でも、だからと言って駄々をこねても、実力の差がいきなり埋まるわけでもない。
起き上がれるようになったら、今回は負けを認め、この試合中のことについてはステラさんに謝罪し、後日また改めて兄さんのことについて教えてもらえるようにお願いしよう。そんなことを考えながら僕がなんとか体を起こそうとしていると、ステラさんがなにか呟いているのが聞こえてきた。
「――――――ない。私がアウラ=ブラッドリーの弟なんかに……アウラ――っ」
「うぐっ!?」
突如信じられないくらいの勢いの突風が、おそらくはステラさんの方から数秒間にわたって発生し、そのままゴロゴロと地面を何回転か吹き飛ばされる。
風が治まり、ようやく焦点のあい始めた目でステラさんを眺めると、そこには額に二本の角を生やしたステラさんが立っていた。
「……ステラ、さん?」
「ごめん。ギブアップを言わせるだけで、本気で相手する気はなかったんだけど、イライラして仕方ない。だから一回本気で殺すことにする。何発か殴ったら、ちゃんと心臓を一突きで殺してあげるから」
直後、僕の体は宙に浮いていた。体がくの字に曲がっていたことから、どうやらお腹を攻撃されたらしいことはわかったけど、それが蹴られたからなのか殴られたからなのかもわからない。口からは大量の血を吐いていたが、痛すぎるためか、むしろ痛みを感じない。そしてそのまま地面に落ちる前に何発も殴られたが、幸いというべきか、すでに痛覚は麻痺してしまったらしく、痛みは感じなかった。
地面に顔から落ちた僕は、ステラさんに髪の毛を掴まれ強引に引きずり起こされた。
ステラさんの手にはいつの間にか武骨な剣が握られている。
「まだ意識あったんだ? 正直途中で死ぬと思ってたけど、呆れるぐらい頑丈だね。でも、それがかえって不幸だったかもしれないけど。まぁそれもこれでおしまいだから。じゃあね。バイバイ」
ステラさんが何かを言っていたが、その言葉はまったく僕に入ってくることはなかった。僕の心と頭は、数秒、あるいは数瞬先に僕の心臓を貫くであろう武骨な剣に注がれていた。
僕はもうすぐ、あの剣にまた心臓を貫かれるんだろうな。……? また? またってどういうことだ? あの剣に貫かれるのがまたなの? それとも心臓を貫かれることがま――心臓を貫かれる? 俺の心臓が? こんな小娘に? なんで俺がこんな小娘にやられなきゃなんねぇんだよ?
ふざけんな! 誰がやられるか! 頭が一瞬で沸騰したように熱くなり、僕の両手にはそれぞれ、冷たいが心地良い感触と、熱くて硬い感触が宿る。
お前が――
《あんた誰?》
僕以外の全てのものが停止し、それと同時に僕が誰かと誰何する声が僕の頭に流れた。思念波だ。
思念波を出した相手は、探すまでもなく一瞬で見つかった。
闘技場の観客席からこっちに向かって歩いてくる銀色に光り輝く狼。頬を膨らませたリアナだ。
リアナは観客席から武舞台手前の地面に跳びおり、着地するころには体長四メートル近い大きさになっていた。そして武舞台の結界を前足で猫パンチするようにしてぶん殴り、結界を壊して武舞台に上がると、僕の方へと真っすぐ歩いてきた。
「誰って今更何言ってんだよ?」
《口調が違うことに気付いてる? それとなにその禍々しい魔力と左手の剣。両方明らかにジェリドの物じゃないんだけど?》
僕の右手はステラさんの刀身を握り、驚き焦ったような表情のステラさんの首筋には、僕の剣と色違いの黒いけ――
「ウグッ!?」
僕は胸に激痛を覚え、思わずその場に倒れこんだ。
苦しい……呼吸が出来ずに体も動かない。そうだ、リアナが時間を止めた時、息を吸ったらダメなんだ。
《この世界で喋るなんて、ジェリドなら絶対しなかったわ。私がちゃんと教えたし、リリーの家に行く前に、呼吸を止めて逃げる練習をさんざんやったんだから。で、あんた誰? あんたが出てきたら捕まえて、後でジェリドに教える約束なんだから、手早くわかりやすいように教えなさい。私もあと二分ももたないんだから》
《さっさと解けバカ犬。そのうちまたお――》
《バカ犬ってなによ!》
僕じゃない僕が、リアナと思念波で話している? すごく変な感覚だ。なのになんだかとても落ち着く。すごく苦しいけど、このぶっきらぼうな声がとっても懐かしい。二人の声を聞いているとなんだか安心する。いつまでも聞いていたいと感じるほどに、まるで子守歌を聞いているかのようだ。そして意識もどんどん薄れていく。
《俺もヤバいしジェリドなんて今回は意識あったのに、もう半分以上気絶して動こうとすらしてねぇんだよ! 良いからさっさと解け! それとこのままだと小娘に切られてマジでジェリドが死ぬだろ! 責任取ってなんとかしろ!》
《ジェリドはともかくあんたを助けるのなんて絶対イヤよ! 結界内なら死なないんでしょ? 死ぬ気で逃げなさいよ!》
《どこに結界があんだよ!? お前が壊したんじゃねぇか!》
《あっ、そうだった。というかあんた十分元気じゃない?》
《体が動かなけりゃどうしようもねぇんだよ!》
《っち、仕方ないわね》
リアナが僕を咥えてステラさんから距離を取る。
《咥えてんじゃねぇよ!》
《わがまま言わないでよ!》
《あっ、ヤバいあと任せた》
《ちょ!?》
薄れていた僕の意識が一気に覚醒する。
……苦しい。リアナ早く解いて死んじゃう。
《あっ起きた? 今解くから》
リアナは僕を地面におろして息を吸い、止まっていた時が動き出す。
――ドーン! ガラガラガラガラァ――
時が動き出すと同時に、ステラさんが武舞台の外、闘技場の壁にものすごい勢いで激突した。
試合を見ていた何割かの人の目は、飛んで行ったステラさんに注がれたかもしれない。しかし、それ以上にみんなの視線は武舞台に集まっていたと思う。
視線が集まる対象は、先程までいた場所から突如消え、地面に倒れる僕ではない。僕の横に立っている、先ほどまではいなかったはずの体長四メートルを超える、銀色に輝く毛並みを持つ狼。神獣のリアナだろう。
《あの子、すごい勢いで自分から飛んでったわね。よっぽど焦ったようよ? いい気味ね》
「ヴゥッ……」
停止した時の中で息を吸った影響で、喉が潰れて声が出なかった。
その為僕は、思念波による会話へと切り替える。
(リアナ、そういう言い方は不謹慎だよ? それはそうと、どうしようこの状況?)
《さぁ? 人のことは人に任せるわ》