第1話 ブラッドリー子爵
──コンコンコンコン
この部屋のドアが4回ノックされ、先程と同じようにセドリックさんがキルヒアイゼン辺境伯の方に視線を向けて合図を確認しようとしたが、キルヒアイゼン辺境伯はセドリックさんに掌を向けてセドリックさんを制止した。そして俺に向き直り、悪戯っぽい顔を向けて小声でこう言った。
「照れ隠しにしても先程の君への仕打ちはちょっと可哀想だったよね? それに一見正論に聞こえなくもない意見だったけど、それをわざわざ私の声帯模写して言ったことについては後悔してもらわないといけない。君もそう思うよね?」
それだけ言うとキルヒアイゼン辺境伯は、俺の返事を待たずに悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、不機嫌さを顕わにしたような声で自らノックに答えた。
「こんな夜中に一体どなたかな?」
その瞬間、空気が凍り徐々に室温が下がり始めたかのような錯覚を──いや、これは違う。実際に扉の向こう側から突き刺さるような冷気がこの部屋に向けて流れ込んできているんだ。
その証拠に扉の下の隙間からは、白くとても冷たそうな冷気が侵入してきている。
セドリックさんは、キルヒアイゼン辺境伯を軽く批難するような視線を向けたが、結局何も言わなかった。
数秒の静寂の後、リリーさんの少し焦ったような声が扉越しに聞こえてきた。
「キルヒアイゼン辺境伯の許可を得て、ブラッドリー子爵をお連れ致しました。旦那様、入室の許可を頂けますか?」
「どうぞ」
キルヒアイゼン辺境伯は、悪戯成功とばかりに万遍の笑みを浮かべながら2人に入室の許可を出した。
リリーさんが音もたてずに扉を開けるが、その先は先程とはかなり違った。先程の優雅さなど欠片もなく、ギクシャクした人形のような動きで一礼し、扉の向こう側の影に隠れる形で身長170cmくらいの金髪に口髭をはやした紳士に入室を促した。
紳士はそれに応えるように、流れるような動作で一礼してから入室するが、彼のそれは優雅な動作と言うよりは、重心が全くブレない武の達人のような動きだと俺には感じられた。
部屋の外で一礼し、扉を閉めようとするリリーさんに、キルヒアイゼン辺境伯は声をかける。
「リリー、君も入りなさい」
リリーさんは余程驚いたのか、眼を見開き、見開いた眼を何度かパチクリさせていたが、その後すぐにリリーさんは部屋の中へと入り、音も無く扉を閉めてから一礼し、部屋の隅に移動してからまた一礼した。
その礼を確認すると、紳士が一礼してから話し始めた。
「このような夜分の突然の訪問、受け入れて頂き感謝いたします辺境伯。弟のダニエルが亡くなったと聞き、いてもたってもいられずに、馬を飛ばして来てしま──」
「堅苦しい挨拶は良いよアーノルド。
私と君の仲だろう? 君以外がこのような時間に来たのなら、例え4大公爵家が相手でもまともに相手にする気は無いが、君は私の弟同然だと思っているからね、もっと楽にしても良いよ」
「相変わらずですね。年齢なら私の方が5つは上のはずだが? アルバート坊ちゃま?」
「私の推薦が無ければ、君は今でも私の領地の1領民でしかなかったと思うのだがね、アーノルド=ブラッドリー子爵?」
「「ふははははははは」」
お互い本当に楽しそうに笑い合い、辺境伯がブラッドリー子爵の元に歩いて行くと、どちらからともなく抱きしめあった。
「久し振りだなアルバート、元気そうでなによりだ。冷静沈着で常に様々な保険をかける君が襲われたと聞いたときは、私は自分の耳を疑ったぞ?」
「……そうだね、私も焼きが回ったようだ。だが君の弟や甥っ子である彼のお陰で、私も私の妻や娘達も誰ひとりとしてケガを負うことはなかった。私達を護るために命を賭けて戦ってくれた彼等には、本当に感謝している」
ブラッドリー子爵がこちらをチラリと見てからリリーさんに視線を向け、ふっと一息、音を潜めるように笑い、困ったような表情で笑いながらリリーさんに話しかけた。
「先程はすまなかったね。てっきり私は君が私に笑えない悪戯をしかけたのかと思い、怖がらせてしまったが、どうやら悪戯を仕掛けたのは別の人物だったようだ」
そう言いながらブラッドリー子爵は辺境伯の方を振り向くと、辺境伯は悪戯成功とばかりに万遍の笑顔で返答した。
「先程君の来訪を告げに来たとき、彼女に悪戯をされてね。彼女にはお仕置きが必要だと思ったので、君には悪いが、君を彼女のお仕置きに使わせて貰った」
リリーさんがそこですかさず口を挟む。
「いくらなんでも今のは非道いです。
ブラッドリー子爵から冷気と一緒に殺気を感じた時は、本当に私を殺す気かと思いましたよ」
「「疑われるくらい普段から悪戯をしている君が悪い」」
この人の悪戯好きは、来客であるブラッドリー子爵からも悪戯を疑われる程なのか……。
辺境伯とブラッドリー子爵の声が完全に揃っていた。そしてリリーさんが完全に押し黙ったのを確認してから、ブラッドリー子爵は真面目な表情で辺境伯と向かい合い話し始めた。
「それで、賊の正体はわかっているのかね? もし相手がわかっていて経済制裁ではなく、直接やるのなら私も協力させて頂くが?」
「……いや、実は賊の正体はまだわかっていないんだ。ダニエル達が賊にいち早く気付き、私達が襲撃される直前に私達を逃がす為に賊と戦って時間を稼いでくれたお陰で私達は街門まで逃げることに成功した。そして私は妻や娘達を詰め所に預けると共にリリーを呼び、警備隊を引き連れて襲撃現場に戻ったのだが、その頃にはすでに賊達は姿を消していたんだ」
「その時の護衛の数は何人で、襲撃現場から逃げてから戻るまでの時間はどの程度のものだったんだ? そして彼も賊と戦ったのなら、彼が賊の姿を見ているのだろ? 彼や他に生き残った者達からはまだ聞き出せていないのか?」
「護衛は私の近衛騎士24人と、回復魔法の使い手が2人に攻撃魔法の使い手が4人。それにダニエルとジェリドを加えた計32人だ。往復にかかった時間は正確には解らないが、1時間と言ったところだと思う。戻った時には護衛は全滅させられていた」
ブラッドリー子爵は一瞬悲痛な表情を浮かべたが、すぐ厳しい表情で意見を述べた。
「護衛の質も数も十分と呼べる数なのに、それを襲い1時間以内で倒すとは──。盗賊等の類ではないな。そして君が既に逃げてその場に居ないにも関わらず、残った護衛をわざわざ全滅させたのか? ──ということは、有力なのは相手はどこかの貴族かなにかで、誰の手の者がが露見しないようアルバートの護衛を全滅させた。というところか?」
そしてブラッドリー子爵がこちらに再び視線を向けた時、辺境伯はまるで人に紹介するときのようにこちらに手を向けながら再び話し始めた。
「そして彼が唯一の生き残りだ。リリーの治療のお陰もあってなんとか一命を取り留め、先程目を覚ましたばかりなのだが……わからないようなんだ」
「相手のことを見る前に気絶させられたということか?」
「と言うよりも、彼が目覚めてからの第一声は『俺は誰なんだ?』だったんだ。そして彼は私が教えるまで、自分の名前すら覚えていなかった」
ブラッドリー子爵とリリーさんが、俺を見ながら目を大きく見開いている。……あぁ、そう言えばリリーさんも知らなかったのか。
俺は何かを言うべきかと考えたが、ブラッドリー子爵のことは叔父に当たる人らしいと言うことしか分からないし、リリーさんにお礼も言うにしても、子爵や辺境伯を無視してメイドに話しかけるのも無礼に当たりそうなのでやはり黙ることにした。すると今度は、辺境伯が俺に話しかけてきた。
「ジェリド。彼が君の父であるダニエルの兄で、君の伯父に当たるアーノルド=ブラッドリーだ。この国で唯一スカーレッド公爵に比肩される程の武術の達人で、西の国境の防衛の要とすら言われている人物だ。覚えているかい?」
アーノルド=ブラッドリー子爵。来る前から叔父だと聞いていたから、顔を見れば何か思い出すかも知れないと期待していたけど、顔を見ても正直全く思い出せない。そして今また一般常識の様に出てきたレッドリバー公爵の名も、当然のように記憶に無い。だが、辺境伯から質問されているのにこのまま無言を貫く訳にもいかない。俺は頭を1つ下げてから言葉を選び答えた。
「まずは横たわりながら返答させて頂くことを謝罪させて頂きます。そして申し訳ないのですが、ブラッドリー子爵のお顔を拝見しても、やはりなにも思い出すことが出来ませんでした」
そして暫くの沈黙の後、ブラッドリー子爵が真顔で俺に答えてくれた。
「……奇遇だね、私も君のことを全く思い出す事が出来ない。と言うよりも、君は本当にダニエルの息子なのか?」
……な、なん……だと!?
お読み頂きありがとうございます。
不定休ですが、これからも休み毎になるべく連載していこうと思うのでこれからもよろしくお願いします。
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まだ3話目だし仕方ないのかも知れませんが、現在ご意見ご感想・評価・ブクマ0…寂しいです。
これを読んだ貴方…是非第一号になって下さい。