第五話 魔王の名前
魔王城に着くと、魔王が手を広げて俺を迎えた。
そのまま首にふわりと手がまわり抱きつかれる。
不意をつかれて少し、驚いたが抵抗せずにそのまま受け入れた。
「おかえりなさい」
無垢な笑顔を浮かべる魔王に俺は答える。
「ただいま」
「マコト準備はできてるよ! さぁ、王国潰しにいこう!」
魔王はすでにやる気マンマンだった。
魔族は言わずと知れた戦闘大好き民族だ。ましてやその頂点に立つ魔王となると想像に難しくない。
「今回は少し挨拶に行っただけだよ」
と魔王をなだめすかす。
「わかった。王国を消滅させればいいんだね。マモンーーー!」
魔王は俺の話を聞いていないようだった。
大型禁呪魔法を発動させようとした魔王を止めて、城のバルコニーへとでた。
爽やかな風が吹く。
椅子に座るとすでにテーブルには温かい紅茶が置いてあった。
そばにアモンが立っているところをみると彼女の仕業だろう。
なんて気が利く魔族だ。
ここ魔王城は、魔王軍最高司令官である魔王が居城、魔大陸と呼ばれる大陸の北方にある。
この城がいつ築城されたのかは不明だが、記録上確認されてる5000年前から唯の一度も攻め落とされたことはない。
紅茶を口に運び、魔大陸を眺める。
魔大陸と言っても人々がそう呼んでいるだけで、大陸上の他の地域とさほど変らない。
魔王が住むから魔大陸。つまりそれだけ魔王の名は重く、強大というわけだ。
現に魔族のほぼ全てが魔王を信仰している、その影響は魔族、亜人、一部の人族にまで及ぶという。
それから以前から気になっていた事を聞いてみた。
『ロスティニア王国建国記』だ。その中に勇者に魔王が負けた記述がる。
それについて聞いてみたところ。
「負けたことないよ? あのときは確か用事ができたからお城に帰ったの。何の用事だったかなぁ、むむむ」
と返ってきた。
魔王軍が退いたことを勝利したに変ったみたいだ。
歴史の史実なんて蓋を開ければこんなものだろう。
優しい時間が流れる。
いつ以来だろう、こんな時間を過ごしたのは。
勇者としてこの世界に召喚されてから2年と三ヶ月半、そのほとんどが戦いの日々だった。
それがあったから、強くなったのも事実だろう。
しかし、それがまさか魔王がこんなに安らぎを与えてくれるとは世の中わからないものだ。
なにせほんの少し前までは、敵同士だったのだから。
敵だと思っていたのは俺だけで魔王は違ったようだが。
「そういえば、魔王」
「どうしたのマコト?」
魔王は可愛く首を傾げてみせる。
「魔王の名前を聞いていなかった。教えてくれないか?」
そう、俺は魔王の名前を知らない。
一緒に生きていくと決めた以上、いつまでも魔王とばかり呼ぶわけにはいかない。
「名前? ないよ」
「え!?」
まさか、こんな答えが返ってくるとは思っていなかった。
驚きのあまりしばらく言葉が出てこなかった。
「うん、ずっと魔王さまって呼ばれてから」
なるほど、魔王といえば彼女のことを指すのだから必要はなかったのかもしれない。
だからといって名前がないのはちょっと寂しい気がする。
「じゃあ、マコトが名前をつけて」
魔王が笑顔を俺へと向ける。
「俺がつけてもいいのか?」
「うん、マコトが考えてくれるからいいの」
んん――、名前かぁ。
思案するうちに一つの名前が浮かんだ。
「マリア、マリアなんてどうかな?」
「マリアかぁーマリア。えへへ、ありがとう。大事にするね」
マリアは嬉しそうに何度も自分の名を呼んだあと、魔王とはあまりにも似つかわしくない、あまりにも無垢な笑顔を向けた。