第一話 終わりと始まり
普通の高校生だった俺が、この異世界に勇者として召喚されて2年の月日が経った。
慣れない異世界生活もあって、苦労は絶えることはなかった。
しかし、魔王の脅威に晒され続けている、この世界を救えるのは勇者である俺しかいない。
そんな気持ちで、立ち塞がる様々な試練を乗り越えてきた。
その甲斐もあってか、魔王軍の4帝が一人、魔眼のラミアをついに打ち倒すことができた。
あと、数ヶ月もかからない内に魔王も打ち倒すことが出来るだろう。
長かった魔王討伐の旅も、あと少しで終わる。
そして、この2年間の旅で仲間も増えた。
金色の髪をポニーテールにしたアスリート系美人の戦士リサ。
このパーティでは最年長の19歳だが、見た目とは裏腹に意外と可愛い性格をしている。
はにかんで笑うときに見せる八重歯が可愛い。
エルフ族の付術師ステラは、青色の髪をショートヘアーした美しい少女。
身長は150センチくらいだろうか、スレンダーな体型も相まって随分と小柄に見える。
エルフ族だからなのか年齢は教えてくれなかったが、リサが言うにはまだ15歳らしい。
そして、この青髪に宝石のような緑色を称えた瞳を持つ美しい少女は白魔道士のライラ・ロスティニア。王国の第一王女であり、俺の婚約者だ。
精霊樹の下で将来を誓い合い、無事魔王を倒したら結婚する予定だ。
初めて会ったのは俺がこの世界に召喚されたあの日、召喚の儀式が行なわれた広い神殿にいた彼女の人形かと見間違えてしまうほどの美貌とその気品に俺は一目惚れした。
お互い同じ年齢だったこともあってか、意気投合し旅を続けるうちに惹かれ合っていった。
女ばかりのパーティだが戦士、白魔道士、エルフ族の付術師と攻守のバランスはとれている。
それに皆、良い奴ばかりだ。何度も死線を越えて絆が深まったと信じている。
ただ、戦士のリサと付術師のステラには夜な夜な誘われたりしたが、その誘惑には負けたりはしない。
少しでも早く魔王を倒し、ライラと結婚して幸せな生活を送るために日々がんばっている。
「勇者さま、もう貴方とは一緒に旅をすることはできません」
えっ……、何を言っているんだライラ。
「これからは、新しい勇者さまのロレンスさまと魔王討伐の旅にでます」
新しい勇者さま? 誰だそいつは。だって、俺が勇者だろ……?
「悪いけど、私もロレンスについていくよ」
「私もついていきます」
リサに続いて、ステラも。
……冗談だろ、わかった。もう十分騙されたから。
悪い冗談だよ。なぁ、そろそろいいだろ?
笑ってタネあかしでもして、いつも通りの笑顔を見せてくれ。
何でだ、何でそんな虫でも見るような目線を俺に向けるんだ。
やめろよ、やめてくれ。
「それと、これはお返しします」
それは俺が贈った精霊石があしらわれた婚約指輪。
ライラはそれを体についた埃を払うかのように冷たく地面へと捨てる。
指輪が落ちる瞬間、精霊樹の下でこの指輪を贈った夜が甦った。
あの時、あんなに嬉しそうな笑顔で喜んでくれたじゃないか。
俺は落ちる指輪を這いつくばりながらも必死に受けとった。
思い出が穢れしまうような、そんな気がしたからだ。
あれ、なんだこれおかしいよ。
だって、さっきまでそんな素振り少しも見せてなかったじゃないか。
「きもっ」
ライラの声が耳に入る。
それを聞いた途端、堰がきれたように涙がこぼれた。
泣いた。嗚咽を漏らしながら泣いた。
俺は涙と鼻水でグシャグシャになりながらも必死で「行かないでくれ」と懇願した。
地面に這いつくばったままの俺を3人は感情のない顔でただ見下ろしていた。
「重いです」
ライラの声は驚くほど無機質で、俺のことはもう人として見ていないといわんばかりの、そんな声だった。
「新しい勇者さまが向こうの町で待ってるのでもう行きます。これからは見かけても声かけないでください」
淡々と事務的に言い終えると歩きだした。
「私にも、もう声をかけないで」
ペッっとつばを吐き捨てるとステラも歩きだす。
「……お前、きもちわるいよ」
リサも続いた。
3人がいなくなった後も泣き続けた。
しばらくすると、三人組の男たちが目の前にあらわれた。
涙で霞んでよく見えないが、ロスティニア王国の兵装だ。
おもむろに剣を抜き、俺に襲い掛かる男たち。
反射的に剣を抜き、切り結ぶ。
感情をぶつけるように男たちを切り伏せた。
男たちは何かを叫んでいたようにも思えたが、俺の耳には届かない。
気がつくとあたり一面、男たちの血で染まっていた。
俺は力なく、その地面へ座り込む。
泣いて、
泣いて、
泣いて、
泣き続けても涙は一向に止まらなかった。
涙がこぼれる度に俺の中の何かがポロポロと落ちて、次第に空っぽになっていく。
一日が経って、
二日が経って、
三日目でようやく動き出した。
そのときには、全ての物から色が消え、俺の中には何も残ってはいなかった。
ただ、何かを求める餓えだけが俺を突き動かした。
それからはただ、ひたすら魔物を狩った。
何の目的もなく、何の感情もなく、目に付く魔物は全て切り殺した。
無心で狩り続けて三ヶ月が経った頃、「涙の勇者」と呼ばれるようになった。
並みの魔物では足りなくなり、俺は俺の中の飢えを満たすべく魔王城へ向うことにした。
険しい道のりだったが、まったく気にはならなかった。
道中、目に映る魔物は、全て切って、切って、切り殺した。
魔王城に着く頃には、俺の後ろに魔物の死骸の山ができあがっていた。
だが、まったく足りなかった。
魔王城に入る。向かってくる者はすべて殺す。
だが、足りない。全然、足りない。
王座の間に入る、無駄に広いその空間に魔王が一人。
俺は剣を構え、魔王に近づく。……コイツなら満たしてくれるだろうか。
魔王も俺に近づく、カツン、カツンと魔王が鳴らす足音が広い部屋に反響する。
お互いの間合いが交わった。
しかし、魔王は近づくのをやめない。
息づかいが届く、お互いが致命傷を与えられる距離。
目の前にあらわれたその美しさに息を呑んだ。
ずっと彼だと思っていた魔王が、彼女だったからだ。
宝石とも思わせる、その瞳から目が離せない。
魔王は薄い笑みを浮かべ、その長い髪を揺らし、俺に近づく。
魔王が俺の顔を包み込むように、その細い手そっと伸ばす。
そしてやつが。いや、彼女が口を開く。
「……マコト、会いたかったよっ」
魔王と呼び追い続けた、彼女が俺を抱きしめた。
フワッと甘い香りが鼻腔をくすぐる。
そして、魔王とは呼ぶにはあまりにも小柄で華奢なその体に包まれる。
久しぶりに名を呼ばれた気がする。
最後に名を呼ばれた日をもう思い出せない。
ライラもリサもステラも俺のことを「勇者」という名称で呼び、決して名前で呼ぶことはなかった。
ああ……、名前で呼ばれるってこんなにも嬉しいんだな。
「私は、マコトのことを愛している……」
魔王の発した突然の言葉に、手に持つ剣が床に落ちた。
金属と石材がぶつかる音が響き、反響する。
今まで、薄暗く灰色に見えていた世界に色が戻った、そんな気がした。
息が近い、甘い匂いが俺の頭を痺れさせる。
魔王の燃えるように鮮やかな朱色の髪が微かに揺れた。
「……ずっと、ずっと好きだった」
魔王の濡れたように瑞々しい唇から言葉が零れる。
すでに俺からは戦意など消え失せ、魔王の発する軟らかな言葉をただ受け止めていた。
透き通るほどの白いその肌に朱色が加わり、世界の全てを閉じ込めたような紫色の瞳には涙を浮かべていた。
「会いたかったけど、会えないのがわかっていたから。見ていることしかできなかった。だから……ずっと見ていた」
魔王の言葉は続く。
「でも、今はマコトが目の前にいる。もう見ているだけはやめる」
目に決意が宿り、俺を真剣な眼差しで見つめる。
「マコト、私と一緒に生きて!」
もう会ってしまったときから答えはすでに決まっていたのかもしれない。
俺は魔王のその細い体を抱きしめ返して答えた。
「……ああ、一緒に生きよう」
魔王から笑顔がこぼれ落ちた。
そう。この日、世界の全てが変わった。