餅
確かに私は聞いた。
「くりすますまえにかれしをつくりたい」
その悲痛な叫びを。
「もう……もう嫌なんだ、店長に『遠藤さん24・25シフト入れるよね?』って当然のように言われて寒空の下サンタコスして駅前でケーキ売り捌くのは。前日まで散々持て囃した癖に26日には生ゴミと化す砂糖と乳脂肪の塊を『今日この日に買って帰らないなんて異端だし信じられないくらい不幸!』みたいに声張り上げて触れ回るのは!」
親友・遠藤三咲のその訴えを、先々週の家呑みでもう一人の親友なっちんと共に聞いたのは覚えている。
「それがどうして『魔女会に入った』になんの」
三咲、この女は先日「魔女会」なるものに入ったらしい。
呆れ顔極まるなっちんに、三咲は逆ギレの様相で答えた。
「彼氏創造れるって聞いたから」
魔女会とは。彼氏創造とは。
しかし、私はより注目すべき現実に目を向ける。グラスと酒瓶とつまみの皿が乗った机の上に、何らかの生き物がいる。
丁度人の頭部くらいの大きさの白い塊。印象では、餅。が、うごめいていた。
◆ ◆ ◆
魔女会。何らかの組織。
資料請求はネット申し込みで、郵送で魔法陣が届くから、それを使って申込書を先方に送付する。
トレンドは彼氏創造らしい。先方は若い契約者が欲しいらしい。結構、四苦八苦してこちらの最近の流行とか需要とか勉強してて腰が低いらしい。
対価は、三咲の場合は仙骨だそうだ。適当に往生して、寿命で死んだ後に回収されるそうだ。死んだ後の事なんてどうでもいいから、三咲的には痛くも痒くもないそうだ。
そうして手に入れたのがこの彼氏創造キット、もといそれによって生み出された餅なんだ、そうだ……。
私は別に飼い方を聞きたかった訳じゃない。
「餌はね、ベビーパウダー」
「増えない?」
「わかんない」
でも咄嗟に、増殖しないかどうかを聞いてしまった。異常事態を前に、漠然と一番ヤバい可能性を推測していた。無意識に。
「あんたマジで何やってんの」
ケロッとして答えた三咲に、なっちんが静かにキレ始める。
「この白いのどうすんのよ。骨が対価とかも意味分かんないし、そのわワケ分からんとこに連絡して今すぐ引き取ってもらえ、契約破棄だ破棄! いくら彼氏欲しいっつってもこんな」
「うるっさい、彼氏いる人にはどうせわかりませんよ! 私はもう魔女会で理想の彼氏創るからいいの! そんで今年はダーリンと腕組んで港のツリーとイルミネーション見に行くの!」
「ホクロの位置から指定してくる奴に彼氏なんか出来るかァ!」
三咲は面食いだ。三咲基準での。
「あんたは理想ガッチガチに固めすぎなんだよ! 男は顔じゃない、甲斐性だ! 顔より靴見ろ、将来家族養って行けるかどうか見極める超重要な判断材料!」
「バッカなっちんお前最初から金持ちを捕まえようとすんじゃないよ! 男は稼ぐように育てるんだよあたしらが!!」
三咲は熱く語るが、その成れの果てが餅の調合である。まあ、なっちんもなっちんだけど。
二人は焼酎ストレートそして白熱、私は一本目の缶ワイン甘口をまだちびちびと舐めていた。舐めながら激烈な親友達を眺めた。私がどうしてこの人達と仲良くなれたのかは、未だに謎である。
それより机の餅が大変だ。
そう、餅が大変。
瓶と皿の隙間をムニョムニョと動き始め、広がろうとしている。
異様な光景と思いながらも、何だか狭そうなので瓶をどかしてやる。すると程よい平面に広がった餅は、さらに表面をモコモコ動かし指で押したような穴を幾つも作った。そして光った。
け ん か は や め て
「マッキー……お前、喋れんの?」
「えっこの餅マッキーって言うの!?」
「麻子、そこじゃない」
なるほど。全然誰も酔ってない。
◆ ◆ ◆
二日後、私は餅と暮らしていた。
三咲は私に餅を預け、魔女会本部という所に出かけていった。なんでも、手順通りに飼育しているのにマニュアルの形状にならないらしい。餅はもう、本当は人型になっていなければいけないらしい。魔女会本部にクレームを付けに行くと言っていた。
本部は、魔法の国にあるらしい。どこだそこ。
二人のどっちかにしばらく餅を預かってほしい、と言った三咲に、なっちんは猛烈に怒り狂った。
「責任持って連れてけ!!!」
「無理、一度でもあっち連れてくと里心ついちゃうらしくて」
こっちの世界で暮らしにくくなるそうだ。なっちんは大いに結構と息を巻いたが、三咲も頑として譲らない。どちらかというと、私よりこの二人が親友やれてる方がミステリーか。
餅が戸惑っていたので、私が引き取ることにした。
餅は寡黙で大人しく、平和主義だ。あの日喧嘩の仲裁をした時以来、なんにも喋らない。
私は大学から帰ってきて簡単な夕飯を作り、食事の前に餅にベビーパウダーを与えるのが日課となった。一日一回、宵の口がいいらしい。
餅はゆっくり、ゆっくりパウダーを舐める。私が夕飯を食べ終わって後片付けを終えてもまだそうしているので、私も無くならない買い置きの缶ワインを開けて隣で舐める。お酒は好きでも嫌いでもないし、晩酌の習慣は無いが、餅に付き合って呑みながらバラエティを見るのもまあ、悪くない。
その後は、私はベッドに転がって、餅は床に落ちたままで眠る。そして次の朝が来る。私は身支度をして、餅を小脇に抱えて学校へ向かう。
え、だって。家に置いとくの。そりゃ餅はいい子にしてるとは思うけど。
◆
「それ、何?」
「餅」
「……ふーん」
講義の時間、クラスの男子・山本が隣に座った。隣というか、私、餅、山本。
席は他にも空いてるけど、早く来た人は大抵先生から遠い後ろの席を狙う。数限りある座席、他の生徒からすると餅は少々邪魔だろうが、私は図太く無視することにしていた。椅子に荷物を置く人間は少なくないし、私は真横に人が座らない方が心地が良い。近頃は私が始終餅を抱えているので、よく知らない人からは注目されつつ遠巻きにされる、という微妙な現象が起きていた。これだ、これがいいのだ。
しかし山本は隣に座った。
「麻子さんはさ、なんで餅を持ち歩いてるの? ……あ、いや。今のダジャレじゃない」
講師が授業と関係ない話を始めた頃、山本が聞いてきた。
山本は髪を染めていない。今日は、目の覚めるようなブルーのシャツを着ている。銀のメガネ。派手なのか地味なのかよくわからない。顔は普通の顔だ。目と鼻と口がある。中身はよく知らない。
「麻子って呼んでたっけ」
「遠藤とかが呼んでるじゃん」
「あ、そうか」
そう言ってから、納得する所かどうか少し悩んだ。三咲は声がでかいから、私の名前は知れ渡っているかもしれない。納得だ。
「これ、三咲から預かってる餅」
「そうなんだ。遠藤、最近あんま見かけないよね」
魔法の国がどのくらい遠いのか知らないが、三咲は出なければいけない講義がある時だけどこからか現れる。今日は居ない。餅をいつまで預かるかという話はまだ出来ていない。
◆ ◆ ◆
「麻子、なんか最近山本と一緒にいない?」
「勝手に来る。あのね、餅に興味を示してるっぽい」
学食で向い合ってきつねうどんを食べながら、なっちんは「はぁ」と呆れ気味の返事を寄越した。
「麻子がいいならいいけどさ。山本って暗くない?」
「わかんない。あんまり喋ったことない。あ、噂をすれば山本」
私が目を上げて言うと、なっちんが振り返って向こうを眺めた。カウンターに食べ終わった食器を返して、山本がこっちにやってくる。
「麻子さん、餅触らして」
「いいよ」
私は、膝の上から餅を持ち上げて机の上に乗せた。餅は今日も白い。少しひんやりしている。
山本は手を伸ばし、餅を撫でた。山本は余計なことは口にしない。今日は白黒のチェック柄のシャツを着ている。派手なのか地味なのかわからない。
きつねうどんの続きに戻る私と立ったままの山本を、なっちんこそがよくわからないという顔で見ている。
「じゃあ、また」
しばらく餅の感触を堪能すると、山本は食堂を出て行った。私は餅を膝の上に戻し、最後にとっておいた揚げの残りを食べた。
◆ ◆ ◆
私の部屋で、数週間ぶりに恒例家呑み会が開催された。
三咲が帰ってきたのだ。
「ごめんごめん、ありがと麻子! お陰で解決しそうだよ!」
「……三咲、そっちのそれ何」
「ん? 彼氏!」
この上なく胡散臭そうに横目で見るなっちんに、三咲はハキハキと答える。
折り畳みの机を囲み、三咲の隣には白い人型の何かが座っている。素材はどうも餅と同じに思える。右頬に三咲の理想のホクロが一つあるが、肝心の顔がない。
「食べ物が悪かったんだって。大抵はベビーパウダーでいいらしいんだけど、私とパウダーの相性が悪かったんだよね。コーヒーフレッシュに変えたら上手く行った。ん、これ? そっちの最初のが喋ったって言ったら、あたらしいキットただでくれた。成形は言葉覚える前段階に済むらしいから、丸いまんまで喋ったらもう成長しないって」
人型の餅は、ざっくばらんに説明する三咲のグラスに酌をしていた。人型と言っても何となく胴体と手足と頭がある程度で、動きももったりしていて何だかよくわからない。
それは三咲、なっちんと順々に酌をし、私の方にも酒瓶を向けて窺うような素振りを見せたが、私は首を振って断った。芋焼酎は飲めない。それに、ただでさえ無くならない缶ワインのストックがある。
「もうしばらくしたら、更に人間らしくなる予定だから。クリスマスには間に合うし、ツリーの下で写真撮って送るから楽しみにしてて!」
「あたしらは何を楽しみにしてりゃいいんだ。餅の成長か? あんたの頭のイカレ具合か?」
「餅じゃない、これはマッキー!」
「えっ」
私は咄嗟に右隣を見た。旧型の餅は、ただ床に落ちたまま大人しくしている。ゆっくり舐めていたベビーパウダーの缶は、いつの間にか空になりピカピカになっていた。
「三咲、マッキーはこの餅の名前じゃないの?」
「あ、麻子ナイス。思い出したわ、ちょっと貸して」
三咲が両手を出したので、私は餅をそっと持ち上げて手渡した。ひんやりしている。
三咲は餅を受け取ると、どんと床に置いてポケットから薄オレンジ色の紙切れを取り出した。
「これ、魔法陣」
「付箋に見える」
「まあ、そうとも言う」
なっちんの胡乱な視線を受けながら、三咲は餅に付箋を貼り付けた。そしてなにやら、両手の人差し指でその上をぎゅぎゅっと押す。紙に何か模様が浮き上がり、三咲はまた紙を剥がした。
「これで名前リセット完了。マッキーはこっちのマッキーが本物になったから」
「餅はどうなるの?」
「んー、マッキーって名前ではなくなる」
三咲は、手作りの彼氏の名前はマッキーと決めているようだ。
「そっちの元祖マッキーは、魔女会に送り返すから。麻子、預かってくれてありがとね。無駄骨させてごめん」
「ほんとよ。麻子よく引き受けたよね。私なんか先週からずっと、いよいよこいつと縁切るべきかの瀬戸際だわ」
「ひっど! ひっどなっちん!」
「うるっさい。それよりまかり間違っても、そこの餅人間のことで私達に迷惑かけるなよ」
なっちんは辛辣に言い、ぐびりと焼酎を飲む。餅人間がすかさず酒を注ぎ足す。
「ねえ、この餅返したらどうなるの?」
「さあー、焼くのかな?」
餅をか。今や殆どベビーパウダーで出来てるかもしれないのに、美味い訳がない。
「それなら貰ってもいい?」
私がそう言うと、三咲もなっちんも動きを止めた。「今なんて言った?」という顔をしている。餅人間だけが緩慢な動きで、再三私に酒を勧めてくる。それを断り、私は餅が気に入っていると説明した。
「何いってんの麻子」
なっちんが猛反対する。しかし三咲はすぐに二枚目の付箋を剥がして、何やら呪文っぽいものを唱えて焼酎に浸した。焼酎が紫に光り、三咲がそれに話しかけ始めた。
「あー、もしもし。白粉のやつ、引き取りたいって子がいんだけど。とりあえずモニターってことでどう? ……バッカ、無償だよ当たり前! そんなんだからいつまで経っても収益上がんないの!」
向こうからの返事は、私には聞こえないが、三咲には聞こえているらしい。紙切れの入ったグラスと大声で会話する様子は中々危ない。だが横に餅人間がいるお陰で、私もなっちんもそんなことではもう驚けない。
「麻子、くれるって!」
しばらく三咲が焼酎に向かって交渉し、餅は晴れて私の餅になった。
なっちんは信じられないと叫んだが、私は喜んだ。
◆
「麻子さん。餅触らして」
「いいよ」
学食で飽きもせずきつねうどんを啜っていると、山本が隣に座った。隣というか、私、膝の上に餅、山本。隣か。
「麻子さんってきつねうどん好きなの?」
「うん」
「俺も今日きつねうどん」
餅を膝から机の上に乗せようとしたら、そのスペース分空けて、向こうにトレイが置かれた。プラスチックの学食の箸と、きつねうどんが乗っている。
山本が手を伸ばして餅を撫でて、私はしばらくしてから餅を膝に戻した。昼ごはんの続きを平らげねばならない。
「麻子さん、この餅ってなんなの?」
「彼氏になるはずだったもの」
「えっ」
山本は驚いたようだった。私はうどんを見ているので顔は見えない。膝の餅がひんやりとして気持ちいい。
「麻子さんって彼氏いるの? 理想のタイプ、餅なの?」
「話すと長いよ」
今日、なっちんが居てくれればよかったのに。なっちんは説明が上手い。
「最初は三咲のやつだったの。でも私が貰ったの」
「なんで?」
私は顔を上げて隣を見た。
それを言うなら山本、お前は何故毎日餅を触りに来るのだ。餅が気に入ってるからだろう。
「うどん伸びるよ」
そう言うと、山本は何故か少ししゅんとして、きつねうどんを食べ始めた。