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千年ヒヨコと宇宙の卵  作者: 古池ケロ太
西暦1464年 ジェノヴァ
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西暦1464年 ジェノヴァ(1)

西暦1464年11月


   神の小羊 世の罪を除きたもう主よ われらをあわれみたまえ

   神の小羊 世の罪を除きたもう主よ われらをあわれみたまえ

   神の小羊 世の罪を除きたもう主よ われらに平安を与えたまえ――


 『平和の賛歌』が終わり、この日のミサも聖体拝領と終祭唱を残すだけとなった。

 十一月一日、諸聖人の日。聖誕祭と並んで一年で最も大事な祝日。街の中心にほど近いところにあるこの教会には、平日にもかかわらず大勢の信徒が詰めかけている。

 行列を作る彼らの一人一人に、神父が聖体たるパンを渡してゆく。後ろの壇上では、聖歌隊の少年たちが賛歌の後の一息をついていた。

 神父の老いた背中を見つめながら、クリスは歌い疲れた喉をさすった。

 最近、どうも声が出にくい。変声期だろうか。声変わりは早くて十三才、遅くて十七才だとドメニコ兄ぃが言っていたから、自分は最も早い部類に入る。そのくせちっとも背は伸びないから困りものだ。

 聖歌隊にいて、声が低くていいことは一つもない。ドメニコにしても長い間ボーイ・ソプラノとして活躍していたのが、十七で声が太くなってからは隊を外されてオルガンの演奏に専念している。オルガンなんて弾けない自分が歌まで失ってしまったら、どうなるんだろう。

「おい、クリス。おいって」

 隣に並ぶ聖歌隊の仲間が、ずいと顔を寄せてきた。

「なんだよ」

「お前のお気に入りの子、また来てるぜ」

 顎で指す先を見てみれば、パンを受け取りに並ぶ人々の列に、可憐な少女が加わっていた。浅黄色の長い髪に、薄紅色の小さな唇、そしてどんぐりのような大きな瞳。年はクリスと同じか少し下ぐらい。ドレスは地味な茶色だが生地の良さを見るに、どこかの貴族の召使いのようである。

「べ、別にお気に入りなんかじゃないよ、あの子は」

「よく言うぜ。何ヶ月も前から、ミサに来るたびジロジロ見つめてるくせに」

「人聞きの悪いこと言うなよ。誰がジロジロなんて」

「まぁまぁ。でもよお、向こうも時々お前のこと見てるみたいだぜ。ほら」

 え、と声を出したそのとき、まさに当の本人と目が合った。思わずたじろぐクリス。一方の少女は、いかにも上品に微笑んでみせる。

 どよめきの声を上げたのは、クリス当人ではなく周りの仲間たちだった。何しろ全員が全員住み込みの聖歌隊員で、女子にはからきし縁がない。色めきたった少年たちがおこぼれにあずかるようにクリスの近くへ顔を寄せ、押し合いへしあい、壇上の列が乱れに乱れる。

「ゴホン!」

 神父の咳払いで、潮の引くように混乱は収まった。すごすごと持ち場に戻る少年たち。それを見て、参列者たちはおかしそうに笑う。

(ほら見ろ、怒られちまったじゃねぇか)

(何でおいらのせいなんだよ)

 やがて最後の聖歌が終わり、ミサは静かに幕を閉じた。参列者は次々と聖堂を後にし、正面扉から吹き入る冬の風が教会に日常の空気をもたらす。聖歌隊のメンバーは緊張から解放された様子で伸びなどしつつ壇から降りてゆく。

「あの」

 声に振り向き、クリスは心臓の止まるほど驚いた。先ほどの少女が、壇の下まで近づいてきていたのである。

 鈴の鳴るような声で、少女はおずおずと聞いた。

「あの……クリストファーさん、ですよね」

「あ、は、はい。クリスはおいら、じゃなかった、僕ですけど……。なんで名前を?」

「前に、あの人たちが教えてくれましたから」

 振り返れば、仲間たちが一斉にこちらを向きながら、にやにや笑いを浮かべていた。

 真っ赤になってにらみ返すクリス。どうやら全部見通されていたらしい。

 少女は周りを少し気にするそぶりを見せた後、不意に布の包みを差し出した。

「こ、これっ、どうぞっ」

 ほとんど押し付けるように包みを渡す。一方のクリスは言葉もなく、それを受け取り、突っ立っているだけ。

「ビアンカ! 何をしているの、早くいらっしゃい!」

「あ、はい、申し訳ございません、奥様!」

 主人の声に慌てて振り向くと、少女は聖堂の外へと走り去った。最後にこちらを向いて、ぺこりと頭を下げるのを、クリスは呆けたように見送った。

「いやいや、良かったなぁ、クリス。俺たちも気を回したかいがあったぜ」

「な……お前ら、勝手なことを……」

「何言ってんだ、お前がいつまでたっても行動起こさないから悪いんじゃないか」

「そうそう、感謝されても恨まれる筋合いはなーい」

「日ごろ刺激がないんだから、これくらい楽しませてくれないと」

「な、お、お前らなぁ……!」

 建前と本音が混じった声が、クリスの文句とぶつかる。参列者のいなくなったせいで少年たちには遠慮がなく、たちまち聖堂は騒がしさにあふれかえった。

「これこれ、主の御前で大声を出すものではありませんよ」

 そこへ近づいたのは、法衣に身を包んだデュナン神父だ。

 おだやかな声に、しかし、クリスたちは一斉に押し黙った。

 教区の一万人近い信徒をたばねるこの神父は、しかし、一見してそうとは分からないほど線が細い。六十歳を越えているらしいのだが、のっぺりとした特徴のない顔はそれより上といえば上で、下といえば下にも見える。クリスが教会に拾われたときから、この年齢不詳の顔は変わっていないのだから驚きである。

 糸のような細目でじっと見下ろされ、クリスはうつむいた。神父は決して声を荒げることはないけれど、その分じんわりと責められているようで胃に悪い。

「クリス」

「は、はい」

「鐘楼の掃除をしてもらえますか。ドメニコが先に登っていますので、水を持っていってやってください」

 てっきり怒られると思っていたクリスは、意外そうに顔を上げた。

「何か?」

「あ、いえ……分かりました」

 他の少年たちもばらばらとミサの後片付けにかかってゆく。

「ああ、それとクリス、掃除が終わったらドメニコと一緒に礼拝堂に来てください。話があります」

 はいと一つ返事をして、クリスは聖堂を後にした。

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