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眠り姫は空色の校舎で目を覚ます

作者: 彩月ひな
掲載日:2026/09/25

もし、目を覚ました場所が――


誰もいない学校だったら。


窓の外には、雲ひとつない青空。


廊下には、なぜか小さな雲が浮かんでいる。


時計は、ずっと同じ時刻を指したまま。


そして、一番奥の教室。


そこにあるすべての机が、まるで誰かを待つようにこちらを向いていたら。


あなたは、そこから帰ろうと思うだろうか。


それとも――


誰かが自分を待っているのだと、思うだろうか。


これは、十年間眠り続けた少女が、夢の中の学校で出会った不思議な少女と、失われた記憶を探す物語。


あの日、何があったのか。


なぜ時計は止まっているのか。


そして、黒板に残された、


『まだ帰らないで』


という言葉の意味とは。


これは怖い夢なのか。


それとも、誰かがずっと待っていてくれた場所なのか。


――最後のチャイムが鳴るまで、もう少しだけ、この夢に付き合ってほしい。

目を覚ますと、そこは学校だった。


「……え?」


思わず声が漏れた。


見慣れたような、でも絶対に知らないような校舎。


壁も、床も、天井も。


全部が淡い水色に染まっている。


窓の外には、雲ひとつない青空。


なのに――


「……なんで?」


廊下の真ん中に、小さな雲が浮かんでいた。


ふわふわと、まるで風船みたいに。


「いやいやいや……」


私は目をこすった。


もう一度見る。


……浮いている。


「夢?」


たぶん、そうだ。


だって普通、学校の廊下に雲なんて浮いていない。


そう思った瞬間。


――キーン、コーン……


どこからともなく、チャイムが鳴った。


「……誰もいないのに?」


廊下を見渡す。


人の気配はない。


教室の扉は全部閉まっている。


時計を見ると、針は――8時13分で止まっていた。


「8時13分……?」


なぜか、その数字を見た瞬間。


胸の奥が、ズキッと痛んだ。


「……何、この感じ」


理由はわからない。


だけど、私はこの場所を知っている気がした。


知らないはずなのに。


懐かしい。


そんな矛盾した感覚だった。


私はゆっくりと廊下を歩き始めた。


すると、一番奥にある教室だけ。


扉が少しだけ開いていた。


「……あそこだけ?」


近づく。


ギィ……。


扉を開ける。


「…………」


誰もいない。


机も椅子も、全部きれいに並んでいる。


ただし――


「……なんで、こっち向いてるの?」


全部の机が、私のほうを向いていた。


まるで。


私が来るのを、ずっと待っていたみたいに。


そして黒板には、チョークで文字が書かれていた。


『まだ帰らないで』


「…………」


背中が冷たくなる。


「誰が書いたの?」


返事はない。


当然だ。


誰もいないのだから。


……そう思った。


そのとき。


「――ねえ」


背後から声がした。


「え?」


振り返る。


誰もいない。


「……気のせい?」


再び黒板を見る。


すると。


さっきまでなかった文字が、一文字だけ増えていた。


『まだ、思い出してないでしょう?』


「……っ」


心臓が跳ねる。


私は教室から逃げるように廊下へ飛び出した。


「何なの、ここ……」


走る。


だけど、どれだけ走っても。


廊下の景色が変わらない。


同じ窓。


同じ教室。


同じ浮かんだ雲。


「……嘘でしょ」


気づけば、私は最初の場所に戻っていた。


そして。


廊下の突き当たりに、一人の女の子が立っていた。


私と同じくらいの年齢。


長い髪。


制服姿。


だけど、その顔はよく見えない。


「……誰?」


女の子は答えなかった。


ただ、こちらを見ている。


そして、小さな声で言った。


「やっと来たね」


「……私を知ってるの?」


「うん」


「ここはどこ?」


「学校」


「それは見ればわかるよ!」


思わず声を荒げる。


女の子は少しだけ笑った。


「じゃあ、もっと大事なことを教えてあげる」


「……何?」


女の子が指を差す。


その先には、古い時計があった。


針はやっぱり8時13分を指している。


「この時間から、ずっと動いてないの」


「どうして?」


「あなたが、ここで止まったから」


「……私が?」


その言葉を聞いた瞬間。


頭の中に、知らないはずの光景が流れ込んできた。


暗い空。


雨。


濡れた校舎。


誰かの声。


『先に帰ってて』


『いや、待ってる』


『じゃあ、また明日』


――そして。


時計。


20時13分。


「……っ!」


頭を押さえる。


「何……これ……」


女の子が静かに言った。


「思い出した?」


「……わからない」


「うそ」


「……え?」


「本当は、もうわかってる」


女の子は私の前まで歩いてきた。


近くで見ると。


その顔には、見覚えがあった。


いや。


見覚えがあるなんてものじゃない。


「……私?」


そこにいたのは。


十年前の私だった。


「やっと気づいた」


幼い私は笑った。


「ここは、あなたがずっと待ってた場所だよ」


「……誰を?」


その問いに。


幼い私は少しだけ悲しそうな顔をした。


「帰ってくるって言った人」


その瞬間。


すべてがつながった。


十年前。


私は学校で事故に遭った。


その時間は――20時13分。


私は助かった。


でも。


長い眠りについた。


十年間。


ずっと。


病院のベッドの上で。


そして、この学校は。


私が眠りながら作り出した、記憶の世界だった。


「じゃあ……私、死んでないの?」


「うん」


「じゃあ、どうしてここにいるの?」


幼い私は答えなかった。


代わりに、教室の黒板を見る。


そこには新しい文字が浮かんでいた。


『もう、帰っていいよ』


「……帰る?」


「うん」


「でも……」


私は振り返る。


この学校には、まだ誰かがいる気がした。


ずっと私を待っている誰かが。


「私が帰ったら、この場所はどうなるの?」


「なくなるよ」


「……そっか」


なぜか、少し寂しかった。


「ねえ」


幼い私が言った。


「私、ずっとここにいたの」


「……うん」


「あなたが怖がらないように」


「……」


「だって、あなたはずっと『誰も待ってない』って思ってたから」


胸が締めつけられた。


そうだった。


私はずっと。


自分には誰もいないと思っていた。


だけど。


違った。


母も。


友達も。


そして。


十年前の私自身も。


ずっと、私が帰ってくるのを待っていた。


「……ありがとう」


そう言うと。


幼い私は、初めて泣いた。


「うん」


そして。


「じゃあね」


私は廊下を歩き出した。


後ろを振り返る。


誰もいない。


淡い水色の校舎だけが、静かにそこにあった。


時計を見る。


8時13分。


止まっていた針が――


カチッ。


動いた。


8時14分。


その瞬間。


世界が真っ白になった。


◇


「……お母さん?」


目を開ける。


白い天井。


機械の音。


知らないようで、どこか懐かしい匂い。


そして。


ベッドの横で泣いている母。


「……おかえり」


その言葉を聞いた瞬間。


涙が出た。


「……ただいま」


十年ぶりの言葉だった。


◇


その夜。


誰もいなくなった学校で。


時計は静かに時を刻んでいた。


8時14分。


8時15分。


8時16分。


そして。


誰もいない教室の黒板に。


最後の一文が浮かび上がる。


『もう、帰っていいよ』


その文字を見届けるように。


窓の外を、一つの小さな雲がゆっくりと流れていった。

ここまで読んでくれて、ありがとう。


……と、言いたいところなんだけど。


本当に、この物語はこれで終わったんだろうか。


主人公は目を覚ました。


十年間止まっていた時間も、ようやく動き始めた。


あの不思議な学校も、きっと消えてしまったのだろう。


――たぶん。


そう。


「たぶん」なのだ。


もし、あの学校がただの夢ではなかったとしたら?


もし、あの場所にいたのが主人公だけではなかったとしたら?


そして。


もし、あの少女が主人公の記憶から生まれた存在ではなく――


誰か別の人を待っていたのだとしたら。


……なんて。


今はまだ、答えは秘密にしておこう。


だって物語というものは、最後のページを閉じたあとにも続いているのだから。


もしかすると次にあの学校へ迷い込むのは、主人公ではない誰かなのかもしれない。


時計はもう、8時13分ではない。


だけど。


あの学校には、まだ一つだけ。


開いていない教室が残っている。


その扉の向こうに誰がいるのか。


何を待っているのか。


それは――また別の物語。


……まあ、もし続きを読みたいと思ってくれたなら。


そのときは、もう一度。


あの空色の校舎へ。


「おかえり」

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