絶対落としたい一途令嬢VS絶対落ちない腹黒執事 ~身分差を盾にプロポーズを断る執事のために二人の身分差をなくします~
「アラン、あなたのことが好きなの。あなたさえ良ければ、わたしと結婚してほしい」
「えっ? もしやお嬢様、十年前の話を真に受けたまま成長されてしまったのですか?」
「…………へ?」
◇
十年前。老執事の引退を機に公爵邸にやってきたアランは、ありえない速度でわたしの初恋を奪った。
燕尾服を完璧に着こなすアランはその背の高さも相まって本当にかっこよく、漆黒の髪によく映えるブルーサファイアのような瞳は吸い込まれそうなほど綺麗だった。
過去形にしてしまったけど、十年経った今もそのかっこよさは衰えるどころか、より魅力を増している。
でも、何よりも素敵なのはその優しさだ。長い間一緒にいるおかげか、最近では腹黒い本性を見せてくれることも多くなったけど、根っこにある優しさは何も変わっていない。
幼い子供に『断られるかもしれない』という考えが浮かぶはずもなく、わたしは自分がシャルム公爵家の跡取り娘であることも忘れて、子供がよく言う言葉を口にした。
「わたし、おおきくなったらアランとけっこんする!」
わたしの宣言にアランは目を細めて優しく笑うと、片膝をついて目線を合わせてから、その大きな手で頭を撫でてくれた。
「そう言っていただけて大変嬉しいのですが、わたくしとお嬢様とでは結婚できない決まりなんですよ」
「……どうして?」
「世の中には身分というものがあるからです。貴族であるお嬢様と平民であるわたくしでは、結婚できないというのが世の決まりごとなんです」
当時のわたしには難しくて意味がよくわからなかったけど、断られているという事実だけは理解することができた。
理由がわからないせいで断られたことだけが強く印象に残ってしまい、そのまま泣き出してしまったわたしの両手をアランは優しく握ってくれた。
「あと十年も経てば世界も変わり、おそらく身分差もなくなっていることでしょう。その時にまだお嬢様の気持ちが変わっていなければ、是非また求婚してくださいませ」
幼かったわたしはその言葉を信じた。そして、十年間疑うことなくその時を待ち続け、今しがたプロポーズをしたというわけだ。
「でもまさか、幼いわたしを丸め込むための嘘だったなんて」
プロポーズの際に渡したひまわりの花束を花瓶に生けるアランを見ながら、テーブルに頬杖をついて不満を口にする。
わたしにとってのアランの言葉はすごい力を持っていて、真に受けてしまったのかと言われるまでは何の疑いもなくその言葉を信じていた。
きっかり十年経つ頃には世の中から身分差が消えてなくなり、アランはわたしと結婚してくれるのだと思っていた。
でも、あれは幼い子供を傷つけることなく守るための優しい嘘だったわけだ。
「まさかあの時の話を十年間も信じ続けているとは、夢にも思いませんでしたよ」
「だって……」
「そもそも人間に染み付いている身分という考え方を、たかが十年でひっくり返すことなどできるわけがないでしょう。仮に制度的にそれらがなくなったとしても、考え方としてはしばらく残り続けるでしょうから」
教育を受けて成長したわたしには、アランの考えが嫌でも理解できてしまう。それでも、身分なんてものにわたしの恋を邪魔されてなるものか、そう思ってしまう。
「ねえ。わたしたちの間の身分差がなくなれば、アランはわたしと結婚してくれるの?」
「もちろんでございます。お嬢様にそんなことができるのであれば、ですが」
アランはそう言うと挑戦的な笑みを浮かべた。絶対に何があっても無理だと思っているんだ。なんだか腹が立って仕方なかった。
だってここで笑うってことは、身分差を建前にしてわたしとの結婚を回避しようとしているってことだ。
他に相手がいるからとか、わたしのことが好きではないからとかいう理由なら、わたしもまだ諦められる。
でも、アランは世間が納得する身分差というものを理由にして、上手いことわたしからのプロポーズを断っているだけだ。
「上等よ。身分差なんてぶち壊してやるから」
◇
大口を叩いた後、わたしは公爵邸の庭にある大樹の幹に背を預け、考えごとをしていた。
公爵令嬢であるわたしと執事であるアランの身分差をなくす方法は、わたしの知る限り二つしかない。
わたしが貴族をやめるか、アランが貴族になるかだ。
アランの幸せとわたしがシャルム公爵家の跡取り娘であることを考えれば、アランに貴族になってもらう方が良い選択のはずだ。
そして、貴族になるには国王陛下から爵位を授かる必要がある。でも、それには何かしらの功績が必要だ。
爵位を授かるほどの功績と言えば、一番は王国を救うことだろう。そこでこの前読み終えたばかりのファンタジー小説を思い出す。
「魔王は世界を滅亡の危機に陥れる存在……そんな魔王を討伐してこの国を救えば、褒美として爵位をもらえるはず!」
わたしが魔王を倒し、全てをアランがやったことにすれば、アランは爵位をもらえてわたしと結婚できるようになる。
「よし、これでいこう! ハッピーエンドはすぐそこだ!」
その後、わたしは公爵邸のキッチンに忍び込んで一番大きなフライパンを借りると、王宮へ向かうために馬車へと乗り込んだ。
◇
会いにいった相手は幼なじみであり、この国の第一王子であるジルベール殿下だ。
立場上、何かしら魔王に関する情報を持っているのではないかと思ったのだが、どうやら当たりだったらしい。
王宮のとある一室。テーブルを挟んだ向こう側に座る殿下は、プラチナブロンドの髪によく似合うペリドットのような瞳を揺らしながら、なんとも言えない表情で黙り込んでいる。
きっととっておきの情報を握っているに違いない。
「……アリアーヌ嬢。あなたを失望させるかもしれないがこれは真実だ。心して聞いてほしい」
「問題ありません。覚悟はできています」
「そうか……実は、この世界に魔王は存在しないんだ」
「……えっ」
「あなたの夢を壊すような真似はしたくはないが、責任ある立場になるほど夢は捨てなければならない。サンタクロースの正体が両親であるように、ファンタジー小説というのはフィクションなんだ」
「えええええええっ!?」
わたしはショックのあまり叫び声を上げると、魔王討伐に使おうと思って持ってきたフライパンを力なくテーブルの端に置いた。
魔王がいなければ王国の功労者となることはできず、アランと結婚することも叶わない。
その事実を前に頭が上手く働かず、呆然としてしまうわたしを見て殿下は立ち上がると、扉に手をかけながらこちらを振り返った。
「……ほんの少し待っていてくれ。ケーキを持ってきてもらおう。せめて満腹になって幸せな気持ちで帰ってほしいんだ」
その後、殿下が持ってきてくれたホールサイズのショートケーキはほっぺたが落ちるほど美味しかったけど、わたしの心にはぽっかりと穴が空いたままだった。
◇
あれから一週間、わたしは魂の抜けた抜け殻のような状態で日々を過ごしていた。
アランもわたしを心配してくれたのか、お茶菓子に出してくれたクッキーが可愛い動物の形をしていたり、デザートのプリンがバケツサイズになっていて、更にその上に生クリームがしぼってあったりした。
でも、そんなアランの気遣いを受けても立ち直ることができず、わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そんなある日、王国中を騒がせる大事件が起こったのだ。
「じ、ジルベール殿下が誘拐された!?」
「……ええ、こちらをお読みになってください」
そう言ってアランが差し出した新聞を受け取り、一面に大きく取り上げられている記事に急いで目を通す。
「第一王子であられるジルベール殿下が何者かにさらわれ、行方不明になるという大事件が発生。自室で眠りにつかれた殿下は翌朝になると姿を消しており、部屋には争った痕跡だけが残されていたという……」
記事に目を通して一気に血の気が引いた。殿下は無事なんだろうか。もしも最悪の事態に発展していたとしたら。
考えることさえ恐ろしくて、わたしはアランの心配の声に反応することもできないまま、ふらふらした足取りで自分の部屋へと戻った。
◇
両開きの窓に向かって置かれた勉強机の前に座り、机の上で突っ伏していると、窓を叩く音が耳に入ってきた。
音に釣られるように体を起こして窓の方を確認すると、紙切れをくわえた小さな鳥が必死になって頭で窓ガラスを叩いていた。
その様子を見て急いで窓を開けると、小鳥はぴょこぴょこ跳ねながら部屋の中に入ってきて、くわえていた紙切れを机の上に落とした。
「これは……?」
紙切れの正体は走り書きで描かれた簡単な地図だった。そして、その地図が指していたのは、ここからでも頑張れば歩くことができる場所にある古塔だった。
なんの地図かわからない中、裏面にも何か書かれていないかと紙切れをひっくり返すと、そこにはジルベール殿下の名前が書かれていた。
「もしかしてここに閉じ込められてるってことなの……? 殿下は助けを求めてわたしに手紙を……?」
そう呟くと小鳥がぴよぴよと鳴きながら嬉しそうに跳ねた。どうやら当たりらしい。
「なら早く助けにいかないと……!」
そう言って両手を机の上について勢いよく立ち上がるも、一歩踏みとどまって考えてみる。
このことをアランや父上に知らせた方が良いんだろうか。でも、知られたら絶対に行くのを止められてしまう。
殿下が国王陛下にではなく、わたしに助けを求めてきたということは、何かしら理由があるはずだ。
陛下に知らせて騎士を総動員されたらまずい状況にあるとか、陛下には知らせるなと脅されているとか。
ならわたしは誰にも知られず、一人で殿下を助けにいく必要がある。
わたし以外にこのことが知れたら、間違いなく陛下に話が伝わってしまうから。
そう結論を出し、あの日から借りっぱなしになっていた大きなフライパンを手に取る。何かあったらこれでぶちのめしてやろう。
「小鳥さん、知らせてくれてありがとう」
小鳥はわたしの言葉がわかるのか、返事をして嬉しそうに飛び去っていった。
それを見届けてからわたしは目の前の窓枠をまたぎ、公爵邸をこっそりと抜け出したのだった。
◇
ジルベール殿下が囚われているであろう古塔を目指して最初に訪れたのは、巨大な木々が生い茂る森だった。
日差しが森の中まであまり届いておらず、不気味な印象の森だった。しかし、いざとなればこちらにはフライパンがあるため、警戒もそこそこに森を進んでいた時。
「うわあっ!?」
足元に仕掛けられていた用途不明の落とし穴に気づかず、真っ逆さまに地面深くへと落ちていく。
やがて落とし穴の最深部に辿り着き、頭を打った衝撃で意識を失ったわたしは、とある夢を見た。
◇
「ちちうえ!」
今よりもずっと幼いわたしは、いつも忙しくてなかなか会えない父上を屋敷で見つけると、嬉しそうに父上に駆け寄った。
「アリアーヌ! 少し見ないうちに背が伸びたんじゃないか?」
今よりも若い印象の父上は駆け寄ってきたわたしを軽く抱き上げると、柔らかく笑ってわたしの頭を撫でた。
そして、口角を上げて嬉しそうに頭を撫でられていたわたしは、突然思い出したように声を上げた。
「あっ! ちちうえ、きょうはおやすみですか?」
「……ごめんな、アリアーヌ。今日も仕事があって、もう出ないといけないんだ」
父上は申し訳なさから眉尻を下げ、わたしは悲しみから眉尻を下げた。すぐに泣き出したりしなかったのは、こういう状況には慣れっこだったからだ。
「アラン、アリアーヌを頼んでも良いかな」
「もちろんでございます。いってらっしゃいませ、旦那様」
わたしはそのまま父上の腕からアランの腕の中へと引き渡された。
この頃、母上のお腹には妹がいたため、体調の優れない日も多くて迷惑をかけることはできなかった。
だからアランと一緒に過ごすことが多かったのだが、アランだって四六時中わたしにつきっきりというわけにはいかない。
偶然アランがそばにいなくて、母上の体調が優れず、父上が仕事で外出している日もある。
幼かったわたしはそんな日に限って庭で蝶を追いかけて遊んでいた。
そして、ひらひらとどこかへ飛んでいく蝶の跡を追っていたら、いつの間にか公爵邸から離れたどこかの森に迷い込んでしまっていた。
「ここ、どこ……?」
辺りをいくら見渡してみても同じような景色が広がっているだけで、どっちから来たのかもわからない。
追いかけてきた蝶はいつの間にか姿を消していて、一人取り残されたわたしは今にも泣き出してしまいそうだった。
そんな時、足の周りで何かが動くのが見えた。涙でにじむ視界で確認すると足元にはリスがいて、わたしの足の周りを行ったり来たりしていた。
「りすさん……?」
わたしの声に反応してリスは鳴き声をあげた。その声はまるでついてこいと言っているようで、わたしは走り出したリスの跡を必死に追った。
リスはしばらく走っては止まってこちらを振り返り、わたしがついてきているか確認してくれている。
そんな優しいリスの跡を追いかけて十分ほど経った頃、森の出口が見えた。
まだ公爵邸に帰れたわけではないものの、森から出られることに一安心しながら外に出ると、すぐそばの木の前によく知る人物が立っていた。
「アラン……? どうしてここに……?」
「お嬢様こそ、どうしてこんなところに? 屋敷のお庭で遊ばれていたはずでは?」
アランはそう言いながら、わたしが追いかけてきたリスにエサをあげている。
「アランのおともだちだったの?」
「ええ、まあ……そんなところです。知り合ったばかりですが……」
何を言っているのかよくわからなくて首を傾げるも、アランはそれ以上答えてくれそうにない。
「そう言えば、今夜は旦那様も奥様も一緒に夕食をとられるそうですよ。良かったですね、お嬢様」
「ほんと!? やった! はやくかえろう、アラン!」
すっかり迷子になっていたことなど忘れてしまったわたしはリスにお礼を言うと、アランの手を握って公爵邸に帰った。
◇
「うーん……なんか、昔の夢を見ていたような……」
目を覚ました後、そう呟きながら体を起こすと、そこは落とし穴の中ではなかった。
何が起こったのかわからないが、わたしは落とし穴のすぐ近くに横になっていたようで、すぐそばには土だらけになったフライパンが落ちていた。
「いてて……」
そう言いながら落とし穴に落ちた時にぶつけたはずの額に触れると、ガーゼが貼られていて既に手当てが済まされていた。
不思議に思ったものの、ジルベール殿下の命が危ないことを思い出したわたしは、急いで立ち上がって森を抜けたのだった。
◇
森を抜けた先は美しい湖だった。透き通る水に日の光が反射する光景にしばらく見惚れていると、湖の奥に崖を見つけた。
地図によればあの崖の上にジルベール殿下が囚われている古塔があるため、どうにかしてこの広い湖を渡らなければならなかった。
しかし、辺りを見渡したところで湖以外には何もない。どうしようかと歩くうち、近くに板とクギがいくつか落ちているのに気がつく。
少しも古びた様子がなく不思議に思いながらも、これを使わない手はないと思い、組み立てを始めた。
持ってきたフライパンでクギを打って板を繋ぎ合わせていくと、奇跡的に船が完成した。
こういう作業は得意ではないため、あまり出来がいいとは言えないが、湖を渡り切るには十分だ。
「よし、出航!」
フライパンで水を漕ぎながら、わたしは改めてフライパンに敬意を払った。料理に使えるだけでなく、クギを打ち、水を漕ぐこともできる。
こんなに万能な道具は、世界中探してもそうそうないはずだ。
そうして順調に湖を渡っていた矢先、ハプニングが発生した。
わたしの腕が悪かったせいか、船の底に小さな穴が空き、浸水が始まってしまったのだ。
「あー! なんとかしないと……!」
わたしはオールの代わりに使っていたフライパンで船内の水を汲み、外に捨てるという作業を挟みながら船旅を続けた。
しかし、水は船底に空いた穴を押し広げ、浸水はどんどん酷くなっていく。
「まずいまずい!」
大慌てでそう叫びながらさっき言った作業を続け、最後は沈みかかる船から陸へと飛び移る形で船旅は終了した。
「はあ、危機一髪だった……」
しかし、安心している場合ではない。わたしにはもう一つ問題が残されていた。
目の前にそびえ立つ崖。これを登り切らなければ、ジルベール殿下の待つ古塔には辿り着けない。
でも、わたしにはロープもなければピッケルもない。さっきのように運良く板やクギが落ちたりもしていない。
わたしの手に残されていたのは、形の崩れてしまったフライパンだけだったが、さすがのフライパンでも崖登りには使うことができない。
ここは自力で登るほかなさそうだった。
手で飛び出ている岩を掴み、足を引っかけて上を目指す。
命綱なしに登るのはかなり勇気がいるが、拘束されて命をおびやかされているジルベール殿下に比べれば、自由に動けるわたしなんて全然マシだ。
早く助けにいかないと。その一心で崖を登り続け、崖のてっぺんに手をかけた次の瞬間。
「うわっ!?」
もろくなっていたのか掴んだ部分が崩れてしまい、その部分に力を込めていたわたしはバランスを崩した。
そのせいで片手だけでぶら下がった危険な状態になってしまい、身動きがとれない。
「うっ……」
ここまで登ってきたせいで握力も限界に近い。手を離せば落ちてしまう恐怖から無理矢理力を込めていたが、それも限界を迎え、わたしの手は意思に反して崖から手を離した。
頭が真っ白に、そして顔は真っ青になった次の瞬間。崖上から手が伸びてきてわたしの手を力強く掴んだ。
その相手が誰なのか確かめる余裕すらないままその手に引き上げられ、わたしはギリギリのところで助かった。
久しぶりの地面に心から安堵しながら息を整える中、まだ握られたままの手を辿って相手の顔を見た瞬間、胸がいっぱいになった。
「お嬢様……ご無事、ですか……?」
「アラン……!」
わたしを助けてくれたのは、わたしの大好きな人だったからだ。来てくれたのが嬉しくてたまらず、わたしはアランに抱きついた。
「ありがとう、アラン」
「とんでもありません。お嬢様をお守りするのが執事であるわたくしの務めですから」
アランはそう言うだけで、抱きしめ返すわけでも突き返すわけでもない。
いつもなら不満に思っていただろうけど、今は助けに来てくれたというだけで十分だった。
◇
古塔の周りにいた見張り役への対処はアランに任せ、古塔の最上階へと繋がる螺旋階段を急いで駆け上がる。最後の難関は扉を守る鍵だった。
「うーん、どうしたものか……」
「お嬢様、どうされたんですか?」
扉の前で唸っていると、すぐにアランが追いついてきて声をかけてくれた。
わたしが説明するよりも先に鍵に気がついたアランは、わたしに下がるよう言ってくる。
「どうするの?」
「ピッキングして開けることもできなくはないですが、そもそも扉を開けたいだけなら鍵を開ける必要はないでしょう。これだけ古びた塔の扉なら、相当もろくなっているでしょうからっ!」
言い終わると同時にアランは扉に蹴りを入れた。背の高いアランから繰り出された蹴りは強烈だったようで、扉がいとも簡単に外れ、向こう側に倒れた。
「あ、殿下!」
その奥で椅子に縛りつけられているジルベール殿下を見つけ、急いで駆け寄り拘束を解く。
「殿下、ご無事ですか!?」
「……ああ、二人のおかげで無事だ。感謝する」
「よかった……!」
思っていたよりも衰弱していないジルベール殿下を見て安心した後、わたしたちは助けを呼び、殿下が騎士によって保護されるのを見届けてから外に出た。
「大冒険でございましたね、お嬢様」
「大冒険で、ございましたね……?」
螺旋階段を降りる途中、アランに言われた言葉に違和感を覚える。
まるで全て見ていたような言い方に、ここに着くまで何度も感じたあの不思議な感覚を思い出した。
森の中で落とし穴に落ちて気を失った後、目を覚ましたら落とし穴の外にいたこと。
怪我をした額が既に手当てされ、ガーゼが貼られていたこと。
湖で船を作るのにちょうど良い量の板やクギが落ちていたこと。
「もしかして、アランが……?」
それならばアランが先回りして崖の上にいたことも説明がつく。
期待の目でアランのことを見つめたわたしはこの時、アランが腹黒だということをすっかり忘れていた。
「……何の話でしょうか。わたくしはいなくなられたお嬢様を探そうと、崖の上から辺りを見渡していただけですが」
「じゃあ、その燕尾服で崖を登ったってこと?」
「まさか。こんなに堅苦しい服で崖登りなどできませんよ。わたくしはこちらの安全な道を通って来たんです」
螺旋階段を降り切った後、古塔から出たアランはそう言うと後ろを振り返った。その視線を追うと、奥には綺麗に舗装された見通しの良い道が広がっている。
「こちらの道でしたら、お嬢様の住む公爵邸からも繋がっていますから。歩いて三十分ほどですよ」
アランの言っていることを理解するまで時間がかかった。
「…………え? じゃあわたしはわざわざ、いばらの道を通ってきたってこと!?」
「そうなります」
「嘘でしょ……?」
綺麗な笑顔で微笑むアランに、一気に気が抜けてしまったのだった。
◇
後日、ジルベール殿下を救った褒美として何が欲しいかと国王陛下に尋ねられたわたしたちは、それぞれ望むものを言った。
わたしはアランに貴族となるための爵位を授けてほしいと伝え、アランは今後わたしが危機に陥った時に手を貸してほしいと頼んでくれた。
陛下は今回のことを相当評価してくれたようで、期待して待つよう言ってくれた。今は陛下の返事を待っている段階だ。
「さて。このまま順調にいけば、わたくしたちの間にある身分差は縮まる可能性が高いわけでございますが……当初の予定通り、お嬢様はわたくしと結婚されるおつもりですか?」
アランの言う通り、結婚はわたしの最大目標であったものの、わたしには一つ引っかかっていることがあった。
結婚というものに目が行きすぎていたせいで気が付かなかったが、アランを貴族にさせて結婚してもらうというのは何かが違う気がするのだ。
わたしが好きになったのはアランという人間だ。
執事をしているアランはそりゃあかっこよくて大好きだけど、執事だからという理由でアランを好きになったわけではない。
つまり、執事をしているからアランが好きなのではなく、アランが執事をしているからその姿も愛おしいのだ。
だからこそ。
「身分を力づくで変えて結婚してもらうんじゃなくて、この先努力して、わたしを好きになってくれたアランと結婚したい……そう思うのはわがままかな?」
「いいえ。素敵な考えだと思います。それにわたくしが貴族になってしまっては、お嬢様の面倒を見る者がいなくなってしまいますので」
そういうわけで、アランの貴族化計画は見送りになりそうだ。
一件落着かと思われたその時、不意に扉をノックする音が響き渡った。
「おや、一体どなたでしょうか」
そう言いながらアランが出迎えに行くと、扉の先にはジルベール殿下が立っていた。その後ろには護衛の騎士が控えている。
「殿下、どうされたんですか?」
「突然来て申し訳ない。少しだけ時間をもらえないだろうか」
◇
公爵邸の応接室に場所を移したわたしたちは、ローテーブルを挟んでソファに座り、互いに向き合っていた。
ジルベール殿下はどうやらアランにも話を聞いてもらいたいようで、アランはわたしの隣に座っている。
「まずはこの前の礼を言わせてくれ。二人とも助けに来てくれてありがとう。この礼は必ずする。ただ、今日話したいのは別の話だ」
殿下はそう前置きすると、少しの間を置いて話を始めた。
「助けに来てくれた時、私を見て思ったより衰弱していないなと思わなかっただろうか」
「思いました。でも、丈夫な方と体の弱い方では衰弱具合にも差が出るでしょうし、何より殿下は鍛えていらっしゃいますから」
「そうだな。確かに鍛錬は怠らないようにしている。では質問を変えよう。どうしてアリアーヌ嬢宛てに地図の描かれた手紙が送られてきたのか、不思議に思わなかったか?」
殿下の言葉に、紙切れをくわえた小さな鳥が窓辺までやってきたことを思い出す。
あの時、殿下は犯人に脅されていて、国王陛下に助けを求められない状況にあったから、わたしに助けを求めてきたのだと思っていた。
でも今思えば、助けに行ったとき殿下は椅子に拘束されていただけで塔の中に見張りがいたわけでもなく、脅されていたようには見えなかった。
どういうことだろう。そう思い眉間にしわを寄せる。
「実は……あの誘拐事件は、私が騎士たちに頼んで起こしてもらったものなんだ」
「えっ!? ど、どういうことですか!?」
「アリアーヌ嬢が魔王の居場所を教えてほしいと尋ねてきたことがあっただろう? そんなことを聞いてくるだなんて妙だと思い、少し調べさせたんだ。そこであなたがアランさんと結婚するために、彼を貴族に仕立て上げようとしていることを知った。でも、そんなことは簡単にできることではない。だから、手を貸したいと思ったんだ」
「……えっと……?」
話の繋がりがよく理解できなかった。個人的なことで困っているのを知って助けてくれるだなんて。
確かにわたしたちは幼なじみという関係ではあるものの、一般的な幼なじみのように特別親しい間柄ではない。
実際、わたしたちは必要以上にお互いのことを知らなかった。
「要するに……アリアーヌ嬢、あなたに惚れているということだ」
「……え、え? ええええええ!?」
殿下は真剣な顔をしていて、冗談を言っている様子はない。元より真面目な方であるため、こういった話題で人をからかうことはないだろう。
だとしたら今のは本当のことだということだ。どう受け止めて良いのかわからなくてアランの方を向けば、なぜか少しも驚いていない。
それどころかわかりやすく口角を上げていて、楽しんでいる様子すらあった。
「え、えっと……一体いつから……?」
「十年ほど前だ。出会って間もない頃、アリアーヌ嬢のいつだってまっすぐなところが可愛らしく、心を奪われてしまった」
「そ、そんなに前から……」
十年前というとわたしがアランに出会ったのと同じ頃だ。
「ただ、あなたはアランさんのことが好きだということを知って、身を引こうと思ったんだ。あなたさえ幸せでいてくれれば、私はそれで良かったからな。だから、自作自演の誘拐事件を引き起こし、アリアーヌ嬢の力になろうと思った。第一王子を誘拐犯から救ったとなれば、国王陛下からそれなりの褒美がもらえるはずだからな。ただ……」
殿下はそこで言葉を区切ると、わたしとアランのことを交互に見つめた。
「助けに来てくれた時、あなたは私が想定していた安全な道ではなく、険しく危険な道を通って私を助けに来た。おそらく安全な道があることを知らなかっただけなんだろうが、正直に言うと妬いてしまったんだ。あなたはアランさんに爵位を与えるために私を助けにきた。彼のためなら不気味な森を抜け、湖を渡り、崖さえも登れる。どんなに傷だらけになろうとも……アランさんのことが羨ましくてたまらなかったよ」
そこでわたしは訂正を入れようとした。あの時、わたしはそんなに賢い計算はできていなかった。わたししか頼れない状況にある殿下を助けようと必死だっただけだと。
でも、殿下があまりにも真剣に話すから、口を挟むことができなかった。
「だが、決して諦めたりなんかしない、常に目標に向かってまっすぐに突き進むアリアーヌ嬢を見ていたら、こうも思ったんだ。私ももう少しわがままになっても良いんじゃないか。引き下がるだけじゃ後悔するんじゃないかって」
突然話の方向性が変わり、頭が追いついていかない。
「……え、えっと……つまり……?」
「これからは積極的にいこうと思う。試しに今度、お茶会でもどうだろうか?」
「……は…………」
ペリドットのような瞳を細めて綺麗に微笑む殿下に、わたしは返事をする余裕がなかった。
驚き固まるわたしをよそに、殿下は「すまない、もう時間だ」と言って立ち上がってしまう。
「そうだ。これを」
そう言うと殿下は紙袋を差し出した。
「こ、これは……?」
早すぎる展開に置いてけぼりになったわたしは、恥ずかしいことに声がひっくり返ってしまった。
「アリアーヌ嬢がこの前王宮で食べたホールサイズのケーキだ。完食していたから、好きなはずだと思って作ってもらったんだ」
「あ、ありがとうございます……」
「いや、気にしないでくれ。私は次の予定があるから失礼するが、できればお茶会の件、真剣に考えておいてほしい。では」
殿下はそう言うと風のように去っていった。
「……面白いことになってきましたね?」
状況を飲み込みきれていないわたしに、アランは満面の笑みで畳み掛けてくる。
「さて、どうされますか? お嬢様」
とりあえず頭の中を整理したい。そう思いながらも、強がってひきつった笑顔で笑って見せたのだった。




