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確定しなかった君へ。

作者: ジョニー
掲載日:2026/05/12

拝啓


ワンルーム六畳。湿気のこもった空気の中で、君はこの手紙を読んでいるはずだ。

2030年8月5日。机には書きかけの退職願と、残高の心許ない通帳。


どうか驚かないでほしい。

……いや、無理な話かもしれないが。


僕は――30年後の君だ。


正確に言えば、「これからの君がどうしても変えられなかった未来」を背負い、そこで立ち止まってしまった人間だ。


未来の技術は、皮肉なほど進歩した。

時間軸に小さな穴を開け、過去の自分へ手紙を送ることさえ可能になった。


だが宇宙のルールは残酷だ。

どれほど未来の自分が過去に干渉しようとも、“確定してしまった事象”だけは変えられない。


――2038年7月6日18時00分。


君は、最初の取り返しのつかないミスを犯す。


その日、空はよく晴れていた。

夏の陽射しがアスファルトを照らし、蝉の声が遠くで揺れていた。


黒々としたスーツに身を包んだ君は会社を後にしていた。

胸の奥には、小さな後悔が沈んでいた。


――「今日こそ言おう」

そう決めていたはずだった。


君の、たぶん最初で最後の想い人。

会社の同僚で、笑う横顔がずっと心に刺さっていた。

けれど、いざ目の前にすると言葉が喉につかえて出てこなかった。


「飲みに行きませんか」

その一言が、どうしても言えなかった。


そして、ほんの数分後。

遠くに人だかりができているのを見つける。


救急車のサイレンが近づき、誰かが名前を呼んで叫び、誰かが泣いていた。


君が駆け寄った時には、すべてが終わっていた。


彼女は車に轢かれていた。即死だった。


世界が音を失ったように静まり返った。

君はただ立ち尽くすことしかできなかった。


その場に座り込み、何度も何度も心の中で繰り返した。


――もし、あの時。

――もし、たった一言でも言えていたら。


あの子は君と飲みに行っていて、

あの道を歩くことはなかったのかもしれない。


勇気が出せずに飲み込んだたった一言。

その後悔は、未来の僕の中で空白のまま固まり、

今もなお、頭の奥にこびりついて離れない。


「ミンミンミンミンミンミン」

あの日の蝉の声だけが、今でも鮮明に聞こえる。


――2044年3月22日22時56分。


スマホに一通のメッセージが届く。


「少し話せない?」


高校、大学と共に過ごした親友からだった。

君にとって、数少ない“何も飾らずに話せる相手”だった。


けれどその夜の君は、仕事を終わらせることに必死だった。

上司からのメールは山のように溜まり、明日の会議の資料もまだ完成していない。


だから君は、深く考えもせずに返信してしまう。


「ごめん! 今忙しいから後でもいいか?」


本当は、少しだけでも話したかった。

けれど、あの時の君は“自分のことで精一杯”だった。


返信を送ったあと、机に戻り、資料作りに没頭した。

そして――そのまま、彼のメッセージのことを忘れてしまう。


翌日も、その次の日も、君は仕事に追われ続けた。

気づけば一週間が過ぎ、

「そういえば、あいつから連絡来てたな」

とふと思い出した時には、もう返信するタイミングを失っていた。


“まあ、また今度でいいか”

そう自分に言い聞かせた。

あいつなら、きっと笑って許してくれる。

そう思い込もうとした。


しかし二週間後、突然の電話で知らされる。


――彼が亡くなった、と。


その瞬間、君の中で時間が止まった。

あの夜の短いメッセージが、

まるで刃物のように胸の奥を切り裂いた。


「少し話せない?」

あれは、ただの雑談の誘いではなかったのかもしれない。

あの時、ほんの五分でも話を聞いていれば、

何かが変わっていたのかもしれない。


未来の僕は、今でもあの通知音を忘れられない。

あれは、君が二つ目のミスを犯した瞬間だった。


――2049年11月18日。


その日、君は三つめのミスを犯す。


誰かを傷つけたわけでも、何かを失ったわけでもない。

ただ、君は“自分自身”を置き去りにした。


仕事の評価を取り戻そうと、終わらない仕事を終わらせようと、


君は毎日終電まで働き、


休日も休むことに「罪悪感」を覚えるようになっていた。


食事は適当になり、


眠りは浅く、


朝はいつも胸が重かった。


それでも君は、「まだ大丈夫だ」と言い聞かせていた。


誰にも弱音を吐かず、


助けを求めることもせず、


ただひたすら、壊れかけた心に鞭を打ち続けた。

本当はもう壊れていたのかもしれないが。


そしてある日、


ふと気づく。


鏡の中の自分が、まるで知らない他人のように見えたことに。


次の瞬間、視界が揺れた。


気がついた時には、君は病院にいた。


過労と鬱。


医者は淡々と告げた。


あの瞬間、君はようやく理解する。


“自分を大切にしないこと”は、

誰かを失うよりも静かで、誰にも気づかれないまま進行する、


最も残酷なミスだということを。


僕がどれだけ叫んでも、僕の視点から過去をいじることはできない。

僕の世界線では、いま書いたミスはすべて「既読」の事実なんだ。


でも一つだけ、たった一つだけ希望がある。

それは未来の僕がまだ知りえない「未読」の事実があるということ。


君にはそれを探し当ててほしい。


僕がこの手紙を送った瞬間、君の世界線は僕の知っているそれとは少しずれる。

僕にはもう変えられない事実を、君は“現実”という特権を持って捻じ曲げることができる。


君がこの手紙を読んでいる「今」は、僕たちにとって二度と戻れない分岐点だ。


だからこそ、君に変えてほしい。


僕ができなかったことを、君にやってほしい。

僕が言えなかった一言を、君に言ってほしい。

僕が拾えなかった声を、君に拾ってほしい。

そして何より、僕が置き去りにしてしまった自分自身を、どうか大切にしてほしい。


君がこれを読んだ後、僕の意識がどうなるのかはわからない。

君があるはずだった未来を変えてしまえば、この記憶を持つ「僕」は消えてしまうかもしれない。


でも、それでいい。それがいい。


僕という“過去の未来”は、君が歩き直すことで静かに終わる。

それは敗北ではなく、再出発だ。


頼んだよ。


2060年の、もう存在しないはずの自分より。



                                 敬具

2060年4月18日

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