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無羽の天使

作者: 閒中
掲載日:2025/12/21

人間になりたくて自ら翼をもぎ取った天使の話。

道に天使の羽が落ちていた。


羽と言っても、抜け落ちた一本の羽根ではない。

根こそぎ丸ごともがれた翼、だ。

身体との接触部分だったであろう箇所には大量の血が生々しく付着している。

「ありゃまぁ…随分と派手に…。」


乾き切っていない血が、真っ白な羽をじわじわと侵食していく。

この羽の持ち主である天使がまだ近くにいるかもしれないと思った俺は、吸っていた煙草の火を消し、歩き始めた。


ものの10分ほど探すと──やっぱり、いた。

羽を無くした天使が背中から血を流し、フラフラと頼りなく歩いているのが見える。

「あー、大丈夫かい?向こうに多分アンタの羽がごっそり落ちてたけど…。」

俺が話しかけると、天使は背中の激痛に耐えながら、弱々しく応えた。

「お気遣いなく。私が切って捨てたので。」


「は?自分で、切ったぁ?」

驚きのあまり、思わず大声を出してしまった。

天使は神に仕えて人間を護り導く存在とか何とか、じゃなかったっけ?

俺みたいな平凡な人間からしてみれば、手の届かないご立派で高貴な存在だ。

どうしてそんなことを?

「私は、人間になりたかったのです。」

ポツリと呟いた天使の言葉が、俺には理解できなかった。

何で人間になりてぇんだ。

汚ねぇし弱ぇし、頭悪いし煩ぇじゃん。

天使だったら人間の穢れた部分も沢山見ているだろうに。

俺の言葉に天使は首を振った。

「天使は清らか過ぎる。

全てが規律通りで、刺激も感情も、何もない。

……貴方たちが羨ましかった。

私は人間になって、自由に『私』を生きたいのです。」

つまり、優等生がヤンキーに憧れる、みたいなもんか。

俺がどうにかコイツを理解しようと思案していると、天使は空を見上げ、息を大きく吸い込み、そして舞台役者のように高らかに叫んだ。

「しかし苦痛に耐え、遂に私は羽をもぎ取った!

私は今日、人間になれたのだ!

私は何でも出来る!私は自由だ!!」

自由、ねぇ。

俺はその言葉に苦笑する。

「まぁ、頑張んな。」

俺は人間に希望を抱く天使、いや“元”天使に手をヒラヒラと振って別れを告げた。

少し歩いたところで後ろを振り返ると、“元”天使サマはさっきよりしっかりした足取りで、キラキラした眼差しをカフェに向けたり、散歩中の犬を優しく撫でていた。

無垢で無知な“元”天使サマ。

やれやれ、どうなることやら。



一年が過ぎたころ。

街中の喫煙所でいつものように煙草を吸っていると、ふと人混みの中に“元”天使の姿が見えた。

人間生活を満喫しているのかと思いきや……俺は言葉を失った。

髪はボサボサ。顔は生気が抜け落ち、服はボロ布のようにくたびれている。

ノロノロと歩く姿はまるでゾンビのようだった。

いや、どうしたどうした。

俺は思わず“元”天使に駆け寄る。

「あぁ…貴方は、あの時の……。」

“元”天使は俺のことを覚えていてくれたようだ。

俺の姿を見た途端、“元”天使は堰を切ったように泣き出した。


「人間は恐ろしい…こんなにも、こんなにも愚かだとは思わなかった…何故私はこのような下劣な生き物になりたいなどと思ってしまったのだろう。

天使の方がマシだった。

人間は最悪だ…まるで悪魔だ!奴等は救えない!!救う価値もない!!

天使に戻りたい…でももう戻れない……。」

“元”天使は俺の足に縋り付きながら泣き崩れた。


“元”天使が今まで何処で何をしてきたのか、俺には知る由もない。

だが目の前に俺という『人間』がいるのに、ここまで人間のことをボロクソに言われると、流石に少し凹む。

大方、コイツは天使だった頃のように純粋に、誰も彼も信じて疑わなかったのだろう。

騙されたり裏切られたり罵られたり。

そんな目に遭ったコイツは人間に期待していた分、ショックもかなり大きかったようだ。

今やコイツは完全に人間不信だ。

それに人間への絶望と嫌悪感で心が蝕まれている。


そりゃな、人間は全員が善人な訳じゃない。

かと言って全員がクソでもない。

だがこのままでは、コイツにとって俺たち『人間』が全員クソ野郎に思われるじゃねぇか。

ちょっとそれは、同じ人間として何か不服だ。


俺は咄嗟に“元”天使の腕を引いた。

「よし!飲もう!!」

“元”天使は驚き、俺の顔を見た。

「美味いもん食って酒飲めば少しは元気出るだろ。

愚痴でも何でも良いから、話せば楽になるかもしれねぇし。」

仕方ねぇから奢ってやるよ、と付け加えると、“元”天使は俺のことを泣き笑いしながら拝み始めた。


「可笑しいな、貴方がまるで天使に見える。」


俺は思わず笑ってしまった。

こんなヒゲ面の草臥れた中年天使がいるかよ。


けれども“元”天使があまりにも熱心に祈るので、俺は悪戯に吸っていた煙草の煙を真上にホッと吐き出した。

“元”天使の目が見開かれる。


紫煙の輪が、まるで天使の輪っかのように俺の頭上に浮かび上がった。

汚ねぇオジサン天使の出来上がりだ。


迷える子羊さんよ。

お前ら天使からして見れば、人間は確かにどうしようもなく愚かで阿呆だ。

だけど今はお前も人間。

同じ阿呆なら踊らにゃ損損、だろ?


じゃあ一緒に踊ろうぜ。

このどうにもならねぇ人生を。


「酒、飲める?」

「飲酒は人間を堕落させます。

記憶力や判断力を低下させ、様々な病気を引き起こす…そんな呪物を私に薦めるなんて…。

地獄への入り口が開く前に、ご自分の罪の深さを悔い改め…」

「えー、やだやだ。オジサン正論とか聞きたくない。」


戯れ合いながら俺たちは颯爽と繁華街へ歩き出した。


まるで背中に羽が生えたように。

どこまでも、自由に。




〈終〉

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