First Kiss Under Rose
夕暮れ時、古い特別棟の廊下にはもう人影はなかった。
しんと静まり返った美術室に、ユウとアキラはいた。
美術部で、キャンバスに向かうお互いの背中を眺めているうちに、言葉は少なくても分かり合えるものを感じ取るようになった。
イーゼルの傍らで筆を洗う音が重なったり、絵具ひとつを分け合ったり。
最初はそんな些細なことから、いつの間にか、放課後を一緒に過ごすことが当たり前になっていた。
今日の空気は、チューブから絞り出した原色のように重く、でも、どこか鮮やかな予感に満ちていた。
窓の外の空の色が、赤紫に深く沈んでいく。
静寂の中で、描きかけの風景画だけが壁に寄りかかっている。
自分の心臓の音が、こんなに近く、大きく響いているのかと思うほど響く。
アキラの、絵の具の掠かな匂いがする指先が、開いたスケッチブックの真っ白なページを静かに撫でているのが見える。
視線が合うと、どちらともなく熱を帯びて。窓辺には、誰かが残していった一輪の深紅の薔薇が、夕陽の最後に照らされていた。
「…ねぇ…」
ユウの声が、ほんの少し掠れて震えている。
アキラは何も言わず、小さく頷いた。
その視線には、少しの不安と、抗いがたい引力が宿っていた。
先に動いたのは、アキラだった。
震える長い指が、ユウのブレザーのボタンの一番下へ、迷うように触れる。
それは、これからの事を確かめるような、でももう引き戻せないような仕草だった。
ユウは息を飲むことも忘れ、ただアキラを見つめることしかできなかった。
ゆっくりと、キャンバスの風景がぼやけていくように、顔が近づいていく。
初めて触れる、ほんの少し冷たい肌。
初めて感じる、戸惑いつつも期待を含んだアキラの呼吸。
そっと唇が触れ合った瞬間、美術室の静寂が遠くなった。
ぎこちなくて、でも、肌が触れ合うたびに熱を帯びて。
微かな甘い香りが、窓辺の薔薇からか、それとも二人の間に生まれた熱からか、ふわりと漂ってきた気がした。
キスが深まるにつれて、身体が引き寄せられる。
触れ合う場所から、体温だけでなく、お互いの心の熱まで伝わってくるようだった。
制服を脱がせる手つきは、お互いに慣れていない。
ボタンを外す指先がもたつき、少しばかりの照れが混じる。
布越しには分からない相手の輪郭が、服を脱がしていくたびに現れる。
初めて見る、触れる、肌。
その全てに対する緊張と、禁じられたものを発見するようなゾクゾクとした興奮。
足元に落ちたブレザーやシャツが、二人の間に小さな闇を作った。
肌が現れるたびに、息をのむ。
白い鎖骨のライン、肩の滑らかな丸み、そして、夕暮れの翳りの中でも分かる、背中のなだらかな曲線。
震える触れる指先が、首筋から祈るようにゆっくりと滑っていく。
背骨のひとつひとつの窪みをなぞり、細くなった腰のあたりに触れる。
その敏感さに、思わず指先を少しだけ早く動かしてしまう。
アキラの手も、探るように、遠慮がちにユウの少し硬い肌や、起伏のある場所に触れるていく。
互いの体温が、触れ合う場所から、じんわりと心の奥まで染み込んでいくようだった。
脱いだ服を無造作に拡げて敷き、その上に二人は横たわった。
床は冷たかったけれど、剥き出しの肌同士が触れ合い、冷たさがじんわりと和らぐ。
身体が重なり合った瞬間、生まれて初めての世界の重みを知ったようだった。
その重みは、ユウにとって抗いがたい甘さを持っていた。
肌の感触を確かめるように、身体を寄せる。
熱を帯びた視線が絡み合い、言葉ではなく、次に触れる場所を確かめ合う。
ゆっくりと、アキラの指先が、ユウの体の奥深く、隠された、閉ざされた一番柔らかい場所へと導かれていく。
そこは初めて触れる場所で、指先に触れる肌は驚くほど繊細で、少しの熱と湿り気を帯びていた。まるで、開かれるのを待っていたかのような場所。
指が触れるたび、ユウの体が否応なくピクッと震えるのがわかる。
ためらいと同時に、急速に熱を持ち始めていくのが分かった。
アキラの指先が、優しく、問いかけるように、けれどしっかりと、探る。
ゆっくりと、たっぷりと、時間をかけて。
肌が吸い付くような、ねっとりとした湿潤な感触が指にまとわりつく。
内側から、堰き止められていた熱が、じんわりと広がって、全身を巡り始める。
緊張で硬く閉ざされていた場所が、アキラの優しい指の動きに合わせて、少しずつ、抵抗を止め、花が開くように柔らかくなっていくのを感じる。
呼吸が乱れ、喉の奥から小さな、でも熱のこもった溜息が漏れる。
それは痛みではなく、新しい感覚への戸惑いと、それが引き起こす未知の快感への期待。
ねっとりとした感触がだんだんと増し、指はもっと深くへ、時間をかけてほぐしていく。
内側から、波打つような反応が返ってくる。
アキラの指先が触れた軌跡に、火照りがまとわりついてくるのを感じる。
心と体が解けていくように、受け入れる準備がゆっくりと、深く進んでいく。
アキラの指の動きに合わせて、ユウの身体が敏感に微かに揺れる。
心臓がどくどくと早く打つ。
その場所が、熱を帯びた何かを、自分の一部として受け入れてくれるように、柔らかく、ねっとりと応えてくるのを感じた。
指先から伝わる深淵の熱が、股間だけでなく、全身に広がっていき、頭の中が少しずつ白くなっていくようだった。
そして、十分すぎるほどに融かされた場所へ、熱を帯びた存在が、ゆっくりと、震えるように近づいて内側に入ろうとする。
初めての、どうしようもない異物感に、体が強く強張る。
想像を超えた痛みと、それを受け入れることへの、言いようのない緊張。
アキラもまた、ユウの反応に立ち止まりそうになりながら、こちらの顔色を探る。
「…っ…ぃっ…」
小さく息を飲んだような声が漏れる。
それは痛みなのか、驚きなのか、まだ自分でも分からなかった。
アキラの動きが止まる。
顔を上げると、すぐそこに、不安を映し出しながらも、それ以上に強く決意を宿した目が潤んで自分を見つめていた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと。
少しだけの痛みを乗り越えて、熱を持った存在が、境界線を超えてくる。
初めての肉体の繋がり。
内側を満たされる感覚。
身体の奥の奥が、抗いがたい熱を持っていく。
アキラの中に自分が深く存在している、内側で触れ合っている、その感覚に、ユウの全身が痺れるようだった。
アキラもまた、ユウの内側の熱と、自分を受け入れたその事実に、全身が痺れ、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じていた。
最初の動きはぎこちなかった。
互いの存在を、内側で、表面で、全てで確認するように優しい触れ合いから。
皮膚が擦れる微かな音、混じり合う熱い呼吸。
この世の全てから取り残されたような静寂の中で、その音だけが響く。
羞恥と本能の間で、必死に声を抑えようと唇を噛み締める。
だが、一度乱れた呼吸から、漏れそうになる熱い吐息を完全に止めることはできない。
肺を満たす空気が少なくなっても、唇を開きたくない。
しかし、身体が正直に反応する。少し慣れてくると、動きは大きくなり、深くなっていく。
腰が揺れるたびに、粘膜と粘膜がねっとりと絡み合い、湿った音が響き、そして内側が強く深く刺激される。
生まれて初めて感じる種類の快感に、小さく、漏れ出そうな声が喉でせき止められる。
苦しくも甘い、その抵抗の音が、アキラの理性をさらに揺さぶった。
視線が絡み合う。
言葉など、この瞬間には存在しない。
ただ、今、熱く、深く、内側で一つになっているという事実だけが、全てだった。
肌と肌が汗で濡れ、滑らかになっていく。
身体が熱い。
呼吸が荒くなる。
額には汗が滲んで、髪が肌に張り付く。
「…ぅ、ん…ぁ…っ…は…っ…」
必死に抑え込もうとしたのに、小さな、でも切羽詰まったような誘うような喘ぎ声が、遂に震えながら漏れ出す。
「やっ…ぁ…そこ…っ…」それは、懇願とも、苦痛とも、あるいは快感の逃避ともつかない、混じり合った切ない音だった。
その声を聞いた瞬間、アキラの意識は飛んだ。
全身に荒々しい力が制御なく漲るのを感じていた。
初めての衝動が、動物のように、いや熱に灼かれたように身体を激しく突き動かす。
動きは激しくなり、身体がぶつかる音が響く。
感じる快感は波のように押し寄せ、それ以上の波で押し返される。
美術室の壁も、天井も歪むように熱を帯びていく。
瞼の裏に、あの薔薇の鮮やかな赤が、今描いている絵具のように、ぐちゃぐちゃになりながら浮かんでは消えるようだった。
内側に突き立てられる棘のような痛みがありながらも、その中心には、この世の全てと引き換えにしても惜しくないほどの、初めて知る上ない陶酔が待っていた。
熱を帯びた身体の内側から、巨大な波のような感覚が押し寄せる。
身体が小刻みに震え、弓なりに反る。
声にならない、苦しくも甘い、絞り出すような音が漏れた。
アキラもまた、内側から全身を突き上げるような熱と快感に襲われる。
呼吸も忘れて、全てを出し切るような、初めての、強い、強い解放感。
意識が遠くなりかけた。
終わった後、二人はしばらく、ただ荒い息遣いを繰り返しながら重なり合っていた。
心音だけがドクンドクンと共鳴するように響く。
身体は熱く、内側が痺れていた。
初めての場所、初めての経験に、まだ戸惑いと興奮が残っていた。
ユウが震える手で、そっとアキラを腕の中に抱きしめる。
アキラもまた、力なく、でも求められていることを確認するかのように、ユウの背中に手を回した。
互いの高すぎる体温が、重なり合った場所から、じわりと血行が悪くなるほど強く伝わってきて、妙に心を落ち着かせる。
皮膚が吸い付くようなねっとりとした湿気が、二人の間の皮膚の上に乗っていた。
窓辺で翳りに色濃くなった薔薇が、動かない壁を背に行儀良く立っていた。
棘があっても、触れてみなければ分からない痛みと、その先にある美しい世界の入り口があることを、知ったような気がした。
キャンバスの上に置かれた絵具も、少しだけ鮮やかに見える。
二人の間に流れる空気は、もう以前とは違う。
初めての、誰にも言えない秘密。
初めての、肉体の共有。
剥き出しになったのは身体だけでなく、隠しきれなかった互いの熱と憧憬だった。
それは、この美術室という空間の、この限られた時間の中に閉じ込められた、特別な出来事だった。
美術室の扉を開けて外に出る頃には、空はすっかり暗くなっていたけれど、心の中には、あの薔薇の赤のような、燃えるような、忘れられない新しい色が一つ、確かに灯っていた。