第6話 向井、死す
次の授業も机をくっつけて過ごすことを覚悟していたのだが、先生が用意してきたプリントを使う授業だったため、まさかの回避を遂げた。
「先生ありがとうございます。恩人です。恩師です。一生忘れません。将来の夢は先生になることです」
「何もしていないのに、そこまで感謝されると逆に怖いよ。向井くん」
先生は完全にドン引きしていたが、どうでも良かった。だって嬉しいんだもの。たつを。
俺が生の喜びを実感していると、突如隣からヒヤリとした空気を感じたのでチラリと左を見る。
そこには全てを呪わんとする目をした柊さんが。しかも、こちらをガン見していた。手には鉄やすりがしっかと握られている。
……コレもう美女とか関係なく怖いんですが。
なに?なまはげの亜種?美人なまはげ?
「それがなくなれば、向井くんは私のもの……フフ」
授業中のためか小声すぎてよく聞こえなかったが、柊さんが呪詛のようなものを吐いていることだけは分かる……分かりたくはなかったが。
穴が開くほど俺が持っているプリントを見ていることから、鉄やすりで俺のプリントを削ろうとしていることも辛うじて分かる……もちろん、分かりたくはなかったが。
「授業中だよ柊さん。前向かないと」
「私にとっての前は向井くん、あなただけよ」
「そんな恐怖に塗れた情熱的な言葉は要らないかな」
努めて冷静に返事はしたものの心は冷静ではない。相変わらず震えている足は見ないで欲しい。
しばらくのやり取りのうち、柊さんはついに諦めたのか真面目に授業を聞き始めた。
安堵した俺も板書をとりつつ、プリントの空所に入る言葉を埋めていく。
しばらくの後、カサリという音ともに机の上に謎の折り畳まれた紙が。
渋々中を開くと「お話ししましょう」と綺麗な文字で書かれている。
コレは……柊さんの字だな。
それよりも赤ペンで書くのはやめて欲しい。
綺麗な字から何かしらの怨念を感じる。
『怨念がここにおんねん』というギャグは実在したのか。
チラと柊さんを見ると、妖しい笑顔でこちらを見ていた。
返事しないと……ダメそうだな。
先ほどの『クズね』が脳内にフラッシュバックした。
どうやって返そうか悩んでいると、柊さんから新品のノートが差し出される。
表紙には『愛と青春の日々 vol.1』と書かれていた。
ただのお隣さん同士の交換日記のような物にこんなご大層な名前をつけないで欲しい。
あと、長々続けるつもりはもちろんないので、1巻で打ち切りですから。
俺の戦いはこれからなので。
仕方なしに『何について話をすればいい?』と書いて柊さんに渡す……とものすごいスピードでノートが返ってきた。
『巨乳派?それとも貧乳派?』
……昼休みの男子中学生みたいな質問やめて?あなの綺麗な字が泣いていますよ?
というか、コレを聞いて何になるというのだ、柊さん……。
『その人に似合っていればどちらでもいいと思うよ』という丸い答えを返すと『今はそういうの本当にいいから。ふざけないで』との返信が。
文字から怒気のオーラのような物が透けて見える。
ふざけているのはこの質問だという言葉はギリギリ飲み下した。
“柊さんに嫌われようキャンペーン”中の俺は「強いて言うなら貧乳派かな」と書いて渡す。
ウキウキでノートを受け取る柊さんはノートを開き……ゆっくりと閉じた。
そして、再び鉄やすりを手にしたかと思うと、自分の大きい胸に当てる。
「削るわ」
「やめて!?」
とんでもないことを言い出す、柊さん。
「じゃあ、もぐわ」
「そんなりんごを収穫するみたいな感覚で言わないでくれる?!」
「乳もぎ農家がいるかも知れないじゃない」
目を絶望に染めた柊さんは真顔でそんなことを言う。
あってたまるかそんなスプラッター農家。
俺は柊さんの机から『愛と青春の日々 vol.1』をひったくるように取ると「でも、柊さんの大きな胸は大好きだし、つい見ちゃうよ」と書いて渡す。
ノートを開いた柊さんの目に生気が戻っていく。
心なしか頬も赤い。
巨乳消失事件は回避できたっぽいな……危ない所だった。
未然に犯行を防げた刑事のような謎の充足感に浸っていると、柊さんからノートが返ってきたので中を開く。
『今度二人きりの時にたくさん見せてあげるわね』
……そっとノートを閉じた。
俺の精神消失事件は回避できそうにないらしい。
あ、お巡りさん犯人は横の美人です。
そうです、その巨乳で、鉄やすりを片手に持ってるそいつです。
───俺は授業中に二階級特進した。