とあるバス運転手は語った
「本当に、ほ・ん・と・う・に、あなた達警察でも、探偵でもないんだよな?」
「んで。ここで、話したことは、あ~、内部資料っったか? 外にはもれない。絶対だな?
な?」
高額の報酬に誘われては来たものの、異様な雰囲気が想像していたのと違ったのだろう。
中年から足を踏み出し、高齢に差し掛かった男は顔にベッタリと “疑い” を張り付けて何度もこちらを念で押してきた。
うん。
黒スーツに黒ネクタイに黒い靴下と黒い革靴。シャツだけは白いが、それがかえって良くないのかもしれない。
よく「葬式か、つーの」と同僚と冗談を飛ばす黒づくめの装いは、実際のところスーパーブラックとかで、喪服より濃く深い。
そんな存在が男女二名いる、床も壁も天井も扉も真っ白な部屋に招き入れられたら、目の前の男でなくとも多少は面食らうだろう。
「安心してください。扉はオートロックですし、この部屋が完全に防音です」
ばっ! そんな音がイメージできるほど勢いよく男の首が回り、顔が入ってきた壁に向いた。
そこにはドアが、・・・無い。
・・・ように見える。
実際には境目がぴったり合わさった自動ドアが閉まっているだけ、なのだが、巧みに隠された間接照明の効果も合わさって、まるで正方形の空間に閉じ込められたかのように感じられてもおかしくない。
ぐいーん。
壁に向かって歩きだした男の先で微かなモーター音と共に壁、いや、自動ドアが開く。
「もちろん内側からは開きますよ。外から入れないってだけです。秘密を守る為には、うっかり部屋に、なんて無いのが安心でしょ?」
そう背中に語りかけると、男はギギギと油が切れかかったロボットのオモチャのような動きで振り返り。
「うおっ!」
音もなく床から迫り出した応接セット───単に床が五つ真四角に盛り上がっただけ───に驚いて尻餅をついた。
・・・近未来的なのはいいが、ここの設備はリラックスして語ってもらうには慣れが必要だと思う。
/////
「一本いいかい?」
やっと落ち着いた男の言葉に反応してテーブル、もしくは一番大きく迫り出した床の表面がさらに盛り上がる。十センチ四方のブロックで囲われた中にちょちょんとタバコの灰を落とした男は、ようやくここに呼ばれた本来の目的をぽつりぽつりと話し始めた。
「あれは、今年と同じく、馬鹿みたいに暑い夏だった」
「俺はあの頃、タクシーの運転手でクーラーの効いた車内サイコー、なんて思いながら駅のタクシープールに並んで客待ちをしていた。・・・そんなこと無いのにな」
ふー。吐き出された息が煙となって室内を満たした。
「いや、それは今はいいか」
「暑い夏ってのはやっぱりタクシーの稼ぎ時で、それもこっちを止めるのに一万円を振るような時代さ。汗をかきかき歩くのは嫌だってお客さんはいて、『なんだ、ワンメーターかよ』なんてのも、『うわっマジかよ』ってほど遠距離のお客様も、ぎょく? ぎょくいし混合? ってやつか? まあ、そんな毎日だった」
「んで、だ」
ぐり、っと一本目が揉み消された。
カチッっと、二本目が灰皿の縁に。
「派手な格好のお姉ちゃんだったよ、麦わら帽子にサンダルのいかにも夏っ! って感じの服の」
「乗るなり、ガッ! と、足を組んで、マニュキュア? ペディキュア? ってのを塗った足の人差し指で、行き先を示して鏡を開くような」
「今ならスマホなんだろうけど、あの頃はまだなかったからな」
「おっさんは話しかけんなって全身で訴え、いや命令してたから『はい』って返事だけして、アクセル踏んで」
「そこがでっかい寺のある区画だってのに気がついたのは信号の二つ手前ぐらいだったかな」
「墓、墓、墓」
「いや、怖くはなかったよ」
「昼間だったし、お盆だったし、墓参りの家族もいたし」
「まあ、夜だったとしても車内なら、な」
「例え叩けば割れるガラスでも囲われれば安心できるってもんさ。天井にライトもあるしな」
「話がそれたか」
「指定された住所は寺の横、って言えば聞こえが言いが、まるっきり墓地の横だった。二階からベランダを開けりゃあ見えるのは一面の墓石だろうな。まあ、日当たりはいいし、家賃は安かったかもしれないな」
「ブレーキ踏んで、ちょっと待った」
「寝てるのかって、声をかけた」
「バックミラーを見て」
「振り返って」
「心臓が跳ねた」
「最初に思ったのは、俺に!だったよ」
「よく聞く話だったし、年配同僚が実際に、なんて話しも聞いてたし」
「それで思い出して運転席のドアを開けて」
「回り込んで、お客さんが乗るドアを・・・」
ふーっ。
今回のため息は煙ではなかった。
置かれたままの煙草はで長い灰を残し燃え尽きようとしている。
「開けなきゃ良かった・・・」
「前側シートの裏に落ちてた、ってのがオチだったんだよ」
「けどいなくて」
「シートをかき分ければ、トランクに入れるって思い付いて開ければ空で」
「そこでやっと気づいたんだよ」
「シートの座面がぐっしょり、って」
「よく見たりしなきゃ良かった」
灰皿に手を伸ばした男は、もう吸うところが無くなった二本目を一瞥し、新しい
のに火をつけた。
「今はどうなのかな? 布地のシートもあるのか? 俺が乗ってた頃のヤツは皮で、ぐっしょり濡れたっていうか、染み込めなかった水分が、もう半分水溜まりってぐらいになってて」
「明らかに、異常、なのに」
「あー片付けるのメンドクセーとか思ってたら」
「見ちゃったんだよ」
「忘れモノを」
「最初は、なんだろう、って」
「真っ赤で、ぽつん、と」
「真ん中あたりがくびれ? 曲がって、て」
「真面目になんだか、わかんなかった」
「『なんだコレ?』って、手を伸ばそうとしたんだけど」
「ぜんぜん、動かないんだよ、なぜか」
「今にして思えば」
「なんかこう、本能ってヤツだったのかも、な」
「それで忘れモノが一体なんだったか? って」
「それは、“赤” が分かれば」
「ほらあんたらも、見覚え、いや、聞き覚えがあるだろう?」
「ペディキュアさ」
「すまん、すまん。色までは言ってなかったな」
「シートに生えていたのは、真っ赤なペディキュアがほどこされた・・・」
三本目の煙草もほとんど吸われないまま灰となった。
「俺はね。あれから思うんだ」
「世間じゃ、タクシーから人が消えるのは幽霊を乗せたから、ってなってる」
「けどな」
「本当に恐ろしいのは、残った・・・」
/////
「これ、取れないのな」
「縁だけ下げて拭くような感じで」
近未来的な設備にも面倒な所や、うん? と思うことがある。
テーブルの表面から沸き出すように現れる灰皿は外れないから掃除がめんどうだし、そもそも表面が床だったので、その上で食事、とは思えない。椅子っぽく迫り出した座面も、黒いズボンで座ると、汚れが付いてないか不安になる。
・・・支給された制服が汚れたのを見たことは一度もないが。
「あのおじさん、警察に何回も話を聞かれたそうですよ」
「それでか」
なら何回も念を押されたのにも頷ける。
真っ昼間に人一人、それも若い女性が消えたのだ。
最後の目撃者に話を聞く、というか疑いの目を向けるのも無理はない。
ましてや、その男が翌日突然会社をやめていれば。
「結局、次見た時には忘れモノも消えてたそうですね」
「そう言ってたな」
探偵、女性の家族側にも話ができない理由はそこだろう。
誰だって「お宅の娘さんはシートに」なんて話は聞かせたくないだろうし。
・・・実際にはシートの表面の、だが。
「そりゃ、タクシーはもう乗れないわな」
ぐっしょり濡れるのがお客様用シートとは限らないのだ。
本人が消えているから語られないだけで、突然車両を放棄して失踪したドライバーなんてのは、どこのタクシー会社にもある話だろう。
用途からして運転席に鍵が掛かっていても、後部座席ドアは開けられるのだし。
何で後ろから? ぐらいにしか思われないに違いない。
・・・バブルの頃にはなかった車内カメラが現在の車には付いている。後で確認せねば。
「今、あの人何やってるんだ?」
掃除もそろそろ終了、と思ったら、床の一部だけが綺麗すぎる。
これは・・・。
「バスの運転手さんだそうですよ。運転しかできないからって。まあ、すぐやめたくなったそうですけど」
同僚が壁の一部を押す。
パカッと開いて現れたのは、昔懐かしい掃除道具だ。
「なんでだ?」
バスの怪談はあまり聞かない。
「それがですねぇ。運転してるとたまに思うんですって」
同僚がモップの柄の上に重ねた手の甲に顎を乗せた。
「席が全部埋まって立ち乗りのお客さんも一杯のバスを運転してて」
「してて?」
「停車ボタンが押されても誰も降りないから振り返ったら」
「ら」
「誰もいなくてシートと床がぐっしょりと・・・」