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サラリーマンとミックスサンド②

「あのー……猫が、お好きなんですか?」

「あぁ……お見苦しいところをお見せしてしまい、すみません。はい、好きですよ」

 竹下はやや気まずそうに謝罪をしてから、あっけらかんと猫好きを認めた。

「猫っていいですよね。あののほほんとした表情と、自由気ままな性格と、何よりももふもふのあの体。おじさん一人で猫カフェに行くのはハードルが高いですし、猫カフェの猫はそんなに撫でくりまわせないですし……私がこのお店に出会ったのは、そんな時です。仕事で疲れ切って心も体もぼろぼろの限界だった私の目にたまたま止まり、駆け込んだ先で出会ったのが、須崎さんでした」

「猫が喋って歩いて接客しているの見て、ビックリしませんでした?」

「そりゃあもちろん、初めは驚きましたよ。働きすぎて幻覚を見ているのかと思ったくらいです。ですがすぐに、そんなことはどうでも良くなりました。須崎さんは接客も丁寧ですし、料理もおいしいし、何よりも撫でさせてくれる。心ゆくままに、撫でさせてくれる。こんなにいいお店、他にはありません。ゆったりと流れる時間、落ち着く内装で居心地の良い店内。ご飯は美味しく、そして店長は猫! 最高ですよね、大吉君」

 竹下は一気にそう喋った後、同意を求めて大吉を見た。大吉はゆっくりタバコを吸ってから天井に向かって吐き出す。

「せやな……少なくとも、静かで心地ええわ」

「ですよね。私も学生でしたら、このお店でアルバイトしたいくらいです。大吉君もやはり、居心地の良さで働くことを決めたんですか?」

「いや。なんか須崎さんに頼まれた」

「頼まれたんですか? 羨ましい……私も余生は猫を飼いながら静かに過ごしたいです。できれば須崎さんのように、穏やかな性格の猫を」

 心底羨ましそうな目で大吉を見つめる竹下。

「よっぽど猫が好きなんですね……」

「好きです。猫禁止のアパートに住んでいる上、会社に泊まり込みで帰れない日がザラにあるので飼えないのですが、今は須崎さんという史上最高の猫に出会えたので、なんの文句もありません。何なら、須崎さんに会うために会社に来ているという気さえしています」

「そ、そんなにですか」

「はい。仕事に面白味はないので」

 キッパリ言い切る竹下はいっそ清々しい。

「大人って大変なんですね」

「ええ。貴方も大人になればわかりますよ。学生時代がどんなに素晴らしいものか、きっと懐かしみ、思いを馳せるようになることでしょう」

「うーん、そうですかね……」

「そうに決まっています。今のうちに学生生活を謳歌してください」

 愛は苦笑を返すことしかできなかった。

 学生生活を謳歌しようにも、友人の一人もいないのだ。おかげさまでこうして、ビルとビルの隙間にひっそりと存在している喫茶店で、初対面の疲れ果てたサラリーマンと会話をするという状況になっている。竹下はいい人そうだが、愛としては同年代の友人が欲しい。

 こんな日々を過ごしていたら、三年なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。愛は卒業式の日に一人で佇む自分の姿を想像して暗くなった。私、ずっとこのままなのかな。

「…………」

 虚しい気持ちをごまかすようにストローをくるくる回す。溶けたバニラアイスがメロンソーダと混ざって、クリーム色になった。思考が沈む愛の耳に竹下と大吉の会話が届く。

「そういえば大吉君は大学生ですよね。どちらの大学に通ってるんですか?」

「K大学の薬学部」

「なんと。高学歴じゃないですか。やはり将来の夢は薬剤師ですか?」

「んー……別に決めとらん。今の大学の学部だって、適当に決めただけだし」

「えぇ……適当に決めて入れるような大学じゃないですよ」

 K大学というのは愛も知っている、全国でもトップクラスの高偏差値の私立大学だ。入学するために何浪もする人もいると聞いている。確か、愛が行っている聖フェリシア女学院の生徒たちもそこを目指している人が多いとか。キャンパスが高校の近くにあるので、K大学の学生らしき人もよく目にしていた。

 そんなすごい大学に在籍しているのに、大吉は全然学生生活を謳歌しているようには見えない。いつ来てもこの喫茶店にいるし、無気力に喫煙しているだけだ。

 愛はおずおずと、大吉に質問してみた。

「あの……大吉さんって、大学生活楽しいですか?」

「…………」

 大吉は何も言わず、ただ目線だけを愛へと向け、言葉の代わりに長い長い煙を吐き出した。タバコ臭い。愛の周囲の大人は結構喫煙をしていたのでさほど気にならないが、今の時代に東京都心でこんなにも喫煙する大学生って少ないんじゃないかな、と思った。そもそも大体の飲食店が完全禁煙、もしくは分煙なのに、全席喫煙可能なこの店は希少価値が高すぎる。そんな飾らないスタイルだからこそ、落ち着くのかもしれないけど。

 大吉が愛の問いかけに何も答えないでいると、奥から須崎が現れた。

「大変お待たせいたしました、ミックスサンドとウインナコーヒーです」

 高々とささげ持った銀色のトレーの上には、お皿の上に盛り付けられたミックスサンドとウインナコーヒー。須崎はそれらを丁寧にテーブルへと置く。

「おぉ! まってました……あれ、これは……?」

 竹下が手に持ったミックスサンドは、パンの真ん中に肉球型の穴が空いていて、そこから具材のハムがちらりと顔を覗かせている。さながら本物のピンク色の肉球のようだ。

「こちらのクッキー型を使ってみました。ちょっとした遊び心です」

「なるほど……これは可愛いですね」

 確かに可愛い、と愛も心の中で同意する。肉球の形にくり抜かれた途端、ごく普通のミックスサンドが個性を放ち始めた気がする。

「うん……ふわふわのパンに、ハムとチーズと野菜がマッチしていて、美味しいです」

「たまごサンドは辛子マヨネーズ和え、ジャムサンドは季節によって異なる自家製ジャムを使っていて、今の季節はいちごジャムです」

「須崎さんは可愛いだけでなく料理も上手ですね」

「お褒めいただき、光栄です」

「ウインナコーヒーも、クリームの甘みが疲れた体に染み渡ります……」

 ほぁぁ、と至福の表情を浮かべる竹下を見ていると、愛もなんだかお腹が空いてきた。今日の夕飯はなんだろうと密かに考える。

 ペロリとミックスサンドを平らげた竹下に、須崎はちょいと首を傾げて問いかけた。

「いかがですか? 満腹になると、少しは気持ちが上向きになったでしょう」

「確かに……残る仕事もやってやるか、という気持ちが湧き上がってきましたね」

「そうでしょう。空腹は、思考をネガティブにさせますから。たっぷり休んで、お腹いっぱい食べて、やる気を充填するのが大切です。はい、これサービスの肉球型クッキーです」

「わぁ、至れり尽くせりですね」

「常連さんを大切に、が当店のモットーですから。愛さんもどうぞ」

「えっ、私にも?」

 ぼんやりと竹下と須崎のやりとりを聞いていたら、須崎がとてててと近寄ってきて、愛のテーブルの上にもぽふんとクッキーを置いてくれた。赤いリボンで口をキュッと縛った透明な袋の中には肉球型のクッキーが三枚。ご丁寧に、肉球部分はチョコレートでデコレーションがされていた。

「愛さんも立派な当店の常連です」

 目を細め、顔の両端から飛び出る髭がヒクヒクと動いている須崎の柔和な微笑みを見ていると、自然と心が和んでくる。須崎の笑顔につられて愛の口元も綻んだ。

「……嬉しい。ありがとうございます」

「いえいえ。またお越しくださいね」

「須崎さん、俺にはクッキーないの?」

「大吉さんはバイトの後に賄いとしてお出ししますよ」

「えっ、この店、賄いも出るんですか? いいなぁ」

 竹下がクッキーから目を上げて須崎へと首を伸ばした。

「はい。ちなみに今日の賄いは、竹下さんにお出ししたのと同じミックスサンドです。大吉さん、気をつけないと食事をしないので」

「食生活の偏りは大学生にありがちですからね。まぁ、私も人のことを言える立場ではありませんが……」

「みなさんしっかりと食べてくださいね。食べることは心の栄養補給にもつながりますから」

「須崎さん、いいことを言いますね」

「喫茶店店長として、常連さんならびに従業員の心と体の健康には気を配っていますから」

 これを聞いた愛は、思わずふはっと笑ってしまった。

「そんな喫茶店の店長さん、聞いたことないですよ」

「お節介かもしれませんが、当店を訪れた方々には幸せになって頂きたいのです。お客様の笑顔が私のやる気にもつながりますから。言わば、『うぃんーうぃん』の関係ですね」

「うぃんーうぃん?」 

 いまいち何のことか分からずに愛が首を傾げると、竹下が細く説明をしてくれる。

「win-win。ビジネス用語で、相手と自分の双方に利益があることを指します」

「へぇ……須崎さんって物知りなんですね」

「いえいえ。受け売りですよ」

 舌をチロリと出し、自分の頭を照れ臭そうにぽふんと掻く。人間がやったらあざとすぎる仕草が、猫の須崎には妙にマッチしていた。

「よし。元気出ました。もう一仕事してきます」

「はい。またお越しくださいね」

「私もそろそろ帰らないと……」

「愛さんも、またのご来店をお待ちしています」

 店を出て、そのまま竹下とも道を別にする。

 帰る道すがらは帰宅する人々でごった返していて、相変わらず人の多さに辟易としてしまう。

 ……ただ。

 愛は先ほどの竹下と、以前喫茶店で出会った治部良川の様子を思い出した。

 仕事に追われて須崎に癒しを見出した竹下。

 同じく、仕事に追われて嫌気が差していた治部良川。

 大人には大人の悩みがあるものなのだということが何となくわかり、大人も大変そうだなぁと思う。もしかしたら愛が知らないだけで、両親も何らかの悩みを抱えているのかもしれない。今度聞いてみるのもいいだろう。

「……悩んでいるのって、私だけじゃないのかも」

 愛の小さな呟きは、雑踏の中に吸い込まれて誰の耳にも届かない。それでもそう口にすることで、愛の胸につかえていたシコリのようなものが少し取れた気がする。

 悩みの種は人それぞれ違うけれど、誰しもが悩みを抱えている。自分だけじゃない。

「……よし。もうちょっと、頑張ってみようかな」

 お土産にもらった肉球型クッキーをポケットにしまうと、愛は地下鉄のホームへと階段を駆け降りた。


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