ねこ店長の喫茶店は今日も営業中
すっかり秋の気配が色濃い最近は、歩いていても暑さで倒れそうになることはない。
そよぐ風に排気ガスの匂いが含まれていようと、涼しくて気持ちいいのは間違いがなかった。
大吉は喫茶店までの通い慣れた道を歩く。
れんげ通りを曲がったところで、細い路地に看板を出している茶色い外観の喫茶店が目に飛び込んでくる。迷わずに扉を開ければ、からんからんと音がして、誰もいない静かな店内が大吉を迎え入れてくれた。
店内を横切って厨房の扉を開ければ、そこには蝶ネクタイをつけて黒いエプロンを締めた須崎が座っていた。今日の須崎は、コーヒー豆をミルに入れているところだった。椅子の上に後ろ足で立ち、前足で大きな豆袋を支えている姿は見ていて危なっかしい。
「おはようございます、大吉さん」
「おはよう、須崎さん。それ、俺がやるで。転んだら危ない」
「助かります」
大吉は素早くエプロンを締めると豆袋を須崎の背後から支えて代わってやる。須崎はほっとした様子だった。
「力仕事は手伝ってくれる人がいると助かります」
「須崎さんは猫なんやから、くれぐれも無茶せんように」
「はい」
須崎はとても嬉しそうに目を細めこくりと頷いた。
そういえば。
ふと大吉は最初にアルバイトをするきっかけになった日のことを思い出した。
あの時大吉をアルバイトに誘った須崎は、「お客様は居場所を探しているようでしたので」と言っていた。
確かに大吉は居場所を求めていた。
親友を失って空虚な心で過ごす日々のどこかで、立ち直れるきっかけを欲していたのだ。
そして大吉は今、新たな日々を送っている。
ならば須崎にとって自分はもう用済みなのだろうか?
悩みを解決した自分ではもう、この店で働く価値はないのだろうか。
大吉はちらりと須崎を見る。
今度は須崎は、カレー鍋の蓋を開けて味のチェックをしていた。
今のところ大吉に対する態度に変化などはない。少なくともいきなりクビを宣告されることはなさそうだった。
大吉が思い悩んでいると、からんからんと扉についているベルが鳴り、須崎は出入り口に目を向けた。
「俺、出てくるわ」
「はい、お願いします」
大吉が扉を開けて店内に行けば、そこには見知った顔ぶれが。
江藤、治部良川、竹下、高木。
「あれ……揃いも揃ってどうしたん」
「おや、皆さんお揃いですね」
いつの間に出てきたのやら、大吉の膝あたりから須崎の声がした。
「相変わらず客のいねえ店だな」と治部良川が言い、
「すっかりご無沙汰しておりましてすみません」と竹下が頭を下げ、
「兄貴、久々っす!」と高木がはしゃぎ、
「須崎さん、お久しぶりです」と愛が言った。
「お好きなお席へどうぞ」
須崎は笑顔で四人を店の中へと促す。一つのテーブルを囲うように四人が座ったので、大吉と須崎とで水を運んだ。須崎はなんだかウキウキした様子だった。
「やはりこうして常連の皆さんがいらっしゃると店内が賑やかになっていいですねぇ。皆様、注文はいかがしますか?」
「ナポリタンくれ。竹下、おめえは?」と治部良川が注文する。
「では私はミックスサンドを」
「じゃあ俺は、チョコレートパフェ!」
「私はクリームソーダがいいな」
「かしこまりました。では大吉さん、作りに行きましょうか」
須崎は注文を書き付けると、大吉を伴って奥へ引っ込んだ。
四人分になるとそれなりに量が多い。
須崎がナポリタンとミックスサンドをせっせと作っている間に、大吉はチョコレートパフェとクリームソーダの用意をする。
こう見えて、普通に店の仕事もできる。ただサボってタバコ吸っているだけではない。
「須崎さん、出来たで」
「こちらもです。では持って行きましょうか」
「あれ? 冷コーの注文なんてあったっけか」
須崎の持つトレーの上には、注文にはないアイスコーヒーが載っている。
「これは、大吉さんの分です」
「へ……」
「久しぶりですし、皆様と話に花を咲かせましょう。しばらくはお客様もお見えにならないでしょうし」
須崎は時折こうして、不確定なはずの未来を断言する。そしてそれは必ず当たる。
一体どうなっているのかはもう考えるのを止めている。須崎はそういう、人知の及ばない猫なのだ。
厨房の扉を開けて固定して須崎が出やすいようにしてやると、大吉も後に続いた。
「大変お待たせしました、ナポリタンとミックスサンドです」
「と、クリームソーダとチョコレートパフェや」
次々にテーブルの上に注文の品を置き、大吉も開いている椅子を引き寄せて座るとポケットからタバコを取り出そうとして、やっぱり止めた。代わりに須崎が淹れてくれたコーヒーを飲む。苦めの冷えたコーヒーが体の中に染み渡り、じぃんとした。
他の常連客も銘々自分が注文した品を食べている。
「ナポリタンうめぇな」
「私はここのミックスサンドが大好きでして」
「やっぱこの店のチョコパフェうめえっすね」
「私はクリームソーダが大好き。そういえば大吉さん、タバコもう吸わないんですか?」
「一日一本にした。今日の分は後にする」
「おや、それはいい心掛けですね。ね、治部良川さん」
「ああ、大吉は吸いすぎだったからな」
「兄貴、俺と一緒に百歳まで生きましょうや!」
「お前と一生一緒にいる気はないで」
「兄貴、冷たい!」
嘘泣きする高木を気に止めるものは誰もいない。
須崎は楽しそうな常連客の様子を見て、目を細める。
ひとしきり盛り上がった後、彼らは示し合わせたかのように立ち上がり、帰り支度を始めた。
会計を済ませた四人を須崎と大吉は見送った。
「どうもありがとうございました」
「また来てや」
「今日も美味かったぜワレェ」
「ごちそうさまでした、須崎さん、大吉さん」
「美味かったっす」
「私もまた来ます。今度は珪華ちゃんとか、他の友達も誘って!」
それぞれの言葉を残して店を去っていく。
須崎は深々とお辞儀をして、大吉はお辞儀はせずに去りゆく面々の背中を見送った。
常連全員が帰った喫茶店の中は静けさに満ちていた。
空いた皿を下げた大吉は、ポケットに入れてあったタバコの箱に手を伸ばし、しかしふと思いとどまって取り出すのは止めた。
代わりに、須崎へと目を向ける。
須崎はテーブルをせかせかと拭いていた。相変わらずねこらしからぬ仕草だ。
「……なぁ、須崎さん」
「はい、なんでしょう大吉くん」
「アルバイト、もうちょっと続けてええか」
すると須崎はテーブルから大吉に視線を移し、目を細めてフッと笑った。
「もちろん。何せ猫の手を借りたいくらい忙しいものですから」
「おおきに」
大吉も須崎につられて笑みを漏らす。
猫は須崎さんの方やろ、という無粋なツッコミは声に出さず、胸の奥にしまい込んだ。
*
須崎がこの場所で喫茶店を引き継いでからもう二十年以上の月日が経つ。
開店からの年数を数えれば、なんと四十年もの間店は営業していることになる。
四十年の間に街は変わった。
変わっていない部分を探す方が難しいくらいに変わった。
それでいいのだと思う。
人は猫と違って、変わらずにはいられない性分なのだから。
それでも、須崎は思う。
目まぐるしく動いていく日々の中、心が疲れたり、孤独を感じることもあるだろう。
そうした人たちにひとときの癒しを与える、ずっとずっと変わらない、時が止まった店があってもいいのじゃないだろうか。
人というのは自分でも気がつかないうちに、自分自身を追い込んで、時にはどうしようもなく苦しくなってしまうものだから。色々なものに気を使い、息ができなくなるその前に、自分を労って欲しい。日々頑張っている自分を褒めてあげて欲しい。そうしてまた現実に立ち向かう力が湧くならば、これ以上に嬉しいことはない。
変わるのは大変だ。
ゆるやかで穏やかな変化ならともかく、急激な変化というのは人に多大な影響をもたらす。
けれど、変わらないであり続けるというのも実は大変なことなのだと須崎は知っていた。
須崎は、変わらない大変さを選んだ。
値段もメニューも開店当初から据え置きで、お陰様は最近はもろもろの価格高騰なんかに苦しんでいる。
全席喫煙可能というのだって、最近は白い目で見られることも多くなった。
それでも須崎は、店を変えようとは思わない。
変わらないこの店を愛してくれる人々がいるから。
変わらない店を愛してくれる人を、大切にしようと決めているから。
誰が来てもいいように、須崎は変わらずこの場所で店を開き続ける。
「今日もいい日になるといいですねえ」
疲れた人にひとときの癒しを。
ねこが店長を務める喫茶店は、本日も営業中だ。
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