一枚のチケットと特製カレー③
大吉がいなくなった後の店内はシーンとしていた。
愛も高木も竹下も治部良川も、呆気に取られて大吉が荒々しく出て行った扉を見つめている。
「一体、どうしちゃったんでしょう、大吉さん」
愛がこう言っても、わかる人物なんて一人もいない。
治部良川がタオルを巻いた頭をボリボリと掻いた。
「まあ、あいつぁ出会った時から訳ありだと思ってたがなぁ」
「治部良川さんもそう思っていましたか。実は私もです。若いのに、いつも無気力そうでしたからちょっと心配だったんですよ。感情が抜け落ちていると言いますか……」
「俺……兄貴のこと、なんもわかってなかったんすね。舎弟失格っす」
珍しく高木がしおれている。
店内は微妙な空気だ。
いつものように穏やかでくつろげる雰囲気では到底ない。
一体どうしちゃったんだろう大吉さん、と愛は心の中で同じ疑問を投げかける。
草太の話を聞いている時から様子がおかしかったけど、何がそんなに気に入らなかったのかがわからない。
愛がオロオロしていると、聞き馴染みのある穏やかな声が耳に届く。
「みなさん、ここで話し合っていても仕方がありません」
顔をあげると、いつも通りに落ち着いている須崎の姿。
「大吉さんを助けることができるのは、我々だけです。行きましょう」
喫茶店の面々は、顔を見合わせ、そして力強く頷く。
「おう、若えモンを助けるのが年寄りの役目だ。いっちょ行くか」
「この喫茶店で出会ったのも何かの縁です。一体何の役に立つかはわかりませんが行きます」
治部良川と竹下が腰を浮かせる。
「困っている兄貴を助けるのが、舎弟のつとめ! 俺も行くっす!」
高木は早くも店を出ようとしていた。
須崎は未だ立ち尽くしている愛を見て、手を差し伸べてくれた。
「行きましょう、愛さん。この大都会で、一人寂しく居場所を探し続けていた大吉さんを探しに」
そうだ。
この喫茶店に集まっているのは、いつだって都会に疲れて、居場所を求めてやってきている人ばかりだった。
高層ビルに押し潰されてしまうかのようにうつむいて、気分が塞ぎ込んでしまった人たちに、優しく包み込むように空間を提供してくれた、猫の店長須崎。
須崎は猫なのに喋って歩いて接客をして、いつでも穏やかな顔と声で迎え入れてくれる。
みんなそんな須崎が大好きで、だからこそこうして集まっているのだ。
それはきっと、大吉だって同じはず。
大吉は出会った時から無気力で、何にも興味がなさそうにいつもタバコばかり吸っていた。
それでも、一緒に過ごすうちに、実はいい人であるということを知った。
高木に絡まれている愛を助けてくれた。
学校に馴染めないでいる愛を気遣って、学園祭の話を覚えてくれていた。
愛の友人の珪華と恋人の草太が別れないよう、檄を飛ばしていた。
普段の態度はそっけなくても、ちゃんと他人を気にかけてくれているとてもいい人だということを知った。
お世話になっているから、今度は愛が大吉を助けてあげたい。
だから愛は、差し出された須崎の手を取り、力一杯返事をした。
「……はい!」
須崎の縞模様の腕はもふっとしていて柔らかかったけれども、頼もしいことこの上なかった。
そうして一同は静かで涼しくて居心地のいい喫茶店内を飛び出して、真夏の日本橋をひた走る。
猫を先頭に、年齢も職種もバラバラな集団が走っているのは異様な光景だろう。
だがそれを気にしている余裕なんてない。
須崎はどこに大吉がいるのかわかっているようで、迷いのない足取りで走っている。ちなみに外なので、四つ足でごく普通の猫のような走り方をしていた。
「うおぃっ、年寄りにこの速度で走らせるのはキツいぞ!」
「私だって万年運動不足のサラリーマンなんですから、キツいですよ……!」
「治部神様に竹下サン、だらしないっすね。しっかりしてくださいよ! ね、愛チャン!」
「え? う。うん……」
高木はちっとも疲れていない様子でパワフルに走っている。
永代通りをまっすぐに走り、そしてやがて視界に入ったのは見慣れた駅舎の姿。
東京駅日本橋口駅だ。
駅に入る前に急停止した須崎は、トップで走っていた高木の横をすり抜けて愛の元へとやってきた。愛はしゃがみこんで須崎を抱き抱える。
「おそらく大吉さんは、すぐそこにいます。みなさん、行きますよ」
「おう」とか「ええ」という返事がバラバラと聞こえ、愛も頷いた。
一行は足並みを揃え、東京駅の日本橋口へと向かった。




