一枚のチケットと特製カレー①
草太が帰った店内では、高木と江藤、それに須崎とがカレーを食べていた。
治部良川と竹下もなぜかわざわざ移動してきて同席についてカレーを食べている。
「いやぁ、さっすが大吉の兄貴! いいこと言いますねぇ」
「…………」
「私も感動しちゃいました。大吉さんって、心の中は熱い人だったんですね」
「…………」
先ほどの出来事を思い出して、高木と江藤とがしきりに大吉を褒めそやす。
「大吉ワレェ、見直したぞ」
「いつもの大吉君とは違う一面が見れましたね」
店の中は狭いので、別テーブルにいた治部良川と竹下にも当然ながら丸聞こえだった。二人ともニコニコとしている。
大吉としてはあまりいい気分ではない。あんな風に感情を乱したのはかなり久しぶりだった。
カレーを食べる一同を無視して、気持ちを落ち着けるべく少し離れたところでタバコを吸っていると、会話の先が大吉ではなく須崎へ向いた。
高木は大口を開けてカレーをかきこみながら須崎をまじまじ見つめていた。
「ところで、須崎さんまで一緒になって飯食ってるの珍しいっすね」
「しばらくお客様がこなさそうなので、賄いです」
「そういうのって、わかるもんなんっすか?」
「ええ、長くやっているとわかってくるのですよ」
「ところで猫って、カレー食べていいの?」
愛の最もな疑問に、須崎はにっこりと微笑む。
「私は平気ですが、間違っても他の猫にカレーを食べさせてはいけませんよ」
「あ、はい……」
愛の返事に満足したのか、須崎は前足を使って器用にカレーを食べている。
「兄貴―。兄貴は食べないんっすか。このカレーめちゃくちゃうまいっすよ」
「今、腹減っとらん」
「うまいのに……」
須崎のカレーがうまいのは知っている。
キッチンで仕込んでいるところを度々見かけるし、賄いで出してもらったこともある。
須崎のカレーは欧風カレーだ。
じっくりと飴色になるまで玉ねぎを炒め、牛肉も焼き、水を注いでから各種のスパイスを加えて煮込んでいく。手間暇かかったカレーはシンプルながらも奥が深い。カツカレーにもよく合う。
だが今の大吉は、そんな須崎特製カレーを食べたい気分ではなかった。
ガラにもなく感情をさらけ出してしまった己に異様にむしゃくしゃする。
大吉は苛立ちのあまり、いつも以上のペースでタバコをスッパスパスッパスパ吸っていた。
三杯目のカレーを食べている高木が首を傾げた。
「兄貴、なんか苛立ってます?」
「いや」
「どう見てもイライラしてそうっすけど」
「やかましい」
大吉は吸い殻を山のように築き上げ、自分で灰皿を交換していた。四回目の灰皿交換の後、食事を終えた愛がわざとらしくいつもよりも明るい声を出した。
「あのー、私今日、皆さんを学園祭に招待したくて! 招待券を持って来たんですよ!」
そうして鞄から取り出したのは、細長い真紅のチケットだ。表面には「聖フェリシア女学院 学園祭招待券」と書かれている。
「聖フェリシアの学園祭って招待制らしくて、一人十枚ずつチケットを渡されるんですけど。ぜひ皆さんにお越しいただきたくって」
「なんでや」
「そりゃもちろん、皆さんにはいろいろお世話になっているからですよ。皆さんの協力がなければ学園祭で喫茶店をやることもなく、私はいまだにぼっちだったでしょうから。どうぞどうぞ」
愛は一人一枚ずつチケットを渡した。大吉と、高木と、治部良川と、竹下と、なんと須崎にも渡していた。
「はい、須崎さんどうぞ」
「どうもどうも、ご丁寧に」
「いやいやいや、ねこは入場禁止やろ」
大吉はテーブルの上に乗っている自分のチケットを眺めつつ、ツッコミを入れた。
「えぇ? でも私、ぜひ須崎さんに来て欲しいんですけど」
「無理いうなや」
「じゃああれだ! 俺がカバンに入れて、コッソリ連れて行くってのはどうっすか!?」
「ダメに決まってるやろ」
「高木くん、それいいね!」
「お手数おかけします」
大吉のツッコミは無視され、愛と須崎は高木の提案に乗った。
「……あれ? チケット一枚足りないや。さっき落とした時に無くしたのかなぁ」
愛の呟きに大吉は反応した。
「落としたんか」
「そうなんですよ。でも親切そうなビジネスマンが拾ってくれました。東京って、結構いい人いるんですね、大吉さん!」
「どんな人やった」
「普通そうな人でした。草太さんにちょっと似てるかな?」
「つまりありきたりで影の薄い平凡なリーマンってことっすね」
高木の身も蓋もない説明に愛は「はい」と頷く。
「…………」
説明を聞き大吉は眉間に深く皺を寄せながら、忙しなくタバコを吸った。吸って吸って吸いまくった。尋常じゃない様子に、流石にその場の全員が大吉を諌めにかかった。
竹下がおずおずと大吉に注意をする。
「あのう、大吉さん、流石に吸いすぎじゃないですか」
「やかましい」
大吉は一刀両断した。
「大吉ワレェ、早死にするぞ」
「治部良川さんには関係あらへん」
「……私も、ちょっと吸いすぎだと思うけどなぁ……」
「江藤さんにも関係あらへんやろ」
「兄貴、そんなにタバコ吸ってたら、体壊しますよ」
「お前に体調の心配なんてされたくないねん」
「さっきも聞いたけど、何に苛立ってんすか?」
「お前には関係ない」
誰が何を尋ねても、大吉は口を閉ざしてタバコを吸うばかりである。
どうしよう、と一同が目配せを送り合っている。通算五回目の灰皿取り替えをしようとした時、テーブルに真新しい灰皿が置かれる。誰だろうと思って目を上げると、そこにいたのは須崎だった。須崎はヘーゼル色の瞳で大吉を見ながら静かに口を開いた。
「大吉さん」
「何やねん」
「大切なものができるというのは、いいことだと思いますよ」
「…………!」
大吉は目を見開き、須崎を見た。
「須崎さんに何がわかるんや」
「わかりますよ。今大吉さんは、自分自身と戦っている」
「まるで見てきたような口ぶりやな」
「少なからず同じような方には出会ってきましたから」
「説教か?」
「いえいえ。喫茶店の店主として、大切な従業員へのアドバイスです」
「馬鹿にしとんのか」
「滅相もない。大吉さんのことが大切なのです」
どれだけ大吉が凄んでも、須崎は全く怯むそぶりを見せずに穏やかな表情を浮かべ続けている。まるで道端で日向ぼっこをしているねこのような表情だった。
「失う悲しみを知っていればこそ、守りたいという気持ちが芽生えるのではないですか。だからこそあなたは先ほど草太さんに、あんな風に言った」
「やかましい!!」
大吉は勢いよく立ち上がった。立った拍子に椅子が倒れ、がたーんと大きな音が店内に反響する。
「アンタに何がわかるって言うんや!!」
もうこの場所にいたくなかった。バイト中であるとか、そんなことは関係ない。大吉は荒々しく扉を開けて外へ出た。
途端に都会を吹き抜ける熱波が頬をなぶり、排気ガスの臭いが鼻をつく。耳障りな車の走る音を聞きながら、東京駅まで走った。背後から高木の「兄貴ぃ!」と呼ぶ声が聞こえてきたが、構わなかった。
無性にタバコが吸いたい。けれどもこの街で路上喫煙は許されない。心置きなく喫煙できるあの店を、大吉は今捨て去ってきた。
大吉にとって世界とは二つに分類される。
すなわち、タバコかそれ以外か。
かつての大吉は違った。タバコ以外に大切なものがたくさんあった。世界はきらきらしていたし、希望に満ち溢れていた。
「…………」
大吉は馬鹿ではない。だから、わかっている。こんな風にタバコばかり吸っているのは、ただの逃避に過ぎないのだと。
記憶の中で、もう二度と聞くことのできない親友の声が聞こえる。
わかってる。自分がこんな生活を送っていると知ったら、親友はきっと激怒するだろう。「何やってんねんお前!」と言いながらどつかれるに違いない。
それでも大吉には、前に進む勇気が出なかったのだ。
意図的に大切なものを作らないように、周囲に無関心に振舞ってきた。
大切なものができて、また失ったとしたらもう、立ち直れなくなりそうだから。
だから大切なものがすぐそばにあって、それを自ら手放そうとした草太が許せなかった。相手が生きてそこにいる以上、諦める理由なんて何もないはずだ。だから激怒した。
(もう手遅れやろ)
心のどこかで自分の声がする。わかっている。もう手遅れだ。
東京駅構内に入ると、雑多な人の声が耳に付く。全てが煩い。
構内の隅の壁に身を預けて目を瞑ると、大吉の瞼の裏に鮮やかな景色が浮かぶ。
高校の入学式の後、大吉の前に座った男は振り向き、やたら人懐こい笑みを浮かべながら言った。
『へぇ、大吉ってゆーんか。ワイは幸太! なんや二人でいたら運気上がりそうな名前のコンビやな!』
それが、大吉の唯一無二の親友である幸太との出会いだった。




