常連と平社員とシナモンコーヒー②
「大吉さん、おはようございます」
「はよざいます。高木が新客連れてきたんで、行ってきます」
「なるほど。どれどれ」
新客と聞いた須崎は踏み台から軽やかにジャンプして床に降り立つと、扉から客の様子を伺いに行く。大吉は手早くエプロンを身につけると、グラスに水を注いでトレーに載せ、小脇にメニューを抱えた。
「なるほど、あの方ですか。なかなか複雑な事情を抱えていそうなお方ですね」
須崎は意味深な発言をした。薄々勘づいてはいたが、須崎は見ただけでその人の抱える事情を見透かしてしまうらしい。確かに大吉も、一度も語ったことはないのだが、胸の内に燻っている思いに須崎が気がついているのではないかと感じていた。
「よし、私も一緒にご挨拶に行きます」
「須崎さん……結構ホイホイ店に出ていくけど、本当に正体を隠す気あんの?」
「当然ありますよ。私は平穏が好きですからね。では、行きますよ」
須崎がめいいっぱい背伸びして大吉に両手を伸ばして来る。そうしたところで須崎の身長では、せいぜい大吉の膝上くらいまでしか届かない。爪先立ちでぷるぷる震える二本の後ろ足、だが顔にはいつもの穏やかな笑み。
大吉はそのギャップについ笑ってしまいそうになりながら、中腰になって水を載せたトレーを手渡した。
「はい、どうぞ、須崎さん。……くくっ」
「ありがとうございます、大吉さん。大吉さんが笑うとは珍しい」
「いやだって須崎さん、足プルプルしとったで」
「大吉さんが笑ってくれるなら、いくらでも足くらいプルプルさせましょう」
しっかりと肉球で床を踏み締めた須崎は、くるりと振り向き、長い尻尾をシュッと一振りさせてから客席へと歩き出す。大吉もメニューを抱えて後に続いた。
須崎はとてとてと歩いて、くつろいだ様子の高木と、ものすごく居心地悪そうにしている草太の元へと向かう。
「いらっしゃいませ」
草太はちらりと視線をあげると、そこにいる二本足で立って水入りグラスの載ったトレーを持つ須崎を見て、目を剥いた。
「えっ、ねこ!?」
「須崎さん、ちわっす!」
「はい、こんにちは高木さん」
「いやっ、えっ、ねこ!? なんで喋って歩いて接客してるんだ!?」
「いいからいいから」
須崎が接客をするとなると大吉はやることがなくなる。とりあえずメニュー表をテーブルの上に置いてやると、ポケットからタバコの箱とライターを取り出し、着火して、灰皿を引き寄せた。
「……えぇ〜、今時分煙されてないんだ……というより、なんで店員がタバコ吸い始めたんだ……」
草太が驚いたようにボソッと呟いたが、無視である。
「ご注文はいかがしますか?」水を置いた須崎が問いかけてくる。
「チョコパフェ!」
間髪入れずに注文した高木は、草太を肘でつついた。
「ほらほら、草太クンもなんか注文しなよ」
「いえ、僕はいいです。帰ります」
「いいからいいから。ほらほら」
「じゃあ………………シナモンコーヒー」
草太はメニュー表をぐいぐいと高木に押し付けられ、圧に負けて渋々注文をした。
きっとこういう、気の弱そうで押しに弱そうな相手からカツアゲしてたんだろうなと大吉は過去の高木の所業に思いを馳せる。
草太は須崎が前足で器用に伝票に注文を書き付けるのを見て、それから店の奥に去っていく須崎を凝視していた。
諸々の疑問が頭の中で渦巻いているのが手に取るようにわかる。大吉は補足説明をしてあげた。
「あの人は店長の須崎さん。漢字は『必須事項』の須に山へんの崎ね」
「はぁ、その前になんでねこが人間のように接客しているのかをお尋ねしたいのですが。あとあなたは、なぜ働かないで座っているんですか」
「須崎さんの存在は他言無用やから。くれぐれも人に話さんように」
「はぁ…………」
この男、やっぱり気が弱いな、と思う。平凡を地で行くタイプだ。そんな人物がなぜ珪華と共にいたのか、確かに気になるといえば気になるところだ。
「お待たせいたしました、チョコレートパフェとシナモンコーヒーです」
しばらくしてから運ばれてくる注文の品。
「大吉さんには冷コーをどうぞ」
「ええんか?」
「はい。お客様の悩みを聞くことも、店での業務の一環ですから」
「それは初めて聞いたわ」
新たな業務が降ってきたことに驚きを感じつつ、大吉は灰皿に吸いかけのタバコを置くと、アイスコーヒーを一口飲んだ。きちんとドリップしたコーヒーは冷やしていてもなお香りを失っていない。きりっとした苦味の強いタイプのコーヒーを大吉は味わった。ここのコーヒーは美味い。新世界で飲んでいたものを思い出す。通天閣のお膝元にある大阪のディープスポット新世界は、喫茶店の宝庫である。忘れようにも忘れられない地元の思い出の一つだ。
「で、草太クンと珪華チャンはぁ、どんな関係なの?」
チョコレートパフェをパクついていた高木が、野次馬根性丸出しで質問した。
「はぁ……その前にお二人は五ツ宮さんとどういった関係なんですか。なぜ、彼女を名前で呼ぶんですか?」
シナモンスティックでホットコーヒーをかき回しながら、草太は疑り深い目つきで逆に問いかけてきた。ニッキに似た独特の香りがタバコの匂いをすり抜けて大吉の鼻を突く。
さもありなん。どう考えても怪しげな高木に、ベラベラ個人情報を喋る奴はいないだろう。しかも相手は五ツ宮グループの娘、五ツ宮珪華である。下手を打てば五ツ宮グループに睨まれかねない。
「俺と珪華チャンはぁ、この喫茶店で知り合った常連同士ってやつ。なっ、大吉の兄貴」
大吉は高木の問いかけに応じず、タバコを手に取り一服した。草太はそんな大吉を見て、ますます疑わしげに目を細めた。
「五ツ宮さんがこんなうらぶれた喫茶店に来るなんて信じられない。やはり失礼します」
「あーっと、待てよぉ草太クン」
「は、放せ! 殴られようとも、僕は何も話さないぞ」
草太は運ばれてきたばかりのシナモンコーヒーをかき回すだけかき回してから、全く口をつけずに席を立とうとした。妙に馴れ馴れしい態度の高木が両肩に指を食い込ませても、決然とした態度だった。珪華の話が出た途端、先ほどまでの気弱な態度とは一転した。
なるほど、意外に芯のあるタイプだったのか、と大吉は草太を少し見直した。
「これ以上引き止めるというなら、警察を呼ぶ!」
「おぉ、怖っ。俺はただのゼンリョーな市民だよ、ネッ、大吉の兄貴」
「ふぅー」
「君はタバコ吸うペース早すぎじゃないか?」
早くも二本目を吸い始めた大吉に草太がそんなツッコミを入れてきたが、お構いなしだ。
「とにかく僕は帰る」
「帰すと思うか、あぁ?」
だんだん苛立ってきた高木が低い声で脅しをかける。猫背になり、わざと低い位置から相手を見上げてメンチを切る動作は非常に堂に入っており、センチュリーで爆走しようとした時同様に、封印されしチンピラの魂がまたも疼き出そうとしているのがありありとわかった。この封印、あっさり解けるなと大吉は思った。高木のチンピラから足を洗おうという意志が脆弱すぎるのだ。
「ちょっと話してくれりゃあいいだけだろうが」
「高木、やめろ」
大吉は高木を諭した。高木が唇を尖らせる。
「だってよ、兄貴」
「話したくない人間に無理に口を割らせる必要ないやろ」
「では僕はこれで」
高木の指の力が緩んだ隙に草太が素早く立ち上がり、出入り口に向かった。
ドアノブに手をかける寸前で、内側に向かって扉が開かれる。からんからんとベルがなり、熱波が押し寄せると共に道路を走る車の音が聞こえた。
「あぁ、暑かった……あ、お帰りですか? すみません」
「愛チャン、その人帰さないで!」
高木がしめたとばかりに、入店してきたばかりの愛を呼んだ。
「珪華チャンのことで話があるから!」
「え、珪華ちゃんの?」
愛は後ろ手で扉を閉め、扉の前に立ちはだかる。草太は帰るタイミングを失い、その場に立ち尽くし、視線を彷徨わせていた。
「一体なんなんだ、あなたたちは。僕と五ツ宮さんはなんの関係もない。帰らせてくれ」
草太は必死の声音で訴える。トトトト、と店の奥から出てきた須崎が、前足で草太の足を宥めるように叩いた。
「お客さん、お迷いですね。まずは座って、落ち着いたらどうでしょう?」
「…………」
「さあ、シナモンコーヒーが冷めてしまいますよ」
須崎の言葉を前に、草太は迷ったように店の面々を見回した。謎の喋るねこ、チンピラ、ヘビースモーカーな店員、そして聖フェリシア女学院の制服を着た素朴な女子高生。
妙な組み合わせの店の客を前にして、草太は肩を落として諦めたように席へと戻った。




