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ねこ店長の喫茶店【改稿版】  作者: 佐倉涼@5作書籍3作コミカライズ


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大学生店員とほろ苦いアイスコーヒー②

「は……!?」

 裏から歩いて出てきたのは、猫だった。紛れもない猫だ。

 灰色の毛に縞模様のある猫が、二本足で立って大吉の様子を伺っている。

 首には赤い首輪ならぬ赤い蝶ネクタイをしていて、腰には黒いエプロンを締めている。

 一体なんの冗談だろうか。

 いやもしかしたら、そういう芸を仕込まれている猫なのかもしれない。寂れた喫茶店に客を呼び込むための看板猫だ。

 大吉が突如現れた二本足で立つ猫を目の前に呆然としていると、さらに驚くべき出来事が起こった。

「おひとりさまですか?」

 喋った。

 猫が喋った。

 大吉は目の前で起こるあり得ない出来事の連続に、完全に思考を停止させた。

 とある事情からここ数年心を動かしたことのない大吉にとっては、久々の衝撃である。

 固まり続ける大吉を無視して猫はさらに言葉を発した。

「お好きなお席にどうぞ。なお当店は全席喫煙可になっていますので、ごゆっくりお寛ぎください」

 猫はそれだけ言うとくるりと背を向け、またしても二本の後ろ足を動かして店の裏に引っ込んでしまった。

 全席喫煙可。

 その言葉で、フリーズしていた大吉の思考が再び動き出す。

 そうだ。タバコをゆっくり吸える店を探してここに入ったんだった。

 大吉は一番近い端の席に腰をどっかり下ろした。

 すると再び、あの猫が現れた。

 今度は両手で水の入ったコップを載せた銀のトレーを掲げ、脇にメニュー表を挟んでいる。猫は当然のように歩いて大吉のそばに来ると、当然のようにお冷やとメニューをテーブルの上に置き、当然のように喋り出す。

「こちらメニューです」

 大吉は、ひとまずメニューをチラリと見た。

「あー、じゃあ、冷コーひとつ」

 と注文してから、しまった東京だと冷コーと言っても通じんのやったなと思い出す。

 しかし猫は、目を細めてからにこりと笑う。

「冷コーですね、かしこまりました」

 メニューを下げて行ってしまった猫は、結構すぐに戻って来た。手にした銀のトレーの上には、透明なグラスに注がれた黒い液体。

「お待たせいたしました、冷コーです」

 カラン、と氷がぶつかり合う涼やかな音と共にテーブルの上に供されたそれは、いわゆるアイスコーヒーだ。

「よくわかったな」

「関西のお客様もいらっしゃるので」

「へえ」

 関西といっても、今時「冷コー」と言って注文する客などほとんどいないだろう。

 ストローを加えて吸い込むと、苦味の強いアイスコーヒーの味わいが口の中に広がった。

 めっちゃうまい。

 苦いだけではなく、香ばしさがちゃんとあり、コーヒーの良さが余すことなく引き出されている。水っぽさはまるでなく、どっしりとした深煎りコーヒーの良い苦味がした。

「では、ごゆっくりどうぞ」

「ちょい待ち」

 ペコリとお辞儀をして去っていこうとする猫に思わず大吉は声をかけた。

 猫は首をちょっと傾げ、その場に佇んでいる。

「いかがなさいました? 追加の注文でしょうか」

「いや、そうじゃなくて……お前、一体何なん?」

「ああ、申し遅れました。私は店長の須崎と申します」

「いや、そうじゃなくて……」

「必須事項の須に山へんの崎と書いて須崎と申します」

「あ、そうなん」

「はい。以後、お見知り置きください」

「…………」

 須崎はペコリとお辞儀をすると、今度こそ去っていく。

 何ひとつ大吉の疑問は解消していない。

 気分を落ち着けるためにタバコを一本取り出して火をつけた大吉は、一服吸い込みフーッと息を吐き出す。

 落ち着け落ち着け。

 この世に、猫が喋って歩いて接客するわけがない。

 いろいろなことがあって心が疲れすぎているのかもしれない。

 こうして腰を落ち着けて、美味しいアイスコーヒーと慣れ親しんだタバコを吸っていれば、あれが幻覚だとわかるはずだ。

 しかし大吉の願いも虚しく、須崎は再びトコトコと後ろ足で歩いて大吉の目の前を横切ると、店の掃除を始めた。

「…………」

 一体なんの生物なのだろう。もしくはロボットか。ロボットの方がしっくりとくる。

 疑問が尽きない。

 次々湧き出る疑問と呼応するかのように、タバコを吸う手が止まらない。

 タバコとコーヒーの組み合わせは最強だと思う。

 ヘビースモーカーすぎて金が尽きつつあるのが困り種だ。実家からの仕送りだって無限にあるわけではないし。そもそも嗜好品を買いすぎて金がなくなったのは自分が悪い。自分でどうにかするしかない。

 アルバイト探すか。なんか適当に時給のいいバイトをしよう。

 しかしこの店居心地いいなぁ。

 静かで、涼しくて、店員がせかせかしていないのがいい。

 時折視界を横切る人間っぽい仕草をする縞猫の須崎さえ気にしなければ、ゆったりした気持ちでいられる。

 大吉は気がつけば二時間も店に滞在していた。

 そろそろ出なければ、今日は午後から講義がある。

 講義自体にはなんの興味も湧かないが、大学に行かせてもらっている以上きちんと出席して単位を取らなければならない。

 案外生真面目な性格の大吉は重い腰を上げると、会計を頼む。出て来たのはやはり須崎だ。

「五百円になります」

「ん」

「千円お預かりしましたので、五百円のお返しです」

 チーンとレトロな音を立ててレジスターが開き、レシートと共に釣り銭を渡してくる須崎。

「つかぬことをお聞きしますが、お客様、アルバイトをお探しではありませんか?」

「ん?」

 須崎はちょっとレジの脇に体を退け、後ろの壁をちょいちょいと指差した。

「実は当店、従業員を募集しておりまして……猫の手を借りたいほど困っているのですよ。もしよろしければお客様にお願いできるととてもありがたいのですが」

「…………猫は須崎さんの方やろ。それに、それをいうなら『猫の手も借りたいほど忙しい』やろ」

「これは一本取られました」

 冗談なのか本気なのか、須崎は額を肉球で軽くぺしーんと叩く。

 そもそもの客の数も決して多くはなさそうなので、アルバイトなんて必要ない気もするのだが。

「猫が接客していたら、話題になっちゃいますでしょう?」

「そら、まぁな……」

「あまり忙しいのは好きじゃないんです。一度、それで体を壊したことがあるので」

「そか」

「ですから、人間の方に接客をお願いしたくてですね」

「なんで俺? 今客で来たばっかりの、得体のしれん奴に頼む?」

「いえ、お客様は居場所を探しているようでしたので」

 のんびりと放たれた的確すぎる言葉にギクリとする。動揺を隠しながら返事をした。

「そりゃ、最近は喫煙できる店減ってるし……でも客として来ればいい話やろ」

「いえいえ、それだけではないでしょう」

「…………」

 須崎は真っ直ぐに大吉を見つめる。ヘーゼル色の瞳が何もかもを見透かしているようで落ち着かなかった。

「どうでしょう? 悪い話ではないと思いますが。うちで働けば賄いつき、常時喫煙可能ですよ」

「やる」

 間髪入れずに頷いた大吉を前に、須崎は満足そうな笑顔を見せた。

 こうして大吉は、猫が店長を務める不思議な喫茶店でアルバイトをすることになったのだった。


 思い返してみても、わけのわからない出来事だったと思う。

 ただ大吉は結果としてアルバイト先と常時喫煙可能な居心地の良い空間の両方を手に入れた。

 だから、これでよかったんだと思う。

 それにバイトでもなければ、夏休みに突入した今、引きこもって日がな一日タバコを吸っているだけの生活を送りそうだった。バイトに行かなければならないという意識のおかげで、かろうじて午前中に起きてそして出かけている。須崎さまさまだ。

「……あ、やば。バイトの時間や」

 時間を確認した大吉は灰皿にタバコを押し付けて火を消すと、のっそりと出かける準備をした。

 中央線に乗って東京駅まで出れば、日本橋駅までは歩いてすぐだ。

 わざわざ地下鉄に乗り換えるのが面倒な大吉は、須崎の喫茶店までこのルートで行くことが多い。

 七月中旬の今の時期、外を歩くのは自殺行為だと思えるほどに暑いのだが、それでも大吉は歩いていく。

 東京駅はいつでも人でごった返している。

 通勤通学、観光客。

 一体どこからこんなに人が現れるのか不思議なくらいだ。

 人にぶつからないように気をつけつつ、大吉は八重津北口改札に向かっていた。この改札を出ると、日s本橋口という出口に出られる。

 八重津北口は赤煉瓦が目印の東京駅舎とは反対側にあるためか、比較的人の波が少ない。

 広い通路をぶらぶら歩いていると、何やら異様な光景が目に飛び込んできた。

「ねぇねぇ君ぃ。その制服、聖フェリシア女学院の子でしょ? 今から学校?」

「あ、はい……。そうです、けど」

「学校なんてつまんないとこ行かないで、俺と遊ぼうよぉ」

 誰かがチンピラに絡まれている。

 上背のある男が、聖フェリシア女学院の制服を着た女の子を壁際に追い詰めて絡んでいた。

 道ゆく人々は巻き込まれるのを恐れて知らんぷりを決め込んでいるようだった。

 他の改札口に比べれば人は少ないとはいえ、絶え間なく通行人がいるというのに白状なことだ。

 とはいえ大吉も普段であれば積極的に関わろうとはしないだろう。せいぜい駅員を呼ぶくらいだ。

「…………?」

 しかし、絡まれている人物に見覚えがあった。

 あれは最近須崎の喫茶店に来るようになった、江藤とかいう客ではないか。

 江藤は見るからに都会慣れしていない気の弱そうな女子高生で、今もチンピラに絡まれて涙目になっていた。

「ねえ、聞いてんのお? 俺と一緒に行こうよ」

 チンピラは江藤を逃す気はないらしく、一層顔を近づけながら言った。

 江藤が嫌そうに首を横に振る。

「ねえってば」

「やだ、離してください!」

 チンピラが江藤の腕を引っ張った。これはやばいな、と大吉は直感する。

 周囲の人々は横目でチラチラと騒ぎを眺めつつ、誰も止めに入ろうとしない。

 仕方ない、店で出会ったよしみだ。助けよう。

 そう心に決めた大吉は、ポケットからタバコを取り出すと、とりあえず一本火をつけてから歩き出した。


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