バラのような人
季節は梅雨を目前にひかえ、五月晴れのいい天気だった。柔らかな日光が《フラワー藤木》の店先にある花たちを、優しく照らし輝き、私は水揚げ作業をしていた。水揚げとは、一般的に水の中で花の茎をはさみで切ることをいう。こうすると、花の持ちが全然違うのだ。
陽は真上までのび、長袖のTシャツではさすがに暑く腕をまくる。私は台所から麦茶を取り出し、母にも手渡す。お昼時には客の足も少し遠のく。
母は、ありがとう、と言ってからタオルで首元を拭き、一口飲んで、ごくりと喉をならした。
「そういえば……」
と、唐突に話しかけられる。
「この前、友達が北海道から来たじゃない? その時に空港まで見送りに行ったの憶えてる?」
うん、と頷く前に母は話しを進める。
確か、二ヶ月ほど前だったか、母の友達が北海道から子供を連れて東京へ遊びに来たついでに、うちへ寄
ったのだ。
「そしたらね、あの子、ほら、なんて言ったっけ? 花緒里のクラスメイトの子。中学の。きれいな子で、勉強も出来たから、いい高校入れた子!」
ようやく話が見えてきた。
「ああ、道岡さん?」
「そうそう、道岡麗子ちゃん」
時々、母の記憶力には脱帽する。よくフルネームで憶えているな、と思う。それほど、何か残るものがあったのか。
「その子が、どうかしたの?」
「いたのよ! 空港に。カート持って制服着てたから、スチュワーデス、今は、客室乗務員って言うんだっけ? なっていたのね。すごいわねえ」
興奮して我がことのように話す母の言葉に、私はなぜか妙に納得していた。
麗子という名前に負けないほどの、目鼻立ちの整った顔に、流れる背中までの黒髪はおさげにしていても十分に目立った。スタイルも良く、勉強はいつもトップだった。
意志の強い、人を惹きつける魅力もあってか、常に取り巻きのような人に囲まれていて、それはまるで女王様のようですらあった。花に例えて言うならば、深紅のバラ。バラのように人を魅了してやまない。
そういえば、六月に入ればバラの最盛期だ。先月からもう出回ってはいるが。ふと、思い出す。
彼女は、当然男子からの人気も高く、それなのに異性に興味を示すより、他のこと、例えば勉強や本を読んだり、友達とお喋りをしたりすることの方が好きなようだった。他のグループにいながらも、私も彼女のことを気にしていた時期があったから、憶えている。
「道岡さんも長いでしょう? でも」
道岡さんくらいだったら、結婚相手なんていくらでもいそうだし、仕事を続けていることにちょっと驚いたけれど、それも、中学の時と変わっていないのだろうか。そう思って出た言葉だった。
「そうねぇ。五、六人で歩いていたけど、他には若い子もいたしねえ。だけどあの子、変わらないわね。凛としていて、真っ直ぐに前を向いて、しっかりと歩いているところなんか、昔のまんま」
「お母さん、何でそんなに詳しいの?」
「あら、私だって、授業参観の時に憧れて見ていたもの。花緒里も、こうだったらなあって」
あっけらかんと言い放ち、私は笑ってひどい、と言った。何て親だ、と笑いながら付け加える。
年月が経てば、人は変わる。良くも悪くも。
花はそのまま、キレイさを保ち続けて、輝き続ける。
変わらないバラのようなプライドとポリシーをもったクラスメイト。
彼女が、昔と変わっていないことに少し安心感を持つ。やっぱり変わった誰かを見るのは淋しいから。
客室乗務員ということは、周りの人も皆、綺麗な花なのだろう。少なくとも、かすみ草のような引き立て役はいないのかもしれない。かすみ草もそれはそれで綺麗なのに、気付かない人は多い。
バラのような人。
けれど、精神面ではきっと変わっていると思う。
真っ直ぐ前を見据え続けるだけの強さを心に秘めて、彼女は今日も空を飛ぶのだろう。
彼女が仕事を辞める時、それはどんな時だろう。その時がきたら、会ってみたい。そのバラのような人に。誇り高きプライドを持ち、自分の意思を貫こうとして生きる、元クラスメイトに。
私も負けないように、変わりつつ、良い面は変わらないように生きていきたい。
母の方を一瞥すると、冷蔵庫から、麦茶のおかわりをしていた。
ありふれた幸せな光景。ここにあるのは、花に溢れた日常。
母も彼女を見た時、バラのようだと感じただろうか、とふと思い、今度尋ねてみようと思った。
【終】