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花のある生活  作者: 速水貴帆
花のある生活・2
8/10

カラーに託された言葉

 彼女が店にやってきたのは、五時を少し回った頃だった。

 私はちょうど母に店番を頼んで、洗濯物を片付けていて、母の呼ぶ声にあわてて店先へと走った。走ったといってもたいした広さではないから小走り程度ではあるが。

「何? お母さん」

 時期はすでに五月の中旬。すがすがしいまでの青空に、時折吹く風が心地よい。梅雨まであと少しといったところで、束の間のお天気のような気がした。

 梅雨に入れば、花が濡れないようにしなくてはならないし、立ち止まる人も少なくなりそうだ。けれど今日は、動くとすぐに暑くなり半袖で過ごしている。肩より長めのウエーブの髪は、いつものように一つに束ねて。

 店先で、さんさんと陽の光を浴びる花たちは、どれも生き生きとしていた。

 私は花屋をしていてそういう光景を見るのが出来て、心にゆとりを持つことが出来るようになった気がする。

「あら、多美(たみ)ちゃん」

 私は母が自分を呼んだ理由を知った。

 多美ちゃんとは、今年中学に上がったばかりの、この商店街の近くの子だ。

 最近、よくない友達と付き合い始めているという噂を聞いたことがある。私服も派手になったとか。肩までの黒髪も、学校帰りか、下ろしている。

 何か、私に話があったのだろう。

 人の話を聞くのが好きな私は、子供(中学生も子供といっていいのだろうか)から、なぜか人気があった。お説教を言わないのがいいらしい。佳奈子曰く「聞き上手」なのだそうだ。

 けれどすぐに、異変に気付いた。

 先程、多美ちゃんの友達、真知子(まちこ)ちゃんが買っていったカラーの花束を、腕に抱えている。


 

 それは約一時間前──。

「花緒里さん、カラーって花ください」

 店に来るなりそう言われ、私は彼女のいつもの柔らかい口調と違うことに驚きつつも、「何本?」と答えた。

 カラーの茎は直立し、葉よりも長く、仏炎ほうというほうで(花の蕾を覆う小形の葉、または花弁状のもの)一枚の花びらのように見えるが、実際の花は、その中に包まれている黄色状のものだ。その形は、百合に似ていることからイギリスではカラー・リリーと呼ばれ、ウェデングブーケによく使われたりもする。

 中学生のお財布は厳しいらしく、お下げの髪を揺らしながら軽く腕を組んで「う~ん、三本」と言った。

「黄色と白があるけど、どちらがいい?」

「白!」

 即答して返ってきた。何か思うところがあったのか。

 そして、花束にして欲しいと言われ、私は蕾の乱れていない、五十センチほどのカラーを、ケースから丁寧に取り出した。

 それから、その花束を彼女に渡したのだが……。母はちょうど買い物へ行っていて不在だったから、私が直接渡したのだから間違いない。

 なぜそれを多美ちゃんが持っているのか。考えられることはただ一つ。

 真知子ちゃんが多美ちゃんにあげたのだ。

 でもなぜ、そんな回りくどいことを……?

 あの二人は幼馴染で、仲が良かったはずなのに。

 プレゼントにしたかったのだろうか。



「花緒里さん」

 学校の紺の制服のまま、多美ちゃんが言った。

「これも一緒にもらったの」

 見ると、それも、木製のカゴから一緒に渡したメッセージカードだった。

「読んでみて」

 いいの? と目で問いかけたら、多美ちゃんは力強く頷く。

 パラッとめくると、そこには丸い文字で書かれた意味不明の文章。

『卒業式で、先生に言われたことを思いだして』

「何だろう?」

 まるで、謎解きのようだ。

 無意識に呟いた言葉は、彼女の耳にも届いていたようで、彼女も首をかしげる。

 母は、いつの間にか中に入ってしまっていた。邪魔になると気を遣ってくれたのだろう。それで、店の中は、私と多美ちゃんの二人だけになった。

「心当たり、ないの?」

 私は首をひねりながら尋ねる。

「ないんだよねえ……。私、呼び出されてもいないし。って言うか、卒業式で呼び出しってあるのかな」

 無言で考え込む私たち。

 多美ちゃんは、小学生の面影も僅かに残しながら、マスカラや薄いマニキュアをしている。

 あの噂は本当だったのかしら……? と私は思った。

 けれど、とびぬけて垢抜けているわけでもない彼女の瞳のマスカラは、どこかアンバランスで奇妙に思えた。二ヶ月ほど前は、小学生だったのだ、無理はない。

「とすると、あれかなあ……」

 少しの沈黙を破ったのは、多美ちゃんだった。

「卒業式の後のHRみたいな時、先生が言ったことがあるの。中学には、様々な問題があるけれど、それに惑わされるな、とかなんとか」

「それよ!」

 思わず声を荒げ、右手で左手の手のひらをポンと叩いた。

「多美ちゃん、今、あんまり噂の良くない人と付き合ってないかな? その先生に『朱に交われば赤くなる』って言われたことない? 私は昔、言われたことあったわ。今、思い出した」

「う~ん。あったかも。でも悪い人たちじゃないよ、一緒にいるの」

「それでも真知子ちゃんは心配したんじゃないの? 変わるのなら、戻るのなら今のうちにって。その気持ち、何となく分かるわ」

「カラーに、そんな花言葉あるの?」

「〈清浄〉という意味はあるわよ。汚れがないって意味。でも私、真知子ちゃんが花言葉だけでカラーを選んだわけじゃないような気がする」

「どういうこと?」

 訊いてくる多美ちゃんの声は興味津々で、私は思わず微苦笑した。

「そのまんま。真知子ちゃん、白い色をすぐに選んだの。で、花の名前がカラー。多美ちゃんのカラーでい

てほしいっていう意味も、含まれているかもしれない」

「私のカラー? 私の色?」

 呟くように言って、抱いていたカラーをさらに強く抱きしめ、目を伏せる。そんなに強く抱いたら、花が

折れそうなほどに。

 私の言ったことは、推論だった。でもなぜか、本当になぜか、きっとそうだと思ったのだった。 

「私、そんなに真知ちゃんに心配かけていたのかな。ずっと中学入ってから一ヵ月半近くも、心配してくれ

ていたのかな」

 声が震える。彼女の声が、心に響く。

「でもね、多美ちゃん。それが、友達というものじゃない?」

 私が言った言葉に、とうとう多美ちゃんが泣き出した。

「私は自分のことしか考えなかったのに……。ちょっと格好つけてみたかっただけなのに、そんなこと……」

 私はなるべく店の奥に彼女を連れて行き、肩を抱きしめ背中を撫でた。

「お返ししたいな、真知ちゃんに」

 急に顔を上げて、多美ちゃんは言った。言葉が力強く、強い意志に満ち溢れていた。

「人にあげる花って、何がいいんだろう?」

「そうね……。真知子ちゃんの好きな花って分かる?」

 しばらく彼女は考え込み、それからぱぁっと顔を明るくした。

「チューリップ!」

 そして店内を見渡して、それをすぐに見つけた。

「春らしくて好きだって、ずっと前に言ってたの。色はピンク。私も三本くらいは欲しいな」

「了解しました」

 笑って、軽口を叩きながら、チューリップの花言葉を思い出す。

 えーと、何だったっけ? そうだ! 思いやり。

 ピッタリだと思った。

 何だかんだあるものの、幼馴染、友達、という関係は何て素敵なんだろう。

 お互いがお互いを、思い合う。

 そのスパイスとして、花が贈られる。

 だから私は、この仕事が辞められないのだ。

「花緒里さん、ありがとう。またね」

 二つの花束を抱えて、嬉しそうに去って行った多美ちゃんの姿は、悪いグループから抜けようという意思が放たれていて、私は安心して店に戻った。

 大丈夫だろう、きっと。

 あの子なら。



 空が茜色に染め上げられていく。流れる雲は、ゆっくりと。

 人の心も、良くも悪くも染まっていく。

 花は、その花独特の色を出し続けていき、それが人の心を捉えて離さない。

 明日はどんな色を持った人が、この花屋《フラワー藤木》にやってくるのだろうと思ったら、何だか妙に楽しい気分になった。




【終】

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