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花のある生活  作者: 速水貴帆
花のある生活・2
7/10

クロッカスで結ばれた二人

 冬の寒さがこたえる。風の冷たさは鋭い刃物のように頬をかすめる。今月の初めには雪も降った。音もなく、はらはらと舞い落ちてきた粉雪は、今は黒く濁りながら溶けてきていた。

 周りの店の看板と外灯の光はどこか温かく思えて、店先の花たちを包み込むように照らす。

 今日は二月十四日。聖バレンタインデー。


 佳奈子(かなこ)が店にやってきたのは、七時を回ったときだった。

 夕食の時間帯ということと、仕事終了の時間、冬の風の冷たさもあって、商店街を歩く人達は足早にせわしなく行き来している。

 母は今のうちに、と言わんばかりに台所へ立って夕飯の支度をし、私は鼻歌を唄って楽しそうに料理をする母を手伝いながら、店番も兼ねていた。規則正しく、そしてリズミカルに包丁の音がして、味噌汁の香りも漂ってくる。

 店先に並べてある仏壇用の花束の角度を変えたり、鉢植えの位置を直していたりしていた時、懐かしい声が耳に届いた。

花緒里(かおり)

 優しい、温かな声のトーンに振り向くと、高校の時のクラスメイト西澤(にしざわ)佳奈子が立っていた。今の時期にピッタリな、ファーが襟元についている雪を連想させる真っ白なコートはとても暖かそうだ。ウエスト部分はキュッと結ばれており、膝近くまでの黒のロングブーツを履いていて、彼女のスタイルの良さが際立っていた。髪は襟足までのショートカットで、透明感のあるきめ細やかな白い肌にふっくらとした唇。唇にはピンクのグロスがたっぷりと塗られていた。

 すっかり洗練された、大人の女性の雰囲気が出ていた。

「佳奈子、どうしたの? 久しぶりねー」

 高校を卒業してからも、連絡を取っている数少ない友人の一人でもある。懐かしさがこみ上げてきて、知らず声のトーンが高くなる。佳奈子は目を細めて、楽しそうに笑った。

「久しぶり。最近連絡出来なくてごめんね。花買いにきたのよ」

 今帰りなの? と聞いた私に対して頷きながら、はつらつと言う。

「今もヤマケンと一緒?」

 手に持っている金色のゴディバの袋を見て、私はそう訊いた。今日がバレンタインということを思い出したのだ。

 ヤマケンというのは、山田健太(やまだけんた)という人の略で、いわゆるあだ名だ。彼は私と、そして佳奈子と同じく、中・高一緒の数少ないクラスメイトである。この近辺に住んでいて、特別レベルの高い高校を目指さず、地元の高校へと進学した。それまで、特に仲が良かったように思えなかった二人が付き合うようになったのは、お互い二十歳を越えたときだったというから、男と女は分からない、と誰かが同窓会で言っていた。今では、家を借りて同棲しているという。

「うん、そうなの。で、実はそのことでちょっと……」

 彼女はまるで噂話をするかのように声を潜め、こちらの方へ近づく。

「一緒に暮らして、もう三年近くになるんだけど、なんかこの先が不安で……。待ってていいのかなあって思っちゃうの」

「プロポーズしてくれないってこと?」

 腕を引っ張って、店の中に入れながら、思わず自分までもが声を潜めて訊いていることに気付く。

「……うん。はっきり言っちゃえばそういうこと。……で。さり気なく言えないかなーって思って、花を買おうと思ったの。何かいい花ある?」

 ちょっと意外だった。

 言いたいことははっきり言って、考え込んで悩んだりすることは少ないと思っていたからだった。彼女の性格からすれば、ストレートに言ってしまうのではないかと思っていたのに、そこのところはやはり女の子なんだなぁ、と思う。二十七にもなって、女の子とはいえないだろうか。佳奈子の意外な一面を見て、頬が緩む。お客さんがいない時で良かった、と思った。

 店先に並べられた花を見て、真っ先にクロッカスに目がいった。

「これなんか、いいと思うわ」

 指差す、ワインカップ状に咲く花、クロッカス。クロッカスはもともと、うちのようなちいさな花屋では、需要が少ないため、店にそう数多く入らないのだけれど、この時期の花ということと、私自身好きな花ということで、僅かながら店先に並べているのだ。十センチまでない高さのその花の色は、全体が、彼女のコートより目立つ、濃い紫色や鮮やかな黄色、そして白のものだ。

「これって、クロッカスだっけ?」

 少し自信なさそうに佳奈子が問いかける。そして興味津々にもう一言付け加える。

「花言葉は、何ていうの?」

 私は一呼吸してから答えた。

「あなたを待っています、とか、じれったいとか」

 その答えに彼女は嬉しそうに手を叩いた。

「うわぁ、ピッタリ!」

 そんなふうにして喜ぶ佳奈子の姿は、本当にあの頃と変らなくて、何もかもが可笑しくて仕方なかった高校時代に一瞬戻ったような気がした。

 好きな俳優について熱く語ったり、昨夜見たドラマの先を一緒に想像したこともあったあの頃。

 もちろん楽しいことばかりじゃなく、悩んだことはたくさんあった。これからの進むべき道に迷った時、中学から一緒だった彼女は、いつも自分がやりたいことをするようにと薦めてくれていた。周りに惑わされないよう、お互いがお互いを励ましあった。佳奈子がいたから、花屋を手伝う私がいるのかも知れなかった。

 そんなことを思い出していた私は、佳奈子の言葉で我に返る。

「これ、買うわ。日持ちする?」

 ヴィトンのお財布からお金を取り出し、こちらに渡しながら彼女が問う。

「ええ。これは冬咲きの花だから大丈夫。大体十日くらいかな」

 答えながら葉が真っ青で、蕾が多いものを選び手に取る。とはいっても、咲いているものがほとんどだ。彼女が選んだのは、濃い紫色のクロッカスで、私は、同系色のパープルのリボンを鉢にかける。

「ちょうど咲くのがこの時期で、だからバレンタインの花とも言われているのよ」

「へぇ、そうなんだ」

 佳奈子は素直に感嘆の声を上げ、クロッカスを両手で受け取った。

「やっぱりここで買ってよかった。ありがと。少し遠回りなんだけどね」

 嬉しそうな表情を見せる佳奈子に礼を言って、その背中を見送る。

 台所からは、顔だけ母が覗かせて「あれえ? 今の佳奈ちゃんなのー?」なんて、呑気な声を出す。

「ご飯、出来たよ。今、一緒に食べちゃおうか」

 母の言葉に、私は大きく頷いた。



 チューリップなどの春の花が店先に並び始めた頃、珍しい人がお客で来た。既に佳奈子が店に来てから、一ヶ月が経過していた。

 何年ぶりだろう、同窓会で会った以来のヤマケンだった。

 大人しそうな印象を残したまま、すっかり落ち着いたサラリーマンの雰囲気だ。人が良さそうなところは相変わらずだけど。

「やあ」

 彼の手には、某ブランドジュエリーの小さな袋。

 ヤマケンは、一人照れたように笑って、目を伏せる。

 うまくいってるんだ。

 花言葉の意味には気付いたのだろうか、と思って、私はずっと前に佳奈子が言っていた言葉を思い出した。

『あれでいて、気になったことは細かく調べるたちなんだよね』

 だからか。

 普段、花を買わない佳奈子が花を買って帰れば、何かあったと思うだろう。そして、その前後に気になるようなことを言ったら……? 関係があると思って、調べるかも知れない。そういう彼女の読みが当たったのだろう。読み、もしくは願いが──。

 ピンときて、私は茶目っ気たっぷりに、そしてにっこりと微笑んだ。

「久しぶりね。いらっしゃいませ」

 言いながら、今日店が終わったら、間違いなく佳奈子から電話が来ることを予感していた。


 ──もうすぐ、春が来る。




【終】

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