花のある生活 ~花緒里の幸せ~
「ねぇ、花緒里は今、幸せ?」
唐突に母がそう訊いてきたのは、梅雨が明けて、照りつける太陽の日差しが強くなってきた、初夏の昼下がりだった。襟足まで切りそろえられた髪には、ゆるいパーマがかかっている。
いつもなら母と、時間をずらしてとる昼食を、人が来ないのを見計らって、母と食事をした。視界の隅に映るのは、店先にある、色とりどりの花たち。
お昼ご飯を食べ終え、デザートに隣のパン屋さんで買ったプリンを口にしながら、私は一瞬返事に困った。
「どうしたの? 急に」
しんみりとした口調でもなく、まるで明日の天気を聞くかのような軽快な問い方に、母の真意が分からず、私はその理由を探すように目を泳がせた。そして、視線が壁にかけられたカレンダーに移ってから、気がついた。
今日は、父の命日だ。
「私は幸せよ。花に関わっているの、楽しいし」
急に母が問うた訳を知って、明るく言う。横目でちらっと、開けてある戸の向こうに目をやった。少し早めにお昼を取っているにも関わらず、通りには、人が行き交う。通りすがりに、今日の特売のひまわりを眺める人もいる。
そろそろ店に出ないと、と思いながらも、話を打ち切ることも出来ず、どうしたの? ともう一度、瞳で母に問いかけてみた。指は畳の目をなぞる。夏の畳は、ひんやりと指をつたって気持ちがいい。
「花緒里には、お父さんが亡くなってから苦労をかけたと思ってねえ。普通のOLにもなれないで」
のんびりと言いながら、視線がテーブルの向こうにある、父の写真の方へ向かう。十五センチ程の木製の写真立てに、若き日の父と母がいる。菜の花畑を背に、二人で並んで、照れくさそうに。
明るい口調は変わらないものの、母の想いが伝わる。そんなことを気にしていたのだろうか、と思う。自分のOL姿を想像して、ちょっと可笑しくなった。
「私は、この仕事をして、お客さんが喜んでくれるのが嬉しいの。隣の奥さんは、私の笑顔がいいって言ってくれるけど、私は花を買いに来てくれる人の表情や話に救われてるし。逆に私には、それが幸せなの」
本当よ、と付け加える。
幼い頃から、花屋の娘として花と接してきた。当たり前のようで、特別な毎日を。
花を想い、気を遣い、優しく声をかける。お客さん、一人一人のその温かな愛を、日常で感じることができるのだ。何て、幸せなのだろう。
母の笑みが、顔中に広がった。皺が口元による。穏やかな笑顔だ。どこかほっとする、昔と変わらない嬉しそうな顔。父が亡くなってから、母はどれだけ苦労をしてきたのだろう。この笑顔を保つために。口に出すことはなかったから、母の努力は想像するしかない。
「まあまあ、この子は。ありがたいわねぇ」
母は大袈裟に、茶化すように言って、ケラケラと笑いながら立ち上がる。
今日は陽が強いわぁ、と独り言を言いながら、長靴を履く母の背中は、昔よりずっと小さく見えた。
私はエプロンを手早く結び直しつつ、ゴミを捨てる。
近くにありすぎて、気付かないことはたくさんある。母の想いや、日頃のささやかな幸せ。そして、忘れやすい感謝する心。
──私が幸せだと思うのは、お母さん、あなたの生き方を見てからです。
恥ずかしさと照れくささが混じって、口に出来なかった最後の言葉を、そっとその背中に投げてみた。
《終》