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花のある生活  作者: 速水貴帆
花のある生活
4/10

スイトピーへの想い

 その日は、穏やかな春の日差しが、店内を明るく照らし、柔らかな光で包みこんでいた。

 もう五月になろうとしている。


 昨日降っていた雨も上がり、植木や花たちの緑がいつもよりもみずみずしく、つややかに感じられる。爽やかな空の青さに、時折吹く風が、店先の花たちを僅かに揺らしていた。

「今日は、いいお天気ねぇ」

 と、隣のパン屋の奥さんと、にこやかに会話を交わす。この奥さんはいつも、綺麗に化粧をしていて、今日も動きやすい青のトレーナーに、真っ白なかっぽうぎを着ていた。茶色く染められた、パーマをかけた肩までの髪を、ぴったりと束ねられていて、清潔感に溢れている。

 美味しそうに、香ばしい香りを漂わせて、焼き上がったパンの匂いにつられて来た人達が、ついでに花を覗いてくれることも多い。

 そんな会話をしている時に、一人の青年が店の中に入ってきた。頻繁に髪を切りに行っているのか、茶色みを帯びた短い髪が、とても爽やかな雰囲気を出している。色あせたジーパンに、紺のTシャツが鮮やかだった。身長は、それほど高くない。一七〇を少し超えているくらいだろうか。

 一通り、何かを探すような目で、ガラスケースを見渡した、その若い、二十代前半と見られる男性は、ガラスケースの中を指差した。差し込む光が、ガラスケースを反射し、きらきらと光らせている。

「あれ、ください」

 指差されたその花は、この時期にも合う、薄いピンクのスイトピーだった。淡い色彩と花びらの柔らかな曲線が、可憐な雰囲気を出している。

「はい、何本でしょう?」

 ガラスケースを開けながら、青年の顔を見る。見てから、とても整った顔立ちをしていることに気がついた。

「あぁ、…えっと、二本、いや三本ください」

 二本では悪いと思ったのか、慌てて言い直す。

「はい、ありがとうございます。ではこちらのスイトピー、三本ですね」

 ケースの中のバケツから、静かに花を三本取り出そうと手をかけた時、青年がこちらの方に近づいた。

「あの…、できれば……」

 うつむき加減に、言いにくそうに切り出す彼に、何も言わずに表情で問う。

「できれば、大きくて丈夫そうな花がいいのですが……」

 唐突に言われた言葉に、私は動きを止めた。

 え?

「大きくて、丈夫そうな…と言いますと?」

 どれも大して変わらないのだけれど、とにかく意味が分からない。言葉通りに受け取っていいのだろうか?

「実は、その、押し花にしたいと思っているので…」

「押し花を?」

 驚いて、聞き返してしまった。

 今の時代、押し花をしている女の子も、どれだけいるのか分からないというのに、この年齢の男性が…? 珍しいと思う。

「そうなんです。だから大きくて、丈夫そうなやつを……」

 私の表情に気付いてか、少し恥ずかしそうに微苦笑する。

 なるほど、と私はようやく納得して、スイトピーに視線を戻し、それから思いついて言ってみた。

「でしたら、ご一緒に選んでみます?」

 彼の表情がパッと輝くのを見て、思わず笑みがこぼれる。

「いいんですか?」

 にっこりと笑って、私は頷く。

「……でも、このスイトピーが押し花にしやすいかどうかまでは、分からないです。何しろ、薄いので……」

 私が言ったその言葉に、青年は、小さく落胆の声を漏らした。

「そうなんですか……。でもこの花が一番、彼女のイメージなんだけどなぁ……」

 独り言のように呟く。消え入りそうな、弱い声で。

 可憐なスイトピーのイメージを持つその人は、女性らしい、しとやかな優しい人なのだろう。

「でも、どうして押し花を?」

 ピンクのグラデーションが綺麗なスイトピーは、花束でも十分に可愛らしいし、喜ばれると思うので、わざわざ手間と時間をかける必要はないのでは? というのが、私の正直な気持ちだった。

「ええ。実は彼女、来年の春に実家に帰ることになったんです。でも僕は、こっちで就職活動していくつもりなので……。そうすると、離れ離れになるし。だから、そんな時、いつでも僕のことを思い出してもらえるように……」

 二十代前半と見られたこの男性は、大学生だったのか。

「そうですか」

 聞いていて、とても羨ましく思った。

 この青年が、自分のために押し花を作ろうとしていることを、彼女は知らない。

 人は、それぞれの想いをこめて、花を選ぶ。

「でも、初めてなんです。一度も作ったことないんですよ」

 イチかバチかの賭けですね、と彼は続けた。目で花を追いながら、一度、こちらの方を見る。

「本が好きな子で、いつでもどこでも本を持ち歩いているんです。だから、しおりでもと思って……」

 彼の一途な想いが、伝わってくるようだった。

「それじゃ、尚更探さなくちゃ」

「ええ。これ、少し大きくないですか?」 

 言いながら指差した花は、やはりあまり変わらなく見えたけれど、私は相槌を打って微笑んだ。

 サワサワと、花びらが微かに震える音を耳元で聞きながら、私はその花を一本、バケツから丁寧に取り出して、台の上に置く。

 そしてまた、青年が花を選んだ。

 時間が静かに、ゆるやかに流れる。

 いつもなら、お客さんと一緒に花を選ぶなんてことはしないのに、今日に限って声をかけたのは、青年の眼差しに真剣なものを感じたからだろうか。

 一見、どこか頼りない感じも見受けられたのに、それを吹き飛ばす、強い、熱い眼差し。

 優しい、春の陽気のような、その色のスイトピーを、新聞紙でくるむだけでいいと、青年は言った。

 その心遣いに感謝して、お会計を済ませた後、気になっていたことを尋ねてみた。

「この花、スイトピーを選ばれた理由ってありますか?」

「いえ、他には特に……」

 突然の私の問いに驚き、戸惑いながら、もごもごと彼は答える。

 おせっかいと自覚しつつも、あの話を聞いた後では、ちょっと一言口に出したくなった。柔らかく訊いてみる。

「花言葉は、ご存知ですか?」

「いえ……、なんですか?」

 表情に影がさした。不安の色も隠しきれない。何を想像したのだろう。急に申し訳ない気持ちで一杯になり、軽く頭を下げた。そして、微笑む。

「ごめんなさい、いきなり。スイトピーの花言葉には、思い出または、別離、という意味があるんですよ。他にも、門出とか……」

 青年は、びっくりしたように目を見開き、それから嬉しそうに、私を見た。

「へぇ。偶然だなぁ。ピッタリです」

 そして、安心したように笑って、満足そうな顔つきで歩き出した。

「キレイに仕上がるといいですね」

 去り行くその背中に声をかけると、彼はぺコリと頭を下げた。


 今日はとてもいい天気。昨日の雨が嘘のよう。陽光が、店の中に差し込んでいる。空気までもが、いつもと違う気がして、私は大きく息を吸い込んで、背筋を伸ばした。

 見上げれば、澄んだ青空に、わたあめのような雲が広がっている。

 スイトピーを買って行ったあの青年の心も、晴れ晴れとしているだろう。

 そして、彼女に対する想いを、丁寧に押し花に託すに違いない。

 いつも持ち歩いている本の間に、そのしおりが挟まれているよう、願いを込めながら。

 出来上がったそのしおりを、一目でいいから見てみたいと思った。




《終》

 


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