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花のある生活  作者: 速水貴帆
花のある生活
2/10

母に捧げる紫陽花

 花屋で花が売れる日は、やはりお盆やお彼岸、クリスマスに卒業シーズンなどの、行事日である。

 その中で今日は、一年で数えるほどの、忙しい日なのかも知れない。


 春の暖かな陽気に包まれ、午前中の早くから、若い娘さんが店に来て賑わっている。母の日だからだ。今日は母も張り切って、店をきりもりしている。

 店先にある一束五百円のカーネーションは、飛ぶように売れていく。鮮やかな赤が、宙を泳ぐ。時間は一時半を過ぎていた。

 花をプレゼントされた母親は、どれほど喜ぶだろうか。そんなことを考えると、嬉しくて仕方ない。

 代わる代わるカーネーション選びに精を出す女の人の中で、一人の女性が目にとまった。背中まである長い黒髪が、流れるように肩から落ちている。クリーム色が主体の、花柄のフレアーロングスカートが、女性らしさをかもし出す。しとやかな、優しそうな印象を受ける女性だ。目鼻立ちがはっきりしていて、肌は透けるように白い。けれど、どこか疲れているようにも見えた。

 彼女は、淡い紫色の紫陽花を眺め、意を決したように、その鉢植えを手に取ろうと、声をかけてきた。外側から内側にかけて、色が徐々に薄くなり、紫色の花びらがグラデーションを作っている。

「すみません。お手数ですが、この紫陽花、ラッピングしていただけますか?」

 上品に塗られたオレンジ色の唇から、優しい声が漏れた。落ち着いた声だ。年は私と同じくらいか、二十代後半に見える。

「はい、少々お待ちください。こちらでよろしいんですね」

 特に意味はなく、確かめた私の言葉に彼女は小さく微笑んだ。

「ええ。だって今日は、母の日でしょう?」

 穏やかな口調から、当然のように言う。

 意味が分からなかった。

 母の日だから紫陽花を買う、なんて言われたのは初めてだ。

「母の日だから?」

 不思議そうに疑問をそのまま口にした私に、彼女はゆっくりと話し始めた。

「紫陽花が特別、母の好きな花というわけではないんです。去年の春過ぎに、母が病気になって、病気自体は良くなってきているんですけど、なんていうか、精神的に弱気になってしまって……。寝たきり、というまではいかないんですが。それ以来、何とか元気づけようと思ったんですけど、なかなか……」

 彼女はそこでいったん言葉を区切り、カーネーションに目をやった。そして次に、紫陽花を見る。目を細めて、とても愛しそうに。その表情は、私の心を切なくさせた。彼女は声のトーンを落として、目を伏せた。長いまつげが、影を作る。

「そんな時、人様の庭に置かれた、鉢植えの紫陽花が印象的で。その日は雨が降っていたのですが、そんなのにかまわず、水に濡れながら紫陽花がいきいきと輝いているのを見て、ハッとしたんです。雨に濡れているのに、なんて頑張ってキレイに咲いているんだろうって。…ああ、ごめんなさい。言っていること、お分かりになります?」

 話を聞きながら、時折頷き、相槌をうつ私に、不安そうに彼女はこちらを見つめた。

「ええ」

 私はゆっくりと頷いた。頷きながら、頭の中で思い描いていた。横になる母と、それを優しく見守る女性。

 そういう訳だったのか。『母の日だから』と言った彼女の言葉を、やっと理解した。

「つまり、雨に濡れてる紫陽花のように、お母様も大変だろうけど頑張ってほしいと? そういう意味ですか?」

「はい。だけど……」

 相も変わらず、静かにゆっくりとした口調で言う彼女の話に、耳を傾けつつ、私は透明のラップをかけ、花に合うリボンをつける。

「母にはそんなこと、分からないでしょうね」

 淋しい声で、彼女は悲しそうに言った。

「いいえ」

 リボンをキュッと結んで、私は彼女の優しそうな瞳を見つめる。

「伝わりますよ」

 優しく、心をこめて言った。

「こんなにお母様のこと、想ってらっしゃるんですもの。必ず伝わります」

 伝わらなければいけない。

 母の日に、カーネーションでなく、あえて母と同じように思えた花を贈るのだ。その心が伝わらないわけがない。

「だと、いいんですけどね」

 革の茶色いお財布から、五千円札を取り出す。全てを話したせいか、ほっとしたような、そんな顔だ。

お金を受け取って、古くなったレジにしまいながら、お釣りを手渡す。

「花をプレゼントする時って、たいてい皆さん、ご自分の気持ちに素直になるんです。だから相手の方も喜ぶんじゃないでしょうか」

 日頃、感じたことを言ってみた。

 花をプレゼントする。それはたとえ、数百円のお金でも、相手のことを考えて選ぶものだから、プレゼントされた人は感激するのだ。自分のことを考えてくれたことに関して。

 レジの傍の木製の小さなカゴから、メッセージカードを取り、彼女に見せる。手のひらに収まるくらいの大きさだ。

「よろしければ、お使いください」

「まあ」

 小さな声が、彼女の口から漏れた。

「ありがとうございます」

 両手で丁寧に受け取って、彼女はカバンの中に大事にしまう。

 紫陽花を紙袋に入れながら私は、伝わればいいと、心から思った。そして仲良く、この女の人と一緒に店まで来て、どの花がキレイかなんて会話を、交わしてほしい。それはきっと、素敵な光景だろう。

「つまらないことをごめんなさい。どうもありがとう。お手数かけました」

 重そうに紙袋を持ちながら、彼女が言った。

「母が良くなったら、また来ます」

 そう言った彼女の顔は、どこかふっきれたような、この陽気にふさわしい晴れやかな顔だった。

「ええ。お待ちしています。重いので、お気をつけて」

 心からの感謝をこめて、お辞儀をする。

 そして、接客している母の方を一瞥した。一五〇センチを僅かに超える、小柄な体で、器用にリボンをつけつつ笑顔のまま、お客さんにカーネーションを渡している。今の方のお母さんとは、正反対かも知れない。明るく、人懐っこく、積極的で、笑顔を絶やさない私の母は、本当にこの仕事に向いている。

 あの紫陽花をプレゼントされたお母さんは、どういう表情をするだろうか。

 きっと、彼女に似た笑顔で微笑むに違いない。

だって、あんなに深い意味を持った紫陽花のプレゼントを、私は他に知らない。

 雨に濡れながら、紫陽花は力強く輝き、咲き誇るだろう。

 そして、彼女のお母さんも、同じように。




《終》


 


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